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2009年1月10日 (土) 14:31時点における版
三菱 F-1
F-1は日本・航空自衛隊で使用された支援戦闘機(戦闘攻撃機)である。量産1号機の初飛行は1977年(昭和52年)で、同年より部隊は配備を開始した。後継機であるF-2支援戦闘機の配備が進み、2006年(平成18)3月9日に全機が退役した。「エフイチ」や「エフワン」と呼ばれるが、愛称は特にない。
概要
三菱重工業が製造したT-2高等練習機を基に、第二次世界大戦終結後に日本が初めて独自開発した超音速戦闘機である。原型となるT-2の開発が完了した直後に、「次期支援戦闘機(FS-X)開発計画」がスタートした。日本という四方を海に囲まれた島国の防衛のため、開発当初から対艦ミサイルとの組み合わせによる対艦攻撃を想定し、国産の空対艦ミサイル「ASM-1」の搭載能力を有していた。原型試作機である「FS-T2改(T-2特別仕様機)」が1975年6月3日、量産型1号機が1977年6月16日にそれぞれ初飛行を行った。
総計77機が製造され、三沢基地の第3航空団第3飛行隊と第8飛行隊、築城基地の第8航空団第6飛行隊に編成されている支援戦闘機部隊に配備がなされた。F-1の有する対艦ミサイルによる対艦攻撃という運用方法は特筆すべきものがある一方で、機動性の低さから空中戦(要撃任務)での不安も抱えていた。
2006年(平成18年)に築城基地の第6飛行隊に配備されていたF-1がF-2の配備により退役し、航空自衛隊で配備・運用されていた全機が正式に退役した。
開発経緯
日本では、それまで支援戦闘機として使用していたF-86Fの航続距離が短かったこと、兵装搭載量が少なく対地・対艦攻撃能力があまりに低かったことと、第1世代のために老朽化で近々用途廃止になる機体が出てくることから、後継機を超音速高等練習機とその派生型である攻撃機型で充てる計画を立てた。
同時期に英仏共同で超音速練習機/攻撃機(後のジャギュア)を開発し、高い費用対効果を上げようと言う試みが国内開発へのはずみにもなったものの、前回のF-X候補のひとつで、F-104に敗れたノースロップ N-156F(後のF-5、T-38)が、航空自衛隊の超音速練習機採用に合わせて再び売り込みを掛けてきていた。
N-156F は後にアメリカ空軍において練習機・軽戦闘機として採用される機体であるが、これは1960年代当時に米空軍で主流であった「戦闘機パイロットの養成には超音速高等練習機が必要である」と言う考え方が働いていた。超音速飛行そのものが特殊であるとされた時代の認識を引きずったものであり、米空軍ではせっかく採用したT-38を用いての訓練でも、ほとんど超音速を用いなかったが、この論そのものは日本の航空機開発と戦闘機搭乗員養成に大きな影響を与えた。
防衛庁(現防衛省)内には米空軍のT-38/F-5を導入するべきだと強力に主張する勢力がおり、また制服組からも純技術的経済的問題から国内開発を疑問視する声があがっていた。しかし、コスト的にはT-38/F-5が優勢であったが「国内の航空産業と若い技術者の育成、飛躍を目的とする」とした意見が通り、国内開発が決定された。
これにより、超音速高等練習機T-2は支援戦闘機への転用を前提として開発され、T-2開発完了直後から次期支援戦闘機(FS-X)開発計画を開始し、T-2からFS-Xを改造開発することとなった。このため、FS-XはFS-T2改と呼ばれ、まず2機のT-2を改造して原型機を試作する事となった。この改造に使われたT-2はT-2特別仕様機と呼ばれた。
T-2からFS-T2改への改造点として、以下が挙げられる。
- 後席を廃止して複座から単座へ変更(空いた後席スペースには電子機器を追装する)。
- なおT-2特別仕様機では後席キャノピーを残したまま、代わりに鉄板を用いて搭載機器を覆い隠している。また、試験用に各種の計測機器が設置されている。
1972年(昭和47年)2月7日の国防会議で策定した第四次防衛力整備計画によって、次期支援戦闘機FS-T2改を68機調達する事となり、開発が決定した。翌年には1974年(昭和49年)度予算に2機分すでの試作が認められたため、三菱重工業は生産ラインにあったT-2の6号機(#59-5106)と7号機(#59-5107)を特別仕様機として改造を開始した(また、この年からFS-T2改の主兵器となるXASM-1の開発も開始された)。1975年(昭和50年)6月3日に火器管制装置(FCS)等の電子機器の実験機である#107が初飛行、6月7日に性能試験、飛行特性試験、フラッター試験機の#106が飛行した。なお、機体システムに支出された予算は4億2000万円、電子装置には7億6300万円であり、機体改造は最小限にとどめ、電子機器類を中心に開発を行った事が分かる。
機体自体に大きな変更を加えられておらず、基本データはXT-2のときに取得済みだったので、#106の試験は早々と終了し、2機による電子機器の試験が行われた。翌7月からは飛行実験団(現在は飛行開発実験団)と防衛庁技術研究本部(TRDI)による技術試験が行われたが、こちらも翌1976年(昭和51年)3月に終了した。さらに8ヶ月にわたって実用試験が行われた後、11月12日に部隊使用が認可され、FS-T2改にはF-1の制式名称が与えられた。なお、試験に使用された2機のT-2特別仕様機は、量産化改造されずに飛行実験団に残され、新兵器開発に利用された。
1975年(昭和50年)に予算で18機の取得が計上されており、量産1号機(#70-8201)は1977年(昭和52年)2月25日にロールアウト(この際、音楽隊により宇宙戦艦ヤマトのテーマが演奏された)、6月16日に初飛行し、9月16日に納入された。その後、10年にわたって量産され、1987年(昭和62年)3月9日に最終77号機が納入され、生産が終了した(T-2は翌年まで生産)。
防衛庁は最初に126機導入を予定したが、最終的には77機の調達となり3個飛行隊が三沢基地と築城基地に配属された。戦闘機の配備数としては決して多くはないが、T-2とほぼ同一の機体であることから、両機を合わせれば173機(T-2は96機)の生産となり、大量生産による価格低減は達成されている。開発費用の超過は当初予定の数パーセントに抑えられており、F-1の一機あたりの平均価格は26億円程度である。
F-1の発表の際、イギリスの航空雑誌は、かつて零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を開発した三菱が、再び戦闘機を開発したと言うことで、「ゼロから1へ」と紹介していた。
運用
調達数の変遷
第4次防衛力整備計画(4次防 昭和47年-51年)原案では4個飛行隊126機を予定していたが、決定案では68機に削減され、残りは次期の防衛力整備計画に先送りされた。しかし実際にはオイルショックによる財政難により、4次防中の調達は26機にとどまった。また1976年(昭和51年)10月に閣議了承された「防衛計画の大綱」(防衛大綱)において戦闘機の配備は「要撃戦闘飛行隊10個・所要機数約250機、支援戦闘機隊3個・所要機数約100機(1個飛行隊25機の3個飛行隊+予備機)」とされたが、最終的には、昭和54年に承認された中期業務見積もり(53中業 昭和55年-59年)の中で、1個飛行隊18機の3個飛行隊+予備機の77機配備とされた(53中業での調達は13機、他に昭和52年-54年で38機の調達)。
配属飛行隊
- 第3航空団第3飛行隊(三沢基地)1977年(昭和52年)9月~1978年(昭和53年)3月31日配備完了。
- 第3航空団第8飛行隊(三沢基地)1979年(昭和54年)6月~1980年(昭和55年)2月29日配備完了。
- 第8航空団第6飛行隊(築城基地)1980年(昭和55年)3月~1981年(昭和56年)2月28日配備完了。
退役
当初は1990年(平成2年)度より最初の飛行隊の更新が必要とされ、56年度中期業務見積もり(昭和58年-62年)では次期支援戦闘機(FS-X)の調達が計画されたが、強度再検討による疲労耐用時間の延長と、当初予定より年間飛行時間が少なかったことより、更新は1997年(平成9年)度からとされ、FS-X国産開発のための時間が得られることになった。しかし、FS-X(現F-2A/B)は開発の遅れによって1997年からの配備が不可能になったため、用途廃止の発生する1997年より、小松基地第306飛行隊(要撃戦闘機飛行隊)のF-4EJ改を支援戦闘機に転用し、新・第8飛行隊を編成した(また、その分の要撃戦闘機飛行隊の定数を補完するため、F-15J/DJの追加調達が行われた)。
第3飛行隊を更新するF-2は、2000年(平成12年)10月2日に設置された「臨時F-2飛行隊」に配備が始まり、2001年(平成13年)2月27日に臨時飛行隊が第3飛行隊となり、F-2へ転換された。築城基地第8航空団第6飛行隊では2003年(平成15年)11月、60-8274号機のF-1に最後のIRAN(製造企業による定期修理)が行われ、最後まで残った7機は2006年(平成18年)3月9日に退役、F-2へ転換された。この退役機のうちの1機は基地展示用に保存される。
現在、量産1号機(#70-8201)は入間基地に保管されていて、航空祭の時に他機と並んで地上展示されている。
事故
機体
概要
機体は、後部座席を取り外して電子機器を搭載した点以外T-2からの大きな変化は無く、特性はT-2のものをほぼそのまま受け継いでいる。主翼は非常に小さく、また厚みも薄い超音速飛行に重点を置いた形状。水平尾翼は下方向に15度の角がついている全遊動式で、前縁はエンジン排気やミサイル火炎からの耐熱のためチタニウム合金が用いられている。
機体後部下にはT-2同様ベントラルフィンが付く。車輪はコストダウンのため、F-104J/DJと同じものを使用している。ただし、コックピット風防は低空侵攻任務が多くなることからバードストライク(鳥の衝突)対策として運用途中から強化型のワンピースタイプに変更されている(T-2もブルーインパルス専用機などは同種のワンピースタイプを装備していた)。
塗装は、上空から発見されにくくする為に機体上面と側面は緑の濃淡と茶の迷彩、下面は地上から発見されにくい空と交じり合う明るい灰色という配色である。なおT-2との識別点は機体塗装の他、後席の有無、垂直尾翼上端の変化(F-1ではJ/APR-3レーダー警戒装置を収めるフェアリングが付く)等である。
武装
- 固定武装
- 20mmバルカン砲JM61を機体左側下部に一基搭載する。装弾数は750発。
- 携行可能兵装
- ハードポイントは胴体下部中央に1つ、両翼下に2つずつ、両翼端に1つずつ計7箇所にあり、ここに以下の兵装を最大2.72tまで搭載可能。
- 空対艦ミサイル
- F-1の主任務である対艦戦闘時には、F-1と同時開発した国産の空対艦ミサイル(対艦誘導弾)ASM-1を両翼下に各1発ずつ、合計2発を装備する。ASM-1は中間誘導をF-1からの慣性誘導、終端誘導のアクティブレーダー誘導にて行い、ロケット推進によって約50kmの射程を持つ。
- 一部の機体は、後にASM-2も搭載可能な様に改修された。ASM-2は終端誘導を画像赤外線誘導に変更し、推進装置をターボジェット推進とする事で射程距離を延長している。
- 爆弾
- 対地攻撃用には750ポンド(340kg)爆弾JM117であれば最大5発、500ポンド(225kg)爆弾Mk.82であれば胴体下に4発、両翼下に各4発ずつ、合計12発を搭載可能(胴体下ハードポイントには4射出架を介し、主翼下各2箇所ずつのハードポイントにはそれぞれ2射出架を介する)。ただしこの場合では増槽を装備できない事等から、実際に5/12発を搭載する事は無いと考えられる。なおMk.82は赤外線誘導装置GCS-1を取り付ける事で誘導弾として運用する事も可能。
- クラスター爆弾CBU-87/BもJM117同様、最大で5発の搭載が可能。
- 空対空ミサイル
- 赤外線誘導方式の短距離空対空ミサイルであるAIM-9サイドワインダーまたはAAM-3を両翼端と両翼下1箇所にそれぞれ1発ずつ、合計で4発まで搭載可能。F-1は対地/対艦戦闘に主眼を置いて開発されており、対空戦闘能力は決して高いものではないが、スクランブル(アラート)任務に就く事も可能。
- なおAIM-7 スパロー等のセミアクティブ・レーダー誘導方式のミサイルの運用能力は無い。
- ロケット弾ポッド
- ロケット弾ポッドは70ミリ×19のJLAU-3、127ミリ×4のLR-4、70ミリ×7のLR-7のいずれかを翼下に4基搭載できる。またこれらを混載することも可能である。
形状
F-1(またはT-2)の形状はしばしば「英仏共同開発の攻撃機ジャギュアに似ている」と言われる。これについては単にジャギュアの真似をしただけとする意見もあるものの、一方でF-1とジャギュアは共に同一のエンジンを用いる双発機であり、更に速度等の要求も似ている為、そこから導き出される機体形状が両者共に似てくる事も事実である。ただしT-2/F-1の場合、形状こそジャギュアに似ているが、その機体設計に際してはむしろF-4 ファントムIIの手法を多く用いているとされる。エアインテーク、元になったT-2のキャノピーのデザインはF-4に近い。また当時の重いエンジンを重心に配置したままテイルブームを伸ばして尾翼との距離をとり、排気ノズル後方でいわゆるペン・ニブ型の処理を行うという方式は、かつてF-4で採られた手法を援用している(この点はT-2/F-1もジャギュアも同様だと言える)。ちなみに、日本ではまず始めに高等練習機としてT-2を求めた上で、そこから支援戦闘機型のF-1を派生させたのに対し、英仏ではイギリス空軍、フランス空軍、フランス海軍各型合わせて200機の攻撃型のジャギュアを求め、その上で高等練習機型を派生させており、対照的といえる。
T-2/F-1の横操縦には三菱重工製航空機独自のものである全スポイラー方式が用いられ、低速から高速、大迎え角まで良好な舵の利きを確保しているが、その反面、高速時の旋回に難があり、翼端流の発生により旋回をすると速度が低下してしまう。またT-2の主翼は優れた超音速性能を狙って小さく、断面も非常に薄いものとなっており、翼の面積拡大を行わない方針である為、F-1では主翼内に燃料タンクを設置していない(ジャギュアの機内搭載燃料4,200Lに対してF-1は3,823L)。このような運動性、または練習機としてのプライオリティは座席配置からも読み取ることができ、日本ではF-1開発に際しT-2の後席を潰して単座型とし、英仏では練習型ジャギュア開発に際し単座型の機首に前席を追加している。しかし、そのことからF-1は、キャノピー部分が水滴型ではなく座席後部で区切られ、後部の視界が悪くなってしまった。このことは配備当初から問題となっていたが、結局、改善されることはなかった。
電子機器
追加搭載された電子機器を以下に挙げる。
- J/ASQ-1 兵装投下管制コンピュータ
- J/ASN-1 管制航法装置(INS)
- J/AWA-1 対艦ミサイル管制装置(ASM-1対応)
- J-APN-44 電波高度計
- J/A24G-3 エアデータコンピュータ
- J/APR-3 レーダー警戒装置(RWR)
- J/AWG-12 火器管制装置(T-2後期型はJ/AWG-11)
FCSはINSや兵装投下管制コンピュータ、電波高度計などとリンクして、ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示できる。これらによって、地上からの航法支援が無くとも敵レーダー領域をかいくぐっての攻撃が可能である。
エンジン
島国の日本において来寇する敵を迎撃しようとすれば洋上に出るしかなく、ジェット戦闘機の発着できる滑走路が軍用、民間を合わせても限られる国情から、航空自衛隊の運用における安全性への要求は艦上機のそれに近い。また、単発のF-104Jの墜落事故が多発したこともあり、防衛庁では双発を望む声が強かった。
採用するエンジンはT-2開発当初からロールス・ロイス/チュルボメカ製「アドーア(Adour)」[1]ターボファンエンジンが最有力候補とされていた。これはアドーアの燃費がとても優れていた為であるが、米ジェネラル・エレクトリック社はGE1/J1A1と呼ばれるエンジンを提案して対抗した。しかし、このエンジンは開発途上(のちに中止)のために現物が存在せず早々に脱落し、1968年(昭和43)2月15日にアドーアがXT-2用エンジンとして採用され、それがそのままF-1にも引き継がれることとなる。
F-1はT-2を原型機として発展させた機体であり、電子機器の搭載をはじめ各種改造によって自重は6,197キロから6,550キロへ、全備重量は11,464キロから13,700キロに増加した。また武装や機外搭載物の無いクリーン状態でこそT-2と重量差は少ないが、攻撃兵装を満載したF-1はT-2にくらべて極端に重量が重くなる。しかし予算の少なさからエンジンの推力は増加等の改修はされていない為、戦闘時のF-1の運動性能はT-2と比較し低下する事となり、離陸時においてアフターバーナーの使用が不可欠になっている。ただし、アドーア自体はF-1開発当時でも優れたエンジンのひとつであり、F-1やジャギュア以外にもイギリスのホーク練習機にも採用され、2,500基以上が生産されている(初期型のRT172 Mk102(T-2/F-1のTF40-IHI-801Aと同型)はアフターバーナー時推力7,303ポンドだが、最新版のRT.172Mk871は11,249ポンドに達している)。
- ^ ロールスロイス/チュルボメカはロールスロイスとフランスの小型タービンメーカー、チュルボメカとの合弁企業。アドーアはフランス北西部の川の名前で、国際共同開発にあたってエンジンに河川名をつけるロールスロイスの流儀にフランスが合わせたもの。基本設計はロールスロイスであり、米国、インド、オマーン、エクアドル、ナイジェリアなどに輸出されている。
実戦における課題
当機は北海道に上陸が想定されるソ連軍を撃滅するために青森県の三沢基地に配備されたが、ソ連の新型機MiG-23は航続距離が長く、三沢基地を攻撃圏内に収めていた(開発中は航続距離の短いMiG-21しか念頭に無かった)。有事の際は遠方の基地に配備することになるが、その場合は兵装を犠牲にして増槽を取り付けなければならず、増槽を付けると重すぎてもともと難のある運動能力がさらに著しく落ちることになってしまった。
電子機器室にした元の後席部分にキャノピーを残す案は、コスト高に繋がると採用が見送られ、このためT-2に比べて極端に後部の視界が悪く、これが独特な旋回特性とあいまって戦闘機としての存在意義をなくした。また、就役当時は世界屈指の性能を持つレーダーFCSもアップデートが行われないことから陳腐化が進み、昭和50年代後半のFSX論議の際には「性能が悪いから後継機を開発するという支援戦闘機が、(FSXを国産化するため、F-1を延命して開発の時間を稼ぐことに対して)能力の向上なく整備点検方法の見直しだけで機体の延命をはかるのはどういうことか」と国会での追及も受けた。
同時開発の国産空対艦ミサイルASM-1とF-1の組み合わせは「航空機による対艦ミサイル攻撃」という戦術においてアメリカ、フランスとほぼ同時期であり、世界最先端を行っていた。高翼面荷重によるガストへの強さ、低空侵攻能力の高さは機体のデザインそのものがもたらす利得であり、新型旧型だけで量ることの出来ない特性だった。三沢基地に当時の最新鋭機であるF-16が配備された後であっても、その対艦攻撃力は米空軍でも保有しないものであり、対ソ抑止力の重要な一翼を担っていたと言える(攻撃機による対艦攻撃能力は、米海軍は有しているが、米空軍は有していない)。
しかし、戦闘機としての能力の陳腐化は当初より折込済みとはいえ、対領空侵犯措置任務まで付与されるだけのものがあったかといえば疑問である。三沢基地にF-16が配備されて以降、同じく三沢に展開するF-1とのあいだでDACT(異機種航空格闘訓練)が繰り返されたが、高速旋回時の失速が空戦時には決定的なハンデとなり、結果は惨憺たるものであった。仮に実戦になり、侵攻した敵の上陸地点に多数の地対空ミサイルや対空火器が配備され濃密な防空網を張られている状態や、敵艦船上空に要撃戦闘機を配備されているような場合、これらを排除して目的を達することは到底難しかったと思われる。戦術電波妨害(ECM)機や敵防空網制圧(SEAD)任務機等によるサポート体制が整わない、あるいは能力向上を殆ど行わない事等、防衛庁の運用思想にも問題があると言われる事があるが、それでもスタンドオフ性の高いASM-1を使用した対艦船攻撃能力にF-1の支援戦闘機としての唯一の戦略的価値を見出すことができる。
F-1の評価
F-1はその運用にあたり、いくつかの開発当初から織り込まれたASM-1との組み合わせによる強力な対艦攻撃能力と、アドーアエンジンの良好な燃費がもたらす優れた低空侵攻能力(燃費の悪いエンジンでは、空気抵抗の大きな低空では航続距離が極端に短くなる)という一芸に秀でることで、間違いなく日本の国防に寄与した。この方針に効果があったことは後継機であるF-2が、更なる対艦攻撃能力と航続距離を付与されたことからも見て取れる。その他、機体の稼働率も高かったとされている。 また、半ば研究機的な意図で開発されたT2をベースにした事で、開発費用が他国の同種の機体に比べて格段に安く済み、実戦配備にまでこぎつけた事は特筆に価し、それなりの結果を残せたことで、後継たるF-2開発に向けてのステップに繋がったという点でも大きな意義があったと言えよう。
一方で後継機の選定における紆余曲折や各種アップデートがほとんど行われなかったことなど問題は山積していたが、2005年(平成17年)度末で築城基地所属の第6飛行隊から最後のF-1が退役し、実戦を経験することなく任務を終える事が出来た。
仕様
- 仕様の出典: --
- 乗員: 1名
- 全長: 17.85m
- 全幅: 7.88m
- 全高: 4.45m
- 主翼面積: 21.2m²
- 自重: 6,550kg
- 最大離陸重量: 13,700kg
- エンジン: IHI TF40-IHI-801A ×2基
(ロールスロイス/チュルボメカ アドーア RT.172 Mk102と同等)
- 推力: アフターバーナー使用時 32.5kN(3.31t) / 非使用時 22.8kN(2.32t)
- 最大速度: M1.6
- 航続距離: 150海里(機内燃料のみ) / 300海里(対艦戦闘、Hi-Lo-Hi)
- 実用上昇限度: 15240m
- 固定武装: JM61バルカン砲 1門(750発)
- 兵装類最大搭載重量: 2720kg
参考文献
- 月刊『Jwings』誌 - イカロス出版
- 月刊『航空ファン』誌 - 文林堂
- 月刊『航空情報』誌 - 酣燈社
- 『戦闘機年鑑』2005-2006年度版(イカロス出版)ISBN 4-87149-632-5
- 『日本はなぜ旅客機を作れないのか』 - 前間孝則(草思社)ISBN 4-7942-1165-1
関連項目
- 航空自衛隊の装備品一覧
- T-1 (練習機)
- T-2 (航空機・日本)
- F-2 (支援戦闘機)
- 日本製航空機の一覧
- →「F-1/T-2に関連する作品の一覧」も参照
- 類似する航空機
- 名称系列
F-1 - F-2