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滝山霞崖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

滝山 霞崖(たきやま かがい、1826年文政9年) - 1875年明治8年)8月19日)は、江戸時代画家徳島藩士。書家阿波国出身。名は雹。通称は寛輔。号は霞崖。

生涯

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江戸徳島藩邸で住み、4歳で画を福田半香と土佐国河田小龍に師事し、17歳で京都の高野楳嶺に8年間にわたって師事した[1]。山水を得意とし、尊円流の書を好んだ[1]

1865年慶応元年)に阿波国へ移り住み、紺屋町や立江村(現在の小松島市立江町)などに住居を構えた。また井上不鳴、四十宮石田、柴秋邨と親交があった[1]

1875年明治8年)8月19日、死去。享年55[1]。墓所は徳島県徳島市沖浜町遵敬寺[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 1973年『阿波人物誌』
  2. ^ 『徳島の研究第4巻』(淸文堂、1982年