熊克武
熊克武 | |
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プロフィール | |
出生: |
1885年12月26日 (清光緒11年10月21日) |
死去: |
1970年9月2日 中華人民共和国北京市 |
出身地: | 清四川省資州井研県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 熊克武 |
簡体字: | 熊克武 |
拼音: | Xióng Kèwǔ |
ラテン字: | Hsiung Ko-wu |
和名表記: | ゆう こくぶ |
発音転記: | ション コーウー |
熊 克武(ゆう こくぶ)は清末、中華民国、中華人民共和国の軍人。中華民国時代における川軍(四川軍)の指導者の1人で、主に南方政府(護法軍政府)に与した。字は錦帆。祖籍は湖南省麻陽県(現在の懐化市麻陽ミャオ族自治県)。
事跡
[編集]革命派としての活動
[編集]医者の家庭に生まれ、初めは学問を志した。しかし1903年(光緒29年)、四川東文学堂に入学した。この時、戴季陶ら後に民国時代に活躍する政治家・軍人たちと多く知り合っている。
同年冬、叔父の資金援助により日本へ留学する。大成尋常中学校を経て、東斌学堂で軍事を学んだ。東京にいた間に、熊克武は孫文と知り合い、1905年(光緒31年)8月の中国同盟会結成に関与した。同年12月に帰国すると、黄興など同盟会の同志たちと連携をとりながら、四川・広東など各地で反清蜂起を画策している。
1912年(民国元年)1月、熊克武は、重慶で成立した蜀軍政府で黄興の推薦により軍総司令に就任した。3月には蜀軍政府第1師師長に任命されている。4月、成都で成立していた四川軍政府に蜀軍政府が合流すると、熊は四川陸軍第5師師長として重慶に引き続き駐屯した。
1913年(民国2年)7月、二次革命(第二革命)が勃発すると、熊は楊庶堪ら同志と共に反袁世凱の蜂起を行った。しかし9月、四川都督胡景伊に敗れた。熊は日本へ亡命し、さらに南洋へ出て革命資金の募集に従事した。1915年(民国4年)12月、帰国して護国戦争(第三革命)に参加し、蔡鍔率いる護国軍第1軍に随って四川に戻った。1916年(民国5年)6月に袁が死去すると、四川督軍となった蔡により、熊は川軍第5師師長兼重慶鎮守使に任命された。
四川統治権の争奪
[編集]1917年(民国6年)7月、孫文が護法運動を開始すると、同年12月に熊克武もこれを支持している。1918年(民国7年)1月に四川靖国軍総司令に就任した。熊は北京政府側の四川督軍劉存厚との戦いを開始する。2月25日には、成都を攻略して、劉を駆逐した。
しかし、四川の統治権を得た熊は、次第に他の川軍同僚たちを抑圧し、自身の権力の拡充に走り始めた。1920年(民国9年)5月、呂超ら不満を抱いた川軍軍人が、雲南省の唐継尭の支援を受け、熊に挑戦してきた。熊は不利な状況となったため、陝西省南部に拠っていた劉と和解する。これにより、呂と滇軍(雲南軍、雲南派)を四川省から駆逐した。
同年12月、熊克武、劉存厚ら川軍軍人たちは、「四川自治」を宣言し、北京政府にも南京政府にも与しないとした。しかし、まもなく川軍軍人間で内紛が発生し、北京政府と通じた劉存厚を、熊は再び四川省から駆逐してしまう。さらに、1921年(民国10年)7月に、熊は湖北省の呉佩孚を攻撃したが、敗北を喫した。
1924年(民国13年)1月、熊は中国国民党第1回代表大会で中央執行委員に選ばれ、国民党側への旗幟を鮮明にした。しかし、熊は北京政府の支援を受けた川軍軍人たちとの戦いに敗れる。同年4月、四川省から逃走して、湖南省常徳に逃れた。
失脚、晩年
[編集]1925年(民国14年)3月、熊克武は軍を率いて広東へ向かい、9月に広州に到着した。しかし、汪兆銘と蔣介石は、熊が陳炯明と結んで広東軍政府転覆を謀ったとの罪名により、熊を収監し、その軍を没収した。これにより熊は、事実上、軍事・政治の舞台から退場することになる。
1927年(民国16年)3月末にようやく釈放された。その後、国民政府委員に任命されたものの、むしろ四川省の名士として社会的活動に多く従事した。中華人民共和国建国後も大陸に留まり、西南軍政委員会副主席、全国政治協商会議委員、全国人民代表大会常務委員、中国国民党革命委員会(民革)中央副主席などをつとめた。
参考文献
[編集]- 馬宣偉「熊克武」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第11巻』中華書局、2002年。ISBN 7-101-02394-0。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 匡吉珊・楊光彦主編『四川軍閥史』四川人民出版社、1991年。ISBN 7-220-01189-X。
中華民国(北京政府)
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