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源頼実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源頼実
時代 平安時代中期
生誕 1015年長和4年)
死没 1044年7月4日(長久5年6月7日
官位 従五位下蔵人検非違使左衛門尉
氏族 清和源氏頼光流(摂津源氏
父母 父:源頼国、母:藤原信理の娘
兄弟 頼弘頼資頼実実国頼綱六条斎院宣旨国房頼仲師光頼房頼任富国明円藤原為房室、藤原師実室、藤原顕家室、藤原良綱室、藤原定輔
頼季?、暹圓
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源 頼実(みなもと の よりざね)は、平安時代中期の官人歌人源頼国の三男。和歌六人党の一人。

経歴

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歌道に熱心で叔父・頼家と共に中級貴族の歌人集団である和歌六人党を構成した[1]蔵人所雑色であった長元8年(1035年)には「藤原頼通歌合」(「関白左大臣頼通歌合」)に同じく雑色の藤原経行源斉頼らと共に出席(「賀陽院水閣歌合」『類聚歌合巻』)[2]。また源師房の邸宅・土御門殿によく出入りしていたことが知られ、長暦2年(1038年)及び長久2年(1041年)の「権大納言師房歌合」のほか「橘義清歌合」などにも出詠、長久4年(1043年)に蔵人に補されたが、翌同5年(1044年)に30歳で死去した[3]

なお『尊卑分脈』では一子・頼季を源頼信の三男頼季と同一人物とし、子孫に井上氏の系譜を連ねるが詳細については不明[4]

作品、代表歌

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袋草紙』などに残りわずかとなった自身の命を秀歌一首と引き換えられるよう住吉大社に祈って夭逝したという逸話があることで知られる。その詠歌は『後拾遺集』以下の勅撰和歌集に計7首が入集し、また歌集に『頼実集』(『故侍中左金吾集』)がある[5]

住吉大社に祈請した後に自らの命と換えて得た一首とはこの歌であったという(『袋草紙』『無名抄』『今鏡』)[6]

  落葉如雨といふ心をよめる
木の葉ちる宿は聞き分くかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も

— 『後拾遺和歌集』 巻第六 冬 382

脚注

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  1. ^ 「人名索引」『後拾遺和歌集』 (1994年、岩波書店) P46
  2. ^ 「歌合」『栄花物語全注釈』六 (1976年、角川書店) P320
  3. ^ 「人名索引」『後拾遺和歌集』 (1994年、岩波書店) p46
  4. ^ 『尊卑分脈』清和源氏頼光流系図
  5. ^ 「人名索引」『袋草紙』 (1995年、岩波書店) P72
  6. ^ 「袋草紙 上巻」『袋草紙』 (1995年、岩波書店) P八二

出典

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関連項目

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