標茶駅
標茶駅 | |
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駅舎(2021年5月) | |
しべちゃ Shibecha | |
◄B59 茅沼 (13.9 km) (10.6 km) 磯分内 B62► | |
所在地 | 北海道川上郡標茶町旭1丁目1-1 |
駅番号 | ○B61 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■釧網本線 |
キロ程 | 45.2 km(東釧路起点) |
電報略号 | シチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
150人/日(降車客含まず) -2010年[1]- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)9月15日[2] |
備考 |
標茶駅 | |
---|---|
しべちゃ Shibecha | |
(2.7 km) 多和► | |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 標津線 |
キロ程 | 0.0 km(標茶起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)10月29日 |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日 |
標茶駅(しべちゃえき)は、北海道川上郡標茶町旭1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB61。
かつては標津線の分岐駅でもあった。冬期はSL冬の湿原号が発着する。事務管理コードは▲111606[5]。
歴史
[編集]- 1927年(昭和2年)9月15日:鉄道省釧網本線釧路駅[注 1] - 当駅間開業に伴い開業(一般駅)[6]。浜釧路機関庫標茶駐泊所設置[7]。
- 1929年(昭和4年)8月15日:当駅 - 弟子屈間延伸開業[7][8]。
- 1936年(昭和11年)10月29日:鉄道省計根別線当駅 - 計根別駅間開通[2]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:計根別線が計根別駅 - 中標津駅 - 根室標津駅間の延伸に伴い、標津線(初代、厚床駅 - 中標津駅間)を編入し、標津線(2代)に改称[9][10]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:標茶駐泊所が釧路機関区標茶支区となる[11]。
- 1938年(昭和13年)6月22日:簡易軌道知安別線が開業し、標茶駅の東側に停留所が設けられる。
- 1942年(昭和17年)2月26日:簡易軌道知安別線が廃止される。
- 1958年(昭和33年)10月1日:釧路機関区標茶支区を廃止[12]。
- 1961年(昭和36年):標茶町営軌道が標茶駅前まで延伸され、駅の西側に停留所が設けられる。
- 1969年(昭和44年)2月1日:標茶機関区設置[13]。
- 1971年(昭和46年)8月14日:標茶町営軌道が廃止される。
- 1974年(昭和49年)12月10日:駅舎改築[14]。
- 1983年(昭和58年)5月20日:貨物取扱い廃止[15]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[16]。標茶機関区が釧路機関区標茶駐泊所となる[16]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[2]。
- 1989年(平成元年)4月30日:標津線廃止[17]。
- 1997年(平成9年)10月1日:業務委託化[18]。ジェイ・アール道東トラベルサービスが受託。
- 1999年(平成11年)12月22日:駅内リニューアル[19]。
- 2017年(平成29年)2月1日:受託会社が北海道ジェイ・アール・サービスネットに変更。
駅名の由来
[編集]駅構造
[編集]単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線の地上駅。ただし、3番のりばは定期列車の発着が無く使用されていない。 かつては副本線や貨物ホーム、多くの側線を有していた[20]。ホーム間の移動は跨線橋で連絡している。
摩周駅管理の業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネット委託)[3]。みどりの窓口設置[4]。
かつて2・3番のりばから標津線中標津・根室標津方面の列車が発着しており、3番のりば(旧4番線)は標津線の本線として使用されていた[20]。そのホーム上には、標津線の接続駅の証となっているSLの形をした木製のオブジェが現在も残っている[21]。
なお、当駅には「そば処 霧亭」(本店は釧路駅)の分店があったこともある[22] 。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■釧網本線 | 上り | 摩周・網走方面 |
2 | 下り | 釧路方面 | |
3 | (使用停止) |
-
改札口と券売機(2021年5月)
-
駅舎内部(2021年5月)
-
ホーム(2014年7月)
-
跨線橋(2021年5月)
-
駅名標(2018年2月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1973年(昭和48年) | 257,899 | (706.6) | [* 1] | ||
1974年(昭和49年) | 255,713 | (700.6) | |||
1975年(昭和50年) | 241,090 | (658.7) | |||
1976年(昭和51年) | 248,515 | (680.9) | |||
1977年(昭和52年) | 237,740 | (651.3) | |||
1978年(昭和53年) | 228,717 | (626.6) | |||
1979年(昭和54年) | 219,411 | (599.5) | |||
1980年(昭和55年) | 200,027 | (548.0) | |||
1981年(昭和56年) | 177,840 | (487.2) | |||
1982年(昭和57年) | 149,835 | (410.5) | |||
1983年(昭和58年) | 132,966 | (363.3) | |||
1984年(昭和59年) | 121,071 | (331.7) | |||
1985年(昭和60年) | 117,895 | (323.0) | |||
1986年(昭和61年) | 129,940 | (356.0) | |||
1987年(昭和62年) | 133,590 | (365.0) | |||
1988年(昭和63年) | 129,198 | (354.0) | |||
1989年(平成元年) | 116,800 | (320.0) | 同年度中に標津線廃止 | ||
1990年(平成 | 2年)116,070 | (318.0) | |||
1991年(平成 | 3年)126,075 | (344.5) | |||
1992年(平成 | 4年)108,705 | (297.8) | |||
1993年(平成 | 5年)98,412 | (269.6) | |||
1994年(平成 | 6年)91,245 | (250.0) | |||
1995年(平成 | 7年)94,318 | (257.7) | |||
1996年(平成 | 8年)81,304 | (222.8) | |||
1997年(平成 | 9年)78,583 | (215.3) | |||
1998年(平成10年) | 76,654 | (210.0) | |||
1999年(平成11年) | 70,573 | (192.8) | |||
2000年(平成12年) | 61,685 | (169.0) | |||
2001年(平成13年) | 62,050 | (170.0) | |||
2002年(平成14年) | 67,700 | (185.5) | |||
2003年(平成15年) | 62,050 | (169.5) | |||
2004年(平成16年) | 61,320 | (168.0) | |||
2005年(平成17年) | 63,875 | (175.0) | |||
2006年(平成18年) | 62,050 | (170.0) | |||
2007年(平成19年) | 62,050 | (169.5) | |||
2008年(平成20年) | 62,050 | (170.0) | |||
2009年(平成21年) | 65,700 | (180.0) | |||
2010年(平成22年) | 54,750 | (150.0) | |||
2011年(平成23年) | 69,540 | (190.0) | |||
2012年(平成24年) | 60,590 | (166.0) | |||
2013年(平成25年) | 63,510 | (174.0) | |||
2014年(平成26年) | 60,225 | (165.0) | |||
2015年(平成27年) | 56,364 | (154.0) | |||
2016年(平成28年) | [* 1]54,385 | (149.0) | 121.2 | [JR北 1] | |
2017年(平成29年) | [* 1]56,575 | (155.0) | 116.4 | [JR北 2] | |
2018年(平成30年) | [* 1]52,560 | (144.0) | 115.4 | [JR北 3] | |
2019年(令和元年) | [* 1]48,312 | (132.0) | 108.2 | [JR北 4] | |
2020年(令和 | 2年)[* 1]37,960 | (104.0) | 103.8 | [JR北 5] | |
2021年(令和 | 3年)100.8 | [JR北 6] | |||
2022年(令和 | 4年)99.4 | [JR北 7] | |||
2023年(令和 | 5年)95.0 | [JR北 8] |
駅周辺
[編集]標茶町市街地が広がる。駅から10 kmほどのところに多和平がある。
- 国道274号・国道391号
- 標茶町役場
- 弟子屈警察署標茶駐在所
- 標茶郵便局
- 大地みらい信用金庫標茶支店
- 北洋銀行標茶支店
- 標茶町農業協同組合(JA標茶町)本所
- 標茶町バスターミナル(阿寒バス標茶案内所)
- 北海道標茶高等学校
バス路線
[編集]駅前の標茶町バスターミナルより、阿寒バスの標津線廃止代行バス(中標津・標津方面)および標茶町有バス(町内各方面)が運行される。かつてはJR北海道バス[注 2]が厚岸線・釧根線(厚岸駅 - 標茶駅 - 虹別・尾岱沼間)を運行していた。
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 標津線(1989年廃止)
- 標茶駅 - 多和駅
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ この時点では釧路駅 - 別保信号場(→東釧路駅)間は根室本線との重複区間。
- ^ JR北海道バス:バス事業をジェイ・アール北海道バスへ分社する前のJR北海道直営。
- ^ 下り順に記載。路線は茅沼駅方の東釧路駅が起点。
出典
[編集]- ^ 標茶町統計書 7.JR旅客輸送状況
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、924頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 受託駅一覧 - 北海道ジェイ・アール・サービスネット.2021年12月6日閲覧
- ^ a b JR北海道のおもな駅 - JR北海道.2021年12月6日閲覧
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、246頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ 内閣印刷局, ed (1927-09-08). “鉄道省告示 第198号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (210) .
- ^ a b 『鉄道百年の歩み』 p. 85
- ^ 『鉄道省告示第149号 官報 第783号(1929年8月8日)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「鉄道省告示第399号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/2959730、2023年4月15日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第400号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/2959730、2023年4月15日閲覧。
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 87
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 94
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 102
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 106
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 112
- ^ a b 『鉄道百年の歩み』 p. 113
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 120
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 182
- ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 135
- ^ a b 『北海道 釧網本線』 p. 86
- ^ 『北海道鉄道駅大図鑑』 p. 299
- ^ “JR釧路駅内の「そば処 霧亭」閉店へ 35年の歴史に幕 涙ぐむ従業員”. 北海道新聞. (2021年2月24日). オリジナルの2021年2月25日時点におけるアーカイブ。 2021年2月25日閲覧。
- 標茶町統計書
- ^ a b c d e f “Ⅴ. 建設・運輸・水道” (PDF). 標茶町統計書(2021年版). 標茶町. p. 51 (2021年). 2022年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月4日閲覧。
JR北海道
[編集]- ^ 「釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。2018年8月19日閲覧。
- ^ “釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
参考文献
[編集]- グループ169.1『北海道 釧網本線』(1999年)
- 北海道旅客鉄道釧路支社『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』 北海道新聞社(2008年) ISBN 978-4-89453-464-3
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 標茶|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company