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国立民族学博物館

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国立民族学博物館
National Museum of Ethnology
国立民族学博物館の位置(大阪府内)
国立民族学博物館
国立民族学博物館の位置
施設情報
愛称 民博、みんぱく
専門分野 民族学文化人類学
研究職員 54人(客員含まず)
管理運営 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
年運営費 29億7400万円(2007年度)
延床面積 5万1225平方メートル
開館 1977年11月
所在地 565-8511
大阪府吹田市千里万博公園10-1
位置 北緯34度48分46.30秒 東経135度31分46.86秒 / 北緯34.8128611度 東経135.5296833度 / 34.8128611; 135.5296833 (国立民族学博物館)座標: 北緯34度48分46.30秒 東経135度31分46.86秒 / 北緯34.8128611度 東経135.5296833度 / 34.8128611; 135.5296833 (国立民族学博物館)
外部リンク www.minpaku.ac.jp ウィキデータを編集
プロジェクト:GLAM
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渋沢敬三
前庭のトーテムポール

国立民族学博物館(こくりつみんぞくがくはくぶつかん、National Museum of Ethnology)は、人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関である。民族学文化人類学を中心とした研究・展示を行っている、博物館を持った研究所である。略称は民博(みんぱく)。大阪府吹田市万博記念公園にある。現在、総合研究大学院大学文化科学研究科も設置されている。根拠法は、国立大学法人法第2条の3項・4項。

機構長は木部暢子。館長は吉田憲司

沿革

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博物館建設以前(アチック・ミューゼアム時代)

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東京帝国大学の学生だった渋沢敬三(後の蔵相日銀総裁)が1921年に東京・三田にある自邸の車庫の屋根裏部屋を利用して、アチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)をつくり、二高時代の同級生らと共に動植物の標本や民具などの蒐集を始めた。1935年には渋沢と白鳥庫吉らを中心に日本民族学会が設立され、国立民族学博物館設立を構想し、政府に陳情したが、戦局の悪化から採り上げられなかった。そこで、渋沢は1937年に自らの手で東京・保谷に博物館を建設し、アチック・ミュージアムに収蔵されていた二万点に及ぶ民具標本を移転させ、建物と資料を日本民族学会に寄贈し、日本民族学会附属研究所と附属民族学博物館となった。しかし、一学会だけで運営・維持することは難しく、また、自らの死期を悟った渋沢は1962年に民族学博物館所蔵の資料を文部省史料館(現・国文学研究資料館)に寄贈し、将来に国立民族学博物館が設立された時には、これらの資料を移管する旨の約束を政府との間で交わした。

渋沢の死後、1964年に日本民族学会などは国立民族研究博物館の設置を政府に要望し、1965年には日本学術会議が総理大臣に国立民族学研究博物館の設置を勧告した。一方で、1970年に開催された日本万国博覧会では、岡本太郎がチーフプロデューサー・小松左京がサブ・プロデューサーを務めるテーマ館に世界中の神像や仮面、生活用品などを陳列するため、東京大学教授の泉靖一と京都大学教授の梅棹忠夫らが中心となって、世界中から資料を蒐集していた。

万博終了後に、政府は会場の跡地利用について、文化公園とする基本方針を打出し、その中心施設として従来から要望が高かった「国立民族学博物館」の設置が決定された。1973年に文部省内に創設準備室が設置され、梅棹が準備室長に就任。1974年に改正国立学校法施行により、大学共同利用機関として創設され、梅棹が初代館長に就任した。

万博公園内の博物館開館以降

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博物館の工事は1977年に竣工し、開館式典を挙行。万博のテーマ館に出展するために蒐集されていた資料共に、文部省史料館に寄贈されていた資料が渋沢との約束どおり引継がれ、11月17日から展示の一般公開が始まった。

1989年4月に総合研究大学院大学の地域文化学専攻・比較文化学専攻の二専攻が設置され、大学院教育を開始。6月には特別展示館が竣工。

2004年4月に国立大学法人法施行に伴い発足した、大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管となる。

2011年10月にサンクトペテルブルクにあるロシア科学アカデミーピョートル大帝記念人類学民俗学博物館と学術協力協定を締結した。

2018年6月18日に発生した大阪府北部地震の影響により臨時休館[1]。同年8月23日(木)より一部の展示場から再開、9月13日(木)より全面再開[2][3][4]

組織

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エントランスホール
中庭
  • 管理部
    • 総務課
    • 研究協力課
    • 財務課
  • 研究部
    • 人類基礎理論研究部
    • 超域フィールド科学研究部
    • 人類文明誌研究部
    • グローバル現象研究部
  • 情報管理施設
    • 企画課
    • 情報課
    • 共同利用型科学分析室
  • 学術資料研究開発センター
  • 国際研究統括室
  • IR室

展示

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アイヌチセ(家)・内部(北海道沙流川流域)
女性用コルセット(南スーダン、ディンカ族)
でく(石川県白山市
ガラスイコン「荊(いばら)のイエス」(ルーマニア
教会行列人形(ポルトガル

本館の展示は地域展示と通文化展示に大きく分かれている。地域展示ではオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、日本を含むアジア各地域に分かれ、オセアニアから東回りに世界を一周するようになっている。通文化展示は地域、民族毎に分けての展示ではなく、音楽と言語など世界の民族文化を通じて概観する展示がある。

開館当初からビデオテークが設置され、世界中の生活や文化を紹介する映像を利用者が選択し、視聴することができる。また、1999年には映像と音声による展示解説を行う携帯型の「みんぱく電子ガイド」が登場した。

本館の東南には4階建て(内、展示スペースは1階と2階)の特別展示館が隣接し、所属している研究者が特定のテーマで研究した成果を紹介する展示が行われている。

みんぱっく

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「こどものための小さな博物館」と題し、所蔵する各国・各地域の生活道具民族衣装化粧品装飾品おもちゃなどをスーツケースに詰め、学校等に無償(往復送料は依頼者負担)で貸し出す取り組み。15地域のパッケージがある[5][6]

人物(歴代館長)

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  1. 梅棹忠夫(1974年6月 - 1993年3月)
  2. 佐々木高明(1993年4月 - 1997年3月)
  3. 石毛直道(1997年4月 - 2003年3月)
  4. 松園万亀雄(2003年4月 - 2009年3月)
  5. 須藤健一(2009年4月 - 2017年3月)
  6. 吉田憲司 (2017年4月 - )
  7. 関雄二 (2025年4月 - )〈予定〉[7]

建物

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  • 鉄骨鉄筋コンクリート造 地上4階、地下1階
  • 敷地面積:4万821平方メートル
  • 延床面積:5万1225平方メートル
  • 建築面積:1万7089平方メートル
  • 設計:黒川紀章
  • 第19回 毎日芸術賞受賞
  • 第20回 BCS賞(建築業協会)受賞
  • 第1回 公共建築賞優秀賞受賞

人物

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名誉教授

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研究部OB・OG

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研究部教員

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所蔵品

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ギャラリー

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主な展示物

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重要有形民俗文化財

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マスメディア関連

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  • ラジオ大阪『みんぱくラジオ~世界を語る~』(水曜23:30-0:00、2007年〈平成19年〉10月 - 2011年〈平成23年〉6月1日)
  • FM千里『ごきげん千里837内みんなのみんぱく』(火曜11:00-11:10)
  • 毎日新聞』「旅・いろいろ地球人」(夕刊連載)

脚注

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  1. ^ MINPAKUofficialの2018年6月18日のツイート2018年6月24日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  2. ^ MINPAKUofficialの2018年7月20日のツイート2018年8月3日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  3. ^ MINPAKUofficialの2018年9月13日のツイート2018年10月20日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  4. ^ 吉田館長メッセージ(2018年9月13日)国立民族学博物館
  5. ^ 「テーマ 国際理解:「みんぱっく」を開けてみました。(高学年)」【箕面こどもの森学園でのデキゴト 小学部】
  6. ^ ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪【NHK教育】2023年10月18日付「国立民族学博物館」
  7. ^ “国立民族学博物館、新館長に関雄二氏”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2024年11月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD216230R21C24A1000000/ 2024年11月22日閲覧。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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