コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ロツキータイガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。灰色にボケた日常 (会話 | 投稿記録) による 2014年9月18日 (木) 22:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ロツキータイガー
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1981年5月12日
死没 2007年4月2日
ミルジョージ
ロツキーハーバ
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産者 松浦牧場
馬主 児玉孝
調教師 泉孝(船橋
競走成績
生涯成績 25戦10勝
地方競馬24戦10勝)
中央競馬1戦0勝)
獲得賞金 2億54万4800円
テンプレートを表示

ロツキータイガー日本競走馬南関東公営競馬で活躍し、1985年には地方競馬所属馬ながら第5回ジャパンカップでも2着になった。当時の地方競馬では馬名促音表記がまだ認められていなかったが、すでに認められていた中央競馬では「ロキータイガー」と表記されていた。

概要

馬齢は旧年齢を用いる。

船橋競馬場でデビュー。3歳時は5戦1勝。4歳3戦目の雲取賞(準重賞大井競馬場)を勝ち南関東三冠路線に名乗りを挙げるも、この年の三冠競走キングハイセイコーステートジャガーが強力で、春はキングハイセイコーが二冠を達成。ロツキータイガーは羽田盃3着、東京ダービー2着であった。その年の秋はいちょう賞(準重賞・大井)を勝ち三冠最終戦の東京王冠賞へ向かい、三冠を目指したキングハイセイコーを逆転し優勝した。4歳時は7戦4勝。

古馬となった5歳には報知グランプリカップ(船橋)、金盃(大井)、ダイオライト記念帝王賞重賞を4連勝する。その後3着を2回重ね東京記念へ向かう。東京記念では59キログラム負担重量を科されたが、60.5キログラムを背負ったテツノカチドキに競り勝って第5回ジャパンカップへの出走権[1]を手にした。

当時の地方競馬所属馬が出走できる中央競馬の競走はジャパンカップと地方競馬招待競走のみであった。どちらも地方競馬では走る機会の少ないコースであり、この年の地方競馬招待競走はテツノカチドキが勝利していたが、ジャパンカップは外国馬が強力で中央勢でも歯が立たなかった時代である。前年(第4回)にカツラギエースが人気薄ながら日本勢として初めて勝利したものの、地方馬は2年前(第3回)にダーリンググラスが初出走し10着という結果で、ロツキータイガーも15頭立ての単勝11番人気に過ぎなかった。しかし雨の中行われたレースで、当時の中央最強馬シンボリルドルフが早めに抜け出し勝負を決め、2着争いが注目されるなかを追い込んで来たのはロツキータイガーであった。

ジャパンカップのあとは暮れの東京大賞典に出走しスズユウの2着に敗れた。この年9戦5勝。翌年の6歳時は4戦して未勝利に終わり引退。翌年より種牡馬となったが活躍馬を出せず1996年に種牡馬も引退した。2007年4月2日老衰のため死亡した。

血統表

ロツキータイガー血統ミルリーフ系 / Nasrullah4×5=9.38% Prince Rose5×5=6.25%〈父内〉) (血統表の出典)

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

ロツキーハーバ
1974 鹿毛
*シーカー
Sicar
1964 黒鹿毛
Sicambre Prince Bio
Sif
Arbela Pharis
Arbele
母の母
スズナル
1966 鹿毛
*タリヤートス
Tulyartos
Tulyar
Certosa
クインフオツクス *リンボー
フジフオツクス F-No.3-d


脚注

  1. ^ 当時は地方競馬所属馬に対して1頭の招待枠が設けられていた。

外部リンク