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炎628

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
炎628
Иди и смотри
監督 エレム・クリモフ
脚本 アレシ・アダモヴィチ
エレム・クリモフ
音楽 オレーグ・ヤンチェンコ
撮影 アレクセイ・ロジオーノフ
製作会社 モスフィルム
ベラルーシフィルム英語版ロシア語版
配給 日本の旗 松竹富士クラシック=松竹富士
公開 ソビエト連邦の旗 1985年
日本の旗 1987年10月30日
上映時間 143分
製作国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
言語 ベラルーシ語
ロシア語
ドイツ語
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炎628』(ほのお628、原題 ロシア語: Иди и смотри、『来たれ、そして見よ』または『行け、そして見よ』[1])は、1985年公開のソ連映画。

概要

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1943年ドイツ占領下のベラルーシ英語版ロシア語版を舞台に、赤軍パルチザンに身を投じた少年がドイツ軍アインザッツグルッペンによる虐殺を目の当たりにする様子を描いた映画。

1943年3月22日ベラルーシで起きたハティニ虐殺を基にした作家アレシ・アダモヴィチ英語版の小説『ハティニ物語ロシア語版』を原作としている[1]大祖国戦争戦勝40周年となる1985年に合わせて製作された。

原題は、『ヨハネの黙示録』第6章の死(死神)が乗った青ざめた馬が現れる一節から採られた。

小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。 — 『ヨハネの黙示録』6章7節-8節(口語訳)

ストーリー

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1943年、ドイツ軍に占領されたベラルーシでは、少年フリョーラがパルチザンの隠した小銃を掘り出していた。止めさせようとする村の男の声に耳を傾けないフリョーラだが、その様子を上空でドイツ軍の偵察機が監視していた。翌朝、パルチザンの一部隊がフリョーラの村にやって来た。母の声にも耳を貸さず、彼は小銃を片手にパルチザンに志願する。フリョーラはパルチザンの陣地にやって来たが、パルチザンの指揮官であるコサーチは彼を置き去りにして出発してしまう。落胆するフリョーラだが、森の中で出会った少女グラーシャは、死地に少年を送りたくない温情からだと語る。そこへドイツ軍の攻撃が始まり、落下傘兵が降下してきた。フリョーラとグラーシャは村へと逃れるが、人の気配が全く無い。やがてグラーシャは虐殺された村人の死体の山を見つけ、フリョーラは錯乱して沼地に入ろうとする。

やがて、パルチザンの一員であるロウベジと共に生き残った村人たちと出会った2人だが、フリョーラの家族は殺されたことを告げられる。フリョーラに銃を掘るのを止めさせようとした村の男は、ガソリンで焼かれ瀕死の重傷を負っていた。自分の行動で家族が殺されたことに、自責の念に駆られるフリョーラ。一方、憎悪に燃える村人たちは、ドイツ兵の白骨死体からヒトラーの人形を作り罵っていた。ロウベジはフリョーラたちと共に、人形を使った奇襲と食糧調達を行うことになる。途中、地雷原で仲間を失うが、ドイツ軍占領下のバグショフカ村に着いたフリョーラとロウベジは、村人を脅して牛を調達することに成功する。しかし、帰途でドイツ軍の襲撃に会い、ロウベジは射殺され、牛も銃弾に倒れた。

翌朝、フリョーラは馬車を確保しようとしてペレホードイ村の農夫に出会うが、村には大量のドイツ兵がやってきており、農夫はフリョーラに小銃を隠して自分の家族になりすますよう指示する。村では、ドイツ軍が重要事項を発表するとして、ロシア人の対独協力者を使って村人たちを半ば強引に教会に集めていた。当惑する村人たちに、若い親衛隊中隊長は、子供を残して外へ出てくるよう指示する。フリョーラや幾人かの村人が窓から出てきたのを見計らい、ドイツ兵たちは嬉々と教会の中に手りゅう弾を投げ込み、火炎瓶火炎放射器で教会の建物に火を放ち、さらには教会めがけて一斉射撃を行う。炎が増すにつれて消えてゆく悲鳴。フリョーラも記念写真を撮ろうとするドイツ兵達に弄ばれる。村の家畜や女性を略奪して、家々にも火を放ったドイツ軍の後には、放心状態のフリョーラ達と燃えさかる建物だけが残された。

しかしその直後、ドイツ軍はパルチザンの奇襲に遭い、兵たちは次々と倒れてゆく。フリョーラの前に現れたのは、笛を咥えさせられ血まみれになり放心状態のグラーシャだった。ドイツ軍の将校やロシア人協力者はパルチザンに捕らえられた。ドイツ軍に命じられただけという協力者や、命乞いをするドイツ兵、高齢で誰にも危害を与えていないと語る司令官に対して、村人の虐殺を指揮した中隊長は、パルチザン達を劣等人種と罵り、共産主義の劣等性と子供を殺したことの正当性を堂々と主張する。通訳に耐え切れず殺すべきだと言う協力者は、コサーチに言われるがまま、味方だったドイツ軍将校にガソリンを降りかけ焼き殺そうとする。しかし、復讐に燃えるパルチザンが先に彼らを射殺してしまった。

パルチザンが再び移動を開始したところで、白髪に皺だらけの老人のような風貌になったフリョーラは、道の水たまりにヒトラーの肖像画が落ちているのを見つける。怒りに燃えるフリョーラは、肖像画めがけて小銃を撃つ。撃つたびにヒトラーの映像が巻き戻され、電撃戦、ナチ党結成時、第一次世界大戦時と戻ってゆく。そして最後は、幼少期のヒトラーの写真で終わり、そこでふと我に返ったフリョーラの目からは、涙があふれていた。

そして森の中へと進軍していくパルチザン。「大戦中、ベラルーシの628の村々が焼かれた」という字幕で映画は幕を閉じる。

キャスト

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受賞

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第14回モスクワ国際映画祭(1985年)の最優秀作品賞を受賞した[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 越野 2014, p. 77.
  2. ^ 1985 :: Moscow International Film Festival” (英語). moscowfilmfestival.ru. 2022年2月28日閲覧。モスクワ国際映画祭 1985年最優秀作品賞 受賞作品の詳細。

参考文献

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外部リンク

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