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馬希範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文昭王 馬希範
第3代王
王朝
在位期間 長興3年8月12日 - 天福12年5月8日
932年9月14日 - 947年5月30日
都城 長沙
姓・諱 馬希範
諡号 文昭王
生年 光化2年(899年
没年 天福12年5月8日
947年5月30日
武穆王
后妃 彭夫人

馬 希範(ば きはん)は、十国の第3代王。武穆王馬殷の四男。

生涯

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長興3年(932年)、異母兄の衡陽王馬希声の薨去に際し、武穆王馬殷の兄弟相続の遺命により、鎮南軍節度使であった馬希範がその地位を継承した。まもなく後唐より武安武平両軍節度使兼中書令に任じられ、更に清泰元年(934年)には楚王に封じられている。

馬希範は学問を好み漢詩に長じていたが浪費が著しく、特に正妻である彭夫人(吉州刺史の彭玕の娘)が死去した後は、好色に走り宴席を数多く設けたとされる。また天策府を建築した際にはその門戸檻桿を金や玉で装飾し、壁を丹砂数十万斤を以って塗ったと史書に記録される。

楚は金銀を産し、また茶葉販売の利益が大きく財政的には豊かであったが、これらの相次ぐ奢侈により国家財政が逼迫、住民への課税が強化されると共に、売官行為や贖罪刑が横行し国内は乱れた。

天福12年(947年)に薨去し、文昭王とされた。弟の馬希広が継承した。

先代
衡陽王
十国楚の第3代
932年 - 947年
次代
廃王