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熊の手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

熊の手のひら(くまのてのひら、: 熊掌、熊蹯)は、中国の珍貴な伝統食材

熊掌は、龍肝、鳳髄、豹胎、鯉(鯪鯉、穿山甲)尾、猩唇(麋鹿(シフゾウ)の頬)、鴞(ミミズク)炙、酥酪蝉とともに「の八珍」と称された[1]

伝統的に中国東北部白頭山地域、特に吉林東部産が多い。ツキノワグマヒグマの手足が多く、左手(左前足)が最上級とされる。

調理

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熊掌料理は仕上げに10日間ほどを要する手間のかかる料理である[2]

温水でよく洗った熊掌を熱湯で湯がき、表皮を取り除いたあと三昼夜流水の下にさらしておく[1]。これを(酢)を加えた液で少なくとも五昼夜間断なく蒸熱する[2]。完全に臭みが取れて柔らかくなったところで骨を抜き、薄く切って、汁に酒、酢、はじかみ)、蒜(にんにく)を加えた煮汁で数時間煮燗して最後に塩などで味をととのえる[2]

歴史

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中国では非常に古くから珍貴なものとして熊の手が食されてきた。『孟子』曰く、

我所欲也、熊掌亦我欲所也、二者不可得兼、舎魚而取熊掌者也”

魚は、我が欲する所なり。熊の掌も、亦我が欲する所なり。二つの者得て兼ぬ可からざれば、魚を舍てて熊の掌を取らん者なり。

余は魚料理が好きである。同じく熊の掌も好きである。だが両方を得られなければ、余は魚料理をあきらめて熊の掌を選ぶ[3] — 孟子、 “告子章句上 十”

成王は熊の手を好み、反乱を起こしたわが子の商臣(穆王)に対して熊掌を食べて死にたいと願ったが拒まれたという。

前漢枚乗の『七発」には「熊蹯之臑、勺藥之醬。」とあるほか、曹植の『名都篇』には「膾鯉臇胎鰕、寒鱉炙熊蹯。」とある。

南宋陸游の『東窓偶書』の詩には「萬事何曾有速淹、熊蹯魚腹自難兼。」とある。

趙翼の『食田鶏戯作』の詩には「由来雋味在翹肖、何用猩唇貛炙熊蹯胹。」とある。

近年中国で食用の熊の手は入手困難であり、その調理方法が失われつつあるが、一方で密猟や熊の手の密輸は現在も深刻な問題である[4][5][6]

脚注

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  1. ^ a b 佐藤垢石『『たぬき汁』以後』1993年、77頁。 
  2. ^ a b c 佐藤垢石『『たぬき汁』以後』1993年、78頁。 
  3. ^ 告子章句上 十”. 我読孟子 (2006年2月21日). 2016年1月22日閲覧。
  4. ^ 広西森林公安繳獲853只走私穿山甲22只熊掌” (中国語). 広西新聞网-南国早報-新浪网 (2006年8月2日). 2009年6月8日閲覧。
  5. ^ 中外四名男子走私35只熊掌獲刑” (中国語). 中国広播网-新浪网 (2007年10月19日). 2009年6月8日閲覧。
  6. ^ 広西警方従廢紙車中査出173只熊掌” (中国語). 中国広播网-新浪网 (2009年6月8日). 2009年6月8日閲覧。