コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

牧野村 (富山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まきのむら
牧野村
廃止日 1951年4月4日
廃止理由 編入合併
牧野村 → 高岡市
現在の自治体 高岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
射水郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 4.86 km2.
総人口  1,729
1940年(昭和15年)12月1日
隣接自治体 作道村塚原村新湊市高岡市
牧野村役場
所在地 富山県射水郡牧野村大字中曽根村[1]
座標 北緯36度46分03秒 東経137度04分36秒 / 北緯36.76742度 東経137.07675度 / 36.76742; 137.07675 (牧野村)座標: 北緯36度46分03秒 東経137度04分36秒 / 北緯36.76742度 東経137.07675度 / 36.76742; 137.07675 (牧野村)
高岡市内での牧野地区(図中の東端の地域)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

牧野村(まきのむら)は、かつて富山県射水郡にあったである。

諸データ

[編集]

いずれも1940年12月1日時点。出典→[2]

  • 人口 - 1,729人
  • 面積 - 4.86m2
  • 人口密度 - 355人/km2
  • 戸数 - 276戸
  • 生産物総額 - 357,122円
    • 農産生産物総額 - 343,848円
    • 畜産生産物総額 - 8,324円
    • 工業生産物総額 - 4,950円

歴史

[編集]
  • 1889年(明治22年) - 射水郡下牧野村、上牧野村、中曽根村、姫野村、金屋村、石丸村の区域及び堀岡又新村の区域の一部の区域をもって、射水郡牧野村が発足する[1]
  • 1902年(明治35年) - 庄川の大改修工事により、村の西部が川底となり、一部は左岸に飛び地として残された[1]
  • 1940年(昭和15年)12月1日 - 古くから産業、経済、交通その他社会生活上密接な関係のある[1]射水郡新湊町に編入する[3]
  • 1942年(昭和17年)10月2日 - 射水郡新湊町が高岡市に編入する[3]
  • 1951年(昭和26年)1月1日 - 高岡市の区域から分立して、射水郡新湊町及び牧野村が発足する[3]
  • 1951年(昭和26年)4月4日 - 射水郡牧野村が高岡市に編入する[3]

牧野村が新湊町へ、さらに高岡市に合併された背景には、伏木港の一元的な運営を目指した国策による強制合併という面がある。戦後、戦時中に強制合併された市町村を元に戻した際に牧野村が分立したが、牧野村は発展が望めるとして、すぐ高岡市に編入している[4]

現在

[編集]

旧牧野村は、現在は高岡市牧野地区になっている。牧野地区は射水市に食い込むような形になっており、高岡市の他の地域とは庄川で隔てられ、直接つながる道路が存在しないため、一旦射水市を経由する必要があった。2014年3月30日、牧野地区と能町地区、さらに国道160号を結ぶ庄川橋梁「牧野大橋」が完成している[5]

このような地理的条件もあり、管轄警察署も先代の新湊警察署時代から通して射水警察署である他、ケーブルテレビ高岡ケーブルネットワークではなく射水ケーブルネットワークのエリアになり、さらに火葬でも高岡斎場ではなく射水市斎場で行い(別れ花の儀式も射水の風習にならい、告別式の際に行わず火葬場で行う)、射水市コミュニティバスの運行エリアにも組み込まれているなど、牧野地区は射水市(新湊地区)との関係が深い。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)808ページ
  2. ^ 『新湊市制施行二〇周年記念 見る新湊近大百年小史』(1971年5月31日、新湊市役所発行)115頁。
  3. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)1,325ページ
  4. ^ 北日本新聞 2003年1月5日付朝刊34面『正念場の地方自治3 第一部 暮らしと境界』より。
  5. ^ 【平成26年3月30日】 県道姫野能町線(牧野大橋)開通式に野上副大臣が出席(国土交通省、2021年10月3日閲覧)

関連項目

[編集]