ロツキータイガー
ロツキータイガー | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1981年5月12日 |
死没 | 2007年4月2日 |
父 | ミルジョージ |
母 | ロツキーハーバ |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
生産者 | 松浦牧場 |
馬主 | 児玉孝 |
調教師 | 泉孝(船橋) |
競走成績 | |
生涯成績 |
25戦10勝 (地方競馬24戦10勝) (中央競馬1戦0勝) |
獲得賞金 | 2億54万4800円 |
ロツキータイガーは日本の競走馬。南関東公営競馬で活躍し、1985年には地方競馬所属馬ながら第5回ジャパンカップでも2着になった。当時の地方競馬では馬名の促音表記がまだ認められていなかったが、すでに認められていた中央競馬では「ロッキータイガー」と表記されていた。
概要
馬齢は旧年齢を用いる。
船橋競馬場でデビュー。3歳時は5戦1勝。4歳3戦目の雲取賞(準重賞・大井競馬場)を勝ち南関東三冠路線に名乗りを挙げるも、この年の三冠競走はキングハイセイコー、ステートジャガーが強力で、春はキングハイセイコーが二冠を達成。ロツキータイガーは羽田盃3着、東京ダービー2着であった。その年の秋はいちょう賞(準重賞・大井)を勝ち三冠最終戦の東京王冠賞へ向かい、三冠を目指したキングハイセイコーを逆転し優勝した。4歳時は7戦4勝。
古馬となった5歳には報知グランプリカップ(船橋)、金盃(大井)、ダイオライト記念、帝王賞と重賞を4連勝する。その後3着を2回重ね東京記念へ向かう。東京記念では59キログラムの負担重量を科されたが、60.5キログラムを背負ったテツノカチドキに競り勝って第5回ジャパンカップへの出走権[1]を手にした。
当時の地方競馬所属馬が出走できる中央競馬の競走はジャパンカップと地方競馬招待競走のみであった。どちらも地方競馬では走る機会の少ない芝コースであり、この年の地方競馬招待競走はテツノカチドキが勝利していたが、ジャパンカップは外国馬が強力で中央勢でも歯が立たなかった時代である。前年(第4回)にカツラギエースが人気薄ながら日本勢として初めて勝利したものの、地方馬は2年前(第3回)にダーリンググラスが初出走し10着という結果で、ロツキータイガーも15頭立ての単勝11番人気に過ぎなかった。しかし雨の中行われたレースで、当時の中央最強馬シンボリルドルフが早めに抜け出し勝負を決め、2着争いが注目されるなかを追い込んで来たのはロツキータイガーであった。
ジャパンカップのあとは暮れの東京大賞典に出走しスズユウの2着に敗れた。この年9戦5勝。翌年の6歳時は4戦して未勝利に終わり引退。翌年より種牡馬となったが活躍馬を出せず1996年に種牡馬も引退した。2007年4月2日に老衰のため死亡した。
血統表
ロツキータイガーの血統(ミルリーフ系 / Nasrullah4×5=9.38% Prince Rose5×5=6.25%〈父内〉) | (血統表の出典) | |||
父 *ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
父の父 Mill Reef1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Milan Mill | Princequillo | |||
Virginia Water | ||||
父の母 Miss Charisma1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | ||
Fantan | ||||
*マタティナ Matatina |
Grey Sovereign | |||
Zanzara | ||||
母 ロツキーハーバ 1974 鹿毛 |
*シーカー Sicar 1964 黒鹿毛 |
Sicambre | Prince Bio | |
Sif | ||||
Arbela | Pharis | |||
Arbele | ||||
母の母 スズナル1966 鹿毛 |
*タリヤートス Tulyartos |
Tulyar | ||
Certosa | ||||
クインフオツクス | *リンボー | |||
フジフオツクス F-No.3-d |
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ