上春別駅
表示
上春別駅 | |
---|---|
かみしゅんべつ Kami-Shumbetsu | |
◄西春別 (5.2 km) (4.2 km) 計根別► | |
所在地 | 北海道野付郡別海町本別 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 標津線 |
キロ程 | 27.7 km(標茶起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1963年(昭和38年)7月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日[1] |
備考 | 標津線廃線に伴い廃駅 |
上春別駅(かみしゅんべつえき)は、北海道野付郡別海町本別にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲111709[2]。
歴史
[編集]- 1963年(昭和38年)7月1日:日本国有鉄道(国鉄)標津線の駅として、西春別駅 - 計根別駅間に開業[3][4]。旅客のみ取り扱いの無人駅[5]。別海町の請願により設置された[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)4月30日:標津線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]→「春別駅 § 駅名の由来」も参照
春別川の上手にあることから[4]。なお、駅は別海町大成の常盤地区に位置しており、「上春別」と呼ばれる地域からは離れている[6]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。ホームは鉄骨製コンクリート床の簡易型で、北西側(標茶方面に向かって右側)に有った。また、中標津側にあったホームへの昇降階段の前に待合室が置かれていた。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 12 | [7] |
駅周辺
[編集]- 阿寒バス「本別」停留所
現状
[編集]- 2009年(平成20年)頃の時点で、線路と待合室は撤去されていたが、簡易ホームや手すり、階段が残っていた[8]。
- 2020年(令和2年)時点ではホーム、階段が残されている。2020年(令和2年)5月より、別海町地域おこし協力隊員がホーム周辺の整備を行い、当駅跡地を鉄道ファンが周遊するスポットとする取り組みが行われている[6]。2020年11月2日、当駅跡が別海町歴史文化遺産第14号に認定された[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、927頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第321号」『官報』1963年6月27日。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、168頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 「通報 ●標津線上春別駅の設置について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1963年6月27日、4面。
- ^ a b “旧上春別駅を観光地に 旧ホーム 看板設置へ”. 北海道新聞. (2020年7月21日)
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、916頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 本久公洋 (2011年9月10日). 北海道の鉄道廃線跡. 北海道新聞社. p. 60
- ^ “旧国鉄標津線上春別駅跡 別海町歴史文化遺産 第14号”. 別海町. 2020年12月25日閲覧。