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無産者新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無産者新聞の立ち売り(1926年)

無産者新聞(むさんしゃしんぶん)は、1920年代から1930年代前半にかけて発行されていた日本の政治新聞。『赤旗』(せっき)が発行されるまでの、労働者階級の立場に立った唯一の新聞だったとされる[1]

概要

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1925年(大正14年)9月26日創刊。表向きは「無産者新聞社」を発行元とする合法機関紙であったが、実際の発行元は日本共産党再建ビューローだった[1]主筆にはソビエト連邦から帰国した直後の佐野学が就任した。

当初は半月刊で、旬刊週刊、週5日の発行に変化した[1]労働者農民党の門戸開放や中国への不干渉を主張したが、1929年(昭和4年)8月に発禁処分を受け、238号で廃刊。

1930年(昭和5年)の三・一五事件では、無産新聞記者の肩書で佐野学、門屋博、是枝恭二、水野秀夫、北浦千太郎らが逮捕、起訴されている[2]

その後は『第二無産者新聞』として続刊され、1932年(昭和7年)、96号をもって『赤旗』に吸収された[1]

外部リンク

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脚注

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  1. ^ a b c d 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月、370頁。 
  2. ^ 徳田球一ら共産党幹部三十五人有罪に『東京日日新聞』昭和5年4月29日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p158 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)