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瀬川 如皐(せがわ じょこう)は歌舞伎作者の名跡。
- 初 代 瀬川如皐
- 舞踊市山流の初世市山七十郎の子、1739–94。役者の三代目瀬川菊之丞の兄。役者から作者に転身、さらに長唄や常磐津の作詞も手がけた。
- 市山七蔵 → 瀬川七蔵 → 市山七蔵 → 瀬川乙女 → 初代瀬川如皐
- 長唄『狂乱雲井袖』、常磐津『四天王大江山入』
- 二代目 瀬川如皐
- 1757–1833。初代?の門弟から初代河竹新七の門人。
- 五百埼文次 → 河竹文次 → 御園文次 → 二代目瀬川如皐
- 代表作不詳
- 四代目 瀬川如皐
- 三代目の親戚、1857–1938。福地櫻癡の門人から歌舞伎座の付作者に。
- 本名・川村太市。三代目の死後、その未亡人を引き取って世話した関係で、明治31年(1898年)襲名する。東京座の立作者から、芝新堀に草鞋屋を開くかたわら歌舞伎座の客分となっていた。昭和13年1月、82才で没[1]。
- 代表作不詳
- 五代目 瀬川如皐
- 四代目の子、1889–1957。主に関西で活躍。
- 襲名歴不詳
- 代表作不詳