コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「トーマス・ロックリー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
差し戻し続き。テンプレート追加、自己研究になりそうな部分を削除
タグ: 差し戻し済み
WP:BLPWP:NPOV違反だらけ
タグ: 手動差し戻し 差し戻し済み サイズの大幅な増減 ビジュアルエディター: 中途切替
1行目: 1行目:
{{最新の出来事|date=2024年8月}}
{{複数の問題
{{複数の問題
|独自研究 = 2024年8月
|独自研究 = 2024年8月
9行目: 8行目:
|生年月日 = {{生年と年齢|1978}}
|生年月日 = {{生年と年齢|1978}}
|生誕地 = {{UK}}
|生誕地 = {{UK}}
|職業 = 作家、歴史家、英語教育者
|国籍 =
|職業 = 作家、英語教育者
|肩書き = [[日本大学]]法学部准教授
|肩書き = [[日本大学]]法学部准教授
|代表作 =
|代表作 =
[[信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍]]<br />An African Samurai in Japan. Yasuke<br />The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
[[信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍]]<br />An African Samurai in Japan. Yasuke<br />The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
|影響を与えたもの = [[弥助]]
}}
}}

'''トーマス・ロックリー'''([[英語]]: Thomas Lockley、[[1978年]] - )は、[[イギリス]]出身の英語教育者<ref name="hmv">{{Cite web |title=トーマス・ロックリー プロフィール |url=https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC_200000001124251/biography/ |website=HMV&BOOKS online |publisher=株式会社[[ローソンエンタテインメント]] |access-date=2024-06-25 |language=ja}}</ref>。[[日本大学]]法学部准教授<ref name="nihonu">{{citation|url=https://researcher-web.nihon-u.ac.jp/search/detail?systemId=b821967215ac2300740660f458cd5cad&lang=ja|title=LOCKLEY Thomas|publisher=[[日本大学]]研究者情報システム|access-date=2024-07-21}}</ref><ref name="hmv" /><ref name="tm">{{Cite web |title=ロックリー トーマス |url=https://www.tuttlemori-authors.com/?page_id=1187 |website=TUTTLE-MORI AGENCY AUTHORS |publisher=株式会社[[タトル・モリ エイジェンシー]] |access-date=2024-06-25 |language=ja}}</ref><ref name="researcj">{{Cite web |title=LOCKLEY Thomas|url=https://researchmap.jp/7000004775|website=researchmap|publisher=国立研究開発法人科学技術振興機構|access-date=2024-08-05|language=ja}}</ref>。元[[ロンドン大学]][[東洋アフリカ学院]](SOAS)客員研究員<ref name="tm" /><ref name="soas">{{Cite web |title=SOAS University of London - Academic staff|url=https://www.soas.ac.uk/about/academic-staff |website=SOAS University of London - Academic |publisher= ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)公式サイトの所属研究員一覧(英語) |access-date=2024-07-20 |language=en}}2024年7月20日現在、Academic staff一覧にThomas Lockleyの名前はない(客員研究員(Visiting scholar)の分類もこの一覧には含まれる)</ref>。研究分野は言語学習の、内容言語統合型学習(CLIL){{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}<!--出典元には「内容原語…」とあるが「内容言語…」の誤りとみられるため訂正。-->。日本やアジアの歴史に関する研究も行うとし<ref name="tm" />、歴史と英語の教員を担当<ref name="tm" /><ref name="hmv" /><ref name="tm" />{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}。<br />
'''トーマス・ロックリー'''([[英語]]:Thomas Lockley、1978-)は、[[イギリス]]出身の歴史家、英語教育者<ref name="hmv">{{Cite web |title=トーマス・ロックリー プロフィール |url=https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC_200000001124251/biography/ |website=HMV&BOOKS online |publisher=株式会社[[ローソンエンタテインメント]] |access-date=2024-06-25 |language=ja}}</ref><ref name="nihonu">{{citation|url=https://researcher-web.nihon-u.ac.jp/search/detail?systemId=b821967215ac2300740660f458cd5cad|title=LOCKLEY Thomas|website=Nihon University Researcher Information System |access-date=2024-07-21}}</ref>。[[日本大学]]法学部准教授。[[ロンドン大学]]東洋アフリカ学院(SOAS)客員研究員。特に国際的視野に立った日本史を扱う。NHK、CNN、BBCなどのTV出演や記事掲載も多数。代表的な著書に『[[織田信長|信長]]と[[弥助]]―本能寺を生き延びた黒人侍』などがある。
日本語の著書などでは姓が先に書かれ、'''ロックリー・トーマス'''<ref>{{Cite web |title=信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍 |url=https://www.ohtabooks.com/publish/2017/01/24000000.html |publisher=株式会社太田出版 |access-date=2024-06-24 |language=ja}}</ref>、または'''ロックリー トーマス'''<ref>{{Cite web |title=英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史 |url=https://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/81288/ |publisher=[[東京書籍]]株式会社 |access-date=2024-06-24 |language=ja}}</ref>と表記される。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[1978年]]イギリスで生まれる<ref name="hmv" />{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}。[[2000年]]、[[JETプログラム]]の参加者として来日し、[[鳥取県]][[鳥取市]]に2年間滞在した{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}。鳥取では、小学校でALT([[外国語指導助手]])として働いた<ref name="tanu1">{{Cite web |title=《支援者インタビュー》 難民として逃れた祖母の存在を胸にー本能寺の変にいた「アフリカン・サムライ」から日本史を描く:ロックリー・トーマスさん |url=https://www.refugee.or.jp/report/activity/2020/02/post_501/ |publisher=特定非営利活動法人[[難民支援協会]] |date=2020-02-12 |access-date=2023-06-24 |language=ja}}</ref>。[[2019年]]に日本大学法学部の准教授<ref>{{Cite web |author=Tsuyoshi Goto |title=Researcher sheds light on mystery of African samurai Yasuke made famous by Netflix anime |url=https://mainichi.jp/english/articles/20220603/p2a/00m/0et/026000c |website=[[毎日新聞|The Mainichi]] |date=2022-06-05 |access-date=2023-06-24 |language=en}}</ref>。また、同じ年にロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の客員研究員となっている<ref name="tm" />。
[[1978年]]イギリスで生まれる<ref name="hmv" />{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}。[[2000年]]、[[JETプログラム]]の参加者として来日し、[[鳥取県]][[鳥取市]]に2年間滞在した{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}。鳥取では、小学校でALT([[外国語指導助手]])として働いた<ref name="tanu1">{{Cite web |title=《支援者インタビュー》 難民として逃れた祖母の存在を胸にー本能寺の変にいた「アフリカン・サムライ」から日本史を描く:ロックリー・トーマスさん |url=https://www.refugee.or.jp/report/activity/2020/02/post_501/ |publisher=特定非営利活動法人[[難民支援協会]] |date=2020-02-12 |access-date=2023-06-24 |language=ja}}</ref>。[[2019年]]に日本大学法学部の准教授<ref>{{Cite web |author=Tsuyoshi Goto |title=Researcher sheds light on mystery of African samurai Yasuke made famous by Netflix anime |url=https://mainichi.jp/english/articles/20220603/p2a/00m/0et/026000c |website=[[毎日新聞|The Mainichi]] |date=2022-06-05 |access-date=2023-06-24 |language=en}}</ref>。また、同じ年にロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の客員研究員となっている<ref name="tm">{{Cite web |title=ロックリー トーマス |url=https://www.tuttlemori-authors.com/?page_id=1187 |website=TUTTLE-MORI AGENCY AUTHORS |publisher=株式会社[[タトル・モリ エイジェンシー]] |access-date=2024-06-25 |language=ja}}</ref>。


== 活動 ==
== 活動 ==
認定NPO法人[[難民支援協会]]の支援者である<ref name="tanu1"></ref>。
認定NPO法人[[難民支援協会]]の支援者である<ref name="tanu1"></ref>。

== 弥助騒動 ==
=== 史実と異なる記述・発言問題 ===
ロックリーが記した書籍や、監修した作品に登場する[[弥助]]像に関して、史実と異なっており、デマを生み出しているなどの批判がなされている<ref name=sawada/><ref name=hamada/><ref name=tanu2>{{Cite web |author=高橋寛次|title=弥助問題「本人は芸人のような立場」「日本人の不満は当然」 歴史学者・呉座氏に聞く(上)|url=https://www.sankei.com/article/20240805-2RDCMCMKMNFYFOGXMRGPCIT2NI/|website=産経新聞|date=2024-08-05|access-date=2024-08-05|language=ja}}</ref>。
ロックリーは自身の作品や解釈(資料にないため想像で補った部分、創作した部分を含めて)をフィクションではなく、歴史的事実(ノンフィクション)として長期間提示していたため、次第に[[弥助]]の専門家として認められるようになった<ref name=kageyama>{{Cite web |author=Shinichiro Kageyama|title=『アサシンクリードシャドウズ』が炎上する理由 |url=https://japan-forward.com/japanese/176663/ |website=Japan forward |date=2024-07-22|access-date=2024-07-23 |language=ja}}</ref>。その結果、21世紀にはいってから、ロックリーによって創作された「伝説の侍」のイメージが、弥助そのものだという誤解を世界的に生んでしまうという事態が発生している<ref name=kageyama/>。ロックリーの想像により生み出された弥助像は、日本を含む世界各国の主要メディアにおいて、まるで事実であるかのように取り上げられ<ref>{{Cite web |title=Yasuke: The mysterious African samurai |url=https://www.bbc.com/news/world-africa-48542673 |website=BBC |date=2019-10-14 |access-date=2024-07-26 |language=en}}</ref><ref>{{Twitter status2|Nichidai_hougak|1131051852068401153|2019年5月22日13:19|accessdate=2024-07-26}}</ref><ref>{{Cite web |title=アフリカ人のサムライ――弥助が残した不朽の遺産 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35138192.html |website=CNN |date=2019-08-11 |access-date=2024-07-26 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=にっぽん!歴史鑑定 #121「黒人侍と本能寺の変」 |url=https://bs.tbs.co.jp/culture/kantei/episode/ |website=BS-TBS |date=2017-08-07 |access-date=2024-07-26 |language=ja}}</ref><ref>{{Twitter status2|Nichidai_hougak|888232408687943681|2017年7月21日12:01|accessdate=2024-07-26}}</ref><ref name="tm"></ref>、ファンタジー上の弥助を史実であるかのように考える人まで出現している。

同じ書籍であっても、日本向けに出版された『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』と、海外向けに出版された『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』<ref>{{Cite web |title=『信長と弥助:本能寺を生き延びた黒人侍』(英語版)African Samurai : The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan (Reprint)|url=https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781335044983 |website=紀伊国屋書店|date=2021-02-02|access-date=2024-07-30 |language=ja}}</ref>を比べると、日本向けでは推測の話と前置きする柔らかい表現を使う一方、海外向けでは断定的な表現になっているなど、内容が異なる部分が存在する<ref name=kageyama></ref>。このためロックリーが執筆した文献でも内容が統一されていない状態となっている。

==== 証拠がないにもかかわらず、「黒人が日本人に奴隷にされていた」という主張への批判 ====
『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』の、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述に対し、「日本に黒人奴隷制があった」と読める内容であるとして、「事実とは異なる」とか「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」など、偽史の拡散に対する非難や懸念がなされている<ref name=sawada>{{Cite web |author=濱田浩一郎|title=織田信長に仕えた黒人「弥助」とはどのような人物だったのか? |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d |website=Change.org |date=2024-07-20|access-date=2024-07-23 |language=ja}}</ref><ref name=sankei20240724>{{Cite web |author=高橋寛次|title=「日本史を侮辱」戦国時代舞台の仏ゲーム、発売中止署名に9万超 主人公「弥助」巡り論争|url=https://www.sankei.com/article/20240724-TY6VB2TKQZDRLKU6TEOSXTRLSU/ |website=[[産経新聞]] |date=2024-07-24|access-date=2024-07-24 |language=ja}}</ref>。
「宣教師がボディーガードとして連れてきた黒人が日本人に奴隷にされた」という不正確あるいはファンタジーな記述についても、国際的に広く「歴史的事実」であるかのように受け入れられてはじめてしまっていることについて、批判が起こっている<ref name=kageyama/>。SNSなどでの批判の中には「黒人奴隷は日本発祥だとロックリーが主張した」と主張する人が見受けられるが、ロックリーはそのような主張をした事実はなく誤りである。

フロイスの『[[フロイス日本史]]』によると[[沖田畷の戦い]]の有馬・島津軍側に大砲を扱う黒人がいたとされており、[[天正遣欧少年使節]]の『天正遣欧使節記』でも「見たことがある」という記載があり、他にも幾つかエピソードがあることから、弥助と同じく宣教師の従者などの名目で複数の黒人が日本国内にいたこと自体は事実と考えられている<ref>{{Cite web|title=第2章 日本に渡ったアフリカ人|url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html|website=[[国立国会図書館]] 本の万華鏡 |year=2013|access-date=2024-08-04 |language=ja}}</ref>。しかし日本人や当時の各大名が組織的に奴隷として使用していたという情報はない。

なお、ポルトガル商人がイエズス会宣教師公認(または黙認)のもと、日本人や中国人などアジア人を奴隷として買い集め、自国植民地まで連行していた時期があったという指摘が存在する<ref>{{cite news |title=Jesuits and the problem of slavery in early modern Japan / Ehalt, Rômulo da Silva |url=https://www-lib.tufs.ac.jp/opac/recordID/records/1040?hit=15&caller=xc-search |author= |agency=|publisher=日本外国語大学OPCA|date=2018-03-12|accessdate=2024-07-29}}</ref>。日本人と黒人はどちらもポルトガルなどヨーロッパの奴隷として使われる立場だった<ref>{{Cite web |author=新晴正|title=「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断|url=https://toyokeizai.net/articles/-/411584 |website=東洋経済オンライン |date=2021-06-08|access-date=2024-07-30 |language=ja}}</ref>。

==== 証拠がないにもかかわらず、弥助を「侍」と断定する記述への批判 ====
弥助が侍であると断定されている資料は存在しない。[[信長公記]]の写本の一つ、尊経閣文庫版信長公記には「[[蔵米|扶持]]と[[短刀|鞘巻]]、私宅が与えられ、時には荷物などを持たせた<ref>原文「同右条 きりしたん国より黒坊まいり候、齢廿六・七と相見へ、惣之身之黒キ事牛之ことく、彼男器量すくやかにて、しかも強力十人に勝れたる由候、伴天連召列参、御礼申上候、誠以御威光古今不及承、三国之名物、かやうに珍寄之者拝見仕候、然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候」</ref><ref>{{Citation ja |author-link=金子拓|title=織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ|publisher=勉誠出版|year=2009|page=311{{hyphen}}312}}</ref>」という旨の記載があるものの、尊経閣文庫版は全文が公開されていないうえ、他の信長公記<ref>信長公記 巻十四(二)御馬揃之事の該当部「二月廿三日 きりしたん国より 黒坊主参り候年之齢廿六七と見えたり惣之身の黒き事牛之如彼男健スクやかに器量也爾シカも強力十之人に勝スグレたり 伴天連召列参御礼申上誠以御威光古今不及承三国之名物か様に希有之物共細〻拝見難有御事也」</ref><ref>{{Cite wikisource|title=信長公記|author=太田牛一|editor-last=甫喜山景雄|wslanguage=ja}}</ref>、織田家や織田信長、イエズス会の文献でも同様の記載がなく確認することができていない。尊経閣文庫版信長公記を含めいずれの文献でも、仕事内容や身分に関する記載はない。

徳川家の『家忠日記』において、天正10年4月19日(1582年5月11日)付けの記述に「扶持を与えられた弥助という黒い男がいる」<ref>原文「上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云」</ref><ref>{{Citation |和書|author-link=松平家忠|year=1897|series=文科大学史誌叢書|volume=第2|title =家忠日記|url={{NDLDC|772514/54}} 国立国会図書館デジタルコレクション|}}</ref>という記載があることから、内容は不明ながら扶持(現在で言う給料)だけは確認できる。

戦国時代の頃は侍や武士の定義が曖昧だったが、ロックリーは以下の理由により弥助は武士であり侍であると主張している。
* 弥助と侍についてのTIME誌の取材に対し「彼は腹心だった」「武器を持ち、ボディーガードの役割だった」「領主のために武器を手に取った人は誰でも、技術的には自分を侍と名乗ることができ、また侍と呼ばれることもできた」などと述べている<ref>{{Cite web |author=Kat Moon|title=The True Story of Yasuke, the Legendary Black Samurai Behind Netflix’s New Anime Series|url=https://time.com/6039381/yasuke-black-samurai-true-story/ |website=[[タイム (雑誌)]] |date=2021-04-30|access-date=2024-07-30 |language=en}}</ref>。
* BBCヒストリーマガジンに寄稿した記事にて「俸禄、京都の北東にある安土城の屋敷、召使い、そして日本刀を受け取った。日本刀は武士の象徴であるため、日本では伝統的に弥助が記録に残る最初の外国人武士であると理解されている」としている(なお尊経閣文庫版信長公記で与えたという内容に召使いは含まれていない)<ref>{{Cite web |author=Thomas Lockley|title=Who is Yasuke? The true story of the African who became Japan's first black samurai|url=https://www.historyextra.com/period/tudor/yasuke-who-first-african-samurai-japan/ |website=HistoryExtra BBC History Magazine's |date=2024-05-17|access-date=2024-08-02 |language=en}}</ref>。
* 後述のゲーム『[[アサシン クリード シャドウズ|アサシンクリードシャドウズ]]』および今回の弥助騒動についてのジャパンタイムズの取材に対し「武士としての権利、特権、責任を儀式的に与えられたかはともかく、弥助は『殿』と呼ばれ、扶持をもらい、信長の紋章を与えられていた。当時としては名誉ある地位だった」「弥助が侍だったという文書は存在しない。しかし、他の誰かが侍だったという文書も存在しない」「日本の歴史の専門家は弥助が武士であることに疑問を呈していない」と武士であることを示す文献がなく証拠がないことを認めたうえで、武士ではないことを示す文献も存在せず、自分の主張を日本の専門家が否定していないと述べている<ref>{{Cite web |author=Owen Ziegler|title=Gaming's latest culture war targets Yasuke, Japan's Black samurai|url=https://www.japantimes.co.jp/life/2024/05/25/digital/yasuke-assasins-creed-samurai/ |website=[[ジャパンタイムズ]] |date=2024-05-25|access-date=2024-07-31 |language=en}}</ref>。

しかし、[[豊臣秀吉]]が[[織田信長]]に[[小者]](足軽)から武士へと認められたのは、信長の下で約10年間の軍役を経てからであることを考えると、信長の下で2年未満しか仕えていない弥助が武士になったとは考え難いという批判がある<ref name=kageyama/>。

=== 自作自演の「Yasuke」改ざんの疑い ===
2015年以来、[[:en:Yasuke|英語版wikipediaの弥助]]の項目に、ロックリーの未発表著作を参考文献として挙げ、「弥助は侍だった」などとする不確かな情報が繰り返し加筆された。加筆者と特定されている「tottoritom」は、日本大学の准教授であると名乗っており、さらに、ロックリーには鳥取で日本語教員の経験があることから、ロックリーの未発表著作を出典として加筆した「tottritom」は実際にロックリー本人ではないかと考える人らによって、大きな批判が起こっている<ref name=kageyama/>。<br />
英語版ウィキペディアの「User:Tottoritom」は、「東京にある日本大学法学部の教員であるトーマス・ロックリー」と自己紹介している<ref>[[:en:Special:PermaLink/680634911|英語版ウィキペディアの「User:Tottoritom」(05:11 UTC, 12 September 2015 の版番680634911)]]。</ref>。

wikipediaだけでなくブリタニカ百科事典でもロックリー氏と見られる人物により記事「Yasuke」が編集されていたが、今回の騒動を受け2024年7月に専門家委員会がファクトチェックを行い更新を行った<ref>{{Cite web |url = https://www.britannica.com/biography/Yasuke/additional-info |archiveurl = https://archive.is/uwK20 |author = |title = YASUKE|website = www.britannica.com|publisher = BRITANNICA|date = |archivedate = 2024-07-26|accessdate = 2024-08-04}}</ref><ref>{{Cite web |title=Yasuke {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/biography/Yasuke/additional-info |website=www.britannica.com |access-date=2024-07-29 |language=en}}</ref>。

=== アサクリ『弥助』問題 ===
{{See also|アサシン クリード シャドウズ}}
ロックリーの著書を参考にして作られた[[弥助]]が主人公とされる、2024年11月15日に発売予定のゲーム『[[アサシン クリード シャドウズ|アサシンクリードシャドウズ]]』のコンセプトアートにおける日本の描写が、不自然で史実に沿っていないことなどから、騒動が起こり<ref name=hamada>{{Cite web |title=信長に気に入られた黒人男性、弥助(やすけ) そしてアサシンクリードシャドウズについて |url=https://www.kurashikiooya.com/2024/07/11/post-18998/ |website=浜田聡のブログ |date=2024-07-11 |access-date=2024-07-22 |language=ja}}</ref>、発売中止の署名運動がなされている<ref name=sankei20240724/>

ゲーム内で、侍であるはずの弥助が、村の中で白昼堂々と敵を惨殺する姿が描かれており、この描写はサムライらしくないとして批判を集めた事に対し、ユービーアイソフトは「当時、死を見ることは日常茶飯事であり、当時の日本ではほとんどの人が死ぬ方法はきれいな斬首だった」と答えたが、歴史的に正確ではない回答であったために批判を生んだ<ref name=kageyama/>。ゲーム内で侍として描かれた弥助は、社会的地位が高い「伝説の人物」として尊敬を集める存在とされているが、歴史上の侍は必ずしも地位が高いわけではなく、ロックリーと[[アサシン クリード シャドウズ|アサクリ]]制作者がまったく誤った概念に基づき、史実における見解と著しく異なるキャラクターを生み出してしまったと批判されている<ref name=kageyama/>。

また、日本が舞台であるはずのゲーム内で、なぜか逆さまに描かれた中国の仏像や工芸品、ミャンマーやタイの農作業の場面が出てくる、日本の「関ヶ原鉄砲隊」「相馬野馬追」などの画像盗用といった複数の失態が発生しており、日本のみならず、中国や韓国でも[[ユービーアイソフト]]の制作陣、ひいては白人社会がアジア文化を無視・軽視・差別していると非難する異例の事態を招いている<ref name=kageyama/><ref>{{cite news |title=「日本と中国の違いすら…」黒人侍“弥助”で炎上の仏ゲーム、問題は時代考証だけじゃない。東大生の考察は |url=https://nikkan-spa.jp/2019257|author= |agency=|publisher=SPA!|date=2024-07-28|accessdate=2024-07-29}}</ref><ref>{{cite news |title=Access Accepted第799回:「アサシンクリード シャドウズ」から始まった“弥助問題”を考える|url=https://www.4gamer.net/games/656/G065622/20240726069/|author=奥谷海人|agency=|publisher=4gamer|date=2024-07-29|accessdate=2024-08-05}}</ref>。

=== 騒動に関する影響と見解 ===
==== 歴史専門家の見解 ====
弥助が侍であるか否かについては、ほとんど研究も論文も存在しなかったものの、今回の騒動を受けて複数の研究者が個人的意見・見解を出す事態となっている。

[[呉座勇一]]は尊経閣文庫本『信長公記』に記載されている「鞘巻の熨斗付(装飾刀)と私宅(屋敷)を与えた」というのが事実であれば、武士として遇されていたとしている。しかしその情報が尊経閣文庫本『信長公記』にしかなく、他の文献には存在しないことに触れ、「書写過程で付け加えられたのでは」という可能性を提示しており、ロックリーやメディアが報じる「黒人のサムライ」という主張に対しては慎重な姿勢を示している<ref>{{Cite web |author=呉座勇一|title=『アサシン クリード』弥助問題に関する私見|url=https://agora-web.jp/archives/240721081916.html |website=アゴラ言論プラットフォーム |date=2024-07-22 |access-date=2024-08-04 |language=ja}}</ref>。また、「侍だったとしても『形の上では』ということもあります」<ref name=tanu2></ref>と実態は伴っていなかった可能性も指摘している。

==== 群馬県立文書館の見解 ====
[[群馬県立文書館]]所蔵の栗間家文書の「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)に、[[豊臣秀吉]]の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てくることに対しトーマス・ロックリーは上記の番組において「くろほう」こそ、[[織田信長]]に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかとする解釈を示している。これに対し同館は、「くろほう」をこれまで全く黒人として認識していないとし、トーマスのご指摘に驚愕しているとしている。例えば『[[源氏物語]]』にも「くろほう」という言葉が登場するが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているとし「くろほう」を黒人と解釈するのは困難としている<ref>[https://www.pref.gunma.jp/site/monjyokan/130144.html 「レファレンス事例紹介コーナー」『群馬県立文書館』2023-10-24更新]</ref>。

==== 弥助に関する誤解の訂正を求める署名活動 ====
ロックリーの著書やインタビューでの発言を元に、日本国外に[[弥助]]や日本の歴史に関する誤った認識が広がっているとして、「トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名」を求める運動が起こっている<ref>{{Cite web |title=トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名 |url=https://www.change.org/p/トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名 |website=Change.org |access-date=2024-07-22 |language=ja}}</ref>。

====国政における動き====
2024年7月11日、[[参議院議員]]の[[浜田聡]]は弥助および『アサシンクリードシャドウズ』について、「想像で本を書き、内容を史実として世界に広め、作り物の歴史を世界の真実にしてしまう」「日本文化・歴史・日本人を酷く軽視し、歪められた」とし、関係省庁に見解を求めた<ref name=20240724seifu>{{cite news |title=黒人侍「弥助」の仏ゲーム、文科省「公序良俗反するなら慎重に対応」 浜田聡氏に回答|url=https://www.sankei.com/article/20240724-WTXDURJJXJAK7DGLOI6HQMTIIY/|author=奥原慎平 |agency=|publisher=産経新聞|date=2024-07-24|accessdate=2024-08-05}}</ref>。

文部科学省は「家庭用ゲームが子供に及ぼす悪影響について、一般論として、公序良俗に反する内容が疑われる場合などには、慎重な対応が求められる」と回答をしている<ref name=20240724seifu></ref>。

[[外務省]]は「ゲームにおける話で、外交とは関係していないことから、対応できかねる」<ref name=20240724seifu></ref>と回答し、『アサシンクリードシャドウズ』のゲームについてのみ回答。ロックリーが海外に向けて誤った歴史を広げたことについては回答しなかった。<br />
一方、在[[モザンビーク]][[特命全権大使]]であった[[池田敏雄 (外交官)|池田敏雄]](在任期間は2017年4月~2020年2月)が在任中に掲載していた大使館のウェブサイト内の挨拶で、「信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にした」「弥助は訪日した最初のアフリカ人」など、ロックリーの主張に沿った内容を記載していた<ref>{{Cite web |title=池田大使挨拶 |url=https://www.mz.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000213.html |website=在モザンビーク日本国大使館 |access-date=2024-07-29 |language=ja}}</ref>。

==== NHKの見解 ====
2024年7月24日、[[NHK]] は2021年3月30日にBS4Kで放送されたトーマス・ロックリーを起用した番組「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」を放送した件について見解を問われ、「番組自体は多くの専門家への取材で構成されている。問題があったとは思っていない」とし、またオンデマンドでの公開を中止した件については「当初から1年という予定で配信をした。予定通り終えたということで、今回いろいろ取り沙汰されたこととは関係がない」と回答している<ref>[https://www.sankei.com/article/20240724-MRNTSYIV2JKBXMVMJHQNVJ3KGI/ 「織田信長に仕えた「弥助」巡る番組「問題あったとは思っていない」とNHK見解」『産経新聞』2024-7-24]</ref>。

== 論文・著書 ==
*[[2016年]]、[[織田信長]]に仕えた[[弥助]]に関する論文{{sfn|ロックリー|2017|loc=訳者あとがき}}「The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer」を『桜文論叢(日大法学部紀要)』に掲載<ref>{{Cite web |title=The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer |url=https://researchmap.jp/7000004775/published_papers/18205512 |work=LOCKLEY Thomas |website=[[researchmap]] |access-date=2023-06-24 |language=ja}}</ref>
*[[2017年]]、『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』を発行<ref name="tm" />。
*[[2019年]]、[[:en:Geoffrey Girard|Geoffrey Girard]]との共著『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』を[[アメリカ]]で刊行した<ref name="tm" />。

== 関連項目 ==
*[[弥助]]
*[[岡美穂子]]
*[[歴史修正主義]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 外部リンク ==
[https://researchmap.jp/7000004775 マイポータル]
* {{Citation|和書|author=ロックリー・トーマス|translator=不二淑子|year=2017|title=信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-7783-1556-6|ref={{SfnRef|ロックリー|2017}}}}
[https://m.facebook.com/olympicsintokyo2020/ Facebook]


== 外部リンク ==
* {{researchmap|7000004775|LOCKLEY Thomas}}
* {{Facebook|olympicsintokyo2020|ロックリー トーマス}}
* {{Facebook|tottoritom|Tom Kinoshita-Lockley}}


{{Normdaten}}
{{Normdaten}}

2024年8月5日 (月) 19:32時点における版

トーマス・ロックリー

Thomas Lockley
生誕 1978年(45 - 46歳)
イギリスの旗 イギリス
職業 作家、歴史家、英語教育者
代表作 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
An African Samurai in Japan. Yasuke
The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
肩書き 日本大学法学部准教授
テンプレートを表示

トーマス・ロックリー英語:Thomas Lockley、1978-)は、イギリス出身の歴史家、英語教育者[1][2]日本大学法学部准教授。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)客員研究員。特に国際的視野に立った日本史を扱う。NHK、CNN、BBCなどのTV出演や記事掲載も多数。代表的な著書に『信長弥助―本能寺を生き延びた黒人侍』などがある。

経歴

1978年イギリスで生まれる[1][3]2000年JETプログラムの参加者として来日し、鳥取県鳥取市に2年間滞在した[3]。鳥取では、小学校でALT(外国語指導助手)として働いた[4]2019年に日本大学法学部の准教授[5]。また、同じ年にロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の客員研究員となっている[6]

活動

認定NPO法人難民支援協会の支援者である[4]

脚注

  1. ^ a b トーマス・ロックリー プロフィール”. HMV&BOOKS online. 株式会社ローソンエンタテインメント. 2024年6月25日閲覧。
  2. ^ LOCKLEY Thomas, https://researcher-web.nihon-u.ac.jp/search/detail?systemId=b821967215ac2300740660f458cd5cad 2024年7月21日閲覧。 
  3. ^ a b ロックリー 2017, 訳者あとがき.
  4. ^ a b 《支援者インタビュー》 難民として逃れた祖母の存在を胸にー本能寺の変にいた「アフリカン・サムライ」から日本史を描く:ロックリー・トーマスさん”. 特定非営利活動法人難民支援協会 (2020年2月12日). 2023年6月24日閲覧。
  5. ^ Tsuyoshi Goto (2022年6月5日). “Researcher sheds light on mystery of African samurai Yasuke made famous by Netflix anime” (英語). The Mainichi. 2023年6月24日閲覧。
  6. ^ ロックリー トーマス”. TUTTLE-MORI AGENCY AUTHORS. 株式会社タトル・モリ エイジェンシー. 2024年6月25日閲覧。

外部リンク

マイポータル Facebook