計根別駅
計根別駅 | |
---|---|
けねべつ Kenebetsu | |
◄上春別 (4.2 km) (4.2 km) 開栄► | |
所在地 | 北海道標津郡中標津町計根別南1条東2丁目 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 標津線 |
キロ程 | 31.9 km(標茶起点) |
電報略号 | ケネ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)10月29日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日[1] |
備考 | 標津線廃線に伴い廃駅 |
計根別駅(けねべつえき)は、北海道標津郡中標津町字計根別にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅(廃駅)である。電報略号はケネ。事務管理コードは▲111703[2]。
歴史
[編集]- 1936年(昭和11年)10月29日:鉄道省計根別線標茶駅 - 当駅間開通に伴い開業[3]。一般駅[1]。
- 1937年(昭和12年)10月30日:当駅 - 中標津駅 - 根室標津駅間の延伸に伴い、計根別線に標津線(初代)が編入され、標津線(2代)の駅となる[4][5]。
- 1980年(昭和55年)4月30日:貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:交換設備の運用を停止し、無人駅化[6](出札業務簡易委託化)。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)4月30日:標津線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]地名より。標津川支流のケネカ川を指すアイヌ語に由来するとされるが諸説ある。
アイヌ語研究者の山田秀三は「ケネカペッ(kene-ka-pet)」(ハンノキ・上手・川)を地名とする際、「けねべつ」と略したもの、あるいはアイヌ語でも「ケネペッ(kene-pet)」と略されていたものに漢字を当てた説を採用しており[7]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』でも「ケネペッ」説を採用している[8]。
駅構造
[編集]貨物及び荷物取り扱い廃止までは、国鉄型の計2面3線のホーム及び線路を有する列車行き違い可能駅で、駅舎は北側(標茶方面に向かって右側)にあり、各ホームは標茶側端で線路上を横切る形で連絡していた。駅舎横の東側(中標津側)には切欠き状の貨物ホームが設けられて、貨物積降線が引込まれていた。また、島式ホームの外側線は主に貨物専用に使われ、そこから中標津側に留置線が1本伸びていた。
貨物及び荷物取り扱い廃止後は、貨物用に使われていた線路が取り払われて、2面2線の相対式ホームを有する列車行き違い可能駅になった。
さらに廃止時点では棒線化され、駅舎側のホーム1面1線のみ使われており、構内南側の島式ホームは放置されていた(ただし、如何なる理由か不明だが、貨物ホームへの引き込み線は残されていた)
1936年から1960年頃まで貨物ホーム付近に、街を反時計回りに迂回して中標津町養老牛まで伸びる殖民軌道養老牛線の停車場が設けられていた。ちなみに、標茶から計根別までの殖民軌道標茶線、中標津駅逓から計根別までの殖民軌道計根別線は計根別駅が出来るまで存在して標津線の建設にも役立ったが、標津線全線開通と共に役割を終えて廃止された。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 257 | [9] |
駅周辺
[編集]- 中標津町役場計根別支所
- 中標津警察署計根別駐在所
- 計根別郵便局
- 北海道中標津農業高等学校
- 別海フライトパーク (旧陸軍計根別第一飛行場跡地利用の民間クラブ飛行場)
- 阿寒バス「計根別」停留所
現状
[編集]- 中標津町交流センターとなっている。
隣の駅
[編集]その他
[編集]- 映画『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』(1984年公開)のロケ地として使用された。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、927頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第380号」『官報』第2942号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/2959424、2023年4月15日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第399号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/2959730、2023年4月15日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第400号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/2959730、2023年4月15日閲覧。
- ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
- ^ “アイヌ語地名リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、168頁。NDLJP:1029473。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、916頁。doi:10.11501/12065814 。