源頼房
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 荒加賀 |
官位 | 従五位下、蔵人、兵庫助、加賀守、肥前守 |
氏族 | 大和源氏 |
父母 | 父:源頼親 |
兄弟 | 頼成[1]、頼房、頼遠、頼基、頼怡 |
妻 | 藤原嬉子女房 |
子 | 頼俊、親宗、為房、清仁親王妃 |
源 頼房(みなもと の よりふさ)は、平安時代中期の武将。大和守・源頼親の次男。官位は従五位下・加賀守。荒加賀と呼ばれた。
略歴
[編集]加賀守任期後の永承4年(1049年)12月、長らく対立関係にあった興福寺の大衆が国司である父・頼親の邸宅に攻め寄せ、頼房がこれに矢で応戦して多数の僧を殺害したことから、激昂した興福寺の訴えにより翌年(1050年)正月、頼親は土佐国に、頼房は隠岐国に配流されることとなった(『扶桑略記』)。
康平5年(1063年)12月、赦免されて、本位に復する。しかし承保3年(1076年)、再び興福寺の訴えにより肥前国へ配流となり、同地において間もなく没したという。