馬希範
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文昭王 馬希範 | |
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楚 | |
第3代王 | |
王朝 | 楚 |
在位期間 |
長興3年8月12日 - 天福12年5月8日 (932年9月14日 - 947年5月30日) |
都城 | 長沙 |
姓・諱 | 馬希範 |
諡号 | 文昭王 |
生年 | 光化2年(899年) |
没年 |
天福12年5月8日 (947年5月30日) |
父 | 武穆王 |
后妃 | 彭夫人 |
馬 希範(ば きはん)は、十国楚の第3代王。武穆王馬殷の四男。
生涯
[編集]長興3年(932年)、異母兄の衡陽王馬希声の薨去に際し、武穆王馬殷の兄弟相続の遺命により、鎮南軍節度使であった馬希範がその地位を継承した。まもなく後唐より武安武平両軍節度使兼中書令に任じられ、更に清泰元年(934年)には楚王に封じられている。
馬希範は学問を好み漢詩に長じていたが浪費が著しく、特に正妻である彭夫人(唐の吉州刺史の彭玕の娘)が死去した後は、好色に走り宴席を数多く設けたとされる。また天策府を建築した際にはその門戸檻桿を金や玉で装飾し、壁を丹砂数十万斤を以って塗ったと史書に記録される。
楚は金銀を産し、また茶葉販売の利益が大きく財政的には豊かであったが、これらの相次ぐ奢侈により国家財政が逼迫、住民への課税が強化されると共に、売官行為や贖罪刑が横行し国内は乱れた。
天福12年(947年)に薨去し、文昭王と諡された。弟の馬希広が継承した。
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