澄一道亮
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澄一道亮 | |
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1608年 - 1691年 | |
生地 | 浙江省杭州府銭塘県 |
宗派 | 禅宗 |
寺院 | 興福寺 |
師 | 逸然性融 |
弟子 | 悦峯道章 |
澄一道亮(ちょういつ どうりょう、1608年(万暦36年) - 1691年(元禄4年))は、明末清初に来日した中国僧。浙江省杭州府銭塘県の出身。
生涯
[編集]若い時に出家した。
1653年(承応2年)6月に来日し、長崎の興福寺に入寺し、逸然性融に従った。澄一は、医術に通じており、そのもとからは、石原鼎庵・上野玄貞・今井弘済らが出ている。
1656年(明暦2年)、逸然の隠退にともなって、興福寺の住持の座を継承した。
1663年(寛文3年)、長崎市中の大火が類焼し、堂塔伽藍の大半を焼失するも、1667年(寛文7年)には、大雄宝殿を再建している。
1686年(貞享3年)、悦峯道章に住持を譲り、塔頭の永福庵に隠退した。
1691年4月に没した。享年84。