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熱海ゴルフ倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熱海ゴルフ倶楽部
Atami Golf Club
熱海ゴルフ倶楽部
熱海ゴルフ倶楽部の空中写真。
2017年8月9日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
静岡県熱海市伊豆山1171番地
座標: 北緯35度6分41.87秒 東経139度4分16.75秒 / 北緯35.1116306度 東経139.0713194度 / 35.1116306; 139.0713194
概要
開業 1939年昭和14年)5月28日
運営 メンバーシップコース
設計 赤星 四郎
運営者 株式会社熱海ゴルフ
コース

その他
公式サイト 熱海ゴルフ倶楽部
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熱海ゴルフ倶楽部(あたみゴルフくらぶ)は、静岡県熱海市伊豆山に広がるゴルフ場である。

概要

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熱海ゴルフ倶楽部は、1939年(昭和14年)5月28日、9ホールで開場した[1]。戦時下に造られた最後のゴルフコースで、静岡県で開場されたゴルフ場では「川奈ホテルゴルフコース」に次いで第2番目で、全国では第30番目に歴史あるゴルフ場である[1]

1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争が始まり、 1942年(昭和17年)、横須賀海軍陸戦隊接収され、砲台基地とされた[1]。1944年(昭和19年)、経営難になり、コースは、岩崎精一郎の「株式会社熱海ゴルフ」に譲渡された[1]。 1945年(昭和20年)8月、終戦を迎え、3ホールが芋畑になった[1]。 1946年(昭和21年)、米国第8軍に接収され9ホールで復活した[1]。 1952年(昭和27年)5月、講和条約発効により返還され、三井グループの保養地となったが、2003年(平成15年)7月「株式会社熱海ゴルフ」が経営することになった[1]

熱海ゴルフ倶楽部は、コースから相模湾大島初島熱海市街を見渡すことが出来る[1]。 コース設計を赤星四郎が行い、コースの施工は、人力だけによるコース造成で、モッコツルハシを使った手作りのコースで、地形を活かし起状に富んでおり、アリソンバンカーが待ち構え、挑戦意欲を感じさせるレイアウトになっている[1]

また、静岡県下で赤星四郎が設計したコースは、「熱海ゴルフ倶楽部」(1939年(昭和14年)開場)、「富士カントリークラブ」(1958年(昭和33年)開場)、「御殿場ゴルフ倶楽部」(1971年(昭和46年)開場)、「伊豆にらやまカントリークラブ」(1982年(昭和57年)開場、東・中コース)など4コースがある。

歴史

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  • 1939年(昭和14年)5月 - 9ホール規模のコース開場、同年、12ホール増設
  • 1941年(昭和16年)12月 - 太平洋戦争勃発
  • 1942年(昭和17年) - コースが横須賀海軍陸戦隊接収され砲台基地となる
  • 1944年(昭和19年) - 経営困難になり、「株式会社熱海ゴルフ」に譲渡される
  • 1945年(昭和20年)8月 - 終戦、3ホールが芋畑となる
  • 1946年(昭和21年) - 米国第8軍スペシャルサービスに接収され9ホールで復活
  • 1952年(昭和27年)5月 - 講和条約発効により返還、三井グループの保養地となる
  • 2003年(平成15年)7月 - 運営会社が「株式会社熱海ゴルフ」となる[2]

所在地

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〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山1171番地

コース情報

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  • 開場日 - 1939年5月28日
  • 設計者 - 赤星 四郎
  • コースタイプ - 山岳コース
  • コース - 9ホールズ、パー33、2,234ヤード、コースレート72.3
  • グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)、コーライ
  • プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)リモコン式、キャディ・セルフ選択可 
  • 休場日 - 年中無休[3][4]
HOLE NO. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 TOTAL
Par 3 3 3 4 3 4 5 5 3 33
A Green (Yard) 128 208 165 290 90 221 488 475 168 2,233
B Green (Yard) 110 210 143 300 100 226 498 495 152 2,234
H.D.C.P 6 2 7 4 9 8 1 3 5 -

ギャラリー

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  • コース - [5]
  • ハウス - [6]

交通アクセス

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鉄道

道路

エピソード

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  • 「熱海ゴルフ倶楽部」の発起人には、大谷光明、赤星四郎などの「東京ゴルフ倶楽部」のコース設計に携わった名前が並ぶなど、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの代替コースだったという説がある[8]
  • 「熱海ゴルフ倶楽部」が、なぜ、9ホール規模のゴルフ場なのかについてだが、別荘販売でコースを増設する試みであったそうで、時代のためか計画は成功しなかった[8]
  • 1939年(昭和14年)、12ホールが開場とき、作家の邦枝完二は、雑誌『ゴルフ』誌に書いている、「12ホールのうち、ショートホールが6ホールある、バーディチャンスが待っている様なものだ」と嬉しそうに言った[8]
  • 1939年(昭和14年)、開場された当時、雑誌『ゴルフ』誌には、「グリーンフィ300円、日祭日500円。一口百坪の豪華な庭園付きゴルフ村分譲」の、開場記念の広告が掲載された[8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「熱海ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月
  2. ^ コースレイアウト、歴史あるコース”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  3. ^ コースレイアウト”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  4. ^ ゴルフ場詳細”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  5. ^ コースレイアウト”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  6. ^ クラブハウス”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  7. ^ アクセス”. 熱海ゴルフ倶楽部. 2021年1月1日閲覧。
  8. ^ a b c d 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「熱海ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月

関連文献

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  • 『別冊週刊サンケイ』、「山と海に囲まれて(熱海ゴルフ倶楽部) 益子隆夫」、東京 サンケイ新聞出版局、1964年10月
  • 『月刊ゴルフマネジメント 9月17(142) 』、「熱海ゴルフ倶楽部代表取締役社長 メンバーシップの在り方を問う」、東京 一季出版、1996年9月
  • 『全国ゴルフ・コース案内 関東篇 第2集』、「熱海ゴルフ倶楽部」、水谷準著、東京 ベースボール・マガジン社、1961年
  • 『ゴルフ場ガイド 東版』、2006-2007、「熱海ゴルフ倶楽部(静岡県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「熱海ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月

関連項目

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外部リンク

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