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小泉辰之助

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小泉辰之助

小泉 辰之助(こいずみ たつのすけ、1875年明治8年〉12月24日[1] - 1936年昭和11年〉5月29日[2])は、大正から昭和時代前期の政治家衆議院議員

経歴

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青森県東津軽郡幸畑村(筒井村、筒井町を経て、現在の青森市)に生まれる[3]函館中学校を卒業し、警官、陸奥日報記者を経て、日月新聞を主宰後、政治家に転身する[3]1905年(明治38年)東平内村長となり、1909年(明治42年)まで在職[3]1907年(明治40年)には東津軽郡会議員、同議長を経て、1915年(大正4年)東津軽郡選挙区から青森県会に立候補し当選し、再選後議長に就任した[3]

県議に3選後の[3]1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では青森県第5区から政友本党所属で出馬し当選するが[2]、選挙後の訴訟に敗れて失格した[3]。その後は県議に当選し、議長に返り咲き、駒込川毒水排除や田代の競馬場への道路整備、青森市の墓地問題などに取り組んだ[3]。議長在職中に死去した[3]。ほか、地方農林会議員などを務めた[2]

親族

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、21頁。
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 183頁.
  3. ^ a b c d e f g h 東奥日報社 2002, 245頁.

参考文献

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  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656