堀江 (浦安市)
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堀江 | |
---|---|
北緯35度39分38.22秒 東経139度53分30.87秒 / 北緯35.6606167度 東経139.8919083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 浦安市 |
人口 | |
• 合計 | 15,534人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
279-0041[2] |
市外局番 | 047[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
堀江(ほりえ)は、千葉県浦安市の大字。現行行政地名は堀江一丁目から堀江六丁目。郵便番号は279-0041[2]。
地理
[編集]埋立前からの旧町域である元町地区に属する。区域内にはフラワー通りが通っている。二丁目に東榮信用金庫浦安支店、四丁目に浦安市消防署堀江出張所、市川市農業協同組合浦安支店、五丁目に浦安堀江郵便局、市立南小学校、六丁目に浦安病院がある。東は東野、西は東京都江戸川区東葛西、南は富士見、北は猫実と接している。
地価
[編集]住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば、堀江1-14-23の地点で23万3000円/m2となっている。[4]
歴史
[編集]元は江戸川(旧江戸川)河口左岸の三角州、境川以南の先端部までを領域とし、さらに右岸側の中州も村内に組み込んで「堀江新田」として開発した。1895年(明治28年)に千葉県、東京府、埼玉県の3府県にまたがって江戸川を境界とすることが確定し、河口右岸の堀江新田は東京府の南葛飾郡葛西村に編入された(現江戸川区南葛西・堀江町)。1982年(昭和57年)に住居表示が実施され、北半部が堀江一丁目〜堀江六丁目、南半部が富士見一丁目〜富士見五丁目となった。区域内にはフラワー通りがあり、かつては浦安一の繁華街であった。
地名の由来
[編集]鎌倉時代に、地内に小さな港が作られていたことから「堀江」となったと言われている。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) 葛飾県の設置により、同県の管轄となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県後の府県再編により印旛県葛飾郡堀江村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合により千葉県葛飾郡堀江村となる。
- 1878年(明治11年) 郡区町村編制法により葛飾郡が分割され、東葛飾郡堀江村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡猫実村、当代島村と合併し、東葛飾郡浦安村大字堀江となる。
- 1895年(明治28年) 大字堀江のうち、江戸川右岸の区域(堀江新田)が東京府に編入され、南葛飾郡葛西村大字堀江となる。
- 1909年(明治42年)9月1日 町制施行。東葛飾郡浦安町大字堀江となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 市制施行。浦安市大字堀江となる。
- 1982年(昭和57年)10月1日 住居表示施行により、浦安市堀江一丁目~六丁目となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
堀江一丁目 | 1,702世帯 | 3,136人 |
堀江二丁目 | 1,255世帯 | 2,290人 |
堀江三丁目 | 1,182世帯 | 2,126人 |
堀江四丁目 | 1,919世帯 | 3,483人 |
堀江五丁目 | 1,180世帯 | 2,258人 |
堀江六丁目 | 1,226世帯 | 2,241人 |
計 | 8,464世帯 | 15,534人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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堀江一丁目 | 全域 | 浦安市立南小学校 | 浦安市立堀江中学校 |
堀江二丁目 | 全域 | ||
堀江三丁目 | 全域 | ||
堀江四丁目 | 全域 | ||
堀江五丁目 | 全域 | ||
堀江六丁目 | 全域 |
施設
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “住民基本台帳人口(字別)”. 浦安市 (2017年11月2日). 2017年11月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月15日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “浦安市立小・中学校の通学区域”. 浦安市 (2014年4月23日). 2017年11月15日閲覧。