「メノン (対話篇)」の版間の差分
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2009年10月9日 (金) 12:00時点における版
『メノン』(希:Mενων、ラテン文字転記:Menon)はプラトンの著した哲学書、対話篇である。
位置付け
『メノン』は執筆時期的にも内容的にも『ソクラテスの弁明』や『ラケス』といったプラトンの初期対話篇と『饗宴』、『国家』などの中期対話篇の結節点に当たる位置を占めており、初期対話篇的な特徴を有しつつも中期対話篇でより詳しく洗練された形で語られるアイディア――想起説、真理(知識)と思いなし(ドクサ)の区別、仮設法など――が荒削りではあるが述べられている。
あらすじ
登場人物はソクラテス、題名ともなったテッサリアの青年貴族メノン、そしてアテナイの政治家アニュトス(ソクラテスの処刑を主張した)である。
対話はメノンがソクラテスに対して「徳は教えられうるのか」と問うことから始まる。それをソクラテスはそれが何であるかを知らなければそれがどういうものであるかを知ることはできないとして「徳とは何か」という問いに主題を転換させ、メノンにその答を求める。
メノンはいくつかの答を提出するも、いずれもソクラテスに否定され、苦し紛れのうちに知らないものを探求することはできないという後に「探求のパラドックス」と呼ばれるパラドックスを提出する。それに対してソクラテスは想起説を以ってそれに答え、メノンに再び探求をするよう勧める。
しかし、メノンは再び当初の「徳は教えられうるのか」という問いに立ち返り、ソクラテスにその回答を求める。それに対してソクラテスは(不本意ながらも)仮設法を以って答えようとする。曰く、徳とは知識であり、知識は正しさ(善)であり、知識とは教えられうるものであるからして徳は教えられうる。
ところがその直後ソクラテスはこの結論に疑義を申し立て、その破壊に取りかかる。曰く、ソフィストやテミストクレスやアリステイデス、ペリクレスなどの名だたる政治家を例に取り有徳の政治家などですら徳を教えることができず、徳を教えうる者はいない。ゆえに徳は教えられえない。また、道案内を例にとり、その道を知らなくても適当に見当をつければ目的地に行けることから、人を正しく導くのは正しさだけではなく、思いなしもそれが可能であるから、正しさ即ち知識ではなくなり、徳は正しさでもなくなる。
そこでソクラテスは有徳な人は知っていて有徳なのではなく、どの意味で彼らはいわば神がかりの巫女などと同じであるので、徳を神によって与えられるものであると結論付ける。しかし、これは徳の内容、本質にまで踏み込んだ回答にはなっておらず、実質「徳とは何であるか」という問いに対する回答は失敗に終わっている。