濱田成徳
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濱田 成徳(はまだ しげのり、1900年(明治33年)9月21日 - 1989年(平成元年)7月1日[1])は、日本の元官僚、元東海大学学長(第3代)を務める。東京府出身[1]。
来歴
[編集]日本で最初に酸化物陰極を研究し多量生産方法を1928年に完成させた。電子技術審議会会長、NHK経営委員会長、日本科学技術情報センター長、エレクトロニクス協議会長などを歴任した。
略歴
[編集]- 1925年(大正14年) - 東京帝国大学工学部電気工学科卒業。
- 1927年(昭和 2年) - 東京電気株式会社(現在の株式会社東芝)に入社。
- 1942年(昭和17年) - 同社 電子工業研究所長に就任。
- 1946年(昭和21年) - 電気通信技術振興委員会会長に就任。
- 1948年(昭和23年) - 東海大学学長職、電気通信学会会長に就任。
- 1949年(昭和24年) - 東北大学電気通信研究所教授、日本学術会議会員に就任。
- 1952年(昭和27年) - 東海大学学長職を退任。
- 1955年(昭和30年) - 郵政省電波管理局長に就任。
- 1956年(昭和31年) - テレビジョン学会会長に就任。
- 1959年(昭和34年) - 郵政省電波管理局長を退任。日本放送協会経営委員( - 1967年)、日本原子力研究所技術相談役( - 1965年)に就任。
- 1964年(昭和39年) - エレクトロニクス協議会会長に就任。
- 1965年(昭和40年) - 電子技術審議会会長( - 1970年)、日本科学技術情報センター理事長に就任。
- 1967年(昭和42年) - 東京女子大学理事長に就任。
- 1968年(昭和43年) - NHK放送技術審議会委員、日本情報処理センター理事、地域開発研究所理事に就任。
- 1969年(昭和44年) - 電波技術審議会会長に就任( - 1975年)。
- 1971年(昭和46年) - 医療技術研究開発財団理事長に就任。
受賞
[編集]- 1944年 - 電気通信学会功績賞、東京芝浦電気特別賞、毎日新聞社通信文化賞
- 1962年 - 郵政大臣表彰
- 1965年 - 国際電気通信連合百周年表彰、電気通信協会賞
- 1966年 - 藍綬褒章
- 1971年 - 勲二等旭日重光章
- 1975年 - 郵政大臣表彰
- 1976年 - 前島賞(現:前島密賞)、ITV特別賞
著書
[編集]- 『特殊真空管』(共立出版、1934年)
脚注
[編集]関連項目
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