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潤間留十

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潤間 留十, 1932

潤間 留十(うるま とめじゅう、のち宮沢姓、1902年12月9日- 1999年1月26日)は日本の元スピードスケート選手である。長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)出身。諏訪蚕糸学校(現・長野県岡谷工業高等学校)卒。

1932年のレークプラシッドオリンピックでは、500m、1500m、5000m、10000mの4種目に出場したが、いずれも予選で敗退した。

その後は審判員として長く活躍し、日本スケート連盟名誉審判員にも選ばれた。

参考資料

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  • 「宮沢留十氏(日本人初の冬季五輪出場者、日本スケート連盟名誉審判員)死去」毎日新聞 1999年1月27日付朝刊19頁
  • 「[訃報]宮沢留十さん 96歳 死去=日本初のスピードスケート五輪選手」読売新聞 1999年1月27日付朝刊31頁

外部リンク

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