物部用歌多
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物部用歌多 | |
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各種表記 | |
漢字: | 物部用歌多 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | もののべ の ようがた |
物部用歌多(もののべ の ようがた)は、欽明朝前半期の物部連の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚[1][2]。官位は奈率。
概要
[編集]物部用歌多は、欽明天皇五年・欽明天皇六年に奈率の官位を帯して倭国に到来しており、欽明天皇五年には紀弥麻沙、欽明天皇六年には斯那奴次酒と行動を共にしている[3]。
物部麻奇牟、物部哥非、物部烏と共に、物部伊勢父根の子とする説が存在する[4]。
『勿部将軍功徳記』に登場する百済の勿部珣を「物部珣」とし、物部氏の末裔とする説が有力である[5][6][7]。
脚注
[編集]- ^ 李在碩『소위 倭系百濟官僚와 야마토 王權』韓國古代史學會〈韓國古代史硏究 20집〉、2000年12月1日。
- ^ 李在碩 (I, Jesoku)「六世紀代の倭系百済官僚とその本質」『駒澤史学』第62巻、駒澤史学会、2004年3月、38頁、CRID 1050564288184403072、ISSN 04506928。
- ^ 河内春人 2017, p. 112.
- ^ 河内春人 2017, p. 113.
- ^ “순장군공덕기(珣將軍功德記)”. 聯合ニュース. (2006年11月17日). オリジナルの2022年2月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “순장군 공덕기 (珣將軍 功德記)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年10月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 李成市「天龍山勿部珣功徳記にみる東アジアにおける人の移動」『仏教文明と世俗秩序』(勉誠出版、2015年)
参考文献
[編集]- 河内春人「古代東アジアにおける政治的流動性と人流」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第3巻、専修大学社会知性開発研究センター、2017年3月、103-121頁、CRID 1390572174779544704、doi:10.34360/00008258。