「茂山七五三」の版間の差分
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一方、高校時代から[[剣道]]を本格的に始め、[[京都産業大学]]経済学部に進学後も続けて、3回生の時には全国大会で個人ベスト16となった<ref name="kensyo"/>。また、1966年の[[ビートルズ]]日本公演のチケットを入手して直接観覧している<ref name="kensyo"/>。 |
一方、高校時代から[[剣道]]を本格的に始め、[[京都産業大学]]経済学部に進学後も続けて、3回生の時には全国大会で個人ベスト16となった<ref name="kensyo"/>。また、1966年の[[ビートルズ]]日本公演のチケットを入手して直接観覧している<ref name="kensyo"/>。 |
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父は四世茂山千作。兄に五世茂山千作。甥に[[茂山正邦|十四世茂山千五郎]]と[[茂山茂]]。長男に[[茂山宗彦]]。次男に[[茂山逸平]]。孫(次男・逸平の長男)に[[茂山慶和]]。 |
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==弟子== |
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2024年4月30日 (火) 13:07時点における版
二世茂山 七五三(しげやま しめ、1947年(昭和22年)8月30日 - )は、狂言方大蔵流の能楽師、人間国宝(重要無形文化財技術保持者各個認定)。本名は
しげやま しめ 茂山 七五三 (二世) | |
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本名 | 茂山 眞吾(しげやま しんご) |
生年月日 | 1947年8月30日(77歳) |
出身地 | 日本・京都府 |
職業 | 狂言方大蔵流能楽師 |
活動期間 | 1951年- 現在 |
活動内容 |
1951年、「業平餅」の子方で初舞台。 1965年、「三番三」を披く 1969年、「釣狐」を披く 1975年、日本能楽団のイラン・スイス・西ドイツ公演参加。 1976年、兄の正義(五世千作)とともに花形狂言会発足させる。 1978年、「花子」を披く。 1993年、『京都府文化奨励賞』受賞。 1995年、「二世茂山七五三」を襲名。 2007年、『京都府文化賞功労賞』受賞 2009年、『名張市市政功労者特別表彰者』受彰。 2011年、『京都市文化功労者』受彰。 2015年、『京都市芸術文化協会賞』受賞。 2019年、「枕物狂」を披く。 2020年、『芸術選奨文部科学大臣賞』受賞。 2023年、「庵梅」を披く。同年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 |
配偶者 | あり(1973年に結婚) |
著名な家族 |
父:四世茂山千作 兄:五世茂山千作 長男:茂山宗彦 次男:茂山逸平 孫:茂山慶和 甥:十四世茂山千五郎 姪孫:茂山竜正 姪孫:茂山虎真 姪孫:茂山鳳仁 甥:茂山茂 姪孫:茂山蓮 |
公式サイト | お豆腐狂言 茂山千五郎家 |
主な作品 | |
新作(SF)狂言 『狐と宇宙人』 『木竜うるし』 |
来歴・人物
1947年、父・七五三(後の四世千作)と母・幸子の次男として京都府に生まれる[1][2]。
2歳頃から祖父の三世茂山千作より狂言の稽古を付けられ[1]、4歳で狂言「業平餅」の子方にて初舞台を踏む[1]。
中学生だった1962年に、母の幸子が死去[3]。翌年(1963年)に父は再婚し、1964年には異母弟・千三郎(2020年末まで千五郎家で活動、その後独立[4])が誕生する[5]。
一方、高校時代から剣道を本格的に始め、京都産業大学経済学部に進学後も続けて、3回生の時には全国大会で個人ベスト16となった[1]。また、1966年のビートルズ日本公演のチケットを入手して直接観覧している[1]。
京都産業大学卒業後は京都中央信用金庫に就職した[1]。入行後の外回り営業では「あの狂言の茂山はんか。それやったら」と預金の顧客に恵まれるという経験もした。その後に秘書課に移った[1]。
1973年に、銀行員だった女性と結婚した[1]。その後(1975年)に長男の宗彦が、1979年に次男・逸平が誕生する。
1976年に同母兄の正義(五世千作)や従弟の晃(あきら)と共に花形狂言会を発足させる[1]。また、古典狂言のほかにも小松左京作の「SF狂言」など数々の新作狂言に取り組む[要出典]。
芸では兄を補佐する立場にあり、40歳までサラリーマンと狂言方としての活動を並行していた[2]。銀行員をやめて能楽師で生きていく決意をしたのは、自分の子どもが成長して15年後に『釣狐』を披くためには、「100パーセント教えてやれる年齢を考えると今しかない」という理由であった[2]。
1995年12月に「七五三」を舞台名(二世)として襲名した[1]。この名前は父・四世千作の本名だった[1]。
2023年7月、重要無形文化財(人間国宝)に認定された[2]。祖父の三世茂山千作、父の四世千作に続く親子三代での重要無形文化財(人間国宝)認定となった[2]。認定に際しては「本来なら兄がいただくべきものだったはず。千五郎家の狂言を多くの方に愛されるものにしていくという役割を、兄に代わって果たしたいと思います」と2019年に死去した兄・五世千作への思いを語った[2]。
受賞・顕彰
- 京都府文化奨励賞 - 1993年
- 京都府文化賞功労賞 - 2007年
- 名張市市政功労者特別表彰 - 2009年
- 京都市文化功労者 - 2011年
- 京都市芸術文化協会賞 - 2015年
- 芸術選奨文部科学大臣賞 - 2020年
- 人間国宝(重要無形文化財技術保持者各個認定) - 2023年[2]
家族
父は四世茂山千作。兄に五世茂山千作。甥に十四世茂山千五郎と茂山茂。長男に茂山宗彦。次男に茂山逸平。孫(次男・逸平の長男)に茂山慶和。
弟子
参考文献
- 茂山千作、茂山千之丞 著、宮辻政夫 編『狂言兄弟 千作・千之丞の八十七年』毎日新聞社、2013年5月30日。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m 能狂言インタビュー 大蔵流狂言師茂山七五三 - 『KENSYO』vol.32(1999年夏号)、SECTOR88、1999年7月
- ^ a b c d e f g “サラリーマンも経験した異色の経歴 人間国宝に狂言師・茂山七五三さん”. 産経新聞. (2023年7月21日) 2023年7月22日閲覧。
- ^ 宮辻 2013, pp. 177, 180
- ^ “本年末をもって千三郎が当家を離れます。”. お豆腐狂言 茂山千五郎家 (2020年12月17日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ 野村萬斎、土屋恵一郎 編『狂言三人三様 茂山千作の巻』岩波書店、2003年、287頁。
外部リンク
- 茂山 七五三(しげやま しめ) – お豆腐狂言 茂山千五郎