エレム・クリモフ
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エレム・ゲルマノヴィッチ・クリモフ Эле́м Ге́рманович Кли́мов | |||||||||||
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生年月日 | 1933年7月9日 | ||||||||||
没年月日 | 2003年10月26日(70歳没) | ||||||||||
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、スターリングラード | ||||||||||
死没地 | ロシア、モスクワ | ||||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『炎628』 | |||||||||||
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エレム・ゲルマノヴィッチ・クリモフ(ロシア語: Эле́м Ге́рманович Кли́мов, ラテン文字転写: Elem Germanovich Klimov, 1933年7月9日 - 2003年10月26日)は、ロシアの映画監督。
人物
[編集]全ソ国立映画大学で映画を学び、映画監督のラリーサ・シェピチコと結婚した[1]。監督をつとめた作品は、独ソ戦下、ドイツ国防軍の占領地だったベラルーシを舞台に、戦争の悲しさを強烈に描いた1985年の映画『炎628』のほか、コメディ映画、子供向け映画、歴史映画などの監督もつとめた。
フィルモグラフィ
[編集]映画
[編集]年 | 題名 | 役割 |
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1975 | ロマノフ王朝の最期 Аго́ния |
監督 |
1981 | 別れ Проща́ние | |
1985 | 炎628 Иди и смотри |
脚注
[編集]- ^ Ronald Bergan (2003年11月4日). “Obituary: Elem Klimov”. The Guardian. オリジナルの2013年11月5日時点におけるアーカイブ。 2014年5月10日閲覧。