コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

瀬戸春樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
瀬戸 春樹
名前
愛称 はるき
カタカナ セト ハルキ 
ラテン文字 SETO Haruki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-03-14) 1978年3月14日(46歳)
出身地 富山県[1]
身長 180
体重 72kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
ユース
1993-1995 日本の旗 水橋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 日本の旗 横浜フリューゲルス 27 (0)
1999 日本の旗 アルビレックス新潟 36 (5)
2000-2004 日本の旗 大分トリニータ 76 (2)
2001 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan) 2 (0)
2001 日本の旗 ガンバ大阪 (loan) 0 (0)
2005-2006 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 0 (0)
2006 日本の旗 柏レイソル (loan) 6 (0)
2007 日本の旗 YKK AP 6 (0)
2008 シンガポールの旗 バレスティア・カルサ 30 (3)
2009 シンガポールの旗 ゲイラン・ユナイテッド 31 (2)
通算 214 (12)
代表歴
 日本U-23
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

瀬戸 春樹(せと はるき、1978年3月14日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、現在はサッカークラブにてU15やU13監督として活躍。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー。

来歴

[編集]

水橋高校ではフォワードとして活躍。同期の富山第一高校柳沢敦とは全国高校サッカー選手権富山県大会の決勝でも対戦している。1年生の時から3年生までレギュラーとして国体に3回出場。

高校卒業後、横浜フリューゲルスへ入団し、豊富な運動量を評価されボランチへとコンバートされた。1998年にはシドニーオリンピック代表候補にも選ばれた。

フリューゲルス吸収合併後の横浜F・マリノスには加入せず、当時J2所属だったアルビレックス新潟へ移籍。

2000年、より高いレベルでのプレーを望み大分トリニータに完全移籍。2001年より岡田武史監督の目にとまりコンサドーレ札幌に期限付き移籍[1]、契約期限満了後の7月よりガンバ大阪に期限付き移籍[1][2]。大分に復帰した2002年には数多くのポジションをこなしJ1昇格に大きく貢献した。その年、CM、時代劇、グラビアなどで活躍したタレントの日置由香と結婚2004年JOMOオールスターサッカーにも出場した[3]

2005年、イビチャ・オシム監督率いるジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍[4]、チーム初のナビスコカップ優勝を果たした。2006年恩師石崎信弘監督の下柏レイソルにレンタル移籍[5]、レギュラーをつかむも怪我で半年間プレー出来ず2007年には故郷のチームであるYKK APに所属し[6]、地元のチューリップテレビと契約、富山県からJリーグを目指しサッカー教室(スポ天)PASSIONで地元のサッカーを盛り上げた。

ところが、楚輪博監督とサッカーの戦術で衝突。3年契約の1年で移籍を決意[要出典]。自らシンガポールでトライアウトを受け外国人枠を勝ち取り、2008年からはシンガポールのバレスティア・カルサに移籍[7]。バレスティア・カルサでは加入1年目ながらキャプテンを務めた。シンガポールの中でもACL,AFCに出場を目指し2009年よりゲイラン・ユナイテッドFCに移籍、リーグ戦、カップ戦全てに出場。シンガポールカップ優勝に大きく貢献、またその年シンガポールの外国人選抜にも選ばれ実力を高く評価され、2010年インドネシアスーパーリーガ・強豪ペルシワ、ワメナからのオファーを断り自分の最後の目標であるアメリカ・メジャーリーグサッカーに挑戦。プレシーズンまで参加するも契約に至らず現役引退を決意[要出典]

2020年より、関東1部リーグ所属・ブリオベッカ浦安のU-15監督に就任。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 横浜F - J 0 0 0 0 0 0 0 0
1997 22 7 0 1 0 1 0 9 0
1998 15 20 0 4 1 3 0 27 1
1999 新潟 7 J2 36 5 2 0 3 1 41 6
2000 大分 14 21 1 2 0 2 1 25 2
2001 札幌 15 J1 2 0 2 0 - 4 0
G大阪 36 0 0 - 0 0 0 0
2002 大分 14 J2 24 1 - 4 0 28 1
2003 J1 14 0 3 0 1 0 18 0
2004 17 0 5 0 1 0 23 0
2005 千葉 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 15 J2 6 0 - 0 0 6 0
2007 YKK AP JFL 6 0 - - 6 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2008 バレスティア 2 Sリーグ 30 3 6 0 1 0 37 3
2009 ゲイラン 8 31 2 6 0 3 0 42 3
通算 日本 J1 60 0 15 1 6 0 81 1
日本 J2 87 7 4 0 9 2 100 9
日本 JFL 6 0 - 0 0 6 0
シンガポール Sリーグ 30 3 6 0 1 0 37 3
総通算 224 15 37 1 19 2 303 19

出典

[編集]
  1. ^ a b c コンサドーレ札幌からガンバ大阪へ 瀬戸春樹選手移籍のお知らせ』(プレスリリース)コンサドーレ札幌、2001年7月24日。オリジナルの2002年8月15日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20020815150653fw_/http://www.menkoi.net:80/consadole/news/tp134.html2017年10月25日閲覧 
  2. ^ コンサドーレ札幌・瀬戸春樹選手、ガンバ大阪へ期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2001年7月24日。オリジナルの2004年5月2日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20040502152419/http://www.newtecks.com:80/gapress2/sha.cgi?tree=x42017年10月25日閲覧 
  3. ^ [ 2004JOMOオールスターサッカー ]試合後のJ-WEST 瀬戸春樹選手(大分)コメント」『J’s GOALアーカイブ』、Jリーグ、2004年7月3日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=000091942017年10月25日閲覧 
  4. ^ 瀬戸春樹選手加入について』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2005年1月17日http://jefunited.co.jp/news/2005/01/top/11059452009308.html2017年10月25日閲覧 
  5. ^ 瀬戸春樹選手が期限付移籍加入』(プレスリリース)柏レイソル、2006年1月10日http://blog.reysol.co.jp/news/2006/007818.html2017年10月25日閲覧 
  6. ^ 瀬戸 春樹 選手の移籍について』(プレスリリース)ジェフユナイテッド千葉、2007年1月22日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=435242017年10月25日閲覧 
  7. ^ “YKKAP 瀬戸選手が海外移籍 シンガポールリーグへ”. 中日新聞. (2008年1月22日). オリジナルの2008年2月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080220085440/http://www.chunichi.co.jp:80/article/toyama/20080122/CK2008012202081444.html 2017年10月25日閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]