カニバリズム
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カニバリズム(英: cannibalism)とは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人(しょくじん)、食人俗(しょくじんぞく)、人肉嗜食(じんにくししょく)、アントロポファジー(英: anthropophagy)ともいう。
文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的な飢餓による緊急避難的な食人や精神異常による食人は含まない[1]。また、生物学では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。
転じて、マーケティングにおいて自社の製品やブランド同士が一つの市場で競合する状況や、また、航空機や自動車の保守で(特に部品の製造が終了し、入手困難である場合に)他の同型機から部品を外して修理に充てることなどもカニバリズムと呼ぶ。
語源
スペイン語の「Canibal(カニバル)」に由来する。「Canib-」はカリブ族のことを指しており、16世紀頃のスペイン人航海士達の間では、西インド諸島に住むカリブ族が人肉を食べると信じられていた[1]。そのためこの言葉には「西洋キリスト教の倫理観から外れた蛮族による食人の風習」=「食人嗜好」を示す意味合いが強い。
発音が似ているため、日本ではしばしば謝肉祭を表す「カーニバル (carnival)」と混同されるが、こちらは中世ラテン語の「carnelevarium(「肉」を表す「carn-」と、「取り去る」を意味する「levare」が合わさったもの)を語源に持つ。
「食人」、「人食い」という意味の語としては、ギリシャ語由来の「anthropophagy(「人間」を意味する「anthropo-」と、「食べる」を意味する「-phagy」の合成語)」が忠実な語である。
分類
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習慣としてのカニバリズムは、大きく以下の2種類に大別される。
- 社会的行為としてのカニバリズム
- 社会的行為ではない(=単純に人肉を食す意味合いでの)カニバリズム
文化人類学による説明
特定の社会では、対象の肉を摂取することにより、自らに特別な効果や力、または栄誉が得られると信じられている場合がある。しばしばその社会の宗教観、特にトーテミズムと密接に関係しており、食文化というよりも文化人類学・民俗学に属する議題である。自分の仲間を食べる族内食人と、自分達の敵を食べる族外食人に大別される[1]。
族内食人の場合には、死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがあると指摘される。すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるという考えである。すべての肉体を土葬・火葬にしてしまうと、現世に何も残らなくなるため、これを惜しんでの行いと見ることができる。日本に残る「骨噛み」は、このような意味合いを含む風習と考えられる。
なお人身供養と考えるか、葬制の一部と見るのかによって意味合いが変わってくるが、ニューギニア島の一部族に流行していたクールー病と呼ばれるプリオン病は、族内食人が原因であったことが判明している。
族外食人の場合には、復讐など憎悪の感情が込められると指摘される。また族内食人同様、被食者の力を自身に取り込もうとする意図も指摘される。代表例は各国で見られる戦場における人肉食である(兵糧の補給という合理的見地から行われた場合を除く)。先住民族に捕らえられ食されるヨーロッパ人の探検隊の逸話などもこれに相当する。これは何も未開地域の話ではなく、例えばジョン・ジョンスンは、妻を殺したインディアンに復讐した時、その肝臓を食べたという話が広まり、レバー・イーティング(肝臓食い)という渾名を付けられた。実際には、インディアンをナイフで殺した時、刃先に付着していた肝臓の欠片を食べる「ふり」をしただけともされるが、いずれにせよ、殺した相手の肉を食らうという逸話は、復讐を完了したことを象徴的に示しているとされた。
戦争によるカニバリズムは、集団の規模が首長制など比較的小規模な条件では高まり、国家と呼べる規模まで成長すると逆に禁止、縮小される傾向がある[2]。マーヴィン・ハリスは、戦争によるカニバリズムを許すと相手の降伏が望めなくなり、戦争後の統治や収奪を難しくさせるなどデメリットが大きいために、国家レベルの社会では戦争によるカニバリズムを禁止したとしている。
なお、タンパク質の供給源が不足している(していた)地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られた上述のニューギニア島は、他の地域と比べ豚などの家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった。
こういった地域での族外食人には、もとは社会的意図がなかった可能性が示唆される。
薬用としての人肉食
死者の血肉が強壮剤や媚薬になるとする考えも欧州はじめ世界中に見られ、これは族内食人の一環として説明する研究者もいる。人間のミイラには一種の漢方薬として不老不死の薬効があると信じられていて、主に粉末としたものが薬として飲用され、日本にも薬として輸出されていた。また中国や日本では肝臓や脳などを薬にして摂取していた。現在でも胎盤は健康や美容のために食されたり、医薬品として加工される。
緊急事態下での人肉食
緊急避難の一環として古今東西しばしば見られる。近年の著名な例としては1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故が挙げられ、遭難した乗客らは、死亡した乗客の死体の肉を食べることで、救助されるまでの72日間を生き延びた。このような事例は厳密にはカニバリズムには含まれないが、常習化すればそうと捉えることができる。他の例として、1846年のアメリカにおいて、シエラ・ネバダ山脈山中トラッキー湖畔における西部開拓者のキャラバン・ドナー隊の遭難事故は、発覚までに既に隊の中で死亡者を食べるという緊急避難措置が行われていた。さらに悪天候や当時の救助技術により完了するまでに長期間、数回に分けての救助となった。ところが、最後の被救出者は、先の救出作業の際に渡されていた牛の干し肉があったにもかかわらず、共に残った婦人の肉を食べていた。これは緊急避難が人肉嗜食に転じた典型例である。彼はその婦人の殺害を疑われたが証拠不十分で放免された。
生存のために仲間の死体を食べる事例は、
- 1816年 メデューズ号の遭難事故 - テオドール・ジェリコーによる絵画「メデューズ号の筏」で広く知られた。
- 1845年 ジョン・フランクリン探検隊遭難事故(フランクリン遠征)
- 1846年 ドナー隊 - アメリカ東部からカリフォルニアを目指して出発した開拓民の一行。旅程の遅れのためシエラネバダ山脈での越冬を余儀なくされる。
- 1918年 デュマル - アメリカの貨物船。落雷による爆発沈没のため複数の救命艇に避難するも、乗員数に極端な偏りが生じた。
- 1943年 ひかりごけ事件 - 武田泰淳のレーゼドラマ『ひかりごけ』や映画化作品で知られる。
- 1972年 ウルグアイ空軍機571便遭難事故 - 『アンデスの聖餐』、『生存者』やこれを原作にした『生きてこそ (1993年の映画)』などの映画で知られる。
など。
また飢饉や戦争などによる食料不足による人肉食も、歴史上世界各地に見られる。
人肉嗜食
人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為(タブー)である食のタブーとされる。そしてタブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られる。フィクションでは「青頭巾」、「スウィーニー・トッド」、「ハンニバル・レクター」などがある。
またカニバリズムは、しばしば性的な幻想をもって受け止められ、またそのようなフェティシズムを持つ者も多数存在する。実際に性的なカニバリズムを行った例としては、連続殺人者であるアルバート・フィッシュ、エド・ゲイン、ジェフリー・ダーマー、フリッツ・ハールマン、アンドレイ・チカチーロなど。中国の正史『晋書』の載記には、後趙の皇太子・石邃の食人性愛嗜好に関する記述がある。性的なものをベースにしながら、より「食人」を重視したカール・グロスマン、ニコライ・デュマガリエフは犠牲者も多数となった。ほか、パリ人肉事件がある。犯人の佐川一政は自著の中で、女生徒の肉の味を「まったり」と「おいしい」と記述し、また被害者に憎しみはなく憧れの対象であり、事件時の精神状態は性的幻想の中にあったと記述している。
2001年にはドイツに住むアルミン・マイヴェスが、カニバリズムを扱うインターネット上のサイトで自分に食べてもらいたい男性を募集し、それに応じてきた男性を殺害し、遺体を食べている[3]。
2007年には、フランス北部ルーアンの刑務所で35歳の男性受刑者が、別の男性受刑者を殺害し、あばらの周辺の胸部の肉と肺など遺体の一部を監房に備え付けられていたキッチンやストーブで調理して食べたとされる事件が起きている[4]。
近年はロシアの若年層に人肉嗜食が頻発しており、2008年には、悪魔崇拝を標榜する少年少女8名が同年代の4名を殺害してその肉を食する事件が、2009年には、メタルバンドを組むユーリ・モジノフら青年2人がファンの少女を殺害してその肉や内臓を食する事件が起きている[5]。いずれも犯行動機は要領を得ず、「悪魔から逃げたかった」「酩酊して腹が減っていた」などと不可解な供述に終始している。
各地のカニバリズム
以下、狭義にはカニバリズムの定義に該当しないものも含まれる。
オセアニア
イースター島では1600年頃から1700年頃にかけて人口が約70%減少した。その要因として現地住民の人為的環境破壊(モアイ像作成のための森林伐採など)が挙げられるが、結果として野生の動物の肉の供給源が失われることになり、最終的に人肉を食すようになったといわれ、当時のゴミの集積地跡からは人骨が発見されている[6]。
ネルソン・ロックフェラーの息子で人類学者のマイケル・ロックフェラーが、1961年にニューギニアの奥地で原住民に殺され食べられたと報じられた[7]。
ヨーロッパ
スペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人」の遺骨から、この先史人類たちが人肉を食べており、しかも、とりわけ子どもの肉を好んでいたことが明らかになった。遺骨などの分析によると、食人は、儀式としてではなく食用で行われていた。当時、食料や水は豊富にあり、イノシシやウマ、シカの狩猟も可能であり、食料不足で食人が行われたのではなく、敵対する相手を殺し、その肉を食べたと考えられている[8]。
のちに、ヨーロッパではキリスト教が広まった。キリスト教では人肉食は強い禁忌とされていたと現代のキリスト教関係者は主張するが、実際には戦争、飢饉、貧困、宗教的理由でカニバリズムは広く行われた。第1回十字軍において、十字軍の軍勢がシリアのマアッラを陥落させた際(マアッラ攻囲戦)に、人肉食が行われたという記録が残っている[9]。アラブ、フランク(西欧)双方から同内容の証言が出ており、信憑性が高い。当時、十字軍の食料状況は非常に粗末で、現地調達の略奪の一環として現地住民を殺害し、その肉を食べたとされる。
1274年にフォッサヌォーヴァ修道院で死んだトマス・アクィナスの遺体も修道士たちによって食されている[10]。ホイジンガによれば、修道士たちは、当時高価であった聖遺物の散逸を恐れ、師の遺体を加工保存し、頭部を調理したとしている[11]。
また、1315年から1317年にかけての大飢饉の際、人肉食があったと言われるが、それがどの程度のものだったかについては議論が分かれている。また近世以降、船の難破による漂流中に人肉食が行われたという事例が時折記録されている。
15世紀のスコットランドにおいて、ソニー・ビーンとその家族は山岳を通過する旅行者達を食べて暮らしていたという記録があるが、その記録は19世紀以降のものであり信憑性は低い。
肉を食べたわけではないが、1805年のトラファルガー海戦で戦死したイギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンの遺体は、腐敗を防ぐためラム酒の樽に漬けて本国に運ばれたが、偉大なネルソンにあやかろうとした水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽は空っぽになっていたという。この逸話からラム酒は「ネルソンの血」と呼ばれることがある。
アメリカ大陸に移民したヨーロッパの植民者が、ジェームズタウンにおいて食人をしていたとの研究結果がある。新世界に到着した植民者たちが、厳しい生活環境によって食人行為を強いられた可能性は、古くから指摘されている[12]。
「性的なカニバリズム」の項のフリッツ・ハールマン、カール・グロスマンなどの犯行が行われていたのは第一次世界大戦後の後遺症下にあったドイツである。極度のインフレーションに襲われていたドイツでは慢性的な肉不足となっており、その中で行われた2人の犯行は性的なものがメインでありながら、若干の経済的目的の側面も持ち合わていせた。その経済的目的に特化したカール・デンケは、人肉を市場に流通させるための商品開発における過程で犯行が明るみに出て逮捕されている。3人の犯行は、戦後の浮浪者にあふれていた当時のドイツにおいて、いずれも数十人単位の犠牲者が出るまで発覚しなかった。
その後ドイツでは第二次世界大戦中に強制収容所内で収容者が人肉を食することがあったことがヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に記されている。
アメリカ
アメリカ大陸では宗教的儀礼として広く人身御供が行われていた。また、戦争捕虜を食糧とする慣習も多く存在した。
アステカ帝国は国家レベルで食人を制度化していた稀有な国家であり、各所で発生する戦争や反乱で得た捕虜を首都に送り、食糧として消費していた[2]。生きた状態の生贄から黒曜石のナイフで心臓を抉り取り、神に捧げ、体の部分は投げ落として切り刻み、トウモロコシとともに煮込んで食された。ただし、人肉を食すことが許されたのは上流階級のみだった。
北アメリカのイロコイ族やヒューロン族といったアメリカ先住民たちも戦争捕虜を食糧にしていた[2]。イエズス会士の報告によれば、戦場での食糧とする他に、自分たちの村に連れ帰り拷問や訓練に使用した後に食していたと言われる。
アジア
飢饉や戦争における人肉食は他の地域と変わらないが、宗教儀式に人肉食が利用されるケースが特筆される。
ヘロドトスは『歴史』の中で、アンドロパゴイという部族の食人の風習や、メディア王国の王アステュアゲスが将軍ハルパゴスにその息子を食べさせた逸話を紹介している。これらは伝説的ではあるが、ヨーロッパの視点からのアジア人(をはじめとする異民族)の「食人」に関する記述である。
インドではシヴァ教の一派であるアゴーリ(en)の行者が人肉食を行う。彼らは神通力を得るためにガンジス川から水葬遺体を引き上げ、その肉を食する。近年、撮影が行われた[13]。社会的行為でないケースとしては、2009年にハリヤーナー州で火葬場の職員らが遺体の焼肉で晩酌をするという事件が起きている。
チベットでも、1930年代にシャンバラを標榜する宗教団体が信徒を御供にして人肉食儀式を行っていたという報告がある[14]。
ベトナムでは、1950年代から1960年代にかけてベトナム共和国(南ベトナム)政府軍が、反政府勢力の掃討作戦において、人間の生きた肝臓は精力がつくとして反政府勢力と目されたベトナム民衆を殺害し、肝臓を取り出して食べたとされる[15]。
日本
日本[16]には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事(『神道集』)をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話[17]が記録されている。また、中国のカニバリズムにある割股の話は、日本にも類話が見える(『明良綱範』)。
『信長公記』によると、戦国時代に織田信長の部将・羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際、城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、城を脱走しようとして織田軍に銃撃されて死んだ人間を食い争ったとある[18]。
随筆『新著聞集』では、江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある[18]。戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたといい、また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという[19]。
確実な記録には、江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。また天明の大飢饉の際には1784年(天明4年)弘前で人食いがあったと橘南谿が『東遊記』で述べている[20]。
薬用としての人肉食
人間の内臓が、民間薬として食されていたという記録がある。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている[21]。
明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている[22][23]。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞など)。作家の長谷川時雨は『旧聞日本橋』で明治中期の話として「肺病には死人の水-火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している[24]。明治35年に発生した臀肉事件は、当時は不治の病とされたハンセン病の治療目的で、被害者の臀部の肉を材料としたスープが作られている。
昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていたことが新聞で報道されている[25]。
中沢啓治の自伝的漫画『はだしのゲン』には、日本への原子爆弾投下直後より被災地では人骨を粉末状にしたものが放射線障害に効くという迷信が信じられていたという描写がある。
このように人間の内臓が薬として利用されていたことについては、いまだ明らかにされてはいないが、曲直瀬道三の養子曲直瀬玄朔は医学書『日用食性』の中で、獣肉を羹(具がメインのスープ)、煮物、膾、干し肉として食すればさまざまな病気を治すと解説しており、肉食が薬事とみなされていたことを示している[26](日本の獣肉食の歴史参照)し、また漢方薬(東洋医学)においては、熊の胆は胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があるといわれ、金と同程度の価値がある高価な薬品だった。江戸中期の古方派の医師後藤艮山は、熊胆丸を処方して手広く売り出したといわれる[27]。また中国からこのような薬学的な考えが伝わったともされる。
また現在でも、胎盤が健康や美容によいとして世界各地で食されている(胎盤#産後の胎盤の利用、胎盤食を参照)。
葬儀としての人肉食
伊波普猷は昭和13年当時那覇他で観られていた葬儀の際に会葬人への豚肉料理を提供する習慣の起源ではないかと、ある民間伝承を参考の為に書き記している。
那覇で金持の家になると、七十歳以上の人が死ぬ場合には、今日でも女子の会葬人だけに豚肉料理を主にした御膳を出すが、……同治元年(即ち我が文久二年、一八六二)頃までは、久米島では葬式の時に牛や豚を屠って会葬人一同に振舞つたが、……なほ国頭郡にもさういふ言伝へがあるとのことだから、この風習が、かつて南島全体にあつたことは、最早疑ふ余地がない。之に就いてはかういふ民間伝承がある。昔は死人があると、親類縁者が集って、其の肉を食った。後世になつて、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになつたが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシヽオエカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(プトプトーオエカ)といふのは、かういふところから来た云々。
骨かみ
葬儀の場面でお骨を食べる社会文化的儀礼または風習としての「骨かみ」を行ってきた地域も存在する。長寿を全うした死者や人々に尊敬されていた人物などが被食対象となっていることから、死者の生命力や生前の能力にあやかろうとする素朴な感情が根底にあるとみられる。最愛の配偶者の遺骨をかむことは、強い哀惜の念からと思われ、これらは素朴な感情表出として受けとめられている[29]。
俳優の勝新太郎は父の死に際して、その遺骨を「愛情」ゆえに食したと、本人が証言している。いわゆる「闇の社会」では骨かみの特殊な習俗が継承されているとの推測もある[30]。
戦争中の人肉食
太平洋戦争中南洋や東南アジア戦線(インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなど)の日本軍では、補給が慢性的に途絶したことで大規模な飢餓が頻繁に起こり、死者の肉を食べるという事態が発生した。
グアム島では敗走中のある陸軍上等兵が逃避行を共にしていた日本人の親子を殺害してその肉を食べるという事件が発生。事件の目撃者がアメリカ軍にこのことを密告したため、上等兵は戦犯として逮捕され、アメリカ軍により処刑された[31]。1944年12月にニューギニア戦線の第18軍司令部は「友軍兵の屍肉を食すことを罰する」と布告し、これに反して餓死者を食べた4名が銃殺されたという。また、ミンダナオ島では1946年から1947年にかけて残留日本兵が現地人を捕食したとの証言があり、マニラ公文書館に記録されている[32]。
なお、連合軍兵士に対する人肉食もあったとされるが、多くが飢餓による緊急避難を考慮され、戦犯として裁かれることはなかった。一方で、処刑したアメリカ軍捕虜の肉を酒宴に供したとされる小笠原事件(父島事件)では、関係者がBC級戦犯として処刑されている。罪状には人肉食は含まれず、捕虜殺害と死体損壊として審理された[33]。ただし、当時現場に立ち会っており、この事件が弁護士活動の原点になったという、元日弁連会長の土屋公献は事件について証言し、人肉食などの事実は無かったとして事件の内容について語気鋭く否定している[34]。
1944年の北海道では、難破した徴用船の船長が死亡した船員の遺体を食する「ひかりごけ事件」が発生した。
中国
中国におけるカニバリズムについては、日本においては桑原隲蔵による先行研究がある[35]。相田洋は桑原論文を紹介する形で「南北宋後退期の武装集団ほど頻繁に食人肉を行なっている例は、以前には見当たらないように思う」と評し、「食人肉は武装集団の習慣として定着」したとしている[36]。
小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであったとされる。中国が他文化の食人と比べ特徴的なのは、食人が精神異常行為、宗教的行為、緊急避難行為などではなく、恒常的な食文化として根づいていたとされる。膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している[37]。
古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)」という人肉料理の記述が見られる。もっともこの「醢(かい)」なる言葉は塩漬け全般を指す語でもあり、獣肉の料理を指すこともあれば、見せしめのために塩で防腐した遺体を指すこともあり、必ずしも人肉食を指すものではない。
小室直樹は「孔子は人肉を好んでいた」、「当時の食人は中国社会ではごく自然な行為であった」という説を主張している。小室によれば、この食人と纏足、科挙の三つは、日本に全く伝わらず、また日本人はそれらを全く理解できなかったとしている。小室は孔子のエピソード以外に、名君といわれた斉の桓公が「自分はいろんなものを食べてきたが、まだ人間の赤ん坊を食べたことがない」と言ったのを聞きつけた料理人の易牙が、自分の子供を殺害し調理して桓公を満足させたことをあげ、この桓公と易牙の有名な件を儒家も道家もまったく非難していない(つまり中国社会では道徳違反にあたらない)と指摘している。また三国志では劉備が支援者の民家に宿泊した際、その家の主人が自分の夫人を殺害して調理もてなし、劉備が感動したという話を紹介し、「中国社会で親戚を殺して調理しもてなし料理とすることは、最高の礼儀でさえあった」としている。ただし、この小室の意見は、一般庶民の間で日常的に人肉食が行われていた事の証明にはならず、また人肉食が最高の礼儀だったとする根拠も無い。前述の劉備の逸話は史書『三国志』ではなく、後代の小説『三国志演義』に残る話であり、史実ではない。また、同小説の原文には「不勝傷感」とあり、「感動」したのではなく、心を痛めて堪え切れず涙を流しているという文脈であり、正確ではない。
『史記』にも、飢饉や戦争により食料がなくなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換したのち絞め殺して食べたという記述が残っている。三国志 (歴史書)14巻『魏書 程郭董劉蔣劉傳』の程昱伝[38]に引用された『世語』(『魏晋世語』)逸文に「世語曰 初 太祖乏食 昱略其本縣 供三日糧 頗雜以人脯 由是失朝望 故位不至公」と、略奪した糧食の中に人肉が含まれていたために程昱が出世を逃した、という記述がみられる。
唐代以降は人肉食へのハードルが下がったという議論があり、例として引かれるのは『資治通鑑』の人肉の市場価格が20年で数十分の一に暴落した記録である。また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。
明の時代の李時珍による『本草綱目』人部[39]には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという[40]。
民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐にわたって紹介されている[41]。この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。
清の時代にも依然として人肉食が残っていた。宮廷でもしばしば人肉食が行われ、高官が赤ん坊の肉を好んで調理させた逸話が伝わる[42]。著名人では、西太后が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹に供したという(左の肘に包帯を巻いた上での自己申告であり、真偽は不明[43])。黄昭堂によれば、台湾原住民族は「生蕃」と呼ばれ、その肉である「蕃肉」は滋養に富むとして食され、中国大陸に輸出されていた[44]。また、古来より凌遅刑(千刀万剐)という全身を切り刻む処刑方法が存在したが、刑場近辺で死刑囚の肉片が食用ないし薬用に供されていた記録があり、廃止された1905年には北京で撮影が行われている[45]。なお、著名人が同処刑後に食された事例としては、明朝の劉瑾・袁崇煥のものが挙げられる。ただし劉は酷吏、袁は名将であり、食の意図は異なるものと思われる(差異は前項参照)。
近代に入ると、この食人文化を中国の前近代性として非難批判する知識人が登場する。魯迅がその代表で、彼は小説「狂人日記」や「薬」で、中国の食人文化を厳しく指弾した。「狂人日記」は正確には強迫性障害の主人公がカニバルの幻想を抱くという内容、「薬」は人血にひたして食べる肉饅頭が肺病をなおすという風習についての内容である。
文化大革命時にも粛清という名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたという報告[46]がある。
なお、現在の中国では食人はタブーとされており、違法である[要出典]。堕胎された胎児などを食べる文化が現存するとの指摘[47]もあるが、トリック写真やパフォーマンスの一部だと判明した事例も多い。香港やマカオでもしばしば食人事件が噂され、盛んに作品に翻案された。香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』[48]はその一例である(映画の題材となったのは1985年にマカオで起こった八仙飯店一家殺害事件だが、実際には被害者十名の胴体が発見できなかったことに留まり、人肉食は立証されていない)。また2008年には香港でもこの映画を思わせる事件が発生した。少女を殺害し、遺体を切り刻み肉と内臓をミンチ機で細切りにしトイレに破棄し、手足の骨は肉屋の店頭に並べたという[49]。
朝鮮
朝鮮半島でも食人文化は見られ、「断指」「割股」という形で統一新羅時代から李氏朝鮮時代まで続いている。孝行という形以外で直接的に人肉を薬にすることについては比較的遅くに見られ、李氏朝鮮の中宗21年の数年前(1520年代)から広まっており、宣祖9年6月(1575年)には生きた人間を殺し生肝を取り出して売りさばいた罪で多数捕縛されたことが『朝鮮王朝実録』に記載されている。
韓国独立運動家の金九は自身のももの肉を切り、病気の父に食べさせている。この民俗医療の風習は、元々梅毒の治療のために行われたと推察できるが、後にこれらの病に留まらず不治の病全般に行われるようになり、日本統治時代の朝鮮の昭和初期に至っても朝鮮・日本の新聞の記事の中にも長患いの夫に自分の子供を殺して生肝を食べさせる事件や、ハンセン病を治すために子供を山に連れて行って殺し、生肝を抜くという行為が散見される。ただしこの時代の朝鮮社会でも、すでにこのような薬としての人肉食は前近代的で非科学的な奇習と考えられているようになっており、一般的ではなくなっており、朝鮮総督府により施行された日本法でも禁止されている。
ただし、近年でも人肉を薬として信じ、滋養強壮や若返りの効果があると信じて服用されているケースがある。特に中国から密輸された人肉を封入したカプセルが裏で出回っていることが2011年8月、韓国の税関当局が発表し、韓国内外で大問題となった。韓国の税関、警察、保健当局は取締に乗り出しているが、既に大量に出回っており、摘発は容易ではない。2012年において、1錠3000円超で取引されているという[50][51]。
韓国では、近年の経済成長によって食料不足は縁遠いものとなっているが、北朝鮮では、農業政策の失敗などから、1990年代中頃以降食料不足が慢性化している。2012年春には数万人規模での餓死者が発生しており、その少ない食料を北朝鮮政府や朝鮮人民軍が横領した結果という。飢えに耐えかねた親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件や、人肉の密売流通などの事件が後を絶たないという[52]。
家畜のカニバリズム
肉食の習慣や、いわゆる「共食い」とは違うが、豚の「尾かじり」や「耳かじり」・鶏の「尻突き」など、群れで飼育する家畜・家禽同士で、傷ついたり弱ったりした個体を(口を使って)集団で攻撃し、結果として死に至らせる行動も畜産学・動物行動学上では「カニバリズム」と呼ばれている。これらの行動は環境探索本能の転嫁と密飼いによるストレスが原因と言われており、遊具等の投入による欲求不満の解消や飼育密度の低減によってある程度の抑制が可能である。また近年では、畜産物残渣の再利用という名目で肉骨粉などを飼料に混ぜることもあり、家畜が人間によって意識しない形でカニバリズムをさせられる形となり、BSE(狂牛病)という感染症を発生させる結果となった。
自然界でのカニバリズム
カニバリズムを動物が同種の他個体を食べる共食い(種内捕食、intraspecies predation)の訳語としてとる場合、共食いはアリやシロアリ等の社会性昆虫では頻繁に見られ、食料欠乏の場合には、幼虫・成虫が卵やさなぎを捕食する(飢餓状態に置かれれば、チョウの幼虫などの草食動物も共食いをする)。繁殖のためではなく、幼生に栄養を補給する目的で無精卵(栄養卵(Trophic Egg)と呼ばれる)を産む行動は、カエル、ハキリアリ、クモなどに見られる。無脊椎動物や魚類など、成体と幼生(あるいは大きさの著しく異なる雄と雌)が同じ地域(同じ生物群集内)に生息する雑食動物や肉食動物の間では、食物ピラミッドの中では小さな個体が大きな個体の下に位置するため、カニバリズムが頻繁に起こりうる。そのような場合、カニバリズムが個体群数の周期的変動につながる例も多い。
カニバリズムは無脊椎動物や魚類、両生類だけではなく鳥類や哺乳類等の高等動物にも見られる行動であり、チンパンジーの子殺しに伴う共食いなどのように霊長類も例外ではない。自然状態での家畜とは異なるストレス以外のカニバリズムの理由としては、えさとしての価値に重点がある場合と同種個体を殺すことに重点がある場合、その両方を兼ねる場合があるが、チンパンジーの例ではその意義が未だよく解明されていない。
フィクションにおけるカニバリズム
古来より、カニバリズムは説話や童話・民話などでもモチーフになっている。
小説や映画などカニバリズムを扱った作品は多数ある。ジョナサン・スウィフトは風刺として『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』において貧民の赤子を1歳になるまで養育し、アイルランドの富裕層に美味な食料として提供することをアイルランドの窮状解決策として提案した。
ほか マルキ・ド・サド『食人国旅行記』、フローベール『サランボー』、H・G・ウェルズ『タイムマシン』、エドガー・アラン・ポー『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』などがある(その他は参考資料を参照)。
絵画ではゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』などがある。
脚注
- ^ a b c 吉岡(1989)pp255-257
- ^ a b c ハリス, 1988 & 第9章.
- ^ “Victim of cannibal agreed to be eaten”. ガーディアン (2003年12月4日). 2013年8月16日閲覧。
- ^ “French cannibal killer Cocaign jailed for 30 years”. BBC (2010年6月24日). 2013年8月16日閲覧。
- ^ “Schoolgirl’s severed head found in St. Petersburg murder case”. en.rian.ru (2009年2月3日). 2013年8月16日閲覧。
- ^ ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊(上巻)』草思社、2005年、p.173-4。
- ^ Was Michael Rockefeller eaten by cannibals?
- ^ 最初の欧州人は「人食い」だった! スペイン・アタプエルカ遺跡 AFPBB News 2009年6月25日
- ^ Amin Maalouf, The Crusades through Arab Eyes.Schocken, 1989, ISBN 0-8052-0898-4(『アラブが見た十字軍』 アミン・マアルーフ、筑摩書房)
- ^ ホイジンガ『中世の秋』上巻、中公文庫、336頁、稲垣良典『トマス・アクィナス』講談社学術文庫1999年,234頁
- ^ ホイジンガ『中世の秋』上巻、中公文庫、336頁
- ^ “北米大陸初の英植民地で起きた食人の証拠、14歳少女の骨から発見”. AFPBB News. (2013年5月2日) 2013年5月2日閲覧。
- ^ Sandeep Singh『Feeding on the Dead』2005年
- ^ テオドール・イリオン著、林陽訳『チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く』徳間書店 1994年、ISBN 978-4-198-60134-8 pp.278-288
- ^ 小倉貞男『ドキュメント ヴェトナム戦争全史』岩波書店、1992年、83頁
- ^ 日本の食人風習については、田中香涯「我国に於ける食人の風習」(田中『医事雑考 奇。珍。怪』鳳鳴堂書店、1939年、pp. 36-41. NDLJP:1031424)、南方熊楠「日本の記録にみえる食人の形跡」(“The Traces of Cannibalism in the Japanese Records.” 1903年に英語で執筆されたが未発表。英語原文は『南方熊楠全集 別巻第二』平凡社、1975年、 ISBN 4-582-42912-2、松井竜五による日本語訳は飯倉照平監修『南方熊楠英文論考 [ネイチャー]誌篇』集英社、2005年、 ISBN 4-08-781332-0、にそれぞれ収録)などの論考がある。
- ^ これは巨旦調伏の祭礼に関連が見える。
- ^ a b 中江克己『日本史 怖くて不思議な出来事』PHP研究所(PHP文庫)、1998年、218-221頁、ISBN 4-569-57177-8
- ^ 牧原憲夫『文明国をめざして』小学館、2008年、56-57頁
- ^ 牧原憲夫『文明国をめざして』
- ^ 氏家幹人『大江戸死体考―人斬り浅右衛門の時代』(平凡社新書、1999年)。ISBN 4-582-85016-2
- ^ 明治3年4月15日弁官布告「刑余ノ骸ヲ以テ刀剣ヲ試ミ及人胆霊天蓋等密売ヲ厳禁ス」(『法令全書』明治3年第294号)。
- ^ 『人喰いの民俗学』
- ^ 牧原憲夫『文明国をめざして』同頁掲載
- ^ 『明治・大正・昭和 事件・犯罪大事典』『新聞集成 明治編年史』
- ^ 原田信男『歴史の中の米と肉』平凡社、1993年
- ^ ◎新鮮な臓器、人胆丸、生き胆が欲しいーの話[信頼性要検証]
- ^ 伊波普猷「南海古代の葬制(『をなり神の島』昭和十三年八月)」『葬送墓制研究集成』第1巻、名著出版、161-162頁、2004年2月。ISBN 4626016839。
- ^ 近藤雅樹「現代日本の食屍習俗について」『国立民族学博物館研究報告』第36巻、第3号、国立民族学博物館、395-407頁、2012年2月27日。ISSN 0385180X 。
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- ^ 佐藤和正『グアム島玉砕戦記』光人社NF文庫[要ページ番号]
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- ^ Turandot : Chinese Torture / Supplice chinois
- ^ 後年の鄭義らによる調査とその報告。鄭義ほか著 黄文雄訳『食人宴席 抹殺された中国現代史』光文社、1993年、ISBN 978-4334005436。立花隆は、『ぼくはこんな本を読んできた』(1995年、ISBN 978-4163510804)の中で本書を紹介している。
- ^ 『別冊宝島1542 ヤバい中国人』の中での、『月刊中国』編集長へのインタビューなど
- ^ 性描写や惨殺シーンが多くそのため海外では劇場上映が禁止されている。
- ^ 16歳美少女をバラバラ殺人、遺体を肉屋で販売―香港 レコードチャイナ
- ^ “中国製人肉入りカプセルは“万能薬”? 韓国に大量密輸の実態”. サンケイビズ. (2012年5月27日)
- ^ “韓国税関、中国からの「人肉カプセル」密輸に対策強化”. CNN. (2012年5月27日)
- ^ “【朝鮮半島ウオッチ】飢餓地獄の北朝鮮で人肉食相次ぐ 親が子を釜ゆで 金正恩体制下で大量餓死発生”. 産経新聞. アジアプレス. (2013年1月27日)
参考文献
- 礫川全次編著『人喰いの民俗学』批評社〈歴史民俗学資料叢書 2〉、1997年1月。ISBN 4-8265-0224-9。
- 七北数人編 編『人肉嗜食』筑摩書房〈ちくま文庫 猟奇文学館 3〉、2001年1月。ISBN 4-480-03613-X。
- マーヴィン・ハリス『ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源』鈴木洋一訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NF〉、1997年5月。ISBN 4-15-050210-2。
- マーヴィン・ハリス 著、板橋作美 訳『食と文化の謎:Good to eatの人類学』岩波書店、1988年。ISBN 4000026550。
- マルタン・モネスティエ『図説 食人全書』大塚宏子訳、原書房、2001年3月。ISBN 4-562-03399-1。
- 吉岡郁夫『身体の文化人類学-身体変工と食人』雄山閣、1989年12月。ISBN 4-639-00932-1。
カニバリズムを題材にした作品
小説
- ウィリアム・シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』
- ガストン・ルルー『胸像たちの晩餐』
- コーネル・ウールリッチ『爪』
- コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』
- ジェイムス・ブラッドリー『Flyboys: A True Story of Courage』
- ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』
- スタンリイ・エリン『特別料理』
- スティーヴン・キング『生きのびるやつ』
- トマス・ハリス『羊たちの沈黙』『ハンニバル』
- トム・ロブ・スミス『チャイルド44』
- ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『家の中の絵』
- ロード・ダンセイニ『2瓶のソース』
- ローレンス・ブロック『食いついた魚』
- 阿刀田高『わたし食べる人』
- 安部公房『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』
- 安部公房『事業』
- 綾辻行人『眼球綺譚』「特別料理」 『暗黒館の殺人』
- 新井素子『ひとめあなたに…』「世田谷 由利子――あなたの為にチャイニーズスープ」『大きな壁の中と外』(『あたしの中の…』所収。人間を素材とした合成食糧が作中に流通する)
- 泡坂妻夫『閏の花嫁』
- 飯田譲治・梓河人『アナザヘヴン』
- 入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』「たったひとつの、ねがい」
- 上田秋成『雨月物語』「青頭巾」
- 宇能鴻一郎『姫君を喰う話』
- 浦賀和宏『記号を喰う魔女』
- 江戸川乱歩『闇に蠢く』
- 大石圭『湘南人肉医』
- 大江健三郎「生け贄男は必要か」(『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』収録)
- 大岡昇平『野火』
- 大下宇陀児『紅座の庖厨』
- 貴志祐介『クリムゾンの迷宮』
- 生島治郎『香肉』
- 京極夏彦『百鬼夜行――陰』「第四夜 鬼一口」『ルー=ガルー 忌避すべき狼』
- 倉橋由美子『カニバリスト夫妻』
- 小酒井不木『手術』『死体蝋燭』
- 小松左京『凶暴な口』『秘密』
- 佐藤友哉『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』
- 杉本苑子『夜叉神堂の男』
- 高橋克彦『子をとろ子とろ』
- 武田泰淳『ひかりごけ』
- 筒井康隆『亭主調理法』『定年食』『血と肉の愛情』『断末魔酔狂地獄』『カンニバリズム・ フェスティバル』
- 中井英夫『美味追真』
- 中島敦『狐憑』
- 永田政雄『人肉嗜好』
- 那須正幹『こちらクマ八探偵局』(昔話をモチーフとした児童文学で、かちかち山を下敷きにした話に登場)
- 野上彌生子『海神丸』
- 莫言『酒国 -特捜検事丁鈎児の冒険- 』
- 林真理子『聖家族のランチ』
- 葉山嘉樹『死屍を食う男』
- 福井晴敏『終戦のローレライ』
- 藤本義一『人肉サラダ』
- 平山夢明『Ωの正餐』
- 法月綸太郎『法月綸太郎の冒険』「カニバリズム小論」
- 星新一『開拓者たち』
- 山田正紀『燻煙肉のなかの鉄』
- 舞城王太郎『山ん中の獅見朋成雄』
- 牧逸馬『肉屋に化けた人鬼』
- 水谷準『恋人を食べる話』
- 村山槐多『悪魔の舌』
- 夢野久作『人間腸詰』
- 夢枕獏『ことろの首』
- 吉村夜 『マンイーター』
- 連城三紀彦『親愛なるエス君へ』
- 魯迅『狂人日記』
ノンフィクション
- 生存者 - 生きてこそとして映画化。
- ナサニエル・フィルブリック『復讐する海-捕鯨船エセックス号の悲劇』
戯曲
映画・ドラマ
倫理や人種差別などの問題により、現在では該当部分が単行本やDVDなどで修正が施されたり未収録になっているものもある。
- アマゾンの腹裂き族(猟奇変態地獄)
- アンデスの聖餐
- アンデス地獄の彷徨
- 生きてこそ
- カニバル・カンフー 燃えよ!食人拳
- 金曜日のレストラン
- グリーン・インフェルノ
- コックと泥棒、その妻と愛人
- 最後の晩餐
- 少年と犬
- 世にも奇妙な物語-『海亀のスープ』
- 地獄の謝肉祭
- 食人族、食人大統領アミン
- 食人伝説
- スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
- ソイレント・グリーン
- 弾丸特急ジェット・バス
- テキサス・チェーンソー
- デリカテッセン
- 野火
- 八仙飯店之人肉饅頭
- 人喰族
- 豚小屋
- フレッシュデリ
- ホラー喰っちまったダ!(MICROWAVE MASSACRE)
- マリアの胃袋
- ラビナス
漫画・アニメ
- アシュラ
- 鬼(飢饉下の農村で、口減らしのために捨てられた子供同士による共食い)
- カンビュセスの籤
- キャスター
- ケモノヅメ
- チキタ★GUGU
- バルバラ異界
- ゆめいろハンバーグ
- 女医レイカ 闇のカニバリズム〜至高の愛 剣名舞、嶺岸信明
- 多重人格探偵サイコ
- 東京喰種
ゲーム
- アパシー・シリーズ
- カルタグラ 〜ツキ狂イノ病〜
- グランド・セフト・オート・リバティーシティ・ストーリーズ
- 雪影-setsuei-
- Dの食卓
- 沙耶の唄
- ゼノギアス
- DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー
- Fallout 3
音楽
- ビブラストーン 『人間バーベキュー』
- 谷川俊太郎 『ひとくいどじんのサムサム』
- 谷山浩子 『SAKANA-GIRL』『手品師の心臓』『骨の駅』『夜の一品』など、人肉食を連想させる歌がある。
- たま 『カニバル』(放送禁止用語が含まれているため、メジャーレーベルでCDは発売されていない。またTVなどでの放送では該当箇所を削除して放送された)
- まりちゃんズ 『君を食べちゃいたい』
- mothy 『悪食娘コンチータ』
- YAPOOS 『肉屋のように』
- ラムシュタイン 『Mein Teil』(アルバム『Reise, Reise』収録)
- COCK ROACH 『食人欲求者の謝肉祭〜カニバリズム・ン・カーニバル〜』(アルバム「赤き生命欲」収録曲)
- ALI PROJECT 『ストロベリーパイをお食べ』(人肉食を連想させる歌詞になっている)
- Radiohead 『Knives Out』
関連項目
- 肝取り地蔵
- 食性
- 人肉カプセル
- チェルボン島抗日蜂起
- 手首ラーメン事件
- 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
- ボブ・マッケンジー
- ヒトに由来する生薬
- プリオン
- ホセ・ルイス・カルバ
- ミニョネット号事件
- マイアミゾンビ事件
- 猟奇殺人
- 人食い人種
- パリ人肉事件
- ウェンディゴ