滝山霞崖
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滝山 霞崖(たきやま かがい、1826年(文政9年) - 1875年(明治8年)8月19日)は、江戸時代の画家。徳島藩士。書家。阿波国出身。名は雹。通称は寛輔。号は霞崖。
生涯
[編集]江戸の徳島藩邸で住み、4歳で画を福田半香と土佐国の河田小龍に師事し、17歳で京都の高野楳嶺に8年間にわたって師事した[1]。山水を得意とし、尊円流の書を好んだ[1]。
1865年(慶応元年)に阿波国へ移り住み、紺屋町や立江村(現在の小松島市立江町)などに住居を構えた。また井上不鳴、四十宮石田、柴秋邨と親交があった[1]。
1875年(明治8年)8月19日、死去。享年55[1]。墓所は徳島県徳島市沖浜町の遵敬寺[2]。