「瑞鷹 (アニメ製作会社)」の版間の差分
編集の要約なし |
m ページ 瑞鷹 (アニメ製作会社) を 瑞鷹 (アニメ制作会社) へ移動: 誤字 (ノートの指摘による) |
(相違点なし)
|
2008年2月6日 (水) 15:51時点における版
瑞鷹株式会社(ズイヨー、Zuiyo Co., Ltd.)は、日本のアニメ制作会社。旧社名瑞鷹エンタープライズ。
アンデルセン物語・ムーミンの企画、アルプスの少女ハイジを企画制作したことで知られる。
1969年、TCJ動画センターがエイケン(1969年3月-)となるとともに退社した高橋茂人が瑞鷹エンタープライズを設立。企画と営業を主に行なう。ロゴは漫画家の白土三平が作成。この時代のアニメ企画作品としてはTCJ時代高橋が関わった『サスケ(1968年9月-1969年3月)』からの繋がりで同じ白土三平作品のアニメ化『忍風カムイ外伝(1969年4月-1969年9月)』(制作はエイケン)や、『ムーミン(1969年10月-1970年12月)』(制作は東京ムービー、のちに虫プロダクション)、『アンデルセン物語(1971年1月-1971年12月)』『新ムーミン(1972年1月-1972年12月)』(制作は虫プロダクション)がある。瑞鷹エンタープライズには手塚治虫のゼネラルマネージャーを務めた西崎義展が在籍し、『山ねずみロッキーチャック』『ワンサくん』『宇宙戦艦ヤマト』を企画した。『アルプスの少女ハイジ』の企画構想が進む(すでにTCJ制作時のパイロットフィルムが存在)。
1973年、アニメ制作部門としてズイヨー映像を設ける。この時高畑勲・小田部羊一・宮崎駿らが加わる。この時代のアニメ制作作品として『山ねずみロッキーチャック(1973年1月-1973年12月)』『アルプスの少女ハイジ(1974年1月-1974年12月)』がある。
1975年3月、日本アニメーションが設立されズイヨー映像の施設と多数のスタッフ・製作途中の作品を引継ぐ。そのため『小さなバイキングビッケ(1974年4月-1975年9月)』『フランダースの犬(1975年1月-1975年12月)』『みつばちマーヤの冒険(1975年4月-1976年4月)』は途中から製作が日本アニメーションになった。
その後は劇場版アルプスの少女ハイジ(1979年3月)を制作したほかは目立った活動はせず、過去の作品の版権管理が主な業務となっていたが、2000年には『ポピーザぱフォーマー』の制作に加わった。
作品履歴
瑞鷹エンタープライズ時代
- 忍風カムイ外伝(1969年4月-1969年9月/製作はエイケン)
- ムーミン(1969年10月-1970年12月/製作は東京ムービー、原作者トーベ・ヤンソンのクレームにより、のちに虫プロダクションへ変更)
- アンデルセン物語(1971年1月-1971年12月/製作は虫プロダクション)
- ムーミン(新)(1972年1月-1972年12月/製作は虫プロダクション)
- ワンサくん(1973年4月-1973年9月/製作は虫プロダクション)(西崎義展が版権所有、三和銀行のキャラクターとして作られたので、ワンサと言う。)
ズイヨー映像時代
- 山ねずみロッキーチャック(1973年1月-1973年12月/フジテレビ)
- アルプスの少女ハイジ(1974年1月-1974年12月/フジテレビ)
- 小さなバイキングビッケ(1974年4月-1975年9月/フジテレビ)
- フランダースの犬(1975年1月-1975年12月/フジテレビ)(日本アニメーションが版権所有)
- みつばちマーヤの冒険(1975年4月-1976年4月/朝日放送)
瑞鷹エンタープライズ時代(再)
- 劇場版アルプスの少女ハイジ(1979年3月)※ズイヨー映像消滅後
- セレンディピティ物語より ピュア島の仲間たち(1983年7月-1983年12月/日本テレビ)
瑞鷹株式会社(ズイヨー)時代
- 森のトントたち(1984年10月-1985年3月/フジテレビ)
- 妖精ディック(1992年6月-1992年12月/NHK-BS2)
- ポピーザぱフォーマー(2000年/キッズステーション)
- 兵庫のおじさん(2007年/MONDO21)
- エレキング(2007年/キッズステーション)