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標茶町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊牛村から転送)
しべちゃちょう ウィキデータを編集
標茶町
標茶町旗 標茶町章
1968年6月1日制定[1]
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道釧路総合振興局
川上郡
市町村コード 01664-1
法人番号 4000020016641 ウィキデータを編集
面積 1,099.37km2
総人口 6,865[編集]
住民基本台帳人口、2024年10月31日)
人口密度 6.24人/km2
隣接自治体 釧路郡釧路町阿寒郡鶴居村川上郡弟子屈町厚岸郡厚岸町標津郡中標津町野付郡別海町
町の木 ナラ
町の花 コスモス
標茶町役場
町長 佐藤吉彦
所在地 088-2312
北海道川上郡標茶町川上4丁目2番地
北緯43度18分12秒 東経144度36分02秒 / 北緯43.30331度 東経144.60064度 / 43.30331; 144.60064座標: 北緯43度18分12秒 東経144度36分02秒 / 北緯43.30331度 東経144.60064度 / 43.30331; 144.60064
外部リンク 公式ウェブサイト

標茶町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
コッタロ湿原
塘路湖

標茶町(しべちゃちょう)は、北海道釧路総合振興局管内の川上郡にある町。主に富山県長野県からの満蒙開拓団(弥栄開拓団)の引揚者が戦後多数移住した。

町名の由来

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現市街が設けられている地点のアイヌ語名、「シペッチャ(si-pet-cha)」(大・川・岸)が由来である。この由来についてアイヌ語研究者の山田秀三は、当地はアイヌ時代より現在の釧路と標津・斜里を結ぶ交通の要衝であり、標津や斜里から山越えをして初めて釧路川の大川端に出る地点であるためこの名称が付いたのではないか、と解釈している[2]

地理

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釧路総合振興局のほぼ中央に位置する。距離は釧路市中心部から北東に約40km。町の面積1,099.56 km2。日本全国の町村では、6番目に広い。

町を南北に釧路川が流れ、川に沿って釧網本線、国道391号などの交通網が走る。

南部には釧路湿原を有する。釧路湿原の総面積18,290haのうち標茶町が占める面積は11,993haで全体の約65%にあたり、四市町村中最も多い。

町の境界線を北西を上にして見ると羊のように見えるとされている。

隣接している自治体

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気候

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ケッペンの気候区分によると、標茶町は亜寒帯湿潤気候または湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。冬季は-25℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。

標茶町
雨温図説明
123456789101112
 
 
43
 
-2
-15
 
 
28
 
-2
-15
 
 
59
 
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-9
 
 
74
 
9
-2
 
 
98
 
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3
 
 
88
 
18
8
 
 
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21
13
 
 
132
 
23
15
 
 
155
 
20
10
 
 
111
 
15
2
 
 
80
 
8
-5
 
 
51
 
1
-10
気温(°C
総降水量(mm)
出典:[1]
インペリアル換算
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1.7
 
28
4
 
 
1.1
 
29
6
 
 
2.3
 
36
16
 
 
2.9
 
48
28
 
 
3.9
 
59
37
 
 
3.5
 
64
47
 
 
4.4
 
70
55
 
 
5.2
 
73
58
 
 
6.1
 
68
50
 
 
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36
 
 
3.1
 
46
24
 
 
2
 
34
13
気温(°F
総降水量(in)
標茶(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 7.8
(46)
12.4
(54.3)
17.0
(62.6)
26.7
(80.1)
32.8
(91)
32.7
(90.9)
34.4
(93.9)
35.1
(95.2)
31.7
(89.1)
25.1
(77.2)
21.0
(69.8)
14.1
(57.4)
35.1
(95.2)
平均最高気温 °C°F −1.4
(29.5)
−0.9
(30.4)
3.2
(37.8)
9.8
(49.6)
15.6
(60.1)
18.8
(65.8)
22.0
(71.6)
23.5
(74.3)
20.8
(69.4)
15.5
(59.9)
8.5
(47.3)
1.3
(34.3)
11.4
(52.5)
日平均気温 °C°F −7.9
(17.8)
−7.1
(19.2)
−2.1
(28.2)
3.6
(38.5)
9.0
(48.2)
13.0
(55.4)
16.9
(62.4)
18.4
(65.1)
15.3
(59.5)
8.9
(48)
2.0
(35.6)
−5.2
(22.6)
5.4
(41.7)
平均最低気温 °C°F −15.2
(4.6)
−14.7
(5.5)
−8.1
(17.4)
−2.3
(27.9)
3.1
(37.6)
8.4
(47.1)
13.0
(55.4)
14.6
(58.3)
10.2
(50.4)
2.3
(36.1)
−4.4
(24.1)
−12.1
(10.2)
−0.4
(31.3)
最低気温記録 °C°F −29.5
(−21.1)
−29.4
(−20.9)
−24.3
(−11.7)
−14.6
(5.7)
−7.1
(19.2)
−2.8
(27)
2.6
(36.7)
3.5
(38.3)
−1.7
(28.9)
−8.3
(17.1)
−16.2
(2.8)
−26.0
(−14.8)
−29.5
(−21.1)
降水量 mm (inch) 35.4
(1.394)
22.8
(0.898)
49.3
(1.941)
76.3
(3.004)
105.7
(4.161)
97.2
(3.827)
119.1
(4.689)
158.8
(6.252)
152.9
(6.02)
111.0
(4.37)
70.7
(2.783)
56.0
(2.205)
1,054.9
(41.531)
降雪量 cm (inch) 86
(33.9)
70
(27.6)
73
(28.7)
31
(12.2)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
8
(3.1)
69
(27.2)
338
(133.1)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 5.8 5.1 7.4 9.4 10.7 9.9 11.2 11.8 11.7 9.7 8.5 7.2 106.6
平均月間日照時間 149.8 152.3 171.6 160.2 161.4 131.4 108.4 112.3 128.7 152.4 145.5 145.1 1,719
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[3]

沿革

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金子遺跡や二ツ山遺跡、茅沼遺跡をはじめ、先史時代の遺跡が200以上確認されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。

江戸時代には、トウロ(塘路)やニシベツ(虹別)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎などの記録に残されている。

1885年に網走刑務所の前身である釧路集治監が開設された。郡役場や戸長役場、日本銀行の出張所も設置され、一時期は釧路に匹敵する規模の町となった。服役する囚人は最盛期で2000人近くに上り、釧路-網走間の道路の建設、釧路鉄道の建設、川湯のアトサヌプリ(硫黄山)での硫黄の採掘などの役にあたった。

1887年には硫黄山の硫黄の輸送のため、標茶-硫黄山間に北海道で二番目の鉄道が建設された。硫黄は標茶で積み替え、釧路までは水運で運ばれたが、乱掘のため資源が枯渇し、採掘は9年足らずで廃止された。

1901年に釧路集治監は廃止され、機能は網走分監に移される。1903年の弟子屈村の分離も重なり、人口が激減するが、1908年に軍馬補充部が集治監跡地へ設置されたことにより、再び町は活気にあふれた。軍馬補充部は1945年に廃止、敷地の一部と建物は戦後まもなく開校した標茶高校に、残りの敷地は農地等に転用された。標茶高校の敷地が広いのは、これらの歴史的経緯のためである。

  • 1885年(明治18年)釧路集治監開設、塘路に熊牛村(くまうしむら)外四ヶ村戸長役場が設置される。
  • 1887年(明治20年)硫黄山の硫黄の輸送のため、標茶-硫黄山間に鉄道が建設。
  • 1892年(明治25年)香川県の移民団「貫誠社」が塘路に入植するが、半年で解散。
  • 1901年(明治34年)釧路集治監廃止
  • 1903年(明治36年)弟子屈・屈斜路の両村が弟子屈外一村戸長役場(現在の弟子屈町)として分離する。
  • 1908年(明治41年)軍馬補充部川上支部が設置され、これに伴い人口が増加し始める
  • 1923年(大正12年)熊牛村となる。
  • 1924年(大正14年) 虹別一帯で農地の開発が行われて大規模な入植が始まる。昭和初期まで3回にわたり300戸が移住してきたが多くは失敗に終わる[4]
  • 1927年(昭和 2年)釧網本線が標茶まで全通
  • 1929年(昭和 4年)熊牛村から標茶村に改称する。改称理由は「熊牛」という名前が山奥を連想させるため
  • 1945年(昭和20年)軍馬補充部が廃止。
  • 1950年昭和25年)11月1日 町制施行、標茶町[5]
  • 1953年(昭和28年)標茶駅前大火により約100戸が焼失
  • 1954年(昭和29年)弟子屈町から釧路市に向かう昭和天皇香淳皇后お召し列車が標茶駅に停車。駅前奉迎が行われた[6]
  • 1955年(昭和30年)太田村の一部(現在の茶安別地区)を合併

経済

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産業

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主要産業は酪農。農家の戸数は年々減少しているが、逆に乳牛の頭数は増大、大規模化が進んでいる。標茶町で酪農が開始されたのは昭和に入ってからで数戸の酪農家が生乳をバター、クリーム等に加工して釧路で販売していた。昭和9年頃から各地で集乳所が建てられ、本格的に酪農が行われるようになった。

近年は南部の塘路湖を中心とした観光開発が進み、釧網本線のトロッコ列車「くしろ湿原ノロッコ号」が釧路駅 - 塘路駅間にて運転されている。塘路湖ではカヌー体験などが可能。冬季はSL冬の湿原号釧路駅 - 標茶駅間にて運転されている。

  • 釧路内陸標茶工業団地(優遇措置あり)

金融機関

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立地企業

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農協・漁協

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  • 標茶町農業協同組合(JAしべちゃ)
  • 塘路漁業協同組合
  • 北海道農業共済組合(NOSAI北海道)
    • 釧路中部支所
    • 標茶家畜診療所
    • 標茶家畜診療所阿歴内分室
    • 虹別家畜診療所

郵便局

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  • 標茶郵便局(集配局)
  • 塘路郵便局(集配局)
  • 虹別郵便局(集配局)
  • 磯分内郵便局
  • 久著路簡易郵便局
  • 阿歴内簡易郵便局
  • 上オソツベツ簡易郵便局

宅配便

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公共機関

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警察

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弟子屈警察署
  • 標茶駐在所
  • 磯分内駐在所
  • 塘路駐在所

消防

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地域

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標茶(市街地)、磯分内、厚生、多和、栄、ルルラン、南標茶、五十石、沼幌、虹別、阿歴内、塘路、久著呂、オソベツ、茶安別、茅沼

人口

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標茶町と全国の年齢別人口分布(2005年) 標茶町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 標茶町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
標茶町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,832人
1975年(昭和50年) 12,737人
1980年(昭和55年) 12,297人
1985年(昭和60年) 11,633人
1990年(平成2年) 10,701人
1995年(平成7年) 10,015人
2000年(平成12年) 9,388人
2005年(平成17年) 8,936人
2010年(平成22年) 8,278人
2015年(平成27年) 7,742人
2020年(令和2年) 7,230人
総務省統計局 国勢調査より

人口は1963年(昭和38年)の18,539人(住民基本台帳)をピークに減少が続く。

教育

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町内にある北海道標茶高等学校は日本一広い高校(大学を除けば日本一広い学校でもあり、大学も含めた単一キャンパスの広さでは日本で三番目)。敷地面積は255万平方メートル。釧路管内で初めて総合学科が設置された。

  • 大学関連施設
  • 高等学校
  • 中学校
    • 標茶中学校
    • 虹別中学校
  • 小学校
  • 小中学校
    • 塘路小中学校
    • 中茶安別(なかちゃんべつ)小中学校
  • 閉校した小学校
    • 五十石(ごじっこく)小学校(1970年3月31日閉校)
    • 上磯分内小学校(1970年3月31日閉校)
    • 下茶安別小学校(1970年3月31日閉校)
    • 厚生小学校(1971年3月31日閉校)
    • 阿歴内第三小学校(1976年3月31日閉校)
    • 栄小学校(1978年3月31日閉校)
    • 開盛小学校(1979年3月31日閉校)
    • 萩野小学校(1980年3月31日閉校)
    • 上虹別小学校(1983年3月31日閉校)
    • 北片無去小学校(1984年3月31日閉校)
    • 阿歴内第二小学校(1995年3月31日閉校)
    • 中虹別小学校(2003年3月31日閉校)
    • 上御卒別小学校(2005年3月31日閉校)
    • 弥栄小学校(2007年3月31日閉校)
    • 中御卒別小学校(2014年3月31日閉校)
  • 閉校した中学校
    • 磯分内中学校(2012年3月31日閉校)
  • 閉校した小中学校
    • 上久著呂(かみくちょろ)小中学校(1969年3月31日閉校)
    • 新久著呂小中学校(1970年3月31日閉校)
    • 久著呂小中学校(1971年3月31日閉校)
    • 上沼幌小中学校(1979年3月31日閉校)
    • 上茶安別小中学校(2002年3月31日閉校)
    • 久著呂中央(くちょろちゅうおう)小中学校(2015年3月31日閉校)
    • 阿歴内(あれきない)小中学校(2016年3月31日閉校)

交通

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空港

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鉄道

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標茶駅

かつて町内に存在した鉄道

バス

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ハイヤー

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  • 標茶ハイヤー
    標茶ハイヤーの車両


道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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標茶町郷土館
塘路湖エコミュージアムセンター

文化財

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天然記念物

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  • 釧路湿原
標茶町指定天然記念物
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  • エゾカオジロトンボ
  • ゴトウアカメイトトンボ
  • キタサンショウウオ
  • サルルン沼一帯のエゾカオジロトンボ等生息地
  • ベニバナヤマシャクヤク

その他

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  • 北海道集治監釧路分監本館 - 標茶町指定有形文化財(建造物)
  • 旧塘路駅逓 - 標茶町指定有形文化財(建造物)
  • 標茶町二つ山遺跡第1地点出土品273点 - 標茶町指定有形文化財(美術工芸品)

レジャー

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観光

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温泉

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町内には各所で温泉が湧出し、日本有数の温泉湧出量を誇る。[7] 町民の憩いの場としても利用されているが、他地区の温泉と比べて特徴が無いためか、廃業した温泉も多い。

祭り

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  • 春のコッタロ祭り

その他

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出身有名人

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標茶町が舞台の作品

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脚注

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  1. ^ 図典 日本の市町村章 p13
  2. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、272頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  3. ^ 標茶 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月22日閲覧。
  4. ^ 直撃された原始河川、宅食計画に誤算『東京朝日新聞』昭和7年<10月15日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p200 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 総理府告示第337号 官報. 1950年12月18日
  6. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、111頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  7. ^ 日本温泉協会発行「温泉」第70巻 2000年度調査によれば標茶温泉の自噴湧出量は全国第4位である。

外部リンク

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