物理氏
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概要
[編集]備前国の物理郷(現在の岡山市東区旧瀬戸町域の大半)を支配しており、瀬戸町坂根に物理城を築いて居城していた。しかし、延元の頃に物理貞茂が石橋左衛門に滅ぼされ滅亡した。一書には物理民部丞が浦上氏の為に没落したともあるが、民部丞は貞茂と同一人物と推定されている[1][2]。
由来
[編集]古代氏に隷属して井戸や氷室の作業に従事していた村落の共同体である水取部(もひとりべ)が大化の改新によって解放された際に部の名を氏の名としたのが母止理部(もとりべ)であり、これが地名にも用いられるようになったのが地名の由来である[2][注釈 1]。物理の表記は和銅6年(713年)に国郡郷の地名を好字で表記することになったことから「物の道理」の意味を持つ「物理」の字があてられ[4]、転訛して物理(もとろい)となったと推定されている[2]。物理氏は「物理」姓を名乗っていたことから物理郷の地頭であったと推定されている[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『改訂 瀬戸町の歴史散歩』瀬戸町の文化財を語る会、1996年12月25日、44,122,126頁。
- ^ a b c 『瀬戸町歴史事典』瀬戸町教育委員会、2006年12月15日、183-185頁。
- ^ 『津山市史 第1巻 (原始・古代)』津山市、1972年、124頁 。
- ^ 『月刊状況と主体 (185)』谷沢書房、1991年5月、163頁 。