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ノート:幻視芸術

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過去ログ

ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない

ウィリアム・ブレイクなど古いですが、

  • 『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(2010年) Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray, 1990.
  • 『ジャン・コクトー : 幻視芸術の魔術師』(1995年)
  • 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』(牧神社、1977年)

といった著書があります。またヴィジョナリーアートを書名に持つ著作はありませんでした。--タバコはマーダー会話2017年4月1日 (土) 17:18 (UTC)[返信]

上の三者は画家(ブレイクは詞でも)として知られていますが、幻視芸術ではなくても「幻視」として言及されています。
  • 『ブレイクの世界―幻視家の予言書』(1978年)
  • 『ジャン・コクトー―幻視の美学』(2003年)
  • 『世界美術家大全』日東書院 p.190.では、ブレイクは幻視者とありますが、ブレイクについて幻視、幻視者と言及する著作は見つけやすいでしょう。--タバコはマーダー会話2017年4月21日 (金) 06:31 (UTC)[返信]
年号を追加。--タバコはマーダー会話2017年6月26日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

ウィキペディアの複雑なルールには精通していませんが、口語の言葉をどう解釈するかは小さな問題ではないと思います。無数の人々が口語的に頻用し、ツイッターなどで使用し、なおかつ書物にはなっていないような言葉が多数あると思います。それはスラングやジャーゴンといったもので、例えば「ヤンキー」であるとか「オタク」とか「中二病」といったものが口語的な現象としてまずあり、あとで書物になるというケースがあると思います。そのへんの扱いは、よりルールに精通したウィキペディア利用者に訊ねたいところであります。--Basicsur会話2017年7月27日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

再三案内していますが、Wikipedia:信頼できる情報源というガイドラインがあります。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

ブレイクの幻視については1970年代より言及があるようです。

  • R.カスナー 著、春山清純 訳「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』牧神社、1977年。 
  • Kenneth Clark (1973). Blake and visionary art. University of Glasgow Press 
  • Lambert, Moira, The visionary artist, 1980, http://hdl.handle.net/10962/d1006113.

--タバコはマーダー会話2017年8月1日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

記事に出典として用いらているすべての日本語の資料に「幻視」という共通する訳語が含まれているかと思います。--タバコはマーダー会話2017年8月11日 (金) 11:21 (UTC)[返信]
だいぶ下の、Basicsur氏本人の言で「1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています」ということです。
比較をふくむのではなく、はっきりと区別しているんですね。エルヴェ・セランが幻想芸術(ファンタスティック)、幻視芸術(ヴィジョネール)と書いています。--タバコはマーダー会話2017年11月27日 (月) 11:07 (UTC)[返信]

改名

Wikipedia:記事名の付け方には、日本語での正式名称、信頼できる情報源において最も一般的といった基準があります。日本語には上の節に挙げた書籍がありますし、ヴィジョナリーアートでは英語直ですし自己出版のようなものしか見つからず信頼性が低いという理由で、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」におけるただちに改名ケースとして改名します。--タバコはマーダー会話2017年4月4日 (火) 07:07 (UTC)[返信]

「幻視芸術」も「幻想芸術」と比較すると国内では使用頻度が低い

幻視芸術は国語辞書にも掲載されておらず、Visionary Artの和訳を「幻視芸術」とすべきかどうか議論や同意がまだ確認されていません。Visionary Artは60年代にアメリカで使用され始めた英語であり、ある程度、対応する日本語が「幻想芸術」以外まだ存在しないため、現状ではカタカナ英語でヴィジョナリー・アートおよびビジョナリー・アートとするのが適切であると考えます。 日本国内において,Visionary Art=ヴィジョナリーアートという言葉を本来の意味で使用した美術館、展覧会は現実に存在しており、それは明確に60年代以降の芸術の動向を受け継いでいるものです。今の段階でVisionary Artを「幻視芸術」という使用頻度が極めて低い言葉に和訳することには慎重になるべきだと思います。 そもそもこのヴィジョナリーアートの記事は国外の芸術運動の動向を扱ったものであり、国際的に「幻視芸術」という言葉がほぼ皆無である以上、ヴィジョナリーアートという記事名に変更することを提案します。--以上の署名のないコメントは、Basicsur会話投稿記録)さんが 2017年4月20日14:31‎ に投稿したものです(タバコはマーダー会話)による付記)。

Wikipedia:記事名の付け方に従っていません。そもそもWikipedia:独自研究は載せないが理解されていないように思います。
#ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない」にありますように、幻視芸術という言葉は使われています。ですが、ヴィジョナリー・アートという言葉は文献に見つけられませんでした。
信頼できる情報源ではないので、強い根拠とはできませんが。
  • 国際幻想芸術展-幻想と幻視芸術(Fantastic & Visionary art)」フライヤーに日本語が記載されている2011年の展覧会が開催されたことがあるようです。その解説文でも主が「幻視芸術」となり括弧して「ヴィジョナリーアート」とされている。これは国際的なものであり、専門家のコンセンサスと無関係とは言えないかと思います。
  • 「VISIONs-21世紀の幻視芸術展(Contemporary Visionary Art In The 21st Century)」という8名の画家の展覧会も2009年に開催されております。
  • 幻視-屋久島」という2009年の展覧会は、屋久島の精霊との対話を描いた4名の画家によるもので、幻視芸術を指しているものと思われます。言葉が使われているのであれば、こちらの方が日本語です。
「幻視芸術という言葉の使用頻度が極めて低い」ということを裏付ける資料などもまったく提示されておらず、「ヴィジョナリー・アート」という言葉を使った美術館・展覧会の存在は、当方による検索の上でまったく確認できません。「アウトサイダー・アート」のように、信頼できる情報源、そうでなくてもなんらかの資料にて、カタカナ語が頻用されていることが確認できないということです。--タバコはマーダー会話2017年4月21日 (金) 04:40 (UTC)[返信]

アウトサイダーアートには、幻視を芸術したものが含まれるということは確認できます。以下では Visionary が、空想・ファンタジーだとは確認できず、および、ヴィジョナリー・アートというカタカナ語だけの使用は確認できません。
  • 『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』 1993年10月。ISBN 978-4-473-01301-9
上記翻訳書は、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムの展覧会の著作で、1993年に世田谷美術館がアウトサイダーアートの展覧会を開いたのに合わせて翻訳された著作です。ここでは例えば章のタイトルに「幻視的美術」が使われており、そして原著と照合すると Visionary Art の英単語が元です。
対応する日本語が幻想芸術だともちょっと確認できません。--タバコはマーダー会話2017年5月4日 (木) 05:08 (UTC)[返信]

省略(Basicsurさんが、動画検索で「ヴィジョナリーアート」の用語で検索できると述べましたが、Wikipedia:信頼できる情報源についての指摘が寄せられました―完全な議論

ヴィジョナリーアートに関する日本国内最初の論考

一部まとめ:完全な議論は「ヴィジョナリーアートに関する日本国内最初の論考

Basicsurさんが、mixi上のコミュニティを挙げ日本国内最初の論考として挙げましたが(2017年6月24日15:45 UTC)、タバコはマーダーさんが翌日、そのサイトは自己公表資料のガイドラインがあるので使えないこと、既に出典が上がっていることを返答しました。以下は続く議論から自己公表の議論を省いたものです。--タバコはマーダー会話2017年11月29日 (水) 07:03 (UTC)[返信]

「パラレル・ヴィジョン」はアウトサイダー・アートを扱ったものであり、別ページ項目であるアウトサイダー・アートが既に存在しておりそこで議論、編集すべきであると考えます。このページはアウトサイダー・アートとは峻別すべきである欧米のヴィジョナリーアート ムーブメントを扱ったものであり、日本語の幻視芸術および日本の幻視芸術家を説明するために設置されたものではありません。「パラレル・ヴィジョン」を論拠にするのであればアウトサイダー・アートのほうで自由に編集することを薦めます。--Basicsur会話2017年7月17日 (月) 16:31 (UTC)[返信]

「パラレル・ヴィジョン」展のカタログに幻視芸術という訳語を見つけることができません。幻視芸術を論考する資料としては脆弱なものです。「現代パリの幻想画家たち」のカタログには多数の幻視芸術という言葉があります。このカタログで意味している幻視芸術はアウトサイダー・アートではありません。ジェラール・ディマシオを中心としたパリの幻想画家達を意味する訳語として使用されています。--Basicsur会話2017年7月17日 (月) 16:31 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点に従って、「パラレル・ヴィジョン」と「現代パリの幻想画家たち」はどちらかを絶対視しないでください。
#パラレルヴィジョン展の訳語に既に示しています。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

幻視芸術と和訳した人物が特定されていない

まとめ:完全な議論は「Visionary Artを幻視芸術と和訳した人物が特定されていない

Basicsurさんによる疑問は、Visionary Artの和訳を幻視芸術とすることは可能として、自己解決されたようです。「英語のVisionary art=ヴィジョナリーアートを国内で初めて幻視芸術と和訳した人物が誰なのか特定されていません」(2017年7月26日15:42 UTC)といった疑問が寄せられましたが、「リニューアルされたディマシオ 幻想美術館のホームページに写真が掲載されており、ディマシオ幻想美術館Di -Maccio Visionary Art Museum,The Forest Taiyoという英文がはっきりと刻まれています。(中略)Visionary Artの和訳を「幻視芸術」と見做して本ページを編集することは可能であると判断します」(2017年11月25日16:07 UTC)とされました。--タバコはマーダー会話2017年11月29日 (水) 06:33 (UTC)[返信]

幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題

冒頭の幻想と幻視についての個人的な見解の開陳が省略されています:完全な議論は「幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題

Bisicsurさんが、以下の意見を寄せました。日本語の辞書において幻想と幻視の意味は同じであり、「幻想芸術」の記事と「幻視芸術」の記事が併存している事態は矛盾、および同語反復であると思います(2017年6月22日14:52 UTC)。タバコはマーダーさんが、Wikipedia:独自研究は載せないを参照するよう返答しました。

典型的には草間彌生の作品なんかがそれに該当すると思います。--タバコはマーダー会話2017年6月24日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
草間弥生はアウトサイダー・アートにもヴィジョナリー・アートにも幻想美術にも属さない作家です。彼女はモダンアーティストでありインサイダー・アーティストであることは巨大な経済的支援の規模で明らかです。ドラッグによる幻覚や病的症例による幻覚なしにも芸術作品を産み出すノーマルな作家は多数存在します。幻視芸術=幻覚というレッテルを貼ることを避けるべきだと思います。--Basicsur会話2017年7月19日 (水) 15:37 (UTC)[返信]

以下のような出版物があります。
  • 『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』 1993年10月。ISBN 978-4-473-01301-9
上記出典には既に示したところですが、Visionary artについて言及されています。これが翻訳されたときの世田谷美術館での「パラレル・ヴィジョン」展があります。
  • そのパラレル・ヴィジョン展資料、『日本のアウトサイダー・アート パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』という展覧会資料があります。
まえがきにあたる「あいさつ」は世田谷美術館と朝日新聞社が筆者となって書かれており、ひとつの文章に「精神に障害を負う人々や霊的能力に優れた幻視者たちの作品」と書かれており、これは英文も併記されていますが、幻視者にあたると思われる部分は visionaries の単語が使われています。30-31頁に8人の作者が紹介されていますが、山下清では知的障害でしょうし、そういう風に見ていくと、ここで紹介されている「幻視者」に該当しそうなのは、水玉模様の幻覚を見たと書かれる草間彌生ですし、12ページの紹介でも幻影にさいなまされたエピソードと、続いて草間へのインタビューで、絵を描きはじめたの経緯として、こうした映像が見え始めるとスケッチブックに移しはじめたとありますから。自称ではなく、他称での幻視者の作品だと認識されているということです。24年前の資料ですね。--タバコはマーダー会話2017年6月25日 (日) 03:47 (UTC)[返信]

すみません。ウィキペディアをだいぶ離れていたので、返信の仕方に疎くなっていました。

巌谷 國士の「シュルレアリスムとは何か」の175ページにフランス絵画の一派が使用するヴィジョネールという概念が紹介されています。1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています。おそらくこれが「幻視芸術」という言葉が国内で公になった古い例の一つではないでしょうか。カタログの中で画商のエルヴェ・セランは幻視芸術あるいは幻視絵画の特徴を三つ出しています。

1 霊的な奥行き 2無時間性 3完璧な技法

Visionary Artの 英語版 ウィキペディアの記述でも「霊的な」Spiritual という言葉があったと思います。幻視芸術の説明に「霊的」という言葉があっても良いのではないでしょうか。

カタログにおける巌谷 國士の文章を要約すると「幻想芸術」はそもそもファンタスティック・アートの訳としては不適切としながら、1979年に出版されたミシェル・ランドンの『ヴィジョネール美術』を引用し幻想芸術と幻視芸術との違いを紹介しています。重要な資料ですが、もし『現代パリの幻想画家たち』が手に入りにくければ 資料をそちらへ送る手段もあります。

「伝統的な美術の外側であるアウトサイダー・アートの定義と同様にして、幻視に由来するものであり、精神障害から幻視者までを含む[1][4]。または幻想芸術を指していることもある。」

形容詞として幻視的、幻想的としたときに本来の外国語の意味が出てくるので、幻視も幻想も日本語の名詞としてはポジティブな意味がそれほどありません。説明文では的を使用し、幻視芸術という言葉においては幻視が形容詞的に使われているという含みの自覚が必要かもしれません。さらにそれらが外国語の翻訳であるという記述が必要です。

改善案として、伝統芸術の外にアウトサイダー・アートが位置づけられているという記述はどうしても納得できません。フォーマル、公式という意味は教育を含んでおり、教育の外がアウトサイダーであるとするほうが自然だと思います。日本の美術教育は伝統的なデッサンを重要視しており欧米の美術教育は技術よりも現代的なコンセプトを重視しています。欧米の美術教育は伝統的ではないと聞いています。 アウトサイダー・アートを伝統芸術の外側にしようとするなら、日本には適合しますが欧米には合いません。欧米の美術教育はそもそも伝統芸術の外側に出ようとして展開してきたからです。考案した定義は以下のものです。

「幻視芸術とはフランス語のラール・ヴィジョネール および英語のヴィジョナリー・アートの和訳である。公式な美術教育の外側で展開されているアウトサイダー・アートもまた幻視的要素を含むものであり、精神障害者が造り出す芸術や幻視的能力を持った芸術家の作品まで幻視芸術と呼ぶことができる。またファンタスティック・アートの和訳としての幻想芸術を指すこともあれば、違うものとして比較されることもある。」    より良い定義についてご意見を伺いたいと思います。

『現代パリの幻想画家たち』中の重要な幻視芸術家として ジェラール・ディマシオがいますが、彼の美術館が北海道に存在しアルファベットのVisionary Artが表看板に使用されています。さらにカタカナのヴィジョナリーアートを使用した国内最初のグループ展が2009年に銀座のギャラリー アートポイントで開催されていたことはすでに御存知だと思います。Basicsur会話2017年6月25日 (日) 15:09 (UTC)  [返信]

ぐちゃぐちゃに議論するのではなく議論しやすい形にしていただけますと助かります。どの文章表現に対して、どういう裏付けをもとに、どう表現した方がよいのか、このように絞って書かれることを望みます。あまり独自研究に脱線させてほしくはありません。その際にWikipedia:信頼できる情報源を参照し、単なる個人ブログなどは、個人的な経験など、基本的に信頼できる情報ではないとして除外されるものと考えてください。
幻想芸術と幻視芸術との違いがないような主張から、一転して区別しだしておられますが、区別がついたなら議論を終了してください。つまり、1994年「現代パリの幻想画家たち」資料で、「ヴィジョネール」が「幻視芸術」と訳され、幻想芸術と比較されている(むしろ、どう比較されているんでしょうか)。その展示会での、重要な「幻視芸術家」として(「幻視芸術家」として認知されている?)、ジェラール・ディマシオがおり、北海道に存在しアルファベットのVisionary Artが看板に使用されている(信頼できる情報源ではない)。ヴィジョネールという概念が紹介されている(どのように?区別がされているということですけど)。「霊的」という言葉があってもよいのでは(なぜ?新たな議論の追加)。
幻視芸術、幻視的芸術などで資料に確認がとれていますね。Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:信頼できる情報源を参照してください。
アウトサイダー・アートについては、資料に基づいて改定すべきであり、延々と独自研究の議論をしたくはありません。「公式な美術教育の外側」でもいいんですが。ウィキペディアは、「日本の美術教育は」といった持論や「と聞いています」という不確かな情報を反映させるものではないです。
「○○とは、何語の和約である」これは定義になってないですね。説明になっておらず、言葉の意味がわからないです。こういう書き方は一般的でないです。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を参照してください。
  1. 霊的な Spiritual をどう解釈されているのか分かりませんが、そちらの言うものは現在既にすべて含まれており、あなたの言うスタイルマニュアルにない「定義の仕方」、独自研究・伝聞的な「公式」などの表現の仕方に議論の焦点があります。
  2. 霊性の領域の幻視(ウィリアム・ブレイクの様な啓示、観想の眼、通常の知覚を超越した、またはサイケデリックやシャーマニズムであり、宗教学、神学などに近いですね)アレックス・グレイからのものでしょう。
  3. 病的な領域の幻視(精神障害、上を厳密に区別すると霊的ではない)アウトサイダー・アートとしての『パラレルヴィジョン展』
  4. 幻想芸術と区別のない用法(俗な言葉の用法、ファンタジーですね)ただ幻視芸術を含んで区別しているようである『幻想芸術展』
確認をお願いします。
  • Wikipedia:信頼できる情報源とは、出版された書籍・論文が優先され、名もなき個人のブログや個人の経験は除外されることを理解した(はい・いいえ)
  • 幻視芸術、幻視的芸術のような「幻視」を含む訳語は信頼できる資料に登場するようだと認識できているか。(はい・いいえ)
  • Wikipedia:記事名の付け方において、信頼できる資料によく使われ、また日本語の正式名称が記事名としてふさわしいと理解した(はい・いいえ)
  • ヴィジョナリー・アートという表現は、まだ上の意味での信頼できる資料が元となっておらず、また確認できても少数派の表現だろう(はい・いいえ)
  • Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)にて、原語など別名が定義として説明されることは一般的でないことを確認した(はい・いいえ)
--タバコはマーダー会話2017年6月26日 (月) 02:23 (UTC)[返信]
  1. 出版とはpublishのことでありネット上の情報公開も含むと捉えるなら、独自研究よりも事実の出版情報のほうがはるかに信頼できるのは当然です。
  2. 幻視芸術の訳語の根拠は否定され拒否されている状態です。
  3. ヴィジョナリーアートは欧米の口語、Visionary Artをローマ字読みしたものであり、欧米において膨大な口語が存在している以上それを否定する資料は存在してません。そして国際的には多数派であることは疑いえない事実です。
  4. についてはより説明を求めます。「幻視芸術」は国内では一般的ではありません。誰がその訳語を承認し国内で一般化したのかが不明です。内容が正しければ認めますが。信頼に足る資料が明示されていません。こちらで明示しても拒否される状況です。--Basicsur会話2017年7月17日 (月) 17:00 (UTC)[返信]
タバコはマーダーさんの日本語を何度も読んでも理解できず、こちらの日本語も理解されないことがこちらで確認できましたので、以後このページに情報提供することを当分、停止することに決めました。
編集ごくろうさまです。頑張ってください。できれば幻視芸術そのものを鑑賞し体感し言葉にし、芸術鑑識の向上に役立つページになるよう期待してこの場を去ります。後はよろしくお願いします--Basicsur会話2017年6月26日 (月) 14:40 (UTC)[返信]
>巌谷 國士の「シュルレアリスムとは何か」の175ページにフランス絵画の一派が使用するヴィジョネールという概念が紹介されています。
上記のBasicsur氏の主張についてです。
巌谷國士の『シュルレアリスムとは何か』は1996年の最初に出版された方を参照しましたが、幻想と訳されることがあるファンタスティックの原語の語感について奇妙なものが現れるとかそういう意味だと述べた後に、
141ページに2、3行程度で、「ヴィジョネール(幻視)〔ママ〕」という、見えないものを見るという新たな傾向の芸術があると説明しているのみです。
そもそも幻視と幻想の区別がついていますし、2行程度のこの説明では他に資料がある状態では記事本文には使えないレベルだと判断します。--タバコはマーダー会話2017年6月26日 (月) 23:28 (UTC)[返信]
二行とはいえ、それが示唆したカタログ自体には巌谷さん自身の長大な文章が寄せられています。重要な資料を無視しないほうが良いと思います。--Basicsur会話2017年7月17日 (月) 17:00 (UTC)[返信]
幻視芸術と幻想芸術の言葉の区別は国内ではほとんど問題になっていません。その価値観の差はほぼ同じです。「現代パリの幻想画家たち」ではvisionary かfantasticかというつまり国外問題の和訳として国内で顕在化しているのです。国内で日本語の幻視芸術と幻想芸術の違いが問題になったことがない以上両者はほぼ同語となります。つまり外国語の訳語であるという前提が必要なのです。
国内においてもっとも普及し汎用される言葉は「幻想美術」であると考えます。幻想美術という項目がトップにあれば、幻視芸術や幻想絵画やカタカナのヴィジョナリーアートやアウトサイダーアートや江戸時代の奇想の画家や、アメリカのローブローアート、ヨーロッパのシュルレアリスム、マニエリスムなど、包括的に扱うことができます。日本人が「幻想美術」と呼んでいるものは世界ではどのように扱われているのか、という包括的な視点を提供できると思います。論争を回避できると思います。しかしそれには多大な労力が必要で、今後の野心的な執筆者に期待したいところです。多くの人々がこのページに意見を投ずることを願います。いずれは現存している「幻想絵画」というページと「幻視芸術」というページが一本化されることが理想であると考えます。--Basicsur会話2017年7月22日 (土) 15:41 (UTC)[返信]

タバコはマーダーさんの日本語は独特であり解読に骨がおれるので分かりやすい日本語でお願いします。解釈と翻訳を試みます。

>霊的な Spiritual をどう解釈されているのか分かりませんが、そちらの言うものは現在既にすべて含まれており、あなたの言うスタイルマニュアルにない「定義の仕方」、独自研究・伝聞的な「公式」などの表現の仕方に議論の焦点があります。

  1. 霊性の領域の幻視(ウィリアム・ブレイクの様な啓示、観想の眼、通常の知覚を超越した、またはサイケデリックやシャーマニズムであり、宗教学、神学などに近いですね)アレックス・グレイからのものでしょう。
  2. 病的な領域の幻視(精神障害、上を厳密に区別すると霊的ではない)アウトサイダー・アートとしての『パラレルヴィジョン展』
  3. 幻想芸術と区別のない用法(俗な言葉の用法、ファンタジーですね)ただ幻視芸術を含んで区別しているようである『幻想芸術展』

・あなたがSpiritualという英語をどう解釈しているのかが分かりません。あなたが言う霊的という概念は今のところ私が書いた記述に既に含まれているのでさらなる提案は不要です。あなたの記述の仕方はウィキペディアのルールである独自研究や伝聞的な内容を避けることに抵触しており、これが今の中心議題です。公式、フォーマルを「伝統的な美術」に置き換えるべきだという提言はルール違反だと思うのです。」

こんな解釈でよろしいでしょうか。

一行目を、かろうじてこのように解読しました。なるべく分かりやすい日本語で書いていただければさらにウィキペディアのルールにも合致してくると思います。よろしくお願いします。いろいろ事情がおありと思います。時間不足、疲労など。二行目以降はギブアップしましたすいません。

それでも頑張って翻訳します。

・霊的な世界を幻視したのはウィリアム・ブレイクであり、彼を参照していれば霊的という意味は含まれることになります。これは宗教学や神学も含んでいますから。さらにアレックス・グレイも霊的ということを重視しており彼の画像や記事がある以上、霊的という意味はすでに含まれています。

・さらに病的な世界の幻視、たとえば精神障害による幻などは厳密には霊的ではないです。(「上」は何を意味するのでしょうか?)アウトサイダー・アートを扱った『パラレルヴィジョン展』は霊的ではありません。

・幻想芸術と同一視される、いわゆるファンタジーは、幻視芸術の意味を含みつつ区別している内容が『幻想芸術展』にあることを確認しました。

はなはだ心もとない解釈ですが、違っていたら教えてください。--Basicsur会話2017年7月23日 (日) 15:49 (UTC)[返信]

この記事内で話題になった太陽の森 ディマシオ美術館ですが、http://dimaccio-museum.jp/ ホームページの英語バージョンのトップにVisionary Artという英語は現在使用されていませんでした。前言を訂正します。いずれにせよ、ヴィジョナリーアートおよび幻視芸術を代表する作家なのでここで扱う意義はあると思います。--Basicsur会話2017年7月28日 (金) 13:55 (UTC)[返信]
最初の1234について。
そもそもあなたは、『「幻視はないものが見えること」「幻想は現実にないことを描くこと」』どちらも無いものを有ると認知することであり同じ意味です』と、出典で異なっているのに、あなたが同じだと言い張っている状態で。さらに「1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています」と比較されている、区別されていることを認識しているじゃないですか。
>二行とはいえ、それが示唆したカタログ自体には巌谷さん自身の長大な文章が寄せられています。重要な資料を無視しないほうが良いと思います。
誰も無視しておりません。巌谷國士の『シュルレアリスムとは何か』は2、3行しか言及がないので「ヴィジョネール(幻視)〔原文ママ〕という、見えないものを見るという新たな傾向の芸術がある」としてしか書けませんし、これは具体性が薄いので書く必要はないと思いますね。
>幻視芸術と幻想芸術の言葉の区別は国内ではほとんど問題になっていません。
当方は出典の通りに書いているだけですので、そうした解釈が生じているのであれば出典をご用意くださったうえで、独自研究の開陳をお控えください。

解釈は合っております。おそらくあなたは「霊」という言葉を独自研究で使っていたのかもしれませんが、当方は既に紹介している『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray, 1990)とか、『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』1993年10月、ISBN 978-4-473-01301-9)に基づいてです。独自研究は反映できません。
  1. 『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』では、「静観(contemplation)の目、霊的、超越的な世界を明らかにする目」について魂と霊の世界を露わにする目について言及し、「神秘的で幻視的(visionary)な絵画」について言及しています。瞑想や苦行によって到達できるとしています。
  2. 『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』では、「精神障害者の美術と独学の幻視者による美術―まとめて言うならば強迫的幻視者の美術〔ママ〕」(あいさつより)についてですし、「序文」にあるようにその前に同美術館で「芸術における霊的なもの」展が開催されていますからそこでは「神秘」「霊性」「神秘主義者」に焦点が当てられたが、今回のパラ展では強迫的幻視者の美術、時に精神障害を持っているということで、パラ展で焦点としている幻視的美術は霊性よりも精神障害に焦点を当てたものだと解釈できます。上は1を意味しますが。
  3. あなたが『幻想芸術展』においては、幻視芸術と幻想芸術は区別があまりないとおっしゃるなら、そうした定義も存在するのでしょう。
ディマシオについては、「幻視芸術を代表する作家なのでここで扱う意義はある」と表現されており、Wikipedia:大言壮語をしないを参照くださった上で、出典での表現などについてご確認下さい。当方の見た資料には登場しませんでした。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)[返信]
『現代パリの幻想画家たち』では、全3人の筆者の論考があり幻想芸術と幻視芸術を区別しており、p140のインタビューでも幻視画家と幻想画家の会合などと区別されており、幻視と幻想が違いがないといった主張は出典に確認が取れませんでした。巌谷國士もウィリアムブレイクに言及し、幻視では宗教画としての長い歴史があるとし、他の2人も宗教に言及がありました。そして幻視を反映した作品であることも確認が取れました。
エルヴェ・セランは、幻視的作品を幻想的な作品やシュールレアリスムの作品やサイエンスフィクションから区別することができない者から、安易に幻想芸術と混同されている(言いたいことは本来は異なるということでしょう)と述べている。吉村良夫は幻想美術の基盤が不十分なフランスなので、こうした(幻視の)画家に注目が集まったという趣旨です。--タバコはマーダー会話2017年8月11日 (金) 10:20 (UTC)[返信]

「伝統芸術」という言葉の曖昧性

「伝統芸術」が何を指すのかが曖昧なまま幻視芸術およびアウトサイダーアートの定義に用いられています。検討を提案します。——以上の署名の無いコメントは、Basicsurノート履歴)さんが 2017年6月22日 (木) 15:14 (UTC) に投稿したものです(タバコはマーダー会話)による付記)。[返信]

伝統芸術という言葉は使用されていませんが、本文では正式な訓練がなかったという文章に続きますし、アウトサイダー・アートの記事でも私が編集したのでもなく以前からそのような感じであり、定義はおかしなものではないと思われます。--タバコはマーダー会話2017年6月24日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
伝統芸術は国によって意味が違う

まず言うまでもない常識に照らせば、欧米の伝統芸術は具象美術であり、それを破壊したのがアメリカの抽象的現代美術です。現代美術はアメリカによってメジャーになりその外側にアウトサイダーアートがあります。 伝統芸術の外側にアウトサイダーアートがあるという表現は正確ではありません。「伝統」よりも「公式」という言葉が妥当だと思います。「定義はおかしなものではないと思われます。」とありますが物凄く変です気付いてください。 そのために出典を要求しないでください。常識だからです。もっと勉強してください。——以上の署名の無いコメントは、Basicsurノート履歴)さんが 2017年6月24日 (土) 16:08 に投稿したものです(タバコはマーダー会話)による付記)。

Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:ノートページのガイドラインの「個人的な見解を開陳する演壇として用いられるべきではありません」をご理解ください。--タバコはマーダー会話2017年6月25日 (日) 04:14 (UTC)[返信]
あなたは、幻視芸術(2010年4月26日08:54)にて、引用していますが、以下の出典にも引用記述があり同一の文章を元としているかと思います。
この文章では、traditional fine art system とあり、traditional 伝統ですね、formal とかではないですね。
アウトサイダー・アートでも、当方が編集したのではないですが、伝統の用語が使われていますよね。--タバコはマーダー会話2017年6月25日 (日) 05:11 (UTC)[返信]

ここには非常に興味深い問題が含まれています。たしかにアウトサイダーアートは伝統的なファインアート システムの外にありますが、伝統的なファインアートを引継ごうとしていたウィーン幻想派はなぜアウトサイダーアートとは別物でありなおかつ欧米でVisionary Artと呼ばれているのでしょうか。簡単には結論がでない問題です。伝統的なファインアートとは欧米ではセザンヌや印象派以降のつまり教科書にのっているような美術史の流れを形成するものです。アメリカのみならずヨーロッパでも伝統を破壊する流れが伝統になってきたというシステムなわけです。

これらをふまえると、アウトサイダーアートは伝統美術の外、とは簡単には言えません。もっと言葉を尽くさないと説明できない問題なのです。「伝統の外がアウトサイダー」という表現に危険を感じたのはそういう意味です。--Basicsur会話2017年7月22日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

traditional fine art systemを「伝統的な美術」と訳すことには大きな問題があります。traditionalはfine art systemを修飾しているのでありfine art systemとはfine art を流通させ宣伝させ価値を与える 欧米に広く行き渡っているsystem、それは教育、美術館、美術批評、出版、画廊、もろもろの社会システムのことであると思います。日本語で一般的に連想させる美術や工芸のことではないのです。 さらにここでのtraditionalとは国や民族の一部としての伝統料理や伝統音楽を意味するときの用法ではなく、英英辞書における2番目の意味、following ideas and methods that have existed for a long time, rather than doing anything new or different (=conventional) つまりconventional,因習的、型にはまったという言葉と同意語なのです。意訳は難しいですが、traditional fine art systemとはファイン アートのみに拘りその他のものを受け入れない芸術界の仕組み、システム、といったものとして解釈すべきだと思います。

さらに重大な問題があります。アウトサイダーと方向性を異にするウィーン幻想派とそれを引継ぐヴィジョナリーアート(ここで言う幻視芸術)もまたtraditional fine art systemの外側にあるのです。ローブローアートLowbraw Artも外側にあります。

したがって、より事実に近い記述をすると 幻視芸術もアウトサイダーアートも因習的なファインアート システムの外側にある、というような表現にならざるをえず、「伝統美術の外」という言い方では両者の区別が定義づけられていないことになります。

ファインアートとその外側の問題に関しては、キッチュという概念もあります。'KITCH MORE THAN ART'という英文の本を リアリズムの画家、オッド・ネルドルムが出版しており国内でも入手できますが、これらの情報に眼を通すと、キッチュもまたtraditional fine art systemの外側にある典型的な美術用語であることが見えてきます。アウトサイダー アート以外にもtraditional fine art systemに受け入れられない価値観、分野が多くあることが見えてきます。外に弾かれる美術の特徴はリアリズムであり具象であるということです。この具象芸術の危機とも呼べるような問題は国内ではなかなかピンときません。定義の改善を応援したいと思います。非常に時間のかかる作業になるはずです。

たとえば蔑称として「イラストレーション」と言う場合、これもtraditional fine art systemの価値に組しないという意味になるでしょう。

さらに不思議なのはアウトサイダーアートばかりが現代美術メディアで日本でも欧米でも取り上げられるということです。ひょっとするとアウトサイダーアートはもはやtraditional fine art systemの内側に取り込まれたのかもしれません。--Basicsur会話2017年7月23日 (日) 13:58 (UTC)[返信]

因習的でもいいんじゃないですかね。出典が提示されない独自研究の開陳は不要ですので、とりあえずあなたが使っている言葉である「因習」に変更します。アウトサイダーアートに関するそのような論考は既にいくつか論文になっていますので、Wikipediaであなたのお考えを公表することはお控えください。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)[返信]
こんにちは、タバコはマーダーさん。traditional fine art system の訳が「伝統的な美術」から「因習的な美術」へ変更されたことを見て、とても嬉しいです。雪解けの春のような気分です。意見が一つでも通ることは素晴らしいことです。「因習的」という言葉はほんとはまだ適確ではないのですが、少しでも意見を受け入れてもらったことに感謝します。では、削除依頼審議が上手くいくことを願います。--Basicsur会話2017年7月31日 (月) 16:00 (UTC) (以上のコメントは、タバコはマーダー会話)による節の移動を経たものです)[返信]
その後、文献にあたっていましたが、伝統の訳で問題がないですね。因習の訳はみられず独自研究ではよくありません。
  • Kyoichi Tsuzuki編『ArT RANDOM 50巻 Outsider Art from the Outsider Archive, London』京都書院、1989年。ISBN 4-7636-8538-4 の「history or the tradition of fine art」に対応する「美術の歴史も伝統も」の翻訳。
  • ヴェラ・L.ゾルバーグ、ジョニ・マーヤ・チャーボ「アウトサイダー・アートの社会学」『Collage』第2号、1999年4月、20-23頁。  繰り返される「伝統的な芸術の営み」の訳語。
  • デイヴィド・マクラガン 著、松田和也 訳『アウトサイダー・アート―芸術のはじまる場所』青土社、2011年。ISBN 978-4-7917-6593-5 の繰り返される「伝統」の言葉の使用、特にp66の「伝統的かつ学術的な芸術」の訳語。
--タバコはマーダー会話2017年8月11日 (金) 08:27 (UTC)[返信]

Basicsur氏が、要約欄に参考をあげ、「トラディッショナル ファインアートは伝統的美術のことではありません」と述べて、「伝統的な美術」を「保守的なファインアート」に訳し変えましたが、英語の文献であり訳の参考になりません。説明をお願いします。--タバコはマーダー会話2017年11月29日 (水) 05:33 (UTC)[返信]

『和英対照日本美術用語辞典』『岩波美術用語辞典』をひいてもfine artは美術の訳で問題はなくファインアートという訳は載っていません。--タバコはマーダー会話2017年12月3日 (日) 09:32 (UTC)[返信]

ファインアートとは辞書によれば、コマーシャル-アートに対して芸術的な意図をもとに制作される美術です。いわば純文学に対応する純美術ですが、欧米の「ファインアート」と日本の「美術」は相当に社会的背景や方向性が異なってます。欧米の美術=fine artの社会的背景を我々が理解することは極めて困難であり、資料も少ないですが、日本語の資料としてこのようなものがあります。『アメリカにおけるアート研究とサブカルチャー』://www.cpas.c.u-tokyo.ac.jp/pub/CASNL3-1.pdf これによるとファインアートとは上位文化であり、それ以外は下位のサブカルチャーとして位置づけされているということです。そこにはファンタスティックアートやヴィジョナリーアート、及びアウトサイダーアートがあります。この論文の研究者は調査経験がまだ浅い段階で発表したと思われ、ヴィジョナリーアートをアウトサイダーアートの別称として紹介していますが、実際はヴィジョナリーアートはファンタスティックアートの別称でもあります。 http://fantasticvisions.net/fantastic-visionary-art/

アメリカにおける上位文化の現代美術の代表、抽象表現主義のポロックの扱いを見れば分かります。億単位で取引されるポロック作品はとうてい日本におけるような伝統美術ではありません。日本人の記事利用者が誤解を生まないような表現や調査が必要だと思います。ちなみに「ファインアート」という言葉自体は日本の美術界でも国際的にどういう扱いのものなのかは一般的に知られており、最近読んだ青木画廊に関する書籍にもファインアートという言葉と扱いが掲載されています。--」の8ヴァルター・ジュリアンによる「幻想美術 fantastic artページには「幻想美術は、すでに確立していた因習的なアヴァンギャルド美術と対照的なものと理解されていた」という訳語があります。前衛的アヴァンギャルドが因習的というのは変だと思いませんか? 因習を打破する新しい芸術に価値があるのだという姿勢自体が因習的になっており、古い芸術を排除することになった、と私は解釈します。まだ英文を確認していませんが、ここでの因習的とはtraditionalであると予想しています。traditional fine art systemとは欧米においては前衛主義、モダニズム、といった新しい芸術を歓迎するシステムなのであり、これを古いことを尊重する「伝統的美術」と訳せば、日本語圏の人々には大いなる誤解を与えることになります。一見小さいですが大きな違いなのです。Basicsur会話) 2017年12月13日 (水) 13:58 (UTC)--Basicsur会話2017年12月13日 (水) 14:40 (UTC)[返信]

>ファインアートとは辞書によれば
再三案内しているWikipedia:信頼できる情報源#情報源に従い、『岩波美術用語辞典』などより専門性を反映したものであるか、明確にすべきですね。不確かな情報の可能性がありますよね。例えば『大辞林 第三版』では「(コマーシャル-アートに対して、芸術的な意図のもとに制作される)美術。」と書かれているので、括弧内が補足、「美術」が主だった説明であるので、通常の定訳である専門辞典の『和英対照日本美術用語辞典』『岩波美術用語辞典』の「美術」という訳語を採用すれば問題が生じませんよね。
>『アメリカにおけるアート研究とサブカルチャー』これによるとファインアートとは上位文化であり
まずここに、「ファインアート」という言葉が登場せず、単に「アート」の言葉があります。
(なおH・R・ギーガーはファンタスティック・アートの作家とあります。「画像を変更しました」でギーガーに言及されており記事違いであった可能性の証拠となります)
>この論文の研究者は調査経験がまだ浅い段階で発表したと思われ、ヴィジョナリーアートをアウトサイダーアートの別称として紹介していますが
既にいくつか記事に提示されている、ヴィジョナリーアートをアウトサイダーアートの別称として紹介している出典がまたひとつ増えました。よかったです。研究者間に確認できる共通認識であるといった解釈が妥当です。
>ヴィジョナリーアートはファンタスティックアートの別称でもあります。 http://fantasticvisions.net/fantastic-visionary-art/
このサイトから解釈したのであれば、誤読、独自研究ですね。Fantastic Visionary Art と書いてありますが、まずこのようなジャンルは複数の文献に確認できるようなものではないので、続く本文を見るにFantasticの部分が単に形容詞でしょう。visionary art という一項目があり、トランス状態、向精神性の薬物や植物、瞑想などによりdaydream(白昼夢・夢想)を起こして描かれているという幻視芸術にてよく前提となる説明と一致します。
因習的なアヴァンギャルド美術は、その「因習的」が「traditional」かどうかは不明ですが、avant-garde artにかかったもので、fine artにかかっていないので、今出ている文献を上回るものでは偏ったものでしょう。美術辞典などの共通認識を上回らないので、記事に反映する必要はないですね。--タバコはマーダー会話2017年12月14日 (木) 04:35 (UTC)[返信]

ヴァルター・ジュリアンによる『幻想美術 fantastic art』の8ページにある「幻想美術は、すでに確立していた因習的なアヴァンギャルド美術と対照的なものと理解されていた」の元の英文を確認しました。  The Fantastic was a siɡnificant trend in 20th-century art. it is often understood in contrast to conventional,established avant-garde art,   とあり、アヴァンギャルド アートをconventional(因習的)と形容しています。traditional fine art systemのほうも 因習的という意味で使われている可能性が非常に高いです。ここでのファインアートの訳は 「美術」で私も良いと思います。ただtraditionalは伝統的としないほうが誤解が無いです。例えば「保守的な美術界」の外にあるのがアウトサイダーアートというような、意訳で解釈したほうが良いと思います。ファンタスティック・アートの件ですが、ヴァルター・ジュリアンによる『幻想美術 fantastic art』は最近初めて眼を通したのですが、安価で非常に良い本です。ファンタスティック・アートとヴィジョナリー・アートが同じ領域を扱っていることが分かります。 広義のファンタスティック・アートは古代エジプトの壁画からアウトサイダー・アート、シュールレアリスムまで意味しています。あるいは映画や文学も含まれます。広義の意味と狭義の意味があることを今まで強く意識していなかったので、議論が平行線であったのだと思います。広義ではファンタスティック アートはアウトサイダーアートを含むとしても間違いではないようです。狭義のファンタスティック・アートは欧米ではSF小説の挿絵やウィーン幻想派あたりのアートを指しますが、広義においてはディマシオをファンタスティック・アーティストと呼んでも間違いではないのです。日本における狭義のファンタスティック・アートはやはり青木画廊を中心として芽生えた幻想絵画を指すのではないでしょうか。広義においては縄文土器や草間弥生もファンタスティック・アートに入るでしょう。  ヴィジョナリーアートという英語にも広義と狭義があることを意識すれば整理のついた編集作業ができると思います。幻想芸術と幻視芸術を合体させたFantastic Visionary Artという語を採用している本は今のところ、ジョン・ベイナートが出版した「Metamorphosis1~2」だけが手元にあります。 幻想芸術と幻視芸術の用法の差異は微妙なものであり、パリの幻想画家における両者の区別の問題は、微妙だからこそ強く語られていたのではないでしょうか。 つまりファンタスティック・アートとヴィジョナリー・アートは 同じではなく、ほぼ同じなわけですね。--Basicsur会話2017年12月22日 (金) 10:29 (UTC)[返信]

  • 伝統的な美術 traditinal fine art
  • 因習的なアヴァンギャルド芸術 conventional avant-garde art
すごい読みにくいのでぐちゃぐちゃに議論でしないでください。確かに確認されていることは#幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題です。あなたの独自研究(妄想)による拡大解釈は不要です。--タバコはマーダー会話2017年12月22日 (金) 12:36 (UTC)[返信]

『幻想美術 fantastic art』を読めば、ぐちゃぐちゃがすっきりすると思います。言葉よりもまず、絵を、作品を鑑賞してください。ヴァルター・ジュリアンの著作を読まずに答えるのは独自研究となり、説得力がありません。相手をやり込めることだけを考えるのはウィキペディアの趣旨ではありません。事実の共有がここでは必要とされていることを御理解ください。ウィキペディアはあなたのエゴのために存在しているのではありません。ご自身の文章読解力の無さを人のせいにするのもウィキペディアの趣旨ではありせん。根拠なき妄想呼ばわりは個人攻撃と見做します。もう少しポジティブな反応を期待していたのですが、マーダーさんはネガティブなままでした。私はあなたの友人であることをお忘れなく。私はあなたの敵ではありません。--Basicsur会話2017年12月22日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

脱線せず、個人的な見解を開陳しない。(Wikipedia:ノートページのガイドライン
決めつけをしない。あなたがポジティブになると期待したが結局ネガティブ、あなたのエゴ、文章読解力のなさ、などですね。(Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:善意にとる
必要であれば、何ページに何と書いてあるのか、事実によって説得してください。--タバコはマーダー会話2017年12月22日 (金) 17:35 (UTC)[返信]
Basicsur氏の提出したヴァルター・ジュリアン『幻想美術 fantastic art』の最初のページに「伝統的に認められてきた芸術」という文章を確認。同書を「因習的なアヴァンギャルド芸術」の訳の根拠とする案を却下します。
「伝統」「芸術」などの出典に追加:『幻想美術 fantastic art』『ArT RANDOM 50巻 Outsider Art from the Outsider Archive, London』『アウトサイダー・アート―芸術のはじまる場所』『アウトサイダー・アートの社会学』『和英対照日本美術用語辞典』『岩波美術用語辞典』--タバコはマーダー会話2017年12月23日 (土) 11:35 (UTC)[返信]


「善意にとる」というガイドラインに反して全てを悪意にとり、エゴと決めつける。個人攻撃をしない、と言いながら個人攻撃をする。自分のルールが自分を否定している。世の中には色々な癖のある人がいるものです。私はマーダーさんにではなく第三者へ向けて文章を書きます。

多くの日本人が「伝統」という言葉を因習的なものも含めると認識していれば、traditionalを「伝統的」と訳していいと思います。しかし、和英辞書によれば 伝統という語は, 主に先祖伝来の社会的慣習を意味するだけなので, 日本語の「伝統」とずれる場合には文脈に応じて訳す必要がある 。とあります。  因習的でも伝統的でもどちらでもいい気もしますが、記事として理解し難くなるのは確かです。ウィーン幻想派はヨーロッパの伝統を重視した芸術運動であり、伝統的なウィーン幻想派の外にアウトサイダーアートが位置付けられてしまうという文脈に受け取られてしまいます。 すると、マーダー説における、「ヴィジョナリーアートはアウトサイダーアートを含む」説と矛盾してきます。ヴィジョナリーアートとアウトサイダーアートには微妙な境界線があり、違うジャンルだろうと私としては認識していますが、ウィーン幻想派は明らかに伝統的美術です。英文の引用先のtraditional fine art systemはウィーン幻想派のようなものを意味していません。お金が動く欧米のエリート文化、「上位文化」のことです。伝統とは日本においては守るべき良き長い歴史、という意味合いで使われているのであり、それの外にアウトサイダー アートがあるのではありません。  「伝統的に認められた芸術」の元の英文は ɪn other cases, however, attempts to find a conceptual home for art which fits into no known cateɡory sanctioned by artistic tradition have come to nothinɡ. ここにおけるartistic traditionを芸術的伝統、あるいは「伝統的に認められてきた芸術」と、訳しても良いでしょう。しかし文脈からいえば、ここにおける伝統は何か頑固なもの、上手くいかないものとして記述されており、やはり良き伝統とは違うニュアンスが見て取れます。これは翻訳家の判断でありますが、英語のtraditionには良い意味も悪い意味もある、ということを念頭に入れて翻訳していく必要は今後あります。よって却下は早計でありまして、まだ我々の間違いの可能性はありうるのですから第三者を入れて時間をかけて議論、結論に至りたいと思います。却下の判断が短絡的です。却下は認めません。まだ検証の余地があります。

Visionary art is not easily defined. As a recognised genre it is recent, a half-century old at most – its first generation masters are still practicing, its horizons are still expanding. Visionary art is contemporary. To search for a defining boundary therefore is fruitless; definitions, being restrictive, are more readily established in retrospect. But if we cannot define, then we can unearth. For there exists in any art genre a lineage, a bloodline, and in Visionary art we find a genealogy that can be traced through the Surrealist and Fantastic Realist movements of last century, past the Renaissance, across continents and centuries, back to the first dawn.  http://sophiaimaginalis.com/art/on-visionary-art/ ヴィジョナリーアートの当事者がこうやって、簡単に定義できるものではないと言っているのですから、私達も謙虚に、互いに争わず、事実の共有をしましょう。そして多くの編集者が参加することを願います。個人攻撃の修羅場になれば不愉快のあまり誰も編集に参加したいと思わなくなるでしょう。時間の無駄だと思うでしょう。そしてウィキペディアの意義がどんどん劣化してしまうでしょう。私としては多くの執筆者の参加を望んでいます。 --Basicsur会話2017年12月29日 (金) 16:33 (UTC)[返信]

引用するまでもない常識ですが、欧米美術界の主流は伝統的ではありません。ネット新聞記事でも伝統破壊の歴史が紹介されています。https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2102L_R20C12A5000000/  なんども言うようにアウトサイダーの定義に使用されている形容詞のtraditionalは伝統的という意味で使われていません。ヴァルター・ジュリアンの本におけるtradition は名詞でありconventionalと同義の意味は無く、伝統的と訳して正解です。しかし彼の記事は現代のアウトサイダーを扱ったものではなくファンタスティックアート全般に関するものとしてちゃんと意味が通っています。  --Basicsur会話2018年2月26日 (月) 03:40 (UTC)[返信]

ヴィジョンには視覚的にも見えるものがあります

ヴィジョンが「見えない」というのは違うでしょう。『現代パリの幻想画家たち』をよく読んでください。まず幻視的光景がヴィジョンの訳語ですね。p152を見てください、ランデにとって、映画のフラッシュのようにひらめき、ランデは見たし、その幻視的光景を模写したと説明しています。『聖なる鏡』p12でも、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン#ヒルデガルトの幻視体験についてが自らのヴィジョンを図示・彩色したとあります。幻覚剤を用いたパブロ・アマリンゴなどは、幻覚というヴィジョンをキャンバスに描いています。当人には見えているものです。例えば、夢は、視覚ではありませんが鮮明に見えていますが、カルアナの説明はdreamという言葉を使っていますから、この例えでおかしくないでしょう。パブロ・アマリンゴなどは、視覚が変容していることはハクスリーの『知覚の扉』を参照すれば想像可能で、特に朝日出版社版の『知覚の扉』には、LSDを使用した日本人画家の絵が挿絵にありますから分かりやすいです。--タバコはマーダー会話2017年11月27日 (月) 22:52 (UTC)[返信]


引用先を確認した結果マーダー説と食い違う部分が多く洗い出されて来ました。

「トマス・アクィナス(13世紀の神学者・哲学者)による「幻視」という語の考察によれば[13]。幻視は第一に視覚器官による知覚であり、第二に想像力と知性による内面における知覚である。」 つまり視覚的に見えない想像力と知性にアクィナスは言及しています。

今福龍太による引用においても 「西欧美術の領域においては、そうした幻覚薬物への関心はかならずしも実践者としての画家の仕事に大きく反映されるということがなかった。いうまでもなく想像力の領域をも含めた「幻視」の能力は、ゴッホやモネやシャガールやムンクといった著名な画家たちをあげるまでもなく多くの近代画家たちに共有されており、とりわけ1930年代以降シュルレアリスム絵画によって幻想的な主題が意識的にとりあげられるようになると、絵画はむしろ「幻視」の産物そのものとして位置づけられるようにさえなった。ある意味では、絵画的な「視線」ははじめからリアリズムを超越する幻覚的・想像的な領域を懐胎していたのであり、肉体に幻覚を誘引させる薬物的な現象を経由しなくとも、幻想的モチーフは彼らの内部の視線からあふれ出してきたのだ、と考えることもできる。」

今福さんの言いたいことを要約すると、絵画自体が想像力の領域をも含めた「幻視」の能力 の産物だということです。つまり視覚的幻覚は 想像力の領域の一部なのです。慎重に括弧付きで「幻視」となっています。単純に視覚的幻覚のことを「幻視」と呼んでいるのではありません。ここでは想像力を含んでいるのです。  幻視芸術は 視覚的幻覚のみに基づく芸術ではありません。ゴッホの手記の重要性を例にあげるまでもなく、想像力と思考、意志と感情と人生の全てに基づいているのです。常識的にみて、幻覚を見ながら絵が描けるはずがありません。幻視芸術家たちは製作中はずっと幻覚を見ていなければ幻視芸術が描けない事になります。ちなみに私個人の経験では白昼に幻覚を見たことは一度もありません。

マーダーさんは 「幻視的光景がヴィジョンの訳語」と言ってますが、(正確には幻視的場面) 幻視光景ではないのです。幻視的光景です。幻視そのものではないのです。それは単にそれっぽいという曖昧な表現です。それは本人にしか分かりません。

それより、マーダーさんは幻視芸術家達ともっと交流をして取材をすべきではないですか?非常に面白い人々がたくさんいます。今はSNSなどで気さくに質問できる環境が整っています。これからも幻視芸術を編集してゆこうとするなら、本やネットだけではなく、生の幻視芸術家たちに体当たりし、幻視芸術なるものを実際に目で見て、鑑賞し、そして編集を続けてみてはどうでしょう。マーダーさんがその気であれば協力は惜しみません。--Basicsur会話2018年3月11日 (日) 14:06 (UTC)[返信]

定義とは定まった義理のためではない、コミュニケーションをするための明確な指標を模索するものである

日本人でウィキペディアにのめりこむタイプが居るとするならdefineを定義と捉え、定まった義理と解釈する場合があると思います。なぜ定義が必要かというと人々が言葉の意味を明確にしコミュニケーションをするためであって、その目的のためにウィキの定義編集は存在すると思います。——以上の署名の無いコメントは、Basicsurノート履歴)さんが 2017年6月24日 (土) 16:40 に投稿したものです(タバコはマーダー会話)による付記)。

Wikipedia:独自研究は載せないを参照してください。出典に確認のできない定義は、それは独自研究です。--タバコはマーダー会話2017年6月25日 (日) 03:47 (UTC)[返信]
議論は再開しました。しばらく停止した理由は、タバコはマーダーさんに考える時間を提供する必要があると判断したからです。物凄く難しい問題をこのヴィジョナリーアートおよび幻視芸術ページは扱っています。再開した議論に関しても回答は早急に求めません。何年かかってもいいのでじっくり考えて返答してください。どういう意図であれ、このテーマに関心をもった執筆者に対して一貫して深い敬意を払うつもりです。--Basicsur会話2017年7月23日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

定義の問題

「観想の眼」というケン・ウィルバーの造語が幻視芸術の定義に使われている問題

定義にある「観想の眼」の出典が明記されておらず、ケン・ウィルバーの造語であることを特定しました。何を意味するのか分からないので書籍で確認したところ、『統合心理学への道』というやたら分厚い本の130ページにいくらか説明がのっています。簡単に言うと、西洋において特徴的な二元論的な矛盾の統合は「観想の眼」なるものを開けば解決されるというのですが、何が正しく何が間違っているのかをほとんど指摘できないような、分析されること回避するかのような、ややこしい構造の文章と用語が並んでいます。しかも英語の原文が入手できないので「観想の眼」がそもそも何なのかが和訳の書籍によっても確認できませんでした。  幻視芸術という一般には耳慣れない言葉の説明のためにさらに理解困難な「観想の眼」を使用することには問題があります。「観想の眼」の定義がさらに必要となり、しかもケン・ウィルバー本人の文章の和訳は理解し難い抽象的なものです。トランス・パーソナル心理学やニューエイジのような真偽の判断がつかない思想問題と関連させると、我々の手にあまる作業になるはずです。思想よりも実際に産み出された客観的な芸術作品そのものの取り扱いを記事にするほうが穏当であると思います。--Basicsur会話2017年7月28日 (金) 13:40 (UTC)[返信]

ページ上の出典リンクを確認しました。「観想の眼」の英語はeye of the soulのようですが、いずれにせよ日本の利用者にとっては不親切な語彙になると思います。アメリカの思想から距離をおくロシア正教会に属するヴィジョナリー・アーティスト、オレグ・コロレブのような存在など考慮すると、アメリカの思想だけでは全てをカバーできないのが今日のヴィジョナリー・アートムーブメントだと思います。--Basicsur会話2017年7月28日 (金) 16:35 (UTC)[返信]

英語はeye of the soulではなく、eye of the contemplationですね。そのサイトの著者はDrinking Lightning: Art, Creativity and Transformationの著者であり、サイトでもケン・ウィルバーを引用しており、#定義に示した通り『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』の書籍に登場する「静観(contemplation)の目」と矛盾しませんし、定訳は観想の眼かと。つまり、この手の絵画の解釈にあたって、ケン・ウィルバーの理論はその2つの著作で扱われているので重要ですし出典があることになります。独自研究を理由に除外される情報とはならないでしょう。
観想の言葉は、仏教や哲学で使われますので造語ではないです。観想の目となるとウィルバーの言い回しかもしれませんが。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
ヴィクトル・I・ストイキツァ 著、松井美智子 訳『幻視絵画の詩学』三元社、2009年。ISBN 978-4-88303-237-2 
以上に登場するように、「観想」は神学的な絵画の歴史に関わる重要な語であり問題はないと思います。静観よりは観想の語が一般的です。--タバコはマーダー会話2017年8月11日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

『パラレル・ヴィジョン』には「幻視芸術」という日本語の用語が一つも無いという致命的問題 と 資料記事を曲解する問題

333ページある『パラレル・ヴィジョン』を全ページ精査してみました。取りこぼした部分はあるかもしれませんが、用語、タームであるのかどうかに気をつけますと「幻視芸術」という用語は見つけることができません。もっとも近いのは「幻視的芸術」および「幻視的芸術家」がそれぞれ一つだけです。しかし、これらはタームの実例ではありません。「幻視」に関してもっとも頻用度があるのが「強迫的幻視者」というもので全体で14回ほど使用されていますが、これもタームではありません。タームであるのはアールブリュットおよびアウトサイダー・アートあるいはシュルレアリスムであり、300ページに幻想芸術というタームが5回でてきますが、これはニューヨーク近代美術館で開催された「幻想芸術,ダダ,シュルレアリスム」という名称の展覧会の略称であり、アウトサイダー・アートのことを意味しているのではありません。  この精査作業を通して確認できたのは、「幻視芸術」という日本語の用語がアウトサイダー・アートを意味した例はなく、あるとしても見つけるのが難しいほど全面的には使用されていないということです。日本語の幻視芸術はアウトサイダー・アートを意味していないことを証明する書籍として『パラレル・ヴィジョン』は役に立っています。

 しかしパラレル・ヴィジョン展が開催されたのは1992年であり、かなりの歳月がたっているため、インターネット上で幻視芸術とアウトサイダーアートを関連させた記事を検索してみると、なんと!このウィキペディア記事しか無いのです。国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。  『パラレル・ヴィジョン』を精査したことで以下の記事の問題も発見しました。


1972年にアウトサイダー・アートという言葉を用いて、(主に障害者の作品を集めたデュビュッフェの提唱した)それまでのアール・ブリュットを定義しなおしたロジャー・カーディナル(英語版)は、後に適語を探した時のことに言及しており、アウトサイダー・アート、フォーク・アート、ヴィジョナリー・アート(『パラレル・ヴィジョン』訳書では「幻視する美術」に読みとしてふられている)などこれまで用いられてきた用語を挙げている[4]。アメリカ合衆国メリーランド州のボルチモアに所在するアメリカン・ビジョナリーアート・ミュージアム(英語版)における幻視芸術の定義は、以下のようになっている[1]。この定義においては、伝統的な美術の外側であるアウトサイダー・アートの定義と同様である[1]。


実際の書籍の記事では、ロジャー・カーディナルが様々な過去の適語の8つの候補を上げてゆくなかでその一つに「幻視する美術」が登場してきます。カーディナルの言葉を引用すると

「創造者の社会的もしくは精神的な状態を暗示する、多くの用語が用いられてきた。孤立した美術、異端の美術、局外者の美術、民俗芸術、幻視する芸術、霊感による芸術、分裂病的美術、私たちが識別しようとしているすべての創造者が、社会的、心理的カテゴリーに直ちに当てはまるとは限らないように、これでは不十分に思える。作り手の異常さや風変わりな点を強調するような仕方で、作品を分類することは、関心の的を美的インパクトから作者の経歴へと逸らしてしまいがちであると、私は強く感じている。」 まだ続きますが、カーディナルによる記述が意図しているものは、さまざまな用語で分類してゆくことへの疑義であり、最後に「けれども、これらのどれ一つとして充分に鋭く射抜いてはいないのである。」

と言っていることで彼の疑義は明らかです。ここには幻視芸術という纏まった用語じたいが見いだせないどころか、むしろ用語化への批判文章がカーディナルによるものなのです。

さらに太字の本記事には重大な間違いがあります。ビジョナリー・アートの定義とアウトサイダー・アートの定義が同様であると言っているのです。とんでもない誤解と曲解です。引用先の記事はアメリカン・ビジョナリー・アート・ミュージアムの定義が適切なのかどうかを論じている記事なのです。ビジョナリー・アートをあたかもアウトサイダー・アートであるかのよう定義しているミュージアムへの疑義なのであり、そのためにミュージアム側の定義を引用しているのです。ちゃんと正確にご理解いただけたでしょうか?--Basicsur会話2017年7月30日 (日) 15:14 (UTC)[返信]

あなたの引用部分と意見との解離があるためよくわからないのです。
>ヴィジョナリー・アートをあたかもアウトサイダー・アートであるかのよう定義しているミュージアムへの疑義なのであり
あなたも同じように読み取れていますから、Wikipedia:中立的な観点があるので2種類の定義があるので、中立に観点を示して紹介されます。
>ここには幻視芸術という纏まった用語じたいが見いだせないどころか、むしろ用語化への批判文章がカーディナルによるものなのです。
まず引用されたWikipedia記事本文に幻視芸術という用語がないですよね。「ヴィジョナリー・アート(『パラレル・ヴィジョン』訳書では「幻視する美術」に読みとしてふられている)」とそのままですね。
あなたがご自分でご確認されたように、『パラレル・ヴィジョン』では、「局外者の美術」にアウトサイダーアート、「幻視する美術」にヴィジョナリー・アートの振り仮名があり訳語であることが確認できますし、それらが似たような芸術を分類する言葉のひとつであったが、最終的に定着しているのはアウトサイダーアートだというのはその書籍でもそうなっているから周知のことです。
もう一つの登場箇所は「幻視的芸術」ではなくて、#訳語で原著の情報で確認し、5月から述べている通り174ページ「幻視的美術」でありこれは、Visionary Artの訳語ですよね。この174ページは「1960年代中央における幻視的美術」の章のはじまりであり、内容はその時期場所のアウトサイダーアートへの言及ですよね。書籍内にて訳語が統一されていない以上、もう少し統一性が確認できる#ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していないを参考にするのはWikipedia:記事名の付け方の通りですね。
定義については、ヴィジョナリー・アート・ミュージアムの定義についての文献と『パラレル・ヴィジョン』とを出典として、2出典がアウトサーダーアートに同類の言及をしている以上、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:出典を明記するに従って記述することができます。
>国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。
あなたの独自ルールに該当するガイドライン等はありません。
>タームの実例ではありません。
意味が分かりません。タームという言葉の意味を勝手に使っていらっしゃるので。強迫的幻視者が14回あるならこの書籍の中での重要な用語ですし、現に記事中に反映しています。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 10:53 (UTC)[返信]
強迫的幻視者、強迫、幻視といった言葉は以下の文献でも書かれており重要な用語です。そして、パラレル・ヴィジョン展自体が『美術手帖』2017年2月号「特集アウトサイダーアート」でも言及のある出来事です。
  • 川口幸也「カヴァリング・アウトサイド-アウトサイダー・アートの政治学」、『Collage』第2号、1999年4月、 2-7頁。
  • 世田谷美術館編 『アウトサイダー・アートを考える : パラレル・ヴィジョン・シンポジウム』 世田谷美術館、1994年。
ご確認の通り、幻想芸術の言葉は『パラレル・ヴィジョン』においては最終章で他の展覧会に言及しているだけで無関係です。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 11:37 (UTC)[返信]

Visionary Artには二つの定義がある

前出のVisionary ArtとOutsider Artを同じ定義のもとに同じものと看做した誤解曲解記事の問題を受けたレポートです。問題の記事は以下の英文を含むサイトを引用先としていますが、in this context, the definition of Visionary Art is similar to Outsider Art,のここだけを根拠にしているようです。しかし、‘but without the specificity of that term.’からビジョナリー・アートミュージアムとは別のもう一つの定義が提示されています。エルンスト・フックスに学んだローレンス・カルアナによる定義です。以下に翻訳しました。

「ヴィジョナリー・アーティストはあらゆる手段を使って良い。それが彼にとって多大な危険となろうとも、あらゆる異なる意識状態へとアクセスした成果とヴィジョンを表明するために。夢や恍惚状態あるいは変成意識などを通じて、ヴィジョナリーな芸術は我々の視界を超えたところに何があるのかを明らかにしようとする努力を表明する。芸術家は見えないものを見ようとし、通常の認識を超えたヴィジョナリーな地点へと到達しようとする。」

この第二の定義は第一の定義と違うものを主張するために書かれており、Visionary Artは一つの定義では説明できないことが明らかです。カルアナ以外にも様々な個人、多くは芸術家たちが定義を試みていますが、共通しているのはOutsider Artとは違うものであることを表明するために定義がなされている。つまりアウトサイダー・アートとの境界を明確にするためにやっているということです。いっぽうでアウトサイダー・アートとヴィジョナリー・アートの境界を無くしていこうとするような匿名ウィキ執筆者達はいったい何を目的としているのでしょう。彼らにとってなにか得になることがあるのでしょうか?

ミュージアムの第一の定義を一応訳すとこうなります。そのコントラストがはっきりすると思います。

「ヴィジョナリー・アートは独学の個人から産み出された、通常は正式な教育を受けていない個人の生得のビジョンからの芸術であり、何よりも創造的な活動そのものを第一に楽しむものである。」

"Visionary Art […] refers to art produced by self-taught individuals, usually without formal training, whose works arise from an innate personal vision that revels foremost in the creative act itself."1 --Basicsur会話2017年7月30日 (日) 15:03 (UTC)[返信]

ガイドラインにご理解がないことは再三判明していますが、Wikipedia:中立的な観点があるので複数の定義は中立に観点を示してそれぞれ紹介されます。また美術館の定義、もう一つの定義について記事中で紹介されています。第二の定義とされるものにほぼ似た文章は、カルアナの文献を出典に既に記事内に存在し、記事の未読とガイドラインの無理解が原因かと思われます。
#定義の他の出典に照らせば、「生得の」と訳すと矛盾が出てきますのでおかしいです。絵画技法であれ、瞑想修行であれ、精神障害であれ後天的ですね。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
Basicsur氏の発言の転載部分を減らしWikipedia:削除依頼/ノート:幻視芸術を提出しました。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
「生得の」「生まれながらの」という解釈で正しいです。これは後天的な教育の反語としてinnateなのであり、異論があるなら英語ユーザーに問い合わせをすることを薦めます。例えば、猫は後天的教育によってニャーと鳴くのではなく生得の本質としてそうなるわけです。自らの独自解釈を恐れる習慣を薦めます。--Basicsur会話2017年7月31日 (月) 17:02 (UTC)[返信]
そうするにしても、その個人の生誕と共に生じたビジョンのように読み取れるのはよくないでしょう。
あと、that は関係代名詞のthatと思われますので vision にかかっていないでしょうか(関係代名詞「that」の使い方)。--タバコはマーダー会話2017年11月28日 (火) 03:42 (UTC)[返信]

サイケデリック・アートへの批判的記事の一部分だけを根拠にしてVisionary Artが幻覚剤を必須としているかのように見せてかけている問題

前述したようにVisionaryには幻視、幻覚という意味はありません。「幻視芸術は幻視に基づく芸術である。」という安易な独自研究による定義を裏付けるためにそれっぽい一部分だけ引用して導入定義を捕足するという良く無いやりかたが見られます。資料を引用しても部分だけ抜き出して再構成すればいくらでも勝手な定義を捏造することができます。このメスカリンに関する記事は幻覚剤が芸術活動に必ずしも役に立つ訳ではないことを述べたものであり、オルダス・ハクスリーはメスカリン摂取後、7年目にアートのための幻覚剤使用に興味が無くなっているのです。ヴィジョナリー・アートと幻覚との必須関係を扱ったものではないのです。「幻視芸術は幻視に基づく芸術である」を主張したい匿名ウィキ編集者は他の記事にも同じ手法、部分だけ抜き出して独自の都合で組み合わせる作業をしていますが、とにかく今は他の部分は後回しにしてこの問題をまず指摘しておきます。

メスカリンを体験したイギリスの作家のオルダス・ハクスリーは、1953年に「幻視体験と幻視芸術」に関する一連の講義を行っている[7]

 幻覚剤はたしかにある部分の芸術家たちには何かのきっかけにはなっているようですが、引用先をちゃんと読みますと、幻覚剤には才能じたいを開花させる力は無いと見て取れます。「幻視芸術は、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術である。」という現在の定義がいかにいいかげんな虚構であるかがみなさんにもお分かりになると思います。

News about art produced in experiments gradually diffused to the general public. In 1953 Newsweek published an article about the use of mescaline in psychiatry entitled "Mescal madness." This featured surrealist composite photographs by German photographer Leif Geiges that simulated "the mental patterns described by mescal users."

(メスカリンの)実験によって生まれたアートに関するニュースが一般公衆の間に広まっていった。1953年にニュースウィークは「メスカリンの狂気」と題された精神医療のメスカリン使用に関する記事を書いた。この記事ではドイツ人の写真家Leif Geigesによるシュルレアルなコラージュ作品が紹介されており、「メスカリン使用による精神パターン」をシュミレーションしたものだった。

British novelist Aldous Huxley first took mescaline in 1953, under the supervision of Dr. Humphry Osmond. Huxley discussed mescaline and art while delivering the opening address-- "Visionary Experience, Visionary Art, and the Other World"--at the 1954 Duke University Lecture Series in North Carolina (La Barre 1975). Huxley regularly mentioned psychedelics in his lectures at scientific conferences and he informed the general public about them through his talks at universities, magazine interviews, and written works. Nevertheless, in 1960 Huxley expressed a lack of enthusiasm about using psychedelics for art:

イギリスの作家、オルダス・ハクスレーは1953年、医師のHumphry Osmondの指導のもとにメスカリンを試した。ハクスレーはメスカリンとアートに関する討論を行い、同時に「ヴィジョナリー体験とヴィジョナリー・アート」という講演会を開いた。(中略)  ハクスレーは常に科学者の会議においてサイケデリックス、幻覚剤について言及した。大学、雑誌インタヴュー、あるいは著作を通じて知識を伝えようとしたにも関わらず、1960年にはハクスレーはアートのための幻覚剤使用に興味が無くなったと表明している。

--Basicsur会話2017年7月31日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

あなたがWikipedia:中立的な観点にご理解がないのでそう見えるのかもしれませんが、中立的にあらゆる言及を網羅しているだけですよ。
>引用先をちゃんと読みますと、幻覚剤には才能じたいを開花させる力は無いと見て取れます。
まずそのような言及が記事内にないですよね。
幻覚剤を使用したVisionary artについては以下の文献とで2文献は記事内に示されています。
Martina Hoffmann, Robert Venosa (2012). “Robert Venosa and the Visionary Art World” (pdf). MAPS Bulletin 22 (1): 22-23. http://www.maps.org/news-letters/v22n1/v22n1.pdf. --タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 11:09 (UTC)[返信]
Basicsur氏の発言の転載部分を減らしWikipedia:削除依頼/ノート:幻視芸術を提出しました。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
あれ?オディロン・ルドンを扱ったノートの翻訳箇所が勝手に削除されています。そこには「幻覚剤には才能じたいを開花させる力は無いと見て取れます。」の根拠があるのに、タバコはまーだーさんが勝手に削除したのちに反論しています、日本には英語をすらすら解読するひとが無数にいるのですよ。--Basicsur会話2017年7月31日 (月) 16:19 (UTC)[返信]

2018年の新たな独自研究

故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、

The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。

ロングマン現代英英辞典の「未来に関するアイデア」のような意味だけをとり、それを他の「視覚的な知覚」について言及している出典がついている文章に上書きされているのではないでしょうか。これでは検証可能な文章を検証できない形へ改変していることになります。

氏が半年以上前に提示された出典『現代パリの幻想画家たち』でも、「幻視画家」「幻視的光景(ヴィジョンの振り仮名)」といった訳語が繰り返されており、巌谷國士もまとめると「ヴィジョネールという言葉も幻想と訳すことができるが日本語では幻視の方が近い概念であり、ヴィジョンを得る、見えないものを見るという意味であるが、未来を予見するという意味でも用いられる」と書いており、この一番最後の意味だけを採用されているようです。未来を予見するという意味は補足的な意味に過ぎません。とりわけランデへのインタビューp152には、「それは映画のフラッシュのようにひらめきました。実際に完成しているタブローを、私は見たのです。私はいわばその幻視的場面(ヴィジョン)を模写したのです」とありますし、トマもp178「幻視的光景は、フラッシュのようなものだといえるでしょう。(略)私にとっては、それはかなり焦点のぼやけたものです。」これは、オックスフォード現代英英辞典の目や精神に映し出される to display to eye or mind というvisionの意味が近いでしょう。『現代パリの幻想画家たち』には、他にもp100「集団の無意識の奥底から汲まれた人間の絶対の幻視的光景(ヴィジョン) 略 このような芸術家の霊的体験は 略 神秘家のそれにも似る 略 肉体の目を閉じよ。」ともあり、他の文献の記述とも整合が取れます。

幻視芸術(2018年2月22日16:58)に書かれたような「未来の世界はどうあるべきを明確にするアイディアを意味したり」といった意味こそが、ロングマン現代英英辞典の記述を発展させた他の出典に確認できない独自研究であります。『現代パリの幻想画家たち』だけ未来に関するような意味で支配的になっているということも、まったくありません。出典の検証に反する独自研究をWikipediaに投稿することはWikipediaの目的外利用です。

--タバコはマーダー会話2018年2月22日 (木) 17:23 (UTC)[返信]


辞書を独断的に不完全だと断定することは個人にはできません。辞書を勝手に不完全だとするのは独自研究です。to display to eye or mindとありますので、オックスフォード現代英英辞典においてもMindつまり内的なものが示唆されています。そもそも芸術一般が内的世界の外的表出であり、これは古典的でかつ常識的なものです。幻視芸術家のすべてが幻覚を視覚的に見ているのではありません。そこには不安や希望や恐怖といった内的要素があります。たしかに先見の明で未来を見るといったVisionaryの口語の意味はvisionary artの中心的な本質ではなく副次的なエピソードであり、強調することは読者に混乱を与えることになります。しかしそれほど日本語の幻視と比較するとvisionaryという英語は含みが広いということに気をつけるべきです。 Visionary art is an artistic style based on a spontaneous depiction of what is seen in the altered state of consciousness, religious, meditative contemplation, trance, as well as flashbacks that arise after so-called "tripods" (psychedelic state) altered states of consciousness, characterized by a different perception and an intense process of awareness. English synonyms Visionary art: Visionary Art, Fantastic Realism, Imaginative Art, Mystical Art, Psychedelic Art. One of the creators of the theory of the noosphere and the modern theory of cosmic evolution, Pierre Teilhard de Chardin, revealed the true nature and essence of art in the style of "Visionary art": "We are not people who experience spiritual experience, but spiritual beings who experience the experience of human existence." 全世界に向けたロシアにおける幻視芸術のイベントに ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの言葉が引用されています。 こちらの編集方針も独自研究の除去です。ご検討ください。このページにおける最も大きな独自研究は幻視を短絡的に視覚的幻覚とし、その要素を抽出して独自の幻視芸術というどこにもないジャンルをウィキペディア上に実現しようとした試みにあります。 visionaryは日本語の幻視とイコールではありません。幻想と訳しても間違いではありません。ファンタスティック リアリスムが同義語とされているのが証拠です。--Basicsur会話2018年2月25日 (日) 16:50 (UTC)[返信]

以前の定義 「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」の問題は、第一に同義語の幻想芸術と訳した場合、意味が分からなくなることです。「幻想芸術とは、幻想で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと、アウトサイダーアートの定義と同様に幻想に基づく~といったものになります。第二に、 幻視で見たケースの芸術と、それを基にしたケースの芸術の二例があげられていますが、両者の違いが読み取れないのです。基にしたほうの芸術家は幻視していないのでしょうか。幻視(Vision)と表記したとしても、Visionは思考や想像力を含む語なのであり、「基」にしたほうの画家は思考も想像力も使わないのでしょうか。ここにおける問題もvisionaryというもともとの意味が生かされていないこと、さらには芸術名称の字義と実際の活動実態が一致していないことからの混乱なのです。「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」という表現の意図を想像すると、ここでの幻視は 特殊な幻覚を見る状態を扱っているのではないでしょうか。幻視芸術家たちは普通の人々であり、幻覚ばかりみて生きているのではありません。精神障害者は幻覚を見る、アレックス グレイも麻薬で幻覚を見た。だから幻覚、幻視こそが両者の共通点である、という編集方針は短絡的類推になります。 アウトサイダーアートはヴィジョナリーアート ミュージアムで扱われている。だからヴィジョナリーアートの活動実態はアウトサイダーも含むのだ、という編集も短絡的類推です。同姓同名を同一人物とすることと同じです。ここにおける編集の独自研究の可能性はとにかく、我々は日本において海外の活動実態を想像しなくてはならない、というハンディから来ています。さらに、お互いが頑固になり、自らの独自研究要素を自覚しようとしないときにも独自研究は発生するでしょう。  Visionaryは先見の明がある、という意味がある。だから幻視芸術は未来を予言する芸術だ。というのもたしかに短絡的類推です。自分でも乱暴だな。と思いましたが、実験的にこういう編集もできてしまうのだという試みとしてとらえてもらえるとありがたいです。

独自研究というものを我々がどうとらえてゆくかを確認する良いきっかけになったと思います。出典と異なる編集を見つけたら、互いにチェックし合いましょう。難しいのは出典先の情報が間違っている場合です。今回のロシアのサイトに関しても全てが正しいと確信して引用しているわけではありません。幻想芸術コーディネーターのジョン・ベイナートによると、この芸術運動はまだ流動的であり、未来の研究者に任せたほうが良い、と本に書いてました。

 さらに五感が不適切だという指摘がありますが、シンプルさや端的な表現として、良いかなと判断しました。これは文字通り嗅覚その他を意味するのではなく、目に見えない六感に比較して一般的に普通の感覚全体をさす分かりやすい日本語だとは思います。よりベターなものがあれば換えても良いです。--Basicsur会話2018年2月27日 (火) 01:06 (UTC)[返信]


独自研究に関する機会ができましたので、このノートの中にある、重要な独自研究の種を指摘しておきます。


国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。

あなたの独自ルールに該当するガイドライン等はありません。
>タームの実例ではありません。
意味が分かりません。タームという言葉の意味を勝手に使っていらっしゃるので。強迫的幻視者が14回あるならこの書籍の中での重要な用語ですし、現に記事中に反映しています。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 10:53 (UTC)[返信]



ここでマーダーさんは私が言及した用語=タームについて異議を出しています。用語は百科事典、辞書の編集には欠かせないどころか、そのために存在しているもので、用語を無視しては勝手な解釈がいくらでもできます。例えば「夏休み」と「夏季休暇」は同じ用語ではありません。「独自研究」と「独自の研究」も同じ用語ではありません。それぞれの用語に特定の背景があります。「強迫的幻視者」はアウトサイダーアート世界の中の用語のようですが、ここに幻視という言葉が確認できることを理由に、独自に「幻視」と「芸術」を新たにくっつけ「幻視芸術」という用語を発明することには無理があり、「幻視する芸術」という一語があることで、「する」を独自に削除して「幻視芸術」を造語するのも個人がやってはいけないことです。さらに、国内でアウトサイダーアートはアール・ブリュットというフランス語で広く紹介されており、日本語の「幻視芸術」という用語によるアウトサイダーアートの紹介は一例も存在しません。アウトサイダーアートを幻視芸術として紹介すべきならそれはボルチモアのビジョナリー・アート・ミュージアム周辺に限ってのみ、という注釈がなければ世の中から孤立した独自研究になります。読者に混乱を与えます。さらに重大なのは口語のVisionary の意味を意図的に無視し、(以前、提示しましたがマーダーさんに削除されました。)英語を母国語としている何億の人々に認証されている英英辞書の定義を勝手に不完全であるとするのは甚だしい独自研究になりませんか?Visionaryという語を含むあらゆる英文の資料の全てをマーダーさんが誤解していることは明白であり、辞書定義を無視したマーダーさんによる記事全体が独自研究を含む恐れ、というより独自研究そのものなのです。  独自研究はいけないことですが、誰もが独自研究をする可能性があります。互いに気づき、気づかせる、と言うことが大切であり、「ああ、なるほどそうですか、間違ってましたねえ。すいません。ではどうすれば正しい記事になるのかをともに考えましょう。」という姿勢となった時にノートは生きてくるのであり、相手の独自研究を重箱のすみを突つくよう批判して欠点を拡大させることはウイキペディアの趣旨ではないと感じています。欠点は批判するものではなく長所によって互いに補うべきものです。ちなみに先日、ネイティブに会って、Visionaryの意味について尋ねましたが、やはり視覚的幻覚という意味では使わない。むしろスピルバーグやスティーブ・ジョブスのような創造的人物を評価するときに使うのがVisionaryということでした。しかしこれは英語の口語のことであって、Visionary Artという芸術用語が何を意味しているのかはまた別の話です。やはり、先日紹介したロシアのサイトに興味深い内容の記事があると感じています。これは伝聞情報なのですが、いずれ明確に理解できたら紹介したいものです。


口語のVisionary の意味を紹介します。ご自分の研究の発展に邪魔だという理由で独自に削除することは絶対に控えてください。ご自分の間違いに気づいたら、相手を攻撃せずに静かに内省しましょう。

Visionary 1 Having clear idea of what the world should be like in the future.世界がどうあるべきかに関して明確なアイディアを持つこと。 2 existing only in someone's mind and unlikely to ever exist in the real world.ある人の心の中のみに存在し、今までの現実世界にはあり得なかったようなもの。

--Basicsur会話2018年3月2日 (金) 16:54 (UTC)[返信]

〜故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、 The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。〜


これに関して、丁寧に回答します。英語のseeは「理解する」I see.も含みます。visionも思考や想像力を含むのです。オックスフォード辞典における visionaryは下のようになってます。マーダーさんはvisionで調べているのでロングマン辞典との比較になっていません。  1Thinking about or planning the future with imagination or wisdom.‘a visionary leader’想像力や知恵によって未来を計画し思考すること。「ヴィジョナリーなリーダー」といった用法など。  2Relating to or having the ability to see visions in a dream or trance, or as a supernatural apparition. 夢やトランス状態で見る視覚体験や能力、あるいはそれに関すること。超自然的な幽霊のような存在を見ること。‘visionary dreams’「ヴィジョナリーな夢」といった用法など。

ロングマン辞書もオックスフォード辞書もわりと意味は重なっています。まず現実を変えていく実際的な能力、という意味と、現実にはあり得ないようなものを見聞きしたり抱いたりするということです。 日本語の幻視は視覚的幻覚、という意味に限定されており、  Visionaryが意味する範囲と異なっています。今後、幻視芸術を編集していこうとするなら、これら英語辞典の意味に沿わなくては独自研究になります。幻視芸術は日本発ではないのです。

さらに、美術に関するものではありませんが、西洋思想における「ヴィジョナリー」や「アウトサイダー」という言葉に関して、より親密になれる資料として有名なコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』があります。ご存知かもしれませんが、今、改めて読むと重要なヒントが得られそうです。

「通常の知覚」を五感の二語で表現することは日本ではありふれています。マーダーさんが住んでいる国がどこかは知りませんが、日本人としては自然な表現なのです。「五感」に関しては独自研究と言い切れないものがあります。出典先が英文である場合、日本人の、特に若年層にも分かるような配慮で噛み砕いた表現や意訳が必要になります。それは出典先を曲解する趣旨ではないのです。--Basicsur会話2018年3月3日 (土) 16:33 (UTC)[返信]

ここまで説明してマーダーさんがいかに独自研究に浸っていたかが明らかになったと思います。独自研究を削除すべきとするなら、時間はかかりますがまず、ご自分の独自研究を改善していってはどうかと提言します。誰が独自研究をしたかは関係ありません。情報が事実と一致していないとウィキペディア利用者が困るのです。私自身の独自研究にも気づいています。勘違いしていたことが色々あります。時間がかかるので後日発表したいと思います。マーダーさんの方で先に気づいたのなら私の独自研究を公表しても構いません。対応したいと思います。--Basicsur会話2018年3月3日 (土) 17:10 (UTC)[返信]

ヴィジョナリーアートのページを幻視芸術と改名したことにより、ヴィジョナリー=幻視=視覚的幻覚 と短絡的に曲解する重篤な独自研究が発生したため、今後そういった独自研究を避けるためにヴィジョナリー・アートという表記を記事内に使用することにします。「ヴィジョナリーアート」という語をウィキペディア内から一掃しようとする偏った方針が今まで存在し、それが独自研究を促進させて来ました。 さらに読みにくい幻視芸術の歴史を 見出しで分割しました。--Basicsur会話2018年3月9日 (金) 15:36 (UTC)[返信]

細部を詰めるための情報交換

「霊(スピリット)の表現のため「観想の眼」を開くには、瞑想は確実な方法のひとつであり」の引用に 「R.カスナー 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』 春山清純訳、牧神社、1977年。」が使われています。この著作は絶版で、入手不能であり、しかも「観想の眼」というケン・ウィルバーの用語がすでにこの1977年の著作の中で使われているとは思えません。引用するときの手作業ミスではないでしょうか?--Basicsur会話2018年3月28日 (水) 15:38 (UTC)[返信]