興福寺 (長崎市)
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興福寺 | |
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本堂(大雄宝殿) | |
所在地 | 長崎県長崎市寺町4-32 |
位置 | 北緯32度44分52.3秒 東経129度53分2.0秒 / 北緯32.747861度 東経129.883889度座標: 北緯32度44分52.3秒 東経129度53分2.0秒 / 北緯32.747861度 東経129.883889度 |
山号 | 東明山 |
宗派 | 黄檗宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 1624年(寛永元年) |
開基 | 真円 |
別称 | あか寺、南京寺 |
文化財 |
大雄宝殿、旧唐人屋敷門(重要文化財) 山門、媽姐堂、鐘鼓楼ほか(県文化財) 境内(県史跡) |
法人番号 | 2310005000342 |
興福寺(こうふくじ)は、長崎県長崎市寺町(てらまち)にある、日本最古の黄檗宗の寺院。山号は東明山。山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれる。
歴史
[編集]1624年(寛永元年)に中国僧の真円により創建された日本最初の唐寺である。崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の一つに数えられる。本寺には、福建省・浙江省・江蘇省出身の信徒が多いため、媽祖堂も置かれていて[1]、南京寺とも称せられた。黄檗宗の開祖隠元隆琦ゆかりの寺院で、本堂にあたる大雄宝殿は国の重要文化財に指定されている。
福建省出身である隠元が黄檗宗・インゲンマメなど様々な文化を日本に伝えたことを縁として、黄檗文化交流が行われている[2][3]。
鐘鼓楼
[編集]鐘鼓楼は1962年(昭和37年)に長崎県指定の有形文化財に指定されたもので、重層に梵鐘と太鼓を置くものとなっている。しかし梵鐘自体は太平洋戦争中に供出されており、戦後も梵鐘は設置されないままであった[4]。
2019年(令和元年)に福建省のトップにあたる于偉国が興福寺を視察した際、梵鐘が失われたままであることを知り、于が新しい梵鐘の寄贈を提案した。新しい梵鐘は中国国内で製造され、2021年(令和3年)2月に興福寺へと届けられ設置が行われた[2][3]。
歴代住持
[編集]- :
- 第9代 - 竺庵浄印(じくあんじょういん)
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 大雄宝殿 - 寛永9年(1632年)に2代如定が建立した最初の堂は大火で焼失し元禄2年(1689年)に再建された。慶応元年(1865年)暴風で大破し明治16年(1883年)に修復された。
- 旧唐人屋敷門(長崎市の所有)
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旧唐人屋敷門
県指定有形文化財
[編集]- 山門
- 媽姐堂(天海司命堂)
- 鐘鼓楼
- 瑠璃燈
- 三江会所門
- 中島聖堂遺構大学門(長崎市所有)
- 黄檗開祖国師三幅対
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中島聖堂遺構大学門
市指定有形文化財
[編集]県指定史跡
[編集]- 境内[7]
脚注
[編集]- ^ 文化財:媽祖(まそ・ぼさ)
- ^ a b 弓長理佳 (2021年2月27日). “隠元禅師結んだ縁 中国・福建から長崎・興福寺に鐘寄贈”. 朝日新聞 2021年7月2日閲覧。
- ^ a b “中国福建省の福清萬福寺から長崎の興福寺へ梵鐘が寄贈されました。”. 長崎県. 2021年7月2日閲覧。
- ^ “長崎市│興福寺鐘鼓楼”. 長崎市. 2021年7月2日閲覧。
- ^ 長崎市(市指定有形文化財)
- ^ 長崎市(市指定有形文化財)
- ^ 長崎市(県指定史跡)