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熱海孫十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熱海孫十郎
あずみ まごじゅうろう
あたみ まごじゅうろう
生年月日 1848年2月13日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国栗原郡文字村
(現宮城県栗原市)
没年月日 (1924-03-19) 1924年3月19日(76歳没)
所属政党 (大成会→)
無所属
親族 兄・千葉胤昌(衆議院議員)

在任期間 1897年9月29日 - 1900年8月29日

選挙区 宮城県第4選挙区
当選回数 1回
在任期間 1890年7月1日 - 1891年12月25日




その他の職歴
宮城県の旗 宮城県会議員
( - )
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熱海 孫十郎(あずみ[1] / あたみ[2] まごじゅうろう、1848年2月13日嘉永元年1月12日[3])- 1924年大正13年)3月19日[2])は、日本実業家政治家衆議院議員(1期)。貴族院多額納税者議員

経歴

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陸奥国栗原郡文字村(現:栗原市)に千葉忠蔵の子として生まれる[1]。のち、一迫の熱海多藏の養子になる[1]1879年宮城県会が発足するとその議員になる[1][2]。その後、栗原、志田、玉造の各郡長となり[1][2]1890年第1回衆議院議員総選挙に宮城県第4区(当時)から立候補して当選した[4]1892年第2回衆議院議員総選挙で落選[5]1897年9月29日に貴族院議員に就任し[2][6]1900年8月29日まで在職した[2][7]

この他七十七銀行頭取[1][2]や宮城県農会副会長[1]なども歴任した。1924年3月19日死去。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『宮城県百科事典』18頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』18頁。
  3. ^ 宮城県議会史編さん委員会 編『宮城県議会史 第1巻』宮城県議会、1968年、172頁。NDLJP:3027842 
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』1頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』7頁。
  6. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  7. ^ 『官報』第5149号、明治33年8月30日。
  8. ^ 『宮城県百科事典』696頁。

参考文献

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  • 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史 第1巻』宮城県議会、1968年。 
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。