上杉憲房 (南北朝時代)
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 建武3年/延元元年1月27日(1336年3月10日) |
官位 | 兵庫頭、蔵人、上野守護 |
主君 | 足利尊氏 |
氏族 | 上杉氏 |
父母 | 父:上杉頼重 |
兄弟 |
重顕、頼成、憲房、 清子(足利貞氏側室)、日静、 加賀局(勧修寺道宏正室) |
子 |
憲顕、憲藤、重行、高師泰正室、 養子(猶子):加賀局(勧修寺道宏正室)、重能、重兼(勧修寺道宏子)、女子(勧修寺道宏子) |
上杉 憲房(うえすぎ のりふさ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。上杉氏3代当主。室町幕府初代将軍・足利尊氏やその弟・直義の母方の伯父。
略歴
[編集]永嘉門院蔵人[1]、兵庫頭。鎌倉幕府打倒に功があり[2]、元弘3年(1333年)12月29日に尊氏から伊豆国奈古屋郷の地頭職を与えられ[3]、建武政権では雑訴決断所三番職員として勤めた[4][5]。建武の乱が起きると上野国の守護となり[6]、新田義貞を牽制する役を担った。尊氏と共に京都に進撃したが、北畠顕家・新田義貞の反撃を受けたため尊氏は九州へ逃走、京都四条河原の戦いにおいて尊氏を逃がすため戦死した[6]。
子の憲顕は山内上杉家の、憲藤は犬懸上杉家のそれぞれ祖となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]古典
[編集]主要文献
[編集]- 黒田基樹 編『関東管領上杉氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第一一巻〉、2013年。ISBN 978-4-86403-084-7。