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ノート:ヤマトタケル

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これはこのページの過去の版です。123.220.9.86 (会話) による 2012年10月18日 (木) 07:36個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (草薙剣について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

草薙剣について

草薙剣を天叢雲剣に変更しました。草薙剣という名称は日本武尊が駿河で草をなぎ払ったエピソードに由来するもので当時は草薙剣と呼んでいなかったわけで、違和感がああります。Kurayamizaka 2004年12月14日 (火) 11:51 (UTC)[返信]

このエピソードはそのまま信じない方がよさそうですよ。天叢雲剣を見てください。 NiKe 2004年12月14日 (火) 12:28 (UTC)[返信]
そのことは存じております。伝説上ではこうなっていると言うだけのお話ですよね。今、熱田神宮にあるモノだって本物なのか?というのもありますし。ただ、東征の際に「倭姫命はヤマトタケルに草薙剣を与え」という記述に違和感があるということです。どっちにしろ「草薙剣」という名称は後になってつけられたものであろうと。ボクの説明不足のようで、すみません。Kurayamizaka 2004年12月15日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
個人の違和感よりも、記紀の記述を優先した方がよいと思いますので、古事記は草那芸剣、日本書紀は草薙剣(天叢雲剣)になおしました。草薙という表記は後付けかもしれませんが、剣の名前は元からクサナギで、草薙のエピソードを後付けしたさいに、遡って天叢雲の名前が付けられたという説もあります。どっちにしろ古事記はもちろん、日本書紀も本文中には「天叢雲剣」の名前はありませんので。--123.220.9.86 2012年10月18日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

改名提案

本項目を日本武尊へ改名し、跡地を曖昧さ回避化する事を提案します。本項目には「日本武尊」とか「倭建命」とか(それほど多くはなさそうですが)様々な表記があり、ために「ヤマトタケル」を採用されたかと推察しますが、残念ながらカタカナ表記も一表記法に過ぎない以上、じゃぁ「記事名には正式名称を」に適う為にはどの表記を採用すべきかという問題は根本的には解決されていないように思います。そこで、正式名称の目安が政府刊行物における記載とされる場合が多いので、官撰の史書としての『日本紀』に従うというのが一番無難かなと思い提案します。もちろん同書でとして扱われてるっぽい「小碓尊」の方がなお適っていそうですが、そこは人口への膾炙の度合ということで。また、改名後の曖昧さ回避化で「ヤマトタケル (○○)」への誘導も不要になって些少ながら記事の見易さにも貢献できるやに思えます。--胡亂堂 2010年9月19日 (日) 15:42 (UTC) - (補記)「改名後の曖昧さ回避化で云々」の箇所に就き、日本武尊 (旭日の艦隊)がある事に気づきました。そうすると「日本武尊」改名後に冒頭で誘導する形になりますが、それでも誘導先の量はなお少ないのでそのままとします。ついでに一部推敲しました。--胡亂堂 2010年9月20日 (月) 22:17 (UTC)[返信]

跡地の曖昧さ回避化には反対です。「ヤマトタケル」の第一義は本項目であり、「ヤマトタケル」で検索する人の多くは本項を調べることを目的にしていると考えます。また提案者ご自身が「カタカナ表記も一表記法」と述べられていますが、その単なる表記法の一つに過ぎないものをそのまま曖昧さ回避化するのは不適切でしょう。日本武尊 (旭日の艦隊)については、そもそも日本武尊が本項にリダイレクトされているのだから、現状で日本武尊 (旭日の艦隊)へ誘導されていないとおかしいです。あとヤマト猛る!なんてページもあったりしまして、こちらも対処が必要でしょう。よって、改名するなら「ヤマトタケル」は本項へのリダイレクトとし、曖昧さ回避ページを作成するなら別途「ヤマトタケル (曖昧さ回避)」を作成し、冒頭で誘導すべきです。
ってことで、「日本武尊」に改名して「日本武尊 (旭日の艦隊)」と「ヤマトタケル (曖昧さ回避)」に誘導するか、改名せず「ヤマトタケル」のまま「ヤマトタケル (曖昧さ回避)」と「日本武尊 (旭日の艦隊)」に誘導するかのどちらかがいいのではないかと私は思います。改名には特に反対しません。--223.133.87.46 2010年10月3日 (日) 16:03 (UTC)[返信]
「ヤマトタケル」の第一義が本項目であることはほぼ確かでしょうし、「検索する人の多くは本項を調べることを目的にしている」のもそうかもしれません。ですので、「ヤマトタケル」を(改名が叶えばの話ですが)「日本武尊」の転送項目とするのは願ったり叶ったりなのですが、問題は「ヤマトタケル」が(改名が叶えばの話ですが)「日本武尊」の一表記法に過ぎないのに対し、映画や漫画の「ヤマトタケル」ではこれが唯一絶対的な表記である点でして、一表記法としてしか所有しない者が第一義である事を理由に引っ越し後も部屋を占有するよりも、曖昧さ回避にして本項目名を唯一の表記とする他の記事にも共住空間の場として解放した方が穏便であり、かつ「ヤマトタケル (曖昧さ回避)」というプレハブ小屋を建てる手間も省けて手っ取り早いかなと思ったのです。
ところで、改名への反対ではないとの事ですのでこのまま反対がございませんようでしたら(ありそうでビクビクものですが)、とりあえずは今週末辺りにでも「日本武尊」へ改名させていただき、跡地をどうするかはその後の議論に持ち越しませんか。--胡亂堂 2010年10月4日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
  • 反対意見に対して。「所詮漢字は中国語で日本語ではありません。音の日本語で主、漢字は中国語で従」と仰る意味は恐らく漢字の字音を借りたものは仮名書きにしてもいいのではないか、という事だと拝察しますが(さもなくんば漢字を使って出来た仮名文字自体が使えなくなる)、本記事において「日本武尊」も「倭建命」も字訓表記なのでここでは当てはまらないでしょう。そして字訓表記が複数ある場合にはどれがより相応しいかを検討するのが次の段階で、それが2進も3進も行かなくなって初めてじゃぁカタカナ表記にしましょうか、となるのではないでしょうか。なのでまずは漢字表記の検討から始めましょう。で本件の場合、「ヤマト」には大きく「日本」と「倭」の2表記があり、「日本」系はその後に「武尊」、「倭」系はその後に「建(健)命」と続く場合が多く、これをちゃんぽんにするものは余りなさそうです。そして上で述べましたが「日本武尊」が正史等の公文書に用いられているので、だったらこれにしませんかと提案しております。なお、100歩譲って仮名表記にするとしても、正確には「ヤマトタケルノミコト」とすべきであり、また当然「やまとたけるのみこと」というひらがな表記の選択肢も出現するであろう点を指摘しておきます。--胡亂堂 2010年10月6日 (水) 10:22 (UTC) - 「ちゃんぽんにするものはなさそう」の箇所を訂正します。--胡亂堂 2010年11月3日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
  • 私も一つ上の意見に同感です。{所詮漢字は中国語で日本語ではありません。}だけでヤマトタケル⇒日本武尊 反対 の理由材料に」するにはかなり無理があり、逆をいうとじゃあ他の漢字記載の神も全部カタカナにするの?と言わざるを得ません--Zmblelra 2010年10月6日 (水) 12:01 (UTC)[返信]
  • 表記に関しては『常陸国風土記』等には倭武天皇とあると本文中に第3のものが記述されています。ですから少なくみつもっても3種類あることにあります。--Izayohi 2010年10月6日 (水) 22:10 (UTC)[返信]
  • 反対意見に対する反論への反応がないので改名してもいいでしょうか?--胡亂堂 2010年10月17日 (日) 12:47 (UTC)[返信]
    • 改名してもいいと思います。--Zmblelra 2010年10月18日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
    • それにしても予想通りもりあがらない多数決?ですな。とりあえずこれ以上の賛成も反論もないので2対1で改名というルール下で「大勢には影響しない」といわれては反論する気もおきません。ただ「頻度からみて」に客観的根拠がないので論文検索等で頻度を記述はしておきます。--Izayohi 2010年10月17日 (日) 14:08 (UTC)[返信]
      日本武尊   Journal@rchive 41 CiNii 46 Google Scholar 832 (Google 131,000)
      ヤマトタケル Journal@rchive 12 CiNii 127 Google Scholar 187 (Google 161,000)
      倭建命    Journal@rchive 13 CiNii 64 Google Scholar 315 (Google 12,400)
      倭武天皇   Journal@rchive 8 CiNii 10 Google Scholar  34 (Google 12,600)
      • 誤解をなされておりますが、「大勢には影響しないように思」ったのは用法上の頻度でして、「倭武天皇」との表記があっても、それを「やまとたけるのすめらみこと」と訓ませるにしても、頻度からは「日本武尊」か「倭建命」のどっちかで「やまとたけるのみこと」と訓ませる方が圧倒的ではないでしょうか。で、だったら「日本武尊」にしましょうというのが本提案です。--胡亂堂 2010年11月3日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
反対意見は改名提案を破棄すべきほどの説得力は有りません。しかもほぼ敵前逃亡気味です。新たに悶着起こる前に改名を早くされる事を進言します。

--Zmblelra 2010年11月5日 (金) 15:11 (UTC)[返信]

  • 改名提案の反対意見に対する反論を試みて暫く経ちましたが、再反論がないようですので移動依頼に掛けますが、いいでしょうか。なお、Zmblelra様におかれましては「敵前逃亡気味」という軋轢を起こしかねないご発言は控えた方が佳いように思います。--胡亂堂 2010年11月20日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
あなたの意見は私への反論?だったのでしょうか?全然わかりませんで失礼いたしました。私の前回の意見は「反応」ではありますが直接の「反論」ではありません。なお私は記事名変更の理由には合意できません。ただしなんども申しますが2対1の多数決?で決めるルールである以上私がどんな意見を言おうと記事名を変更されるのであれば当方はどうしようもありません。(でもほんとうにそれでよいのでしょうか?この決め方についても納得してはおりません。)--以上の署名のないコメントは、Izayohi会話投稿記録)さんが 2010年11月20日 (土) 20:44 (UTC) に投稿したものです(胡亂堂による付記)。
  • 多数決で決めようとしてないからこうして議論しているんですよ。また、当方としてはIzayohiさんの反対意見、及び反対意見に対する当方の反論に対する反応(直接でない反論?)が理由になってないと思う所以を述べており、つまり反対意見への反論、及び反対意見に対する反論に対する反応(直接でない反論?)への再反論を試みた訳ですが、それが(再)反論と分からなかったとの事は残念でなりません。なので改めて反対する理由を明確にご呈示いただくか、理由が2010年10月5日 (火) 21:48 (UTC)のご発言から変更がないのであれば、それに対する当方の反論に直接応える「反論」をご呈示いただくかしていただきますよう願います。--胡亂堂 2010年11月20日 (土) 23:41 (UTC)[返信]
そもそも「所詮漢字は中国語で日本語ではありません。音の日本語で主、漢字は中国語で従です。」は既に「本記事において「日本武尊」も「倭建命」も字訓表記なのでここでは当てはまらないでしょう。」で対論が出されています。それ以降、そちらが出している反対理由はいわゆる現状や実情の羅列ばかりで、胡亂堂氏の提案を根本から反論出来るほどの根拠を出していません。それなのに「私は記事名変更の理由には合意できません。」は少々勝手が過ぎないでしょうか?反対するのであれば反対するだけの新たな材料をご提示下さい。--Zmblelra 2010年11月21日 (日) 14:03 (UTC)[返信]
それでは遅くなって申し訳ありませんが再度私の意見をだします。--Izayohi 2010年11月30日 (火) 20:20 (UTC)[返信]

(確認) えっと、改名手続きに入ってもよいでしょうか。--胡亂堂 2010年11月30日 (火) 12:17 (UTC)[返信]

再度 賛成 :あれから反論無い様ですので今度こそ大丈夫でしょう。--Zmblelra 2010年11月30日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
再度 反対 :申し訳ありませんが、以下のことより現行のカタカナ表記「ヤマトタケル」が妥当と思います。--Izayohi 2010年11月30日 (火) 20:20 (UTC)[返信]
『古事記』、『日本書紀』、風土記において漢文での漢字表記が複数あること。(ヤマトはヤマトタケルの歌謡等で漢字仮名表記がある( 『古事記』夜麻登、『日本書紀』夜摩苔、夜莽苔、揶莽等、野麼等、野麻登こと。参照大和と邪摩堆と邪馬台国)『日本書紀』は「倭」を「日本」にしたこと(他例オオヤマトネコなど)。参照 『旧唐書』列傳第149東夷「或曰 倭國自惡其名不雅 改為日本」, [『新唐書』列傳第145東夷「惡倭名 更號日本」)
本記事の内容は『古事記』の内容が主とし『日本書紀』『風土記』は追補であること。
論文検索での結果では論文タイトルはヤマトタケルが多数であること。(日本武尊は『日本書紀』について、倭建命は『古事記』についての論文)
cinii               ヤマトタケル 119 日本武尊 44 倭建命 75
google scala               10        2       1
一般の日本史教科書にはヤマトタケルについての記載はなく新しい歴史教科書をつくる会の出版教科書「中学社会 新しい歴史教科書」に「日本武尊と弟橘媛」などにのみ記載。
現行ローカルルール神名表記の「神道の神の項目#項目名」「1原則として片仮名書、各種の漢字表記はリダイレクト2片仮名書きの場合、原則として神号の「ノカミ(神)」「ノミコト(命・尊)」「オオミカミ(大御神)」「オオカミ(大神)」などは略」に合致すること。
  • 反対意見に対して反論致しますね。まず第1点目、表記が複数ある事は当初の提案部でも触れており、これは転送機能を使えば解決する事なので、どの表記を使うのが合理的かつ中立的かという点を問題としております。従いまして複数表記のみを以てカタカナ表記を是とする反対意見は成り立たないように考えますし、上でも述べましたが某議員風に「ひらがなじゃ駄目なんですか」とも言いたいです。また、括弧内の補説は地名(国名)「ヤマト」に関する事であるように思えますが、本提案に即するなら本記事の対象たる「やまとたけるのみこと」の「やまと」を「夜麻登」等の用字で記す例を挙げ、それが「日本」や「倭」に拮抗するだけの頻度があるかないかを論ずべきでしょう。更に『日本書紀』が和語「やまと」に「日本」を充てた事が問題とされるのであれば、同様に現行記事の「大和国」も「大和」が律令政府による「やまと」の当て字なので「ヤマト国」に変えるべきであり、その大和国から派生した大和郡山市等も「ヤマト郡山市」等とすべきであるとの提案をなすべきです。第2点目は直接関係してなさそうですが、当方は本記事の内容は『古事記』や『日本書紀』、『風土記』等の内容を総合的に斟酌して記述されるべきであると考えますので、「『古事記』の内容が主とし『日本書紀』『風土記』は追補である」のなら記事内容を改善するか、「『古事記』の内容が主」に徹して『古事記』の表記である「倭建命」を独立して立項すべきではないかと思います。第3点目、これが一番厄介な点で本提案に至った原因でもあるのですが、現代の論考において「ヤマトタケル」が多い背景は何なのかという問題があります。つまり苟くも本記事対象を論ぜんとする者なら当然記紀その他を目にする筈で、そこには「日本武尊」、「倭建(健)命」とあるのに何故態々カタカナ表記にしているのか、そこに本Wikipediaで排除さるべき何らかの思想的背景はないのか、という点でして、良心的な論者ならカタカナ表記にしている理由を示している筈なのでそれをお示し頂きたいのです(理由が複数表記の問題に過ぎないのであれば転送機能で解決します)。最後の点について、当方は本記事対象を「神道の神」ではなく人物として把握しており、「みこと」号は天皇号や親王号に准ずべき号で「神道の神の項目名」は該当しないと考えます(なおついでに「神道の神の項目名」については改訂提案を検討しておりますので(身辺が忙しないため未定ですが)、提案後は議論にご参加頂ければ幸甚です)。--胡亂堂 2010年12月1日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
  • 反対意見に反論>本記事の内容は『古事記』の内容が主とし『日本書紀』『風土記』は追補であること。はおかしな話ですね。これは現在古事記のウエイトが占めているとしてるだけで今後、日本書紀・風土記を加筆すれば良いだけの事。ついでに言えば古事記だけが神典ではありませんし。ですから反論材料に成りません。
漢字表記が複数あることもについても、あるからどうなのでしょう?日本武尊を調べに来る人が混乱するとでも言うのでしょうか?日本武尊の呼称がそれほどマイナーで誰も知らないならまだしも、各地の神社、観光地、観光施設やそれに関する施設・団体などで日本武尊の呼称は倭建命と共に使用されており、認知度もあります。ヤマトタケルを使うのは書籍・雑誌の等の類でその後付けではたいてい古事記:倭建命・日本書紀:日本武尊と追記されます。要するに説明の煩雑を避けてヤマトタケルにするのが専らであり、ある程度知識をもって調べに来るであろうウィキペディアに書籍等のタイトル表記を用いるほどの事は無いはずです。ついでにいえば胡亂堂氏が仰るように「やまとたける」でも良いじゃないですか、そちらの論理だと。すでに論拠がぶれております。
現行ローカルルールについても、極論を言えば変えてしまえば効力の無い物ですから、長期的に見れば反対材料に成りません。::論文検索での結果についても、統計上有効な数なのか疑問があります。しかも多数決に不服を言われてた方が、反対の根拠を多数の「ヤマトタケル」に頼るのは…。全体的に書類上の論拠を並べてるだけで、なんというかいまいちピンとこない反対意見に観えます。--Zmblelra 2010年12月3日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
  • 当方は独自研究で議論する気はないのであしからず。以下再度詳細に調べてみたところやはり記事名は「ヤマトタケル」が妥当と思います。
    Wikipedia:独自研究は載せないにおいて「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌」とされている。
    論文検索結果は、日本宗教学会で検索したところヤマトタケルのタイトルのヤマトタケルノミコト物語の構造と成立 磯前順一の1件のみ。CiNii検索では ヤマトタケル119件中に学会誌はアジア民族造形学会誌「蓬莱・八幡信仰の構造とヤマトタケル」1件で大学紀要等は約70件程度でした。
    日本武尊 44件中学会誌は太平洋学会「日本武尊論 焼津神社史」1件で大学紀要等は約30件程度でした。
    ヤマトタケルが神かどうかについては、次の3書掲載(『日本の神様読み解き事典』 で神とされ)、また複数の神社で祭神とされており、神ではないとはいえないと思います。
    『大日本神名辞書』梅田義彦 編 堀書店 1972 310pp ヤマトタケル
    『日本の神仏の辞典』 大修館書店 2001 1290pp
    『日本の神様読み解き事典 』 川口謙二 柏書房 1999 ISBN:4760118241 81pp 小碓命/倭男具那命/倭建命/日本武尊
    万世一系の天皇家直系の人間として『日本書紀』本文による「日本武尊」という記事を出典明記のうえ新たにもうけることについては異存はありません。
    なお既存の各事典等の記事名を調べたら以下のとおりでした。辞典類は全てひらがな、主な事典は日本武尊、他に倭建命、倭建御子、やまとたける とバラバラになっていました。
    ヤマトタケル
    『大日本神名辞書』
    やまとたける 辞書辞典全般
    『日本の神仏の辞典』
    世界大百科事典28 489pp
    倭建命
    『 日本伝奇伝説大事典』 1986 角川書店 ISBN 9784040313009 909pp
    『社寺縁起伝説辞典』戎光祥出版 2010 ISBN 978-4-900901-00-1 476pp
    『日本古典文学大辞典6』1985 岩波書店 吉井巌 84pp
    倭建御子
    『日本神名辞典』 神社新報社 2001 ISBN 4-915265-66-8 384pp 倭建御子
    日本武尊
    マイペディア-マイペディア 日本武尊1449pp 1994
    ブリタニカ国際大百科事典19 603pp 1975
    日本百科事典 17 656pp 1971 荻厚浅男
    万有百科事典 1161pp 1974 松前健
    大事典ナビックス 1977 2666pp
    --Izayohi 2010年12月12日(日)6:25(UTC)
  • 反論の意図が伝わっていないようで残念でなりません。「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌」が「最も信頼できる資料」とされるのは記事内容においてであるように思えますが、ここで問題としておりますのは記事名です。つまり、それら定期刊行物や学術誌の論者は間違いなく「日本武尊」や「倭建(健)命」の表記を目にしている筈なのに何故ことさらカタカナ表記をしているのかを明確にご説明願えない以上(ついでに何故ひらがなじゃ駄目なのかも)、仮名表記は転送扱いで十分なこともあり、本件の場合記事名として「最も信頼できる資料」としては記紀以外にないんじゃないですか、と申しております。また、日本武尊が複数の神社で祭神とされているにせよ、徳川家康や菅原道真の例もあるので神として扱う以前に人物として扱わないといけない点はご理解頂きとうございます。--胡亂堂 2010年12月12日 (日) 14:15 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:独自研究は載せないは当然記事名にもおよぶものと存じます。定期刊行物や学術誌の論者カタカナ表記をしている理由の出典は存じません。「日本武尊が複数の神社で祭神とされているにせよ、徳川家康や菅原道真の例もあるので神として扱う以前に人物として扱わないといけない点」に「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌」の出典はありますか?独自研究ではないすか?「本件の場合記事名として「最も信頼できる資料」としては記紀以外にないんじゃないですか」に「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌」の出典はありますか?それらを明記しないと議論にはならないです。--Izayohi 2010年12月12日 (日) 19:57 (UTC)[返信]
>現行ローカルルールについても、極論を言えば変えてしまえば効力の無い物ですから、長期的に見れば反対材料に成りません
流石にこれは酷い。制定時に若干疑義が出ていたとしても、長期に渡りルールとして効力を持って活用されてきたものを無視しても問題ないというのは横暴に過ぎる。
>意図した所は、今の「原則」を撤廃した後に個別審議しましょうではなく、一旦保留とし、個別記事を検討して行った包括として改めて今の「原則」の是非を決めませんかという事でした(つまり個別検討後の再提案を視野に入れてました)。
この「保留」は「原則の保留」ではなくあくまで「撤廃議論の保留」に過ぎず、撤廃されていないなら無視していい訳は当然ない。プロジェクトでの撤廃提案が賛成多数ではない中で漢字表記に改名したいのならば、本項目が原則から外れる例外であることを示す必要があるが、示されている改名の理由が示されている改名反対の理由に比して例外とするに足りているとは到底思えない。ルールに縛られる過ぎるのは害悪でしかないが、ルールに従っていて特に問題がない現状において、それでもなお改名したいのならば原則を撤廃するのが先。「長期的に見れば」などという自分に都合の良い枕詞を付けて「反対材料に成」らないなどと言うのは反論足り得ない。--182.169.178.121 2010年12月13日 (月) 04:41 (UTC)[返信]
上記のIzayohi氏の論理の根本に疑問。Wikipedia:独自研究は載せないの信頼できる資料の「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、以降を取り上げて熱弁を振っているようですが、それらはWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性にはそこまで限定しておりません。故にそちらが是が非でもヤマトタケルを改名させたくない為にWikipediaのガイドラインを過大解釈している疑いがあります。そもそもWikipedia:記事名の付け方に独自研究は載せないと明記してありますか?「独自研究は載せないは当然記事名にもおよぶものと存じます。」の根拠は? 根拠が無いのならそれ自体がそちらの独自研究です。それに『日本書紀』を外して神道の記事を記述することを本気でいっていいるのでしょうか?本末転倒もいいところです。--Zmblelra 2010年12月14日 (火) 10:21 (UTC) 追記:それと無視ではなくこういう解釈も出来ると述べたまでです。改名の内容を論じず上げ足とりに終始するのは個人攻撃にも受取れますけど。言い訳がましいですが、まだ記述するつもりでしたので、差し当たり疑問を記載したまででした。--Zmblelra 2010年12月14日 (火) 11:02 (UTC)[返信]
  • (Zmblelra様と競合致しましたがほぼそのまま載せます)抑も日本武尊を神として扱うべきか人物として扱うべきか。上でIzayohi 様によるご精査とそのご報告を頂いておりますので、その中の2、3を繙いて下されば、まずは人物として扱うべきで、直接プロジェクト神道のローカルルールを適用し得ない事はご納得いただけるものと存じます。
    Izayohi 様へ。ご調査ありがたく、お陰様で光明が見えて参りました。カタカナ表記がなされる理由は、第2期国語審議会の答申「術語のかな書き(略)について」の「特に術語であることを明らかにしたい場合には、かな書きの部分はかたかなにしてもよい」にあるらしいという事でよろしいでしょうか?でしたら、「してもよい」表現に過ぎない指針である上に、上でも述べてますが「日本武尊」は抑もがかな書きじゃありません、また100歩譲って「ヤマトタケル」表記を認めるとしても、それは所詮「特に術語であることを明らかにしたい場合」の学術用語に過ぎないという事であり、換言しますと「ヤマトタケル」は「日本武尊」の(どこぞの)学術上の表記に過ぎず、特定の学術分野に捕らわれない総体的内容を記載すべき本記事の記事名においては「特に術語であることを明らかに」する必要もない訳で(「ヤマトタケル」表記が汎学界的な用語かどうかも怪しい訳ですから)、とりあえずは記事名としての中立性(誰もが必ず目にする原典表記)や検証性(図書館や、文庫本が置いてある本屋さんなら立ち読みだけで容易に確かめられる)を重視しておくのが無難じゃないでしょうか。それでもご不満でしたら「ヤマトタケル (学術用語)」(仮称)を作られて学術上のヤマトタケルのみについて記述されるという方法もございます。なお、『日本紀』が政府刊行物に該当しないと仰る点に就きまして、『日本紀』が官撰の史書、つまり当代の公文書であった点を強調せんがために持ち出した比喩の一としてご理解頂きたいと存じます。 - 拙文を一部改めました。--胡亂堂 2010年12月14日 (火) 11:12 (UTC)[返信]
あと、ご意見それぞれは文末に述べていただければ助かるのですが。--胡亂堂 2010年12月14日 (火) 10:45 (UTC)[返信]

コメント依頼

記事名について広く意見をいただくためにコメント依頼かけました。--Izayohi 2010年12月14日 (火) 21:37 (UTC)[返信]

今までの議論のまとめ

コメント依頼に際しては第三者に今までの議論の内容を掻い摘んでお知らせするまとめが必要とされるようですので、割り込ませていただきます。
まず改名提案者(当方)の主張を掲げますと、

  1. 近年の学説等で「ヤマトタケル」が多いにせよ、その出発点は『古事記』や『日本書紀』等の「倭建(健)命」乃至「日本武尊」という表記なので、記事名として最適なのはそれらではないか。
  2. 一方、Wikipediaでは「記事名の付け方#正式な名称を使うこと」とされ、その正式名式は公的機関での表記が目安とされる傾向が見受けられるので、だったら本記事対象に直近する政府刊行物(公文書)でもある『日本書紀』での「日本武尊」を記事名として採用したらいいのではないか。
  3. 更に、現行記事名の「ヤマトタケル」は一部論者による根拠の不明な表記法っぽいので記事名として採用するのは中立性からも危険ではないか。補記。なお「ヤマトタケル」表記に拘るのならば記事名を「日本武尊」とした上で冒頭部に「近年は『ヤマトタケル』と表記される(出典○○)。」と記すなりすればよい。

次いで、反対者であるコメント依頼者のご主張を紹介しますと(誤解があれば申し訳ありません)、

  1. 代表的な本記事対象の漢字表記である「日本武尊」や「倭建命」の「日本」や「倭」は「やまと」の当て字に過ぎないので、「日本」や「倭」等「やまと」と訓ませる漢字表記はすべからく「ヤマト」と表記すべきである。
  2. 現代の論考でも、理由は不明であるものの「ヤマトタケル」とカタカナ書きかつ尊(命)号なしの表記が好まれている。
  3. 原典表記を記事名として採用するのは独自研究である。
  4. 日本武尊が人物としてのみ伝承されていようと神社などで祀られる存在である以上は神として扱うべきで、「プロジェクト:神道#神道の神の項目」の項目名にある「原則として片仮名書きとし」(「表記がほとんど一定しているものについては漢字表記にすることができます」との例外規定はとりあえず無視する)、「片仮名書きの場合、原則として神号の「ノカミ(神)」「ノミコト(命・尊)」(中略)などは略します」を適用すべきである。

ということになろうかと。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

  • コメント コメントです。プロジェクト‐ノート:神道#神名の表記についてでも書いたのですが、「漢字が伝わる前に長年使用されてきた神名に後から当て嵌めた漢字を使うよりは日本の古語をカタカナで表記した方がよい」との意見に変わりはありません。とはいえ、同じ箇所で書いたとおり「表音でなく意味が重視されるべき神名は漢字表記も可」「カミ、ノミコト等がないと単なる語幹のみとなる場合には命(尊)号を付した方が適当かもしれない」との思いもあります。個別に考えた場合、ヤマトタケルは神というより神になった伝説上の人物(井上光貞石母田正なんかは「英雄時代」の人物って言ってますね)という微妙な位置なので、ここでは反対よりではありますが、コメントにとどめます。--ろう(Law soma) D C 2010年12月15日 (水) 08:26 (UTC)[返信]
  • 用例調査からすれば「ヤマトタケル」優位なので、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文により「ヤマトタケル」とすべきでしょう。なお、文献での用例調査は、本文検索ではなく題名検索にすべきです。全文検索だと、本文でどれか一つの表現を主として用いていても、複数の表現でヒットしてしまう可能性があります。さもなくば、個々の文献の内容を一つ一つ検討する必要があります。日本語文献のタイトルに関する用例調査の結果は以下の通り。Gogole scholarで引用も含めると ヤマトタケル 11, 日本武尊 2, 倭建命 0、「少なくとも要約」とするとヤマトタケル 6, 日本武尊 0, 倭建命 0、ci.nii.ac.jp ヤマトタケル 119, 日本武尊 44, 倭建命 62。表記ゆらぎの選好度と記事名に関する調査を用例にも援用するならば、119:63 は概ね 2/3 であり、「ヤマトタケル」が採用されるべきでしょう。--Jms 2010年12月16日 (木) 21:43 (UTC)[返信]
用例調査からすれば「ヤマトタケル」優位なので、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文により「ヤマトタケル」とすべきでしょう」について、例えば織田信長豊臣秀吉Google Scholarで記事名検索しましたところ、引用も含めると「信長」や「秀吉」の方が「織田信長」や「豊臣秀吉」よりも多い結果となってます。屁理屈極まりないでしょうが、じゃぁ記事名を「信長」や「秀吉」にしましょうとなるかと言えば否でしょう。これらは明らかに名字を省いた略表記と思われるからで、人名等の固有名詞の場合に現代における用例調査の結果を以てそれを記事名に反映するのは好ましくない一例になろうかと存じます。ところで、本件も同様に「ヤマトタケル」は略表記(それも根拠不明の)に過ぎないのではないでしょうか。
本件の場合、記事名としての主たる表記はほぼ「ヤマトタケル」、「倭建命」、「日本武尊」の3者に絞られると思いますが、私は本記事のような対象の記述に際しては、伝わる限りでの最古の伝承から説き起こし、必要なら近年の学説上の解釈を記すのがWikipediaにおける記事に求められる姿であると確信しており、とすると記事名として最適なのは、何らかの解釈が施される出発点たる「(伝わる限りでの)最古の伝承」(原典)における表記ではないか、そして本記事の場合それは『古事記』及び『日本書紀』となるのではないかと思います。何となればそここそがizayohi様のように「ヤマトタケル」表記に拘る者と私のように「ヤマトタケル」表記を好まない者とが逢着する場所であり、従って現状では記事名としてすこぶる中立的なものでもあろうと思うからです。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
関係ない記事のことを持ち出して御自身で「屁理屈極まりない」と仰る主張をなさっても、コメント依頼に資するところはないのではないでしょうか。「人名等の固有名詞の場合に現代における用例調査の結果を以てそれを記事名に反映するのは好ましくない」というのは、Wikipedia:記事名の付け方冒頭の (ウィキペディアの利用者を前提とした)「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を否定する事以外の何者でもありませんので、まずWikipedia:記事名の付け方冒頭の改訂からすべきです。--Jms 2010年12月17日 (金) 09:41 (UTC)[返信]
では、「ヤマトタケル」が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であり、逆に「日本武尊」は日本語話者の大多数にとって曖昧かつ理解しにくいものである点をご説明願います。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
後段の、「日本武尊」は日本語話者の大多数にとって曖昧かつ理解しにくいもの、という主張は誰もしておりませんので、説明しろと言われましても。前段については、ウィキペディアにおける推定の方法として用例調査が広く用いられております。下線部についてはこの編集あたりのことかと思いますが、当該編集の冒頭でお認めの通りですし、本項目の派生用法についてそれら派生用法が従であることは日本語話者の大多数にとって (アップルパイ的な意味で) 明らかでしょうから、説明するまでもないことかと思います。--Jms 2010年12月17日 (金) 10:07 (UTC) 補足。Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはも御覧下さい。--Jms 2010年12月17日 (金) 10:14 (UTC)[返信]
ということは、「日本武尊」でもいいが「ウィキペディアにおける推定の方法として用例調査が広く用いられ」、その用例調査では「ヤマトタケル」が多く、従って「ヤマトタケル」の方が認知度が高い上に見つけやすく、曖昧でない上に簡潔であるという事ですよね。それはどうかと思いますが、詰まるところ固有名詞において用例調査の結果を記事名に反映させるのは是か非かという事になるかと思うのですが、この理解でいいでしょうか。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 10:23 (UTC)[返信]
「この理解」はどの範囲を指していますか。ということは…ですよね、という部分については基本的にその理解でよろしいと思います。但し、曖昧でないというのは他との識別において実用的という意味でという制限つきですし、簡潔であるかどうかの判断はしておりません。固有名詞において用例調査の結果を記事名に反映させるのは是か非か、という点については、たとえばイギリスが是である典型例です (調べるまでもないので用例調査はなされていないと思います)が、一般論としてのその是非が問題なら、議論すべきはWikipedia‐ノート:記事名の付け方であってこのノートではありません。--Jms 2010年12月17日 (金) 10:37 (UTC)[返信]
またまた「関係ない記事のことを持ち出して」いるかもですが、国名について言えば「韓国」の例がありますし、本件に即して言えば信長や秀吉といった固有人名の扱いに就いてどうなっているのかをお伺いしたいです。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 10:43 (UTC)[返信]
信長や秀吉については存じませんし、御自身で「屁理屈極まりない」と仰っているのですから、調べる価値も考える価値もない無関係な事柄だと判断します。「たとえばイギリスが是である典型例」は大韓民国を排除しません。それらの例を持ち出すということは本項ではなく一般論について議論なさりたいということでしょうから、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方で議論してください。--Jms 2010年12月17日 (金) 10:59 (UTC)[返信]
そもそもWikipediaのガイドラインを盾にしたのはJms氏です。都合が悪くなるとWikipedia‐ノート:記事名の付け方で議論などと話をはぐらかさないで頂きたいです。--Zmblelra 2010年12月17日 (金) 11:04 (UTC)[返信]
固有名詞において用例調査の結果を記事名に反映させるのは是か非か、という一般論として議論するならWikipedia‐ノート:記事名の付け方で、ということです。本項についての議論なら、このノートですべきでしょう。--Jms 2010年12月17日 (金) 11:10 (UTC)[返信]
では、一般論ではなく本件に即して申し上げます。「日本武尊」は固有名詞であり、現代の論考は記事内容において重視さるべきであるが、記事名としてそれら論考における表記は絶対的に採用しがたいと思います。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 11:30 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに従うなら、「記事名としてそれら論考における表記は絶対的に採用しがたいと思」っていても説得力がないでしょう、「絶対的に採用しがたいと思う」という「絶対的」と「思う」の組合せの意味するところがよくわからないので誤解しているかもしれませんが。Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの意味で言えば、「認知度が高い」については用例数から有意に「ヤマトタケル」、「見つけやすい」については有意な差があるかどうか不明、「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫」については同程度、「複数の基準を満たすために他の基準を犠牲とする必要があるかもしれません。そういった場合には、記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ」「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視」に従えばどちらかというと「ヤマトタケル」、以上総合すると「ヤマトタケル」でしょう。--Jms 2010年12月17日 (金) 11:41 (UTC)[返信]
「絶対的に」の箇所は言い過ぎでした、反省します。意図した点は現代の論考において「ヤマトタケル」が嗜好されるにせよ、原典には「日本武尊」乃至「倭建(健)命」とあり、「ヤマトタケル」が嗜好される理由が不分明である以上、記事名として採用すべきは原典表記じゃないですか、という事です。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 11:56 (UTC)[返信]

戻しますよ。そもそも「日本武尊」乃至「倭建(健)命」が原典表記ですからそれを記事名にするのは至極当然の様に思います。何故日本書紀かは既出--Zmblelra 2010年12月17日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

原典表記を重視するか、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに従うか、という議論かと思います。原典表記をWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに優先させる理由は何でしょうか。--Jms 2010年12月17日 (金) 12:35 (UTC)[返信]
だって「記事名を付けるには」で原典表記が排除されていないんですもの。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 12:38 (UTC)[返信]
原典表記が排除されていないことは、原典表記が優先されることを意味しません。「記事名を付けるには」の要件についての比較検討は示しましたが、原典表記が優先する項目はあのうちどれなのでしょうか。--Jms 2010年12月17日 (金) 12:43 (UTC)[返信]
そもそもガイドラインばかりを盾にしてますがそれ以外に反対理由は無いんですか?これではガイドラインを守らせたいだけのジャッジマン如くの振る舞いですね。 --Zmblelra 2010年12月17日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
盾…なぜそうなのるのでしょう。すんなり決まらない場合にこそガイドラインに従って判断する必要があるかと。嗜好される理由が不明であろうとも、それがより広く使われているという事実があります。理由があるかもしれないし、ないかもしれない、でもそれが事実です。調べ物をする時にどういう使われ方をするか考えれば、ガイドラインの求めていることは妥当でしょう。--Jms 2010年12月17日 (金) 12:54 (UTC)[返信]
逆にお伺いしますが、原典表記があるのにそれ以外の表記を採用するのは記事名として中立的なのでしょうか?あと余計なお世話ですが、どうもみなさんの意見には日本語としてやや乱れている箇所が見受けられますので、お互いにしばらく休止しませんか。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 12:59 (UTC)[返信]
「原典表記があるのにそれ以外の表記を採用するのは記事名として中立的」か、というのは、「有意により広く用いられている表記があるのにそれ以外の表記を採用するのは記事名として中立的」か、という問いと対称であり、問うても意味がない (平行線にしかならない) でしょう。ウィキペディアが「正しい名称」を定めているわけでなし、記事名は記事に一つしかつけられないからどれか一つを選ばねばならない、その指針としてWikipedia:記事名の付け方があり、その項目の内容がウィキペディアの外でどう表記されているかという事実がある、それだけのことです。用例調査とWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはによる判断については既に示しましたし、それで十分だと考えていますので、しばらく休止に異論はありません。他のコメントを待ちましょう。--Jms 2010年12月17日 (金) 13:22 (UTC)[返信]
「有意により広く用いられている表記がある」点について、これは本節で縷説しまた当コメント依頼でも少しく触れておりますが、「有意」とされる根拠の提示、つまり原典に「日本武尊」や「倭建命」とあるものをあえてカタカナ表記する意はどこに有るのかを問うております。失礼ながらウィキペディアの外を含めた世界でそう表記されている事実があるとのご指摘は、それだけでは「意」の回答には成りませんし、更に申せばその「意」なるものが表記揺れ以外にあるとすれば(既述ですが表記揺れのみが「意」であれば転送機能で解決する)、尚更それを記事名に反映させるのは中立性を大きく損なう原因ともなるかと思います。--胡亂堂 2010年12月19日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
用例調査における有意というのは数についての話なので、統計的に有意な差がある、ないし数の上で有意な差がある、という意味です。用例による判定の場合には、統計的に有意な差がある、ないしそれに相当すると推定できるだけの差があることが前提です。ウィキペディアにおける記事と表記の選好調査との対応関係は既に示した通りであり、そこでの数値は一つの目安となるでしょう。--Jms 2010年12月19日 (日) 09:05 (UTC)[返信]
「用例調査における有意」であった点は意図を汲み取れず申し訳ありませんでした。が、そうだとすると上で「調べる価値も考える価値もない無関係な事柄だと判断」されておりますが、信長や秀吉の例やJR各社のようにウィキペヂアの記事名において現代(現時点)での用例調査のみを採用基準とする見解は否定されるように見受けられますが、いかがでしょうか。--胡亂堂 2010年12月19日 (日) 10:12 (UTC)[返信]
「調べる価値も考える価値もない無関係な事柄だと判断」しているのでお答え致しかねますし、主張してもいない事について問われても困惑するばかりですが、そもそもなぜ用例の多寡が記事名判断の基準となり得るのかという点を御理解頂いていないのではないかと危惧します。--Jms 2010年12月19日 (日) 10:22 (UTC)[返信]
えっと「なぜ用例の多寡が記事名判断の基準となり得るのかという点を御理解頂いていないのではないか」という点について、それは私なりに理解しておる積もりですし、用例の多寡を問題にして改名提案なりをなした刻もございます。その上で本件については現時点における用例の多寡のみを以て記事名判断の基準とは成し得ないと主張しており、その傍証として信長や秀吉、JR各社の例を挙げているのであって、私から申せば逆に「なぜ用例の多寡が記事名判断の基準となり得ないのかという点」をご理解頂けていないように思えます。もし信長や秀吉、JR各社等が「調べる価値も考える価値もない無関係な事柄だと判断」されているのならば、本件記事名についても同様に用例の多寡は「調べる価値も考える価値もない」論拠に過ぎなくなるかと思うのですが、なぜそれらに比して本件においてのみ用例の多寡が問題とされるのか、「調べる価値も考える価値も」ある事柄とされるのかは当然疑問とせざるを得ないと思いますが。--胡亂堂 2010年12月25日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
現時点における用例の多寡が基準となるのは、ウィキペディアを調べ物に使うのが現時点の人だからです。「本件においてのみ用例の多寡が問題とされる」という主張はなされていません。「屁理屈極まりない」と御自分で仰ることをいつまでも繰り返すのはどうかと思います。が、いいかげん同じ事を書くのにもうんざりしてきたので。ヤマトタケルば信長や秀吉の如き部分文字列ではないので、「ヤマトタケル」か「日本武尊」か、という比較と同列に論ずることに意味がありません。対比させるなら「ヤマトタケルノミコト」か「ヤマトタケル」か、という議論でしょうし、その場合、「ミコト」の部分にはWikipedia:記事名の付け方#人名が適用ないし準用されましょうから、「ヤマトタケル」か「日本武」か、という対比になるのではないかと。--Jms 2010年12月25日 (土) 04:16 (UTC)[返信]
  • 反対 どちかといえば、くらいのものですが。該当人物は「神道」分野だけものではないと考えます。英雄や伝承や古典や色々な視点からの「ヤマトタケル」と定義するならカタカナ表記が良いと思います。
あえて分野門外漢でも手軽に調べ物ができるwikipediaのユーザーとしての基本的な立場としての意見です。リダイレクトはあるとはいえ「ヤマトタケル」読みでの「日本武尊」は一発変換できません。「日本武尊」は「ヤマトタケルノミコト」で変換されます。漢字にしても表記が一定でなく公の機関から統一見解もなされていない現状です。改定できるものとはいえ、今のページにしても「日本武尊」とする「日本書紀」でなく、「古事記」における「ヤマトタケル」から解説がはじまっておりますし「ヤマトタケル」が妥当と判断します。むしろ「日本武尊」とするなら「日本武尊 (神道)」か「日本武尊 (日本書紀)」にすべきではないかと思います。--ジャムリン 2010年12月17日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
恐縮ですが、「「ヤマトタケル」読みでの「日本武尊」は一発変換でき」ず、「「日本武尊」は「ヤマトタケルノミコト」で変換され」ない上に「漢字にしても表記が一定でなく公の機関から統一見解もなされていない現状」において、どうして「ヤマトタケル」が採用される理由となるのか甚だ疑問ですので、「英雄や伝承や古典や色々な視点からの「ヤマトタケル」と定義するならカタカナ表記が良いと思」われる理由をより詳細にご提示いただきたく。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 11:30 (UTC)[返信]
「ミコト」という神道尊称なしの「ヤマトタケル」像の解説があるからですよ。--ジャムリン 2010年12月17日 (金) 11:38 (UTC)[返信]
専門外ですのにわざわざここまでご足労有難うございます。まず既出ですが、「古事記」における「ヤマトタケル」から解説は単に古事記が人気なだけで別に大したことではありません。其処はいくらでも修正できます。古事記優位の傾向は私も不満に思っておりますのであしからず。だた、ジャムリンさんの日本武尊 (神道)・日本武尊 (日本書紀)案でも良い様にも思います。--Zmblelra 2010年12月17日 (金) 11:42 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、「「ミコト」という神道尊称なしの「ヤマトタケル」像の解説があるから」といって、なぜそれが「ヤナトタケル」じゃなきゃいけないのかが相変わらず不分明です。更なるご説明をお願いします。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
逆に日本書紀以外の解説と漢字表記があるのに、包括的な解説ページの名称に限定的意味でしかない表記に拘るのかが意味不明ですね。--ジャムリン 2010年12月17日 (金) 12:21 (UTC)[返信]
本節冒頭及びコメント依頼まとめをご覧願います。--胡亂堂 2010年12月17日 (金) 12:23 (UTC)[返信]
ついでにプロジェクト‐ノート:神道#神名の表記についてもご覧になる方がよいです。--Zmblelra 2010年12月17日 (金) 12:30 (UTC)[返信]
  • 反対 (インデント戻します)Jms様が既にご説明いただいておりますように、Wikipedia:記事名の付け方の冒頭において明確に「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とガイドラインが示されております。何故、ここで日本武尊へ改名することが良いといつまでも議論が続けられているか不思議ですが、百科事典であるWikipediaは、扱う事物の名称が最も正しいものを記事名として採用するのではありません。日本語話者間で最も普及している言葉を記事名にすべきなのです。私は「記事名の付け方」も「こちらの記事名」も現状のままで良いと考えますが「ヤマトタケル」以外に記事名を変更したいならば、このノートで議論する前にWikipedia:記事名の付け方を変更する努力をまずなさって下さい。--Shigeru23 2010年12月20日 (月) 04:23 (UTC)[返信]
  • 「何故、ここで日本武尊へ改名することが良い」との議論が続いているのか、それは「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とのガイドラインを当てはめるにせよ、その為には「日本武尊」は「ヤマトタケル」に比べて日本語話者の大多数にとってより曖昧かつより理解しにくい表記である点の証明が必要なのに、反対者の誰一人として未だそれをなし得ておらないのみならず、原典に「日本武尊」と表記される者を殊更「ヤマトタケル」と表記する蓋然性すら誰一人として未だご説明いただけていないからであって、そうである以上は「日本武尊」も「ヤマトタケル」も現代の表記では等価とも言え、ならば原典に見える点で圧倒的に「日本武尊」に分があると思われるからです。ついでに、カタカナの記事名しか読めない絶望的な日本語話者にも、跡地(「ヤマトタケル」)を曖昧さ回避にしましょうとの当初の提案は受け容れられるかと。--胡亂堂 2010年12月25日 (土) 03:56 (UTC)軋轢を生みそうな箇所を削除しました。--胡亂堂 2011年1月16日 (日) 16:21 (UTC)[返信]
現代の表記では等価とも言え」はしないでしょう、用例数に有意な差がある以上、等価ではあり得ません。--Jms 2010年12月25日 (土) 04:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 ただし、尊は読んで時のごとく尊称なので、日本武が良いでしょう。ちなみに読み方に関する議論(古事記の日本武はヤマトタケルではないという話)もありますが、ここでは触れません。--Hyper neo 2011年1月12日 (水) 03:12 (UTC)[返信]
「日本武」だけの用例がありましょうか。たとえば ci.nii.ac.jp で「日本武 NOT 日本武道 NOT 日本武士道 NOT 日本武徳 NOT 日本武尊 NOT 日本武術 NOT 日本武芸 NOT 日本武士」という検索をすると、それらしいものが得られている気があまりしないのですが…。--Jms 2011年1月12日 (水) 09:50 (UTC)[返信]
  • 反対 【人として】『日本書紀』「日本武尊」、『古事記』「倭建命」、『古語拾遺』日本武命、などの複数表記がありますが、「今までの議論のまとめ」を見てもそのあとに出たコメントを見ても、複数表記のうちのひとつである「日本武尊」を「正式な名称」として記事名に据える理由(言いかえれば「倭建命」ではなく「日本武尊」とする理由)が弱いです。従ってどちらにも傾かない中立的なヤマトタケルがよいと考えます。【神として】「プロジェクト:神道#項目名」の項目名に「原則として片仮名書きとし、各種の漢字表記はリダイレクトにします。ただし、表記がほとんど一定しているもの(大国主など)については漢字表記にすることができます。」とありますが、「日本武尊」と「倭建命」が並立しており、「表記がほとんど一定している」とは言えません。--miya 2011年1月12日 (水) 11:50 (UTC)[返信]

(戻す)本件提案に至った理由は原典に「日本武尊」や「倭建命」とあるものを「ヤマトタケル」とわざわざカタカナ書きにする必要がどこにあるのかという疑問です。確かに「ヤマトタケル」が現代の研究で多用されている点は認めますが、その事と中立的かどうかは関係しませんよね。繰り返しの憶測ですが、それら研究者も必ず目にするのは恐らく「日本武尊」乃至は「倭建命」で、それになんらかの解釈を施す、或いは便宜上カタカナ書きにしているようにしか思えないのです。もしそうならば、原典表記と解釈を経た或いは便宜的なそれとのどちらを優先すべきかは明らかではないでしょうか。miya 様は「倭建命」でなく「日本武尊」とする理由が弱いとの事ですが、「ヤマトタケル」は原典に見えない表記である点でそれらよりも遙かに弱いものであり、且つ私の憶測が認められるのであれば現代におけるなんらかの解釈なりを経ている点で中立性にも劣るものではないでしょうか(最もな中立化を計るなら、「日本武尊」賛成派も「ヤマトタケル」賛成派もともに目にせざるを得ない原典表記の「日本武尊」か「倭建命」が良でしょうという事)。で、そうした場合にはまずは「日本武尊」と「倭建命」との両様を代表とし、次いでそのどちらを選ぶか、どちらを転送とするかを決める方が順当だと思うわけですよ(「日本武尊」を推す根拠は提案事由で一応示しております)。つまりは上でJms様が「原典表記を重視するか、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはに従うか、という議論かと思」うと仰っておりますが(それにとんちんかんな回答をしてしまった為に議論を混乱させてしまったと反省しておりますが)、正しくは「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」にも適う原典表記と、なぜカタカナ書きにしないといけないのかの説明がなされていないため得体不明としか言えない表記のどちらを重視するかの議論になろうかと。--胡亂堂 2011年1月21日 (金) 22:32 (UTC)[返信]

記事名も所詮は便宜上一つにせざるを得ないのであって、「原典表記と解釈を経た或いは便宜的なそれとのどちらを優先すべきかは明らか」という観点からは、便宜的なものを用いるべきなのは明らか、という主張も成立します。従って「原典表記と解釈を経た或いは便宜的なそれとのどちらを優先すべきか」という問いはこの場合無意味です。「私の憶測が認められるのであれば」ということでしたら、これまで、特にコメント依頼以降の意見からすれば、当該記事の記事名というウィキペディアの判断としては認められたとは言い難いでしょう。「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」にも適う原典表記、などと一部だけをとりあげて、文脈を離れた表現にすべきではありません。原典表記というのは「記事名の付け方」における「正式な名称」の意味で仰っているのだと思いますが、それとてWikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ7#正式名称と曖昧さ回避のかねあいにある様に、そもそもは一意な記事名を選ぶための基準の一つであったのであって、「Wikipedia:記事名の付け方」冒頭文を満足することが正式名称に優先することはたとえばイギリスなどでも明らかです。百科事典を使う人の立場に立てば、記事名は「ヤマトタケル」であるべきです。「なぜカタカナ書きにしないといけないのかの説明がなされていないため得体不明」だとお考えなら、そのことを記事中で検証可能な文献に基づいて述べられると読む側の興味を引きつける記事になろうかと。「ヤマトタケル」という表記が問題ならば、そのことを述べた検証可能な資料が存在するでしょうし、仮にそうしたものがなくとも、たとえば関数 (数学)#表記の歴史の様に、用例を調べて事実により経緯を示すやり方もあります。なお、ウィキペディアの記事名として「なぜカタカナ書きにしないといけないのかの説明」はすでに十分なされているので繰り返しません。--Jms 2011年1月21日 (金) 23:27 (UTC)[返信]
えっと、論点を絞りたいと思いますので3点に限って反論を試みます。
  • 「正式名称に優先することはたとえばイギリスなどでも明らかです」について。
これは多分略称類の扱いを指しているのだと思われますが、例示としてイギリスを挙げられるのであれば、こちらは現代の用例では圧倒的な韓国を反示させていただきます。そして本件の場合は韓国に類する略表記か、若しくそれ以下の根拠不明の便宜的表記であり、もしそうならばそうした明らかな略記や得体の知れない表記を優先する観点はWikipediaの記事名として認められているとまでは言えないのではないか、と主張しております。
  • 「「ヤマトタケル」という表記が問題ならば、そのことを述べた検証可能な資料が存在するでしょう」について。
それは逆で、ひつっこいようですが私は原典表記を「ヤマトタケル」にする事自体既に記事名としては問題ありだと思いましたので、原典表記を改める合理的な説明を述べた資料等の呈示を求め、もしかそれがないのであれば、「ヤマトタケル」はどっから沸いたかも分からない得体不明な表記とせざるを得ず、従ってそれを記事名として採用するのはおかしいと申してます。またたといカタカナ表記の由来を述べた検証可能な資料があるにせよ、それは一つの解釈に過ぎないとも言え、だったら記事名は「日本武尊」とした上で必要ならば本文中で「ヤマトタケル」表記が多用されるようになった「経緯を示」せば良いとも思います。
  • 「ウィキペディアの記事名として「なぜカタカナ書きにしないといけないのかの説明」はすでに十分なされているので繰り返しません」について。
諄いようですが後考のためにも是非ともその説明を繰り返していただきたいと思います。少なくとも私には(なぜひらがなじゃいけないのかを含めて)「すでに十分」どころか一度もなされていないように思えますし、もしかそれが現代における用例数のみを基とするのだとしたら、がっかりこの上なく、当然何らの回答にもなっていない点は指摘させていただきとう存じます。
つまり、当方の「原典表記と解釈を経た或いは便宜的なそれとのどちらを優先すべきかは明らか」という主張に対し、「便宜的なものを用いるべきなのは明らか、という主張も成立」する為には、少なくともその便宜的なる表記の拠って来る所以を明らかにしないといけないでしょうし、それで初めて(転送機能を伴う)原典表記優先対、便宜的表記優先という対立軸も成立するものと存じます。繰り返しますが現状ではその便宜的なるものは根拠不明なのであります。--胡亂堂 2011年1月27日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
イギリスの件。「多分略称類の扱いを指しているのだと思われますが」全然違います。「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」はどう略してもイギリスにはなりません。イギリスはイングランドに由来する名称であり、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の名称としては政治的に不適切です。実際、スコットランドやウェールズのことを考慮した記事名に対する異論はしばしば出てきます。韓国とはその点が異なります。
以下、気が進みませんが論拠再掲。「ヤマトタケル」か「日本武尊」という胡亂堂さんの論点に合わせて、中立性に問題のある「イギリス」を例示しています。「記事名としては問題あり」という主張はWikipedia:記事名の付け方からすれば否定されているでしょう。記事名の付け方冒頭文と「正式な名称」が対立する場合に冒頭文が優先するのは冒頭文より明らかです。ウィキペディアの記事名として「なぜカタカナ書きにしないといけないのかの説明」、は、用例調査において「ヤマトタケル」が有意に多く、記事名の付け方冒頭文が「正式な名称」に優先し、またWikipedia:記事名の付け方#人名から類推すれば「尊」は記事名に含まれるべきではないため「日本武」は記事名として適切ではないからです。「少なくともその便宜的なる表記の拠って来る所以を明らかにしないといけない」というのにもこれで回答となっておりましょう。「現代における用例数のみを基とするのだとしたら、がっかりこの上なく、当然何らの回答にもなっていない点」というのにも回答済みですが、繰り返します。ウィキペディアを利用する人は現在の人だからです。その点については参考としてプロジェクト:数学/函数と関数を挙げておきます。わたくしは自分では数学なら函数、コンピュータ言語なら「関数」と表記しますのである意味関数 (数学)には「がっかり」(「函数」にすれば曖昧さ回避の括弧も必要ないのに!) ですが、記事名を「函数」としないのはウィキペディアでのやりかたとしては合理的でしょう。「繰り返しますが現状ではその便宜的なるものは根拠不明なのであります。」と強く主張なさっていますが、いつまでも「納得」しないの領域に差し掛かっていると思います。あきらめてください。--Jms 2011年1月27日 (木) 18:24 (UTC)[返信]
もしかしたら共有していないので念のため追記。ウィキペディアの記事名を決めるのは百科事典の見出しとしての妥当性であって、正当性でも、ましてや正統性でもありません。「どっから沸いたかも分からない得体不明な表記」であったとしても、それが広く使われているなら、記事名として妥当である場合があります。たとえばワンセグはどこから出てきたのでしょう? もちろん、正当性や正統性は妥当性の構成要件とはなり得ますが、妥当性の唯一の要件ではありません。--Jms 2011年1月27日 (木) 23:02 (UTC)[返信]
さらに追記。原典表記を「ヤマトタケル」にする事自体既に記事名としては問題ありという文がなぜ出てくるのか理解できないのですが、 その理解のために以下の三つの質問に答えていただければ幸いです。a. 原典表記を「ヤマトタケル」にする事を誰か主張しているのですか? b. ウィキペディアの記事名として採用することは、その記事名が「原典表記」だと宣言することである、という方針文書類なり合意なりが存在するのですか? c. 記事名に用いる表記に出典がある必要性と、その表記が「原典表記」であることを混同していませんか? どうも、「ウィキペディアの記事名は原典表記でなければならない」という仮定が胡亂堂さんにはあるのではないかという気がしています。もちろん、そんな合意は存在せず、ケースバイケースで妥当な記事名が選ばれるのですが…。--Jms 2011年1月29日 (土) 02:51 (UTC)[返信]
3点の質問は相互に連絡しそうなのでまとめて回答致します。「ケースバイケースで妥当な記事名が選ばれるのですが」との点には私も同感です。なので「ヤマトタケル」の妥当性を問い、その根拠が現代の論考類で多い点のみなのが「がっかり」なのです。上でJms様は「百科事典の見出しとしての妥当性であって、正当性でも、ましてや正統性でもありません。「どっから沸いたかも分からない得体不明な表記」であったとしても、それが広く使われているなら、記事名として妥当である場合があります」と仰ってますが、原典表記に対して広く使われているにせよ得体不明な段階で記事名としての妥当性は疑わしくなりませんか。「ヤマトタケル」に就いて申せば、それは多いだけであって、論者や文脈によって「日本武尊」や「倭健命」が使われることもあるでしょうから従って統一的な表記とは決して言えない(百歩譲ってこの時点では3者同格としましょう)のに対し、賛成者も反対者も等しく出発点とする原典表記の方が「妥当性」を満たすんじゃないでしょうかと述べておるつもりです(「(広く使われる)得体不明な表記」よりも「正当性」や「正統性」を重んじた方が採用基準が明確なので無難であり、よって「ヤマトタケル」は脱落するやに思えます)。イギリスの件ではそれなりの論拠を示されてますが、ここでは改めまして「日本武尊」を現代の論考類で「ヤマトタケル」とされる理由、現代の論考類を含めて原典表記を排してまでも必ず「ヤマトタケル」でなければならないのか、もしそうならばその理由は何か、が一切述べられておらない事を指摘させていただき、そうした現状では納得しろという方が無理で、「いつまでも納得しない」のは納得させうる論拠を示して戴けていないからだと申し述べておきます。-胡亂堂 2011年2月2日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
関連している (当然です、一つの記事の記事名に関する議論なのですから) とはいえ独立した問いですので、まとめずに、一つ一つ回答していただければ幸いです。話が発散するのを防ぐため、その余については個別回答をいただいてからとさせてください。--Jms 2011年2月2日 (水) 13:20 (UTC)[返信]
う~ん、では個別に。
a. 原典表記を「ヤマトタケル」にする事を誰か主張しているのですか? → 誰もしてないと思います。本件に就いては、私見(提案内容)に従う限り、原典表記と「ヤマトタケル」表記は寧ろ対立してます。
b. ウィキペディアの記事名として採用することは、その記事名が「原典表記」だと宣言することである、という方針文書類なり合意なりが存在するのですか? → もちろん存在しません(多分)。で、これも多分なのですが、現在多いという理由のみで得体不明な表記を採用すべしという方針文書類なり合意なりもなさげなので、現在多いという理由のみの得体不明な表記は転送扱いで充分じゃないのでしょうか。
c. 記事名に用いる表記に出典がある必要性と、その表記が「原典表記」であることを混同していませんか? → してません。
以上です。で、こうして見ますとそれぞれ本件との関係性は薄毛なのですが、これらを相互に連絡させた上で上記回答と改めての疑問を表してます。--胡亂堂 2011年2月2日 (水) 13:57 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。a. については誰も主張していないことについて 2011年1月27日 (木) 14:45 (UTC) に仰っていたとのことだと思いますので、これ以上言及しません。b. については既に述べたので繰り返しません。c. については、混同なさっていないなら、記事名が「原典表記」でなければならないことはないのは御理解いただけると思います。「それぞれ本件との関係性は薄毛」と判断なさったということは問題点を共有してないということだと思います。b. ならびに c. から記事名が「原典表記」でなければならないことはない、のですから、出典があり、用例も有意に多い「ヤマトタケル」を記事名とすることを、「得体が知れない」という胡亂堂さんの主張で排除することはできないでしょう。「原典表記に対して広く使われているにせよ得体不明な段階で記事名としての妥当性は疑わしくなりませんか」いいえ、なりません。信頼できる情報源でその表題に「ヤマトタケル」が有意に多く用いられているという事実があるのですから。「賛成者も反対者も等しく出発点とする原典表記の方が『妥当性』を満たすんじゃないでしょうか」いいえ。それについても既に述べましたので繰り返しません。「統一的な表記とは決して言えない」誰か統一的表記だと主張した人がいるのですか? 「『日本武尊』を現代の論考類で『ヤマトタケル』とされる理由」を考える必要はありません、現代の論考類で「ヤマトタケル」とされるという事実があるならば、その事実で十分です。「現代の論考類を含めて原典表記を排してまでも必ず『ヤマトタケル』でなければならないのか、もしそうならばその理由は何か、が一切述べられておらないを指摘」その指摘は事実に反します。複数回述べています。納得なさっていないのはわかりますが、そのことと、述べていないという事実こととは違います。「『いつまでも納得しない』のは納得させうる論拠を示して戴けていないからだ」というのはトートロジーではないでしょうか、だからこそまさしく「いつまでも納得しない」なのですから。わたくしは十分示していると考えていますが、それで納得していただけていないのは事実ですし。--Jms 2011年2月2日 (水) 14:15 (UTC) うっかりミス修正 --Jms 2011年2月2日 (水) 23:10 (UTC)[返信]
質問 ちょっと脇にそれる質問なのですが、本居宣長のように漢意(からごころ)を否定する立場からすると、表記には漢字より日本独自の文字であるカナの方が望ましい、とかいう考え方はとらないのですか。素人考えだとそんな考えの人は結構いそうな気もしますが、そうでもないんですかね。--Kurz 2011年2月5日 (土) 10:56 (UTC)[返信]
(少し戻す) まずJms様へ。「「『日本武尊』を現代の論考類で『ヤマトタケル』とされる理由」を考える必要はありません、現代の論考類で「ヤマトタケル」とされるという事実があるならば、その事実で十分です」との事ですが、私はそれら「ヤマトタケル」を用いている現代の論考類が「日本武尊」なり「倭建命」を出発点としているのも明らかじゃないか、で、それを便宜上「ヤマトタケル」としているだけじゃないか、と思うのです。そして原典表記が何らかの事情で仮名書きされるにせよ、それこそ仮名書きされた事情など考える必要はなく単純に原典表記という事実に基づいた項目名にすればいいじゃないのか、と思う訳です。なので、もしか便宜上ではなく必ず「ヤマトタケル」と表記すべしという主張が為されているのなら、それをその根拠と共にお示し願いたく、それが為されておらない現状では決して「十分示している」とは思えません。また、もしか不幸にして私の憶測通り便宜上の表記に過ぎないのならば、「ヤマトタケル」は転送扱いで充分じゃないかという事でもあります。なお、Kurz様へは、漢意と文字表記を関連づけて「表記には漢字より日本独自の文字であるカナの方が望ましい、とかいう考え方」をとってしまいますと音表示(音読み)以外の日本語の全記事も仮名書きになっちゃいませんか。更にはコメント依頼前で触れましたが、漢字から出来た仮名文字も使えるかどうか怪しくなり、日本語における表記の体系が崩壊しちゃうと思えます(これはもう早くから漢字文化に属しちゃった日本の宿命として受け止めるしかないかと。宣長先生も漢意を否定なされ、例えば「『古事記』ってば「ふることふみ」って読むんじゃない?」と仰ってますが、自著を『ふることふみつたへ』とかとはせず『古事記伝』って表記されてる訳ですし)。--胡亂堂 2011年2月12日 (土) 18:42 (UTC)[返信]
思うのはご自由ですが、ウィキペディアの記事名については「記事名の付け方」に従うべきでしょう。必ず「ヤマトタケル」と表記すべしという主張が為されている、などとは誰も言っていませんし、そうした主張がなされていなくとも、「記事名の付け方」に従って記事名は決まります。胡亂堂さんが「十分示している」とは思えていない、というのは理解しますが、お求めの事柄は「記事名の付け方」の範疇外でしょう。わたくしは「記事名の付け方」の範囲で十分示されていると述べているのであり、記事名についての議論なのですから、その論拠は「記事名の付け方」の範囲で十分なのです。--Jms 2011年2月12日 (土) 18:58 (UTC)[返信]
「記事名の付け方」のどこにどう従っているのでしょうか。自分で調べればいいのでしょうが、勘違いもありえますので確認としてこの箇所だよと教えていただければ助かります。--胡亂堂 2011年2月12日 (土) 19:07 (UTC)[返信]
あまりにも意外な問いなので、念のため確認させてください。再三述べていることについて改めてその様にお尋ねになるのは、今までの議論を実は読んでいなかったのだ、という意味でもあるのですが、そう理解してよろしいでしょうか。--Jms 2011年2月12日 (土) 19:22 (UTC)[返信]
いえ、一応私も「記事名の付け方」に沿った提案をしていたつもりだったものですから、見落としていた、或いは誤解していた条項があるんだろうなと思いましたもので。--胡亂堂 2011年2月12日 (土) 19:51 (UTC)[返信]
「記事名の付け方」冒頭第二パラグラフ、「記事名を付けるには」節および「人名」節です。今回の件は外来語を想定した片仮名語の対象ではないと考えています。もちろん「正式な名称を使うこと」とのバランスも考慮しつつ総合判断することになりますが、その点についても既に述べました。なお、「転送扱いで充分じゃないか」は、「ヤマトタケル」でも「日本武尊」でも同様に成立するので論拠になりません。--Jms 2011年2月12日 (土) 20:01 (UTC)[返信]

(戻す)見落としや誤解はないようなので安心しました。さて、(1)「日本武尊」も冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」には適いますよね(適わないという指摘は確かなかったような)。(2)「記事名を付けるには」節だと、

  1. 認知度が高い - 「日本武尊」でもいいでしょう。
  2. 見つけやすい - 「日本武尊」でもいいでしょう。
  3. 曖昧でない - 「日本武尊」でもいいでしょう。
  4. 簡潔 - 「日本武尊」でもいいでしょう。文字数のみなら有利。
  5. 首尾一貫している - 日本武尊」でもいいでしょう。

じゃないですか?そして、(3)「人名」節の「日本人」項には複数標記があれば仮名書きにせよとはありません(寧ろその中のどれかを選びましょうじゃないでしょうか)。とすると私には原典に即した「日本武尊」が大部有利かと思えるのですが、一体Jms様が「「正式な名称を使うこと」とのバランスも考慮し」た「総合判断」の結果「ヤマトタケル」の方が相応しいと思われた根拠は(1)(2)(3)のどこから導き出されたものでしょうか((1)(2)(3)のみを総合しても決して出て来ませんよね)?どうも現代の用例調査で多いという点しか根拠としておられないように思えてならないのですが、現代の用例調査で多い事が則ち「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を意味するとは限らない筈ですし(もっとも仮名書きだと訓み易いのは確かでしょうが、それは訓み易いだけの話)、また、それに対する疑問(得体が明らかでない表記なので得体不明と極言せざるをえない)は再三提示しておりますが、どうも未だ直接のご回答はいただけていないように感ぜられてなりません。うんざりなされてるでしょうが、ご回答頂ければその「得体」も明らかになって議論も収斂するかと期待しておりますので、是非ともこの機会にお願い申し上げます。また、出来ますれば参考のために「総合判断」の過程(何と何を判断材料とし、どんな具合に判断を下したのか)もお示し願えれば、更に論点もはっきりするやに思えます。--胡亂堂 2011年2月12日 (土) 21:24 (UTC)[返信]

「日本武尊」も冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」には適いますよね いいえ。「最も」ですから、通常はどれか一つであって、○○も適う、ということは基本的にありません。総合判断の課程は 2010年12月17日11:41 (UTC) の編集で示しました。その判断には「人名」節を含んでいませんが、「人名」節の適用については 2010年12月25日 04:16 (UTC) 及び 2011年1月12日 09:50 (UTC) で触れた通りであり、その場合「ヤマトタケル」か「日本武」かという議論にはなり得ても「ヤマトタケル」か「日本武尊」かという議論にはなりません。その他 2011年1月21日 23:27 (UTC) も参考になるやもしれません。得体不明云々がこの場合論点にならないことは理由を含め述べましたので繰り返しません。同じ事を何度も何度も何度も繰り返すのはさすがにいいかげんうんざりです。--Jms 2011年2月12日 (土) 22:35 (UTC)[返信]
改めて改名に反対いたします。古事記も偽書説もあるとはいえ、最古の史書といわれており、結局のところ漢字表記にはブレがあります。簡潔といいますが、タイプと変換は「ヤマトタケル」の方が平易です。--ジャムリン 2011年2月12日 (土) 22:50 (UTC)[返信]
Jms様が幾度も幾度も同じ説明を延々と繰り返しておられるのに対しまして、胡亂堂氏は『「日本武尊」も冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」には適いますよね(適わないという指摘は確かなかったような)』というご発言のように、少し表現を変えただけの同じ質問を幾度も繰り返しては、議論を堂々巡りさせているだけに過ぎなくなっています。私Shigeru23をはじめ、Jms様やジャムリン様は、「ヤマトタケル」の方が「最も普及している言葉」「最も理解しやすい」「平易である」として反対理由を明確に表明しております。同じ論点での質問と回答というサイクルは時間と手間の浪費ですのでそろそろ止めにすることを提案します。上記で意見を戦わせた他に新たな論点がない限り、各人の考えは既に十分に表明されたと考えるのが妥当ではないでしょうか? あとは、他の方が新しく議論に参加していただくのを待つ程度しか進展が期待できなのではないかと考えます。--Shigeru23 2011年2月13日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
  • 反対 ズブの素人の個人的意見です。一般人がネットを使ってヤマトタケルについて調べる場合のプロセス。まずグーグルを開く。検索フォームに語を入力する。ひらがなで「やまとたけ」と入力した段階で、候補として「ヤマトタケル」が上位に来る。……やはり、「ヤマトタケル」が一般的なんじゃないでしょうか。--219.66.231.98 2011年6月12日 (日) 15:08 (UTC)[返信]
  • ご意見有難うございますが、所詮google検索の結果なんて参考程度にしかならないのが難点ですね(個人的なタイプ変換のし易さを述べてる方もいらっしゃいますが同様でしょう)。「幾度も幾度も」致命的にどーしようもない説明をどーしよーもなく「延々と繰り返」されてほとほと疲れ果てましたし、しばらく身辺が忙しい事もあってほったらかしですが、どーでもいー論拠しか持たない現状は何とか打破すべきとは思ってますので、後日落ち着いてから改めて再開させていただきますね♪--胡亂堂 2011年6月12日 (日) 16:27 (UTC)[返信]

導入部の修正

記事を見直しておりましたら、項目名と定義文の導入部の不一致がありましたので、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」に従って修正しました。改名に関する問題とは無関係ですので一応。改名決定になったら、その決に従って修正して下さい。--ジャムリン 2010年12月18日 (土) 13:04 (UTC)[返信]

「古事記による説話の概要」を変更

  • 『古事記』による説話の概要としているのにいささか問題はないでしょうか?改名提案で見受けれるようにこの見出しの御蔭で勘違いが生じているようですし。大きく見て2つ出典がある記事なのに古事記のみはおかしいのでは。「概要」や「神話の概要」で良いと思います。勝手にやると編集合戦が起きそうなので、提案します。
  • またじゃあ日本書紀を新たに設ければ良いと言われるかもしれませんが、内容が更に膨大になるのと、重複する点がすでに同見出しで解説されているので、ここはこの見出しのなかで古事記と日本書紀とその他に別ける方が良いと思います。--Zmblelra 2010年12月18日 (土) 08:43 (UTC)[返信]
「古事記による説話の概要」項目は、2005年4月20日14:28(UTC)の版で、IP:61.125.64.114会話 / 投稿記録の方の編集により記述され、2005年4月27日10:34(UTC)の版でIP:61.125.64.114会話 / 投稿記録の方により『日本書紀』との差異が追記されています。このIPの方はこのとき編集したのみでその後の編集歴はありません。私は項目名変更に異存はありません。内容は「記紀における概要」等でもよいかもしれませんが、他の方のコメントを待ちます。--Izayohi 2010年12月18日 (土) 21:58 (UTC)[返信]
報告異論が無いので変更しました。「記紀における概要」では今度は『古事記』『日本書紀』だけと勘違いされては変更した意味が無いので当初の「概要」としました。--Zmblelra 2010年12月25日 (土) 03:08 (UTC)[返信]