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熊耳武彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊耳 武彦
基本情報
出身地 日本の旗 日本 宮城県
生年月日 1922年2月20日
没年月日 生死不明
身長
体重
170 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手外野手
プロ入り 1946年
初出場 1946年
最終出場 1948年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

熊耳 武彦(くまがみ たけひこ、1922年2月20日 - 没年不明)は、宮城県[1]出身のプロ野球選手

来歴・人物

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宮城県で生まれ育ったが、父親の仕事の関係で台湾に移住。台北州立台北工業学校(現:国立台北科技大学)、コロムビアを経て、1946年セネタースに入団。捕手だけでなく、一塁手外野手としても出場した[2]。球団の初公式戦である開幕戦で捕手を務めており、その時に先発バッテリーを組んだのが同じく新人の一言多十。これは、2024年6月18日の細野晴希進藤勇也までは、チームで唯一の新人同士の先発バッテリー出場だった[3]

1948年限りで退団。

1950年に創設初年度の大洋ホエールズに入団し、プロ野球復帰[4]。しかし試合出場は果たせず、この年で引退した。

白木義一郎投手が投げた試合で、ピッチャーゴロに終わると、白木は捕手の熊耳にトスしてから熊耳が飯島滋弥一塁手に渡すというトリックプレーを再三行っていたと伝わっている[5]。熊耳の守備のうまさが偲ばれるエピソードである。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1946 セネタース
東急
急映
100 387 361 32 92 14 10 2 132 39 1 2 4 -- 21 -- 1 26 -- .255 .298 .366 .664
1947 77 227 212 16 48 9 2 6 79 27 0 3 2 -- 11 -- 2 21 -- .226 .271 .373 .644
1948 11 24 23 0 3 0 0 0 3 1 0 0 1 -- 0 -- 0 1 -- .130 .130 .130 .260
通算:3年 188 638 596 48 143 23 12 8 214 67 1 5 7 -- 32 -- 3 48 -- .240 .282 .359 .641

背番号

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  • 2 (1946年 - 1948年)
  • 23 (1950年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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