物部烏
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物部烏 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 물부오 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | もののべ の かく |
物部烏(もののべ の かく)は、欽明朝前半期の物部連の百済の官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚[1]。官位は奈率[2]。
概要
[編集]物部烏は、欽明天皇十五年に上部奈率として倭国に軍事援助を要請している[2]。
物部麻奇牟、物部哥非、物部用歌多と共に、物部伊勢父根の係累とする説がある[3]。
『勿部将軍功徳記』に登場する百済の勿部珣を「物部珣」とし、物部氏の末裔とする説が有力である[4][5][6]。
脚注
[編集]- ^ 李在碩 (I, Jesoku)「六世紀代の倭系百済官僚とその本質」『駒澤史学』第62巻、駒澤史学会、2004年3月、38頁、CRID 1050564288184403072、ISSN 04506928。
- ^ a b 河内春人 2017, p. 112.
- ^ 河内春人 2017, p. 113.
- ^ “순장군공덕기(珣將軍功德記)”. 聯合ニュース. (2006年11月17日). オリジナルの2022年2月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “순장군 공덕기 (珣將軍 功德記)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年10月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 李成市「天龍山勿部珣功徳記にみる東アジアにおける人の移動」『仏教文明と世俗秩序』(勉誠出版、2015年)
参考文献
[編集]- 河内春人「古代東アジアにおける政治的流動性と人流」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第3巻、専修大学社会知性開発研究センター、2017年3月、103-121頁、CRID 1390572174779544704、doi:10.34360/00008258。