瀬戸市立古瀬戸小学校
瀬戸市立古瀬戸小学校 | |
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北緯35度13分38.38秒 東経137度6分48.93秒 / 北緯35.2273278度 東経137.1135917度座標: 北緯35度13分38.38秒 東経137度6分48.93秒 / 北緯35.2273278度 東経137.1135917度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 瀬戸市 |
設立年月日 | 1940年4月1日 |
閉校年月日 | 2020年(令和2年)3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒489-0032 |
外部リンク | 公式サイト |
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瀬戸市立古瀬戸小学校(せとしりつこせとしょうがっこう)は、かつて愛知県瀬戸市古瀬戸町70にあった公立の小学校。瀬戸川の上流部に位置し、学区内の伝統産業は陶磁器産業(瀬戸焼)である[1]。
歴史
[編集]1940年(昭和15年)4月1日に深川尋常小学校(現・瀬戸市立深川小学校)から分離され、瀬戸市古瀬戸尋常小学校として創立された[1]。戦後の1947年(昭和22年)に瀬戸市立古瀬戸小学校に改称した。愛知県県主催の水質パトロールでは8年連続で最優秀賞を獲得している。
2020年(令和2年)3月31日、瀬戸市の中心市街地の5校(瀬戸市立道泉小学校、瀬戸市立深川小学校、瀬戸市立古瀬戸小学校、瀬戸市立東明小学校、瀬戸市立祖母懐小学校)と2中学校(瀬戸市立本山中学校、瀬戸市立祖東中学校)を統合、義務教育学校の瀬戸市立にじの丘学園の開校により廃校。
1947年度(昭和22年度)の児童数は588人を数え、1957年度(昭和32年度)の児童数は595人、1967年度(昭和42年度)の児童数は474人、1977年度(昭和52年度)の児童数は408人だった[1]。しかしその後は児童数が年々減少している[1]。1997年度(平成9年度)には201人となり、1998年以降は単学級(1学年1学級)となっている[1]。2017年度(平成29年度)の児童数は91人にまで減少した[1]。
閉校後は女子サッカーチームのラブリッジ名古屋の練習場に改装され活用される[2]。
児童数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]。
1947年(昭和22年) | 588人 | |
1957年(昭和32年) | 595人 | |
1967年(昭和42年) | 474人 | |
1977年(昭和52年) | 408人 | |
1987年(昭和62年) | 396人 | |
1997年(平成9年) | 201人 | |
2007年(平成19年) | 136人 | |
2017年(平成29年) | 91人 |
教育目標
[編集]- 「思いやりのある子・元気な子・よく学ぶ子」
通学区域
[編集]- 古瀬戸町
- 西古瀬戸町
- 紺屋田町
- 五位塚町
- 馬ヶ城町
- 東古瀬戸町
- 西拝戸町
- 東拝戸町(84番、86 - 99番を除く)
- 東町
- 東洞町
- 南東町
- 西洞町
- 仲洞町
- 寺本町
- 王子沢町
進学する中学校
[編集]中山町にある瀬戸市立祖東中学校に進学する。祖東中学校には、古瀬戸小学校以外に瀬戸市立深川小学校、瀬戸市立東明小学校、瀬戸市立祖母懐小学校が進学してくる。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 愛知県小中学校校長会『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2018年