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ベルント・シュナイダー (サッカー選手)

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ベルント・シュナイダー
名前
愛称 シュニックス
ラテン文字 Bernd Schneider
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1973-11-17) 1973年11月17日(50歳)
出身地 イェーナ
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
ポジション RSH、CHRSB
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1998
1998-1999
1999-2009
2009
ドイツの旗カールツァイス・イェーナ
ドイツの旗フランクフルト
ドイツの旗レバークーゼン
ドイツの旗レバークーゼンⅡ
124 (14)
033 (4)
263 (35)
8 (1)
代表歴2
1999-2008 ドイツの旗 ドイツ 081 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月26日現在。
2. 2008年5月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ベルント・シュナイダーBernd Schneider1973年11月17日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)・イェーナ出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

経歴

ブンデスリーガ2部のFCカールツァイス・イェーナでプロデビューした後、1998年に1部のアイントラハト・フランクフルトへ移籍。初戦でデビューを飾り33試合に出場したが、チーム自体は2部降格こそ免れたものの15位と低迷した。

1999年にはバイエル・レバークーゼンへ移籍。レギュラーを不動のものとすると、ミヒャエル・バラックイェンス・ノヴォトニーらと共にチームに欠かすことの出来ない選手となり、1999-00シーズンと2001-02シーズンのブンデスリーガ準優勝、2001-02シーズンUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献。2003-04シーズンのブンデスリーガでは自身最多となる10得点を記録した。

ドイツ代表としては1999年7月28日FIFAコンフェデレーションズカップ1999ニュージーランド戦でデビューを飾るが、2000年UEFA欧州選手権2000メンバーからは落選し、不遇の時代を過ごした。

2001年ルディ・フェラーに才能を見出されて、ワールドカップ・日韓大会欧州予選のウクライナとのプレーオフにて久々ピッチに立つと本大会出場権獲得に貢献。迎えた2002年のワールドカップ本大会では全試合にスタメン出場し、1次リーグのサウジアラビア戦では1得点を決める活躍などで準優勝に貢献した。

その後もユルゲン・クリンスマンヨアヒム・レーヴと監督が代替わりした後も主力選手として活躍。2004年UEFA欧州選手権2004、地元開催となった2006年ワールドカップ・ドイツ大会にも出場した。しかし2008年UEFA欧州選手権2008は、椎間板ヘルニアのため欠場となった。シュナイダーはこの年を最後に代表から退くまで国際Aマッチ81試合に出場し4得点を記録した。

長期に渡りクラブ、代表で活躍した息の長い選手だったが、2008-09シーズンを以って慢性的な背骨の痛みの為引退した[1]

引退後は古巣のカールツァイス・イェーナで会長を務めるペーター・シュライバーのアドバイザーと、バイエル・レバークーゼンのスカウトを務めることになった[2]

人物

20代の頃は器用な足技を生かし緩急を付けたボールコントロールや、鋭く正確なクロスで「白いブラジル人」の異名をとった[3]。その後は右サイドハーフだけでなく、左右サイドバック、トップ下、ボランチ、ウイングもこなすユーティリティプレーヤーへと変化を遂げた。高い戦術理解度を持つことから重用され、たびたびキャプテンも務めた。キックの精度の高さからフリーキックを任される事も多かった。

エピソード

代表歴

脚注

外部リンク