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逸見重雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

逸見 重雄(へんみ しげお、1899年7月2日[1] - 1977年10月16日)は、日本社会運動家経済学者。法政大学名誉教授。

戦前非合法政党時代最末期の日本共産党第二次共産党中央委員であったが、獄中で転向した。戦後は中央労働学園大学法政大学にて教鞭を執った。

略歴

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戦前

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戦後

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著作

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  • 『佛領印度支那研究』日本評論社1941年
  • 『佛印の經濟資源』(南方經濟資源總攬・第4巻)日本經國社1943年
  • 『帝国主義と民族民主革命 - ベトナム問題を中心として』法政大学出版局1965年
  • 『道標』逸見先生を囲む会(編)、1969年
  • 逸見重雄「河上肇と学連事件」『東京河上会会報』第38号, 1975年5月
  • 『逸見重雄追悼集』非売品,1978年

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、へ2頁。
  2. ^ 逸見重雄、病母を思い転向『東京朝日新聞』昭和9年6月19日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p544 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目

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外部リンク

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