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瀬戸市立深川小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
瀬戸市立深川小学校
地図北緯35度13分42.42秒 東経137度6分17.07秒 / 北緯35.2284500度 東経137.1047417度 / 35.2284500; 137.1047417座標: 北緯35度13分42.42秒 東経137度6分17.07秒 / 北緯35.2284500度 東経137.1047417度 / 35.2284500; 137.1047417
過去の名称 瀬戸第二尋常小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 瀬戸市
設立年月日 1903年
閉校年月日 2020年3月
共学・別学 男女共学
単位制・学年制 学年制
学期 3学期制
所在地 489-0074
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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瀬戸市立深川小学校(せとしりつ ふかがわしょうがっこう)は、かつて愛知県瀬戸市宮脇町にあった公立小学校。1903年(明治36年)に瀬戸第二尋常小学校として開校した。

地理

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瀬戸市の中心市街地にあり、西側には深川神社や「瀬戸のやきものの祖」加藤景正を祀る陶彦社、東側には日本最大の陶製碑である六角陶碑がある[1]。毎年9月には学区内でせともの祭が開催され、瀬戸市内外から多くの観光客が訪れる[1]

歴史

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年表

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沿革

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戦前のピーク時には児童数が2,000人を超えており、戦後の1947年(昭和22年)の児童数は1,065人だった[1]。その後1957年(昭和32年)には1,137人まで増えたが、1967年(昭和42年)には615人となり、1970年代から児童数が顕著に減少した[1]。1987年(昭和62年)には251人となり、1990年代には各学年1学級の学校となった[1]。2007年(平成19年)には106人となり、2015年(平成27年)以降は50人前後で推移している[1]

児童数の変遷

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『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]

1947年(昭和22年) 1065人
1957年(昭和32年) 1137人
1967年(昭和42年) 615人
1977年(昭和52年) 491人
1987年(昭和62年) 251人
1997年(平成9年) 164人
2007年(平成19年) 106人
2017年(平成29年) 50人

著名な卒業生

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』p.320
  2. ^ 学校の歴史 瀬戸市立深川小学校

参考文献

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  • 愛知県小中学校校長会『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2018年
  • 深川小学校創立百周年記念実行委員会『深川小学校創立100周年記念誌』瀬戸市立深川小学校、2004年

関連項目

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外部リンク

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