徳宗 (高麗王)
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徳宗 王欽 | |
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高麗 | |
第9代国王 | |
王朝 | 高麗 |
在位期間 | 1031年6月17日 - 1034年10月31日 |
姓・諱 | 王欽 |
諡号 | 宣孝剛明光荘敬康大王 |
廟号 | 徳宗 |
生年 |
大中祥符9年5月2日 (1016年6月9日) |
没年 |
重熙3年9月17日 (1034年10月31日) |
父 | 顕宗 |
母 | 元成太后 |
王后・王配 |
敬成王后 孝思王后 |
子女 | 下記参照 |
陵墓 | 粛陵 |
徳宗(とくそう、1016年6月9日 - 1034年10月31日)は第9代高麗王(在位:1031年 - 1034年)。姓は王、諱は欽、諡号は宣孝剛明光荘敬康大王。父は顕宗、母は元成太后金氏(金殷傅の娘)。妃は敬成王后金氏、孝思王后金氏、敬穆賢妃王氏。
徳宗は即位すると、罪が軽い罪人らを解放した。また大臣たちとの和合を重要視し、政治的安定が続いた。
一方で契丹国に、鴨緑江橋梁工事を止めさせて高麗人たちを返さなければ国交を断絶すると外交的に圧迫した。1032年には丹国から亡命した契丹人たちを受け入れた。同年4月には契丹人27名が、6月には渤海人50名が亡命したが、全員の入国を許した。契丹は1033年10月に高麗の定州を侵略したが、高麗軍に敗れて退却した。
徳宗の時代に、高麗の最高の教育施設である国子監に試験制度が導入された。また、1034年には高麗の歴史書『七代実録』が完成した。
徳宗は国内では政治的和合を図る一方、外交的には強硬姿勢であった。その治世は短かったが、名君だったと言える。