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{{生物分類表
{{生物分類表

|名称 = クニマス
|名称 = クニマス
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|英名 = Black kokanee<br/>Local Salmon
|英名 = Black kokanee<br/>Local Salmon
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}}
'''クニマス'''(国鱒学名''Oncorhynchus nerka kawamurae'')は、サケ目サケ科に分類される[[淡水魚]]の一種。別名'''キノシリマス'''、'''キノスリマス'''、'''ウキキノウオ'''。かつて[[秋田県]]の[[田沢湖]]に生息していたが、[[絶滅]]した。現存している標本は20体あまり。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。
'''クニマス'''(国鱒、[[学名]]:''Oncorhynchus nerka kawamurae'')は、[[サケ目]][[サケ科]]属する[[淡水魚]]。別名'''キノシリマス'''、'''キノスリマス'''、'''ウキキノウオ'''。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。

かつて[[秋田県]]の[[田沢湖]]にのみ生息した[[固有種]]だったが、田沢湖の個体群は[[1940年]]頃に絶滅し、[[標本 (分類学)#液浸標本|液浸標本]]17体([[アメリカ合衆国]]に3体、[[日本]]に14体)のみが知られていた。このため[[環境省]]の[[汽水・淡水魚類レッドリスト (環境省)#サケ目|レッドリスト]]では1991年、1999年、2007年の各版で「[[絶滅]]」と評価されていたが、[[2010年]]に[[京都大学]]研究チームの調査により、[[山梨県]]の[[西湖 (富士五湖)|西湖]]で現存個体群が再発見された。


== 概要 ==
== 概要 ==
=== 分類 ===
体は全体的に灰色、若しくは黒色で下腹部は淡い。幼魚は9個前後の[[パーマーク]]を有する。体長は30~40cm。皮膚は厚く、粘液が多い。同じ[[ベニザケ]]の[[陸封型]]である[[ヒメマス]]などに比べ瞳孔、鼻孔が大きく、体表や鰭に黒斑がない。成熟したオスでも「鼻曲がり」にはならない。[[幽門垂]]数は[[サクラマス]]程度の40~60と著しく少ない。しかし[[鰓耙]]数(さいはすう)は多い。また、胸、腹、尻鰭が長く、鰭の後縁は黒くなる。岩に付着した[[藻類]]や[[プランクトン]]を餌としていたと考えられている。普段は田沢湖の深部に生息し、産卵期が近づくと浅瀬に現れた。
[[1925年]]に、アメリカ合衆国の[[魚類学|魚類学者]][[デイビッド・スター・ジョーダン]]とマクレガーによりジョーダン&[[:en:Carl Leavitt Hubbs|ハッブス]]の論文内で "sp. nov" (新種)として発表されたが、記載文中には[[ベニザケ]]の陸封型("land-locked derivative of ''0. nerka''") と記されている。しかし同じくベニザケの陸封型とされる[[ヒメマス]]との[[交雑]]が生じていないことや、周年産卵する点などから独立種 (''Oncorhynchus kawamurae'') とする意見もある<ref name=Nakabo2011>Nakabo. T., Nakayama. K., Muto. N., and Miyazawa. M. 2011. ''Oncorphynchus kawamurae'' "Kunimasu", a deepwater trout, discovered in lake Saiko. 70 years after extinction in original habitant, Lake Tazawa, Japan. ''Ichithyyological Research'',58 (in press)(Online First).http://dx.doi.org/10.1007/s10228-011-0204-8<br/>中坊徹次 2011,クニマスについて-秋田県田沢湖での絶滅から70年-,タクサ 日本動物分類学会誌, 30: 31-54.</ref>。ただし、周年産卵するというのは実際に確認されたものでなく[[伝承]]である<ref>杉山(2000)、34-58頁。</ref>。西湖のクニマスは春に産卵しているものと見られている<ref name=Nakabo2011></ref>。


=== 分布 ===
[[1925年]]に、[[デイビッド・スター・ジョーダン|ジョーダン]](ジョルダン)と マクレガー<ref>Ernest Alexander McGregor:1880-1975</ref> によりジョーダン&ハッブス<ref>[[:en:Carl Leavitt Hubbs|Carl Leavitt Hubbs]]:1894-1979</ref>の論文内で "sp. nov" (新種)として発表されたが、記載文中ではベニザケの陸封型 ("land-locked derivative of ''0. nerka''") とされた。しかし、周年産卵すると点などから独立種(その場合の学名は ''Oncorhynchus kawamurae'')とする意見もある。ただし、周年産卵するというのは実際に確認されたものでなく、[[伝承]]である。なお原記載におけるタイプ産地の表記は "Lake Toyama in the mountainous western part of Ugo in the norhewestern part of Hondo" となっている。
かつては秋田県の田沢湖のみに生息していたが、1940年頃に田沢湖の水質が激変したために絶滅したとされた。しかしその約70年後の2010年に、[[富士五湖]]の一つ、西湖で生息していることが確認された(詳細は[[#田沢湖での「絶滅」|田沢湖での「絶滅」]]および[[#西湖での「再発見」|西湖での「再発見」]]の項を参照)。なお原記載における[[タイプ (分類学)|タイプ]]産地の表記は "Lake Toyama in the mountainous western part of Ugo in the northwestern part of Hondo" ([[本土]]西北部、[[羽後国|羽後]]の西部山岳地方のトヤマ湖)となっている<ref name="原記載"/>。


== 絶滅 ==
=== 形態 ===
<!--★この画像は著作権侵害の恐れあり [[File:Kunimasu and Himemasu.JPG|thumb|250px|上・ヒメマス、下・クニマス(オス) (ともに西湖の個体) <br>体色が異なるほか、産卵期を示す尾びれの欠損が見られる]] :▲出典にMBS(毎日放送)とあるとおり、2011年1月15日16:00~放送の「クニマスは生きていた!~“奇跡の魚”はいかにして「発見」されたのか?~」の一場面のキャプチャと思われ、かつ「田沢湖で絶滅した固有種クニマス(サケ科)の山梨県西湖での発見」http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/110222_1.htm には同じ個体の写真に「伊藤氏写真」とのキャプションがあり、画像を"徳島県で撮影した"投稿者に著作権があるとは思えない★-->
[[1940年]]、[[第二次世界大戦]]の折に軍需増産をはかり鉱山への電力供給の為の[[発電所]]を通して[[玉川 (秋田県)|玉川]]の[[玉川温泉 (秋田県)#玉川毒水|強酸性水]]が、田沢湖に大量に流入したため湖水が酸性化し絶滅した。現在ならば[[環境問題]]として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての[[戦時体制]]の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全く無かった。
体は全体的に灰色、もしくは黒色で下腹部は淡い。幼魚は9個前後の斑紋模様(パーマーク)を有する。全長は30-40cm。皮膚は厚く、粘液が多い。ベニザケの陸封型であるヒメマスと比べて[[瞳孔]]と[[鼻孔]]が大きく、体表や[[鰭]]には明瞭な黒斑がない。成熟した雄でも「鼻曲がり」にはならない。幽門垂<ref>[[硬骨魚綱|硬骨魚類]]に特有な[[消化器|消化器官]]</ref>の数は46-59と([[サクラマス]]と同程度。ヒメマスは67-94、ベニザケは80-117)著しく少ない。しかし鰓耙(さいは)<ref>[[えら]]にある、吸い込んだ水の中からプランクトンを濾しとる器官</ref>数は31-43と、ヒメマス(27-40)と比較してやや多い。また、胸・腹・尻鰭が長く、鰭の後縁は黒くなる。肉はほぼ白色で、卵は黄色と記録されている<ref>杉山(2000)、40・59-65・85-89頁。</ref>。


=== 生態 ===
しかしそれ以前に人工孵化の実験をする際等に、[[琵琶湖]]、[[本栖湖]]、[[西湖 (富士五湖)|西湖]]に、また詳しい場所は不明だが長野県、山梨県、富山県に発眼卵を送ったという記録があったため、[[田沢湖町]]観光協会は1995年11月から100万円、1997年4月から翌1998年12月まで500万円の[[懸賞金]]を懸けてクニマスを捜した。しかし現在に至るまで見つかっていない。
生物学的な生態は不明点が多いが、伝承等によると普段は田沢湖の[[水深]]100-300m付近の深部に生息し、岩に付着した[[藻類]]や[[プランクトン]]を餌としていたと考えられている。産卵は、1-3月を盛期に水深40-50mの浅い所で行われていたのではないかと報告されている<ref>杉山(2000)、66-74・122-127頁。</ref>。


== 田沢湖での「絶滅」 ==
漫画「[[釣りキチ三平|釣りキチ三平 平成版]]」では、三平の祖父一平が密かに山中の地図に載っていない湖に移植し、そこで繁殖していたものが再発見される、というストーリーがあるが、あくまでフィクションである。
1940年、電力供給増加のために田沢湖の湖水を利用した[[水力発電|水力発電所]](生保内発電所)が建設された。田沢湖から流出する湖水を賄うため、[[玉川 (秋田県)|玉川]]の水を導入したが、[[玉川温泉 (秋田県)#玉川毒水|玉川毒水]]と呼ばれる強酸性の水が大量に流入したため、田沢湖の水質が急速に酸性化し、クニマスを含む魚類が絶滅した。現在ならば[[環境問題]]として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての[[戦時体制]]の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全くなかった。


しかし、それ以前に人工[[孵化]]の実験をするため、[[1935年]]に[[本栖湖]]、[[西湖 (富士五湖)|西湖]]、他にも[[琵琶湖]]や、詳しい場所は不明だが[[長野県]]、[[山梨県]]、[[富山県]]に[[受精卵]]を送ったという記録があったため、[[田沢湖町]][[観光協会]]では[[1995年]]11月に100万円、[[1997年]]4月から[[1998年]]12月まで500万円の[[懸賞金]]を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかった<ref name="zakzak20101216">[http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20101216/dms1012161640020-n1.htm 実はよく釣れマス?さかなクン“大発見”の「クニマス」] [[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2010年12月16日</ref><ref>杉山(2000)、215-223頁。</ref>。
絶滅の原因は強酸性水の流入であるが、サケ科魚類の中でも浮上稚魚期のヒメマスが酸性の水に極めて弱い特性<ref>{{PDFlink|[http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/JASI/pdf/JASI/50-1939.pdf サケ科魚類の発眼卵と稚魚の耐酸性評価]}}</ref>を持っていたことも要因となっている。


田沢湖での絶滅の根本的な原因は強酸性水の流入であるが、浮上稚魚期のヒメマスはサケ科魚類の中でも酸性の水に極めて弱い特性を持っている<ref>{{PDFlink|[http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/JASI/pdf/JASI/50-1939.pdf サケ科魚類の発眼卵と稚魚の耐酸性評価]}} 養殖研究所研究報告、1992年</ref>とされている。
== 名前の由来 ==
'''クニマス'''(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた[[佐竹氏|佐竹藩主]]がクニマスを食べ、お国産の鱒ということから国鱒と名付けられた。原記載には "Kunimasu = Local Salmon" と訳されている。


田沢湖での「絶滅」以後も、標本が残っていることから[[デオキシリボ核酸|DNA]]による復活も期待されて分析を行ったが、[[ホルマリン]]によりDNAそのものが切断されていることが判明し、復活は絶望視されていた<ref>杉山(2000)、224頁。</ref>。
'''キノシリマス'''(木の尻鱒)の語源は、[[田沢湖#辰子伝説|辰子伝説]]エピソードの一つの、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところそれがキノシリマスになったという事から名付けられた。


== 西湖での「再発見」 ==
'''ウキキノウオ'''(槎魚)は田沢湖の別名、槎湖(うききのみずうみ、さこ)、漢槎湖(かんさこ)から名付けられた。田沢湖に生息するすべての魚についてウキキノウオと呼ぶこともある。
{{現在進行|section=1}}
[[ファイル:SaiKo.jpg|thumb|クニマスが再発見された、[[山梨県]][[西湖 (富士五湖)]]]]
2010年、山梨県の西湖にて生存個体が確認された。きっかけは、[[京都大学]]教授の[[中坊徹次]]が[[タレント]]・[[イラストレーター]]で[[東京海洋大学]][[客員准教授]]の[[さかなクン]]にクニマスの[[イラストレーション|イラスト]]執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「[[ヒメマス]]」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは[[解剖]]や[[遺伝子]]解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月15日にマスコミを通して公式に発表された。1935年に西湖に放流された10万個の卵が孵化し、繁殖を繰り返して現在に至ったと考えられている<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010121500412 絶滅種クニマス、70年ぶり確認=秋田・田沢湖の固有種、山梨・西湖で-京大教授ら] 時事ドットコム、2010年12月15日</ref>。


西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった<ref>[http://megalodon.jp/2010-1214-1937-02/news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4600940.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter 京大チーム、絶滅した魚のクニマス発見] [[TBSテレビ|TBS]]、2010年12月14日</ref><ref>[http://www.asahi.com/science/update/1214/TKY201012140527.html クニマス絶滅してなかった! 生息確認、さかなクン一役] [[asahi.com]]、2010年12月15日</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20101215-OYT1T00454.htm 絶滅・クニマス、西湖にいた…さかなクン大発見] [[読売新聞]]、2010年12月15日</ref>。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10匹に1匹程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味いとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、[[塩焼き]]にしても[[フライ (料理)|フライ]]にしても美味であったと語られている<ref name="zakzak20101216"/>。
種小名 '''''kawamurae''''' は、記載に用いられた標本をジョーダンに贈った[[川村多実二]]・[[京都帝国大学|京大]]教授(当時)への[[献名]]である。


「クロマス」の正体がクニマスであるとの知らせを受けた西湖漁業協同組合は、クニマス繁殖域の禁漁区指定など、保護対策を検討しており<ref>[http://mytown.asahi.com/areanews/yamanashi/TKY201012160508.html 「クニマス守る責任とうれしさ半々」 西湖漁協組合長] asahi.com、2010年12月17日</ref>、2011年3月20日の漁解禁より、クニマスが生息している可能性の高い湖北岸の約1万平方メートルを新たに自主禁漁区域に設定する方針を固めた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20101217-OYT1T00247.htm クニマス保護で西湖に禁漁区設定へ] 読売新聞、2010年12月17日</ref>。また、クニマス再発見の知らせを受けた秋田県の[[仙北市]]と田沢湖観光協会は、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画している<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20101216-OYT8T00188.htm クニマス 「帰郷」期待] 読売新聞、2010年12月17日{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>。
== 漁 ==
資源のある高級魚であったため、専業の[[漁師]]が居た。クニマス漁は一年中行われ、[[刳り舟]]を使用した。[[漁法]]は[[刺し網]]漁法で、[[夏]]は深部に、[[冬]]は浅く[[網]]を下ろす。ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月-3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色したという。


2010年12月15日のクニマス再発見のニュースから2日後の2010年12月17日、秋田県は仙北市と共同で「クニマス里帰りプロジェクト」を発足させることを決定、12月21日から正式に活動を開始した。しかし、田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、クニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況であるため、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針という<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20101218-OYT1T00528.htm 西湖のクニマス里帰りを…秋田でプロジェクト] 読売新聞、2010年12月18日</ref>。
== 味 ==
深所に生息するためか皮が硬いのが特徴であるが、白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や正月などのときにしか食べることのできない高級魚で、[[昭和天皇]]に献上された事もあり、大正時代には米一升と交換するほどの魚であったという。豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったといい、大半は雑魚箱に入れて角館町に売りに出るが、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。このため売り子は「軒打ち」と称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口にするのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の羽川氏は「子供のころよく獲れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。それでも風邪をひいたりすると、『早く治れ』と母が出してくれた」と当時について語っている。料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。現在のヒメマスも美味な高級魚であるが、これと比較しても高品位であったとされている。


2011年3月5日には「クニマス里帰りプロジェクト」の一貫として、さかなクンの講演会が開かれた<ref>[http://www.aab-tv.co.jp/news/aab_shownews.php さかなクン 仙北市で講演 「クニマス故郷に感動」]AABニュース、2011年3月5日</ref>。この講演のなかで、さかなクンはクニマスは従来[[ベニザケ]]の亜種と考えられてきたが、一年を通じて産卵期があるなど、独立した種である可能性が高いことを説明した。
== クチグロマス ==

クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚に'''[[クチグロマス]]'''(口黒鱒、学名なし)がある。こちらは非常に資料が乏しく詳しい事は不明だが、体長は25cm-35cm程度で水深50-100m付近に生息していたと思われる。また、クチグロマスはヒメマスとクニマスの雑種だとの説もある。
== 名前の由来 ==
'''クニマス'''(国鱒)の[[語源]]について、[[江戸時代]]に[[久保田藩|秋田藩]]主・[[佐竹義和]]が田沢湖を訪れた際にクニマスを食べ、お国産の鱒ということから国鱒と名付けられたといわれていたが、佐竹北家日記に義和生誕前から国鱒との表記が見つかっている。[[タイプ (分類学)|原記載]]には" ''Kunimasu'' = Local Salmon "と記されている。

『佐竹北家日記』([[秋田県公文書館]]所蔵)においてはクニマスに関する記事は正徳5年(1715年)を初出とし、18世紀代には記述が少ないが19世紀になると頻出し、献上品・贈答品としての利用や干物・粕漬けなどの加工が開始されていたと考えられている。

'''キノシリマス'''(木の尻鱒)の語源は、[[田沢湖#辰子伝説|辰子伝説]]の一つで、木の尻([[たいまつ|松明]])を田沢湖に投げたところ魚の姿になったという伝承から名付けられた。

'''ウキキノウオ'''(槎魚)は田沢湖の別名である槎湖(うききのみずうみ、さこ)、漢槎湖(かんさこ)から名付けられた。田沢湖に生息するすべての魚についてウキキノウオと呼ぶこともある。

== 人間との関係 ==
=== 漁 ===
資源のある高級魚であったため、専業の[[漁師]]が居た。クニマス漁は一年中行われ、刳り舟([[丸木舟]])を使用した。[[漁法]]は[[刺し網]]漁法で、[[夏]]は深部に、[[冬]]は浅く[[網]]を下ろす。ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月-3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色したという。

=== 味 ===
深所に生息するためか皮が硬いのが特徴であるが、白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や[[正月]]などのときにしか食べることのできない高級魚で、[[昭和天皇]]に献上された事もあり、[[大正]]時代には1匹が米1[[升]]と交換するほどの魚であったという。豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったといい、大半は雑魚箱に入れて[[角館町]]に売りに出るが、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。このため売り子は「軒打ち」と称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口にするのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の羽川は「子供のころよく獲れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。それでも風邪をひいたりすると、『早く治れ』と母が出してくれた」と当時について語っている。料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。現在のヒメマスも美味な高級魚であるが、これと比較してもなお高品位であったとされている。


== 標本の文化財登録 ==
== 標本の文化財登録 ==
[[秋田県立博物館]]および[[仙北市]]田沢湖郷土史料館所蔵の液浸標本3体が、[[2008年]]7月、人為的に絶滅させた淡水魚の[[標本]]であり、また、その生物学的特徴を知るうえで貴重であるものとして'''田沢湖のクニマス(標本)'''として国の[[登録記念物]]に登録されている。動物関係および標本関係の登録記念物では第1号。
ホルマリン固定された標本は17個体が存在し、そのうち14個体が日本にあった。[[秋田県立博物館]]および[[仙北市]][[田沢湖郷土史料館]]所蔵の液浸標本3体が、[[2008年]]7月28日、人為的に絶滅させられた淡水魚の[[標本]]であり、また、その生物学的特徴を知るうえで貴重であるものとして'''田沢湖のクニマス(標本)'''として国の[[登録記念物]]に登録されている<ref>[http://bunka4.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=140597 田沢湖のクニマス(標本)]、文化遺産オンライン</ref>。動物関係および標本関係の登録記念物では第1号。


== 原記載とタイプ標本 ==
== 原記載とタイプ標本 ==
原記載は下記の米国のカーネギー博物館[[紀要]]第10巻2号(1925年6月27日付発行)にジョーダンとハッブスの共著論文として載せられているが、サケ科の部分のみはジョーダンとマクレガーの共著となっているため、記載者もこの人となる。
原記載は下記の米国のカーネギー博物館[[紀要]]第10巻2号(1925年[[6月27日]]付発行)にジョーダンとハッブスの共著論文として載せられているが、サケ科の部分のみはジョーダンとマクレガーの共著となっているため、記載者もこの2人となる。[[学名|種小名]]の ''kawamurae'' は、新種記載に用いられた標本をジョーダンに提供した淡水生物学者の[[川村多実二]]・京都帝国大学教授(当時)への[[献名]]である。


* [[デイビッド・スター・ジョーダン|David Starr Jordan]] and Ernest Alexander McGregor ''in'' D. S. Jordan and Carl Leavitt Hubbs, 1925 (27 June). Record of Fishes Obtained by David Starr Jordan in Japan, 1922. (The Salmonidae by D. S. Jordan and E. A. McGregor). ''Memoirs of the Carnegie Museum'' vol. 10, no. 2: 93-346, Pls. 5-12.
* [[デイビッド・スター・ジョーダン|David Starr Jordan]] and Ernest Alexander McGregor ''in'' D. S. Jordan and Carl Leavitt Hubbs, 1925(27 June). " Record of Fishes Obtained by David Starr Jordan in Japan, 1922".(The Salmonidae by D. S. Jordan and E. A. McGregor). ''Memoirs of the Carnegie Museum'' vol. 10, no. 2: 93-346, Pls. 5-12.


このうちクニマスの原記載はp.128-129(原記載文), p.332(pl.5の図版説明), Pls. 5, fig. 3(全形図), p.338(pl.8の図版説明), Pl.8, fig. 5(鱗の図)にあり、これらはウェブ上でPDFファイルやテキスト化したものが閲覧できる<ref>【原記載】[http://www.archive.org/details/memoirscar10carnuoft ''Memoirs of the Carnegie Museum'' vol. 10] (原書のPDFフィアルやテキスト化したものが閲覧できる)</ref>。
このうちクニマスの原記載はp.128-129([http://www.archive.org/stream/memoirscar10carnuoft#page/128/mode/2up 原記載文]p.332/Pls. 5fig. 3([http://www.archive.org/stream/memoirscar10carnuoft#page/332/mode/2up 全形図(下段図版説明]、p.338/Pl.8fig. 5([http://www.archive.org/stream/memoirscar10carnuoft#page/338/mode/2up 鱗の図と図版説明])にあり、これらはウェブ上でPDFファイルやテキスト化したものが閲覧できる<ref name="原記載">【原記載】[http://www.archive.org/details/memoirscar10carnuoft ''Memoirs of the Carnegie Museum'' vol. 10](原書のPDFフィアルやテキスト化したものが閲覧できる)</ref>。


原記載に用いられたのは成熟したオス3個体で、そのうちホロタイプは[[フィールド自然史博物館]](登録番号:FMNH 58681 (元はカーネギー博物館:CM 7785))に、2個体のパラタイプはカリフォルニア科学アカデミー (California Academy of Sciences)(元は[[スタンフォード大学]]自然史博物館:SU 24107 (2))に所蔵されている<ref>[http://research.calacademy.org/research/ichthyology/catalog/getnameViaColl.asp?contains=Oncorhynchus+nerka&tbl=Species ''Catalogue of fishes'' (California Academy of Sciences)]</ref>。
原記載に用いられたのは成熟したオス3個体で、そのうち[[タイプ (分類学)#タイプの種類|ホロタイプ]](正基準標本)は[[フィールド自然史博物館]](登録番号:FMNH 58681 - 元はカーネギー博物館:CM 7785)に、2個体のパラタイプ(従基準標本)[[カリフォルニア科学アカデミー]](元は[[スタンフォード大学]]自然史博物館:SU 24107(2))に所蔵されている<ref>[http://research.calacademy.org/research/ichthyology/catalog/getnameViaColl.asp?contains=Oncorhynchus+nerka&tbl=Species ''Catalogue of fishes'' (California Academy of Sciences)]</ref>。


== その他 ==
<!--==参考文献==
* クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚に'''[[クチグロマス]]'''(口黒鱒、学名なし)がある。こちらは非常に資料が乏しく詳しい事は不明だが、体長は25-35cm程度で水深50-100m付近に生息していたと思われる。また、クチグロマスはヒメマスとクニマスの雑種だとの説もある。
大島正満, 1941. 鮭鱒族の稀種田沢湖の国鱒に就いて. 日本学術協会報告 vol.16, No.2:254-259 -->
* 漫画『[[釣りキチ三平|平成版・釣りキチ三平]]』(『[[週刊少年マガジン]]特別編集2001年9月18日増刊号』掲載<ref>[[講談社コミックス|KCDX]]『釣りキチ三平 平成版』「1 地底湖のキノシリマス」 ISBN 978-4063345339</ref>)には、「三平の祖父・一平が、クニマスを密かに地図に載っていない山中の湖に移殖し、そこで繁殖していたものが再発見される」というストーリーがある。あくまで[[フィクション]]であったが、2010年に再発見された個体は実際に漫画と同じような経緯で移殖され繁殖していた。作者の[[矢口高雄]]は発見の一報を大変喜び、関係者やファンから多くの祝福を受け「必ず生きていると信じていた」「漫画にしたけれど、うそじゃなかったでしょ?思い通りです」と語った。ちなみに矢口は田沢湖のある秋田県の出身で、将来的にはクニマスを田沢湖に里帰りさせることを強く望んでいるという<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20101216-714285.html 西湖「幻の魚」クニマス 三平も釣った] [[日刊スポーツ]]、2010年12月16日</ref>。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}

== 参考文献 ==
* [http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/110222_1.htm 田沢湖で絶滅した固有種クニマス(サケ科)の山梨県西湖での発見] 中坊徹次
* {{PDFlink|[http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/issue/kurenai/documents/05.pdf 京都大学広報誌 紅萌第5号]}}、2004年3月25日

== 関連資料 ==
* 大島正満「鮭鱒族の稀種田沢湖の国鱒に就いて」、『日本学術協会報告』第16巻第2号、1941年、102-107頁。
* 杉山秀樹『クニマス百科 田沢湖まぼろしの魚』、秋田魁新報社、2000年。ISBN 4870202050
* 矢口高雄『釣りキチ三平 平成版』「1 地底湖のキノシリマス」、講談社漫画文庫、2009年。ISBN 9784063706208


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[ベニザケ]] - [[ヒメマス]]
* [[ベニザケ]] - [[ヒメマス]]
* [[田沢湖]]
* [[絶滅した動物一覧]]
* [[レッドリスト]]
* [[レッドリスト]]
** [[汽水・淡水魚類レッドリスト (環境省)]]

** [[絶滅した動物一覧#再発見されたもの|絶滅した動物一覧]](再発見されたもの)
== 脚注 ==
<references/>


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://bunka4.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=140597 田沢湖のクニマス(標本)] - [http://bunka4.nii.ac.jp/Index.do 文化遺産オンライン]
* {{PDFlink|[http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/48/48-49-64.pdf 日本産サケ属幼稚魚の形態と検索]}} 福井市自然史博物館
* 仙北市[http://www.city.semboku.akita.jp/government/kouhou/index.html 広報せんぼく]
* {{PDFlink|[http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/49/49-53-77.pdf 日本産サケ属(Oncorhynchus)魚類の形態と分布]}} 福井市自然史博物館
** {{PDFlink|[http://www.city.semboku.akita.jp/government/kouhou/2008/10/documents/koho0810_14.pdf せんぼく探訪 VOL.16]}} 平成20年10月号、2008年
** {{PDFlink|[http://www.city.semboku.akita.jp/government/kouhou/2011/0101/documents/koho110101_03.pdf 「クニマス」山梨県西湖で発見]}} 平成23年1月1日号、2010年
* {{PDFlink|[http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/49/49-53-77.pdf 日本産サケ属(Oncorhynchus)魚類の形態と分布]}} 福井市自然史博物館
* [http://www.tatsuko.net/tazawako/tazawako.html 田沢湖について(クニマスについて解説あり)] - 田沢湖に生命を育む会
* [http://www.touhoku.com/10b-03-ousima.htm 大島正満「田沢湖の魚族 亡びゆくうろくずのために」](富木友治編『田沢湖』所収)、東北文庫
* [http://www.kosui-net.com/kunimasu.html 幻の魚クニマス] - 湖翠ネットコム
* [[秋田魁新報|秋田魁新報社]]「どっぷり雄物川紀行 厳寒編」
** [http://www.sakigake.jp/p/special/10/omonogawa/article2_05.jsp クニマス絶滅 - 「国策」にあらがえず] 2010年2月14日
** [http://www.sakigake.jp/p/special/10/omonogawa/article2_06.jsp 絶滅から70年 - 生態は謎、証言も細る] 2010年2月15日
** [http://www.sakigake.jp/p/special/10/omonogawa/article2_07.jsp 語り部の遺志 - 湖の史実、記録に残す] 2010年2月16日
** [http://www.sakigake.jp/p/special/10/kunimasu/ クニマスがいた 70年ぶり発見の波紋] 2010年12月

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2011年3月12日 (土) 09:28時点における版

クニマス
クニマスの標本
仙北市田沢湖郷土史料館蔵:登録文化財
保全状況評価
絶滅環境省レッドリスト
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 条鰭綱 Actinopterygii
: サケ目 Salmoniformes
: サケ科 Salmonidae
亜科 : サケ亜科 Salmoninae
: タイヘイヨウサケ属
Oncorhynchus
: ベニザケ O. nerka
亜種 : クニマス O. n. kawamurae
学名
Onchorhynchus nerka kawamurae
Jordan and McGregor, 1925
和名
クニマス
英名
Black kokanee
Local Salmon

クニマス(国鱒、学名Oncorhynchus nerka kawamurae)は、サケ目サケ科に属する淡水魚。別名キノシリマスキノスリマスウキキノウオ。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。

かつて秋田県田沢湖にのみ生息した固有種だったが、田沢湖の個体群は1940年頃に絶滅し、液浸標本17体(アメリカ合衆国に3体、日本に14体)のみが知られていた。このため環境省レッドリストでは1991年、1999年、2007年の各版で「絶滅」と評価されていたが、2010年京都大学研究チームの調査により、山梨県西湖で現存個体群が再発見された。

概要

分類

1925年に、アメリカ合衆国の魚類学者デイビッド・スター・ジョーダンとマクレガーによりジョーダン&ハッブスの論文内で "sp. nov" (新種)として発表されたが、記載文中にはベニザケの陸封型("land-locked derivative of 0. nerka") と記されている。しかし同じくベニザケの陸封型とされるヒメマスとの交雑が生じていないことや、周年産卵する点などから独立種 (Oncorhynchus kawamurae) とする意見もある[1]。ただし、周年産卵するというのは実際に確認されたものでなく伝承である[2]。西湖のクニマスは春に産卵しているものと見られている[1]

分布

かつては秋田県の田沢湖のみに生息していたが、1940年頃に田沢湖の水質が激変したために絶滅したとされた。しかしその約70年後の2010年に、富士五湖の一つ、西湖で生息していることが確認された(詳細は田沢湖での「絶滅」および西湖での「再発見」の項を参照)。なお原記載におけるタイプ産地の表記は "Lake Toyama in the mountainous western part of Ugo in the northwestern part of Hondo" (本土西北部、羽後の西部山岳地方のトヤマ湖)となっている[3]

形態

体は全体的に灰色、もしくは黒色で下腹部は淡い。幼魚は9個前後の斑紋模様(パーマーク)を有する。全長は30-40cm。皮膚は厚く、粘液が多い。ベニザケの陸封型であるヒメマスと比べて瞳孔鼻孔が大きく、体表やには明瞭な黒斑がない。成熟した雄でも「鼻曲がり」にはならない。幽門垂[4]の数は46-59と(サクラマスと同程度。ヒメマスは67-94、ベニザケは80-117)著しく少ない。しかし鰓耙(さいは)[5]数は31-43と、ヒメマス(27-40)と比較してやや多い。また、胸・腹・尻鰭が長く、鰭の後縁は黒くなる。肉はほぼ白色で、卵は黄色と記録されている[6]

生態

生物学的な生態は不明点が多いが、伝承等によると普段は田沢湖の水深100-300m付近の深部に生息し、岩に付着した藻類プランクトンを餌としていたと考えられている。産卵は、1-3月を盛期に水深40-50mの浅い所で行われていたのではないかと報告されている[7]

田沢湖での「絶滅」

1940年、電力供給増加のために田沢湖の湖水を利用した水力発電所(生保内発電所)が建設された。田沢湖から流出する湖水を賄うため、玉川の水を導入したが、玉川毒水と呼ばれる強酸性の水が大量に流入したため、田沢湖の水質が急速に酸性化し、クニマスを含む魚類が絶滅した。現在ならば環境問題として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての戦時体制の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全くなかった。

しかし、それ以前に人工孵化の実験をするため、1935年本栖湖西湖、他にも琵琶湖や、詳しい場所は不明だが長野県山梨県富山県受精卵を送ったという記録があったため、田沢湖町観光協会では1995年11月に100万円、1997年4月から1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかった[8][9]

田沢湖での絶滅の根本的な原因は強酸性水の流入であるが、浮上稚魚期のヒメマスはサケ科魚類の中でも酸性の水に極めて弱い特性を持っている[10]とされている。

田沢湖での「絶滅」以後も、標本が残っていることからDNAによる復活も期待されて分析を行ったが、ホルマリンによりDNAそのものが切断されていることが判明し、復活は絶望視されていた[11]

西湖での「再発見」

クニマスが再発見された、山梨県西湖 (富士五湖)

2010年、山梨県の西湖にて生存個体が確認された。きっかけは、京都大学教授の中坊徹次タレントイラストレーター東京海洋大学客員准教授さかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖遺伝子解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月15日にマスコミを通して公式に発表された。1935年に西湖に放流された10万個の卵が孵化し、繁殖を繰り返して現在に至ったと考えられている[12]

西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった[13][14][15]。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10匹に1匹程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味いとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている[8]

「クロマス」の正体がクニマスであるとの知らせを受けた西湖漁業協同組合は、クニマス繁殖域の禁漁区指定など、保護対策を検討しており[16]、2011年3月20日の漁解禁より、クニマスが生息している可能性の高い湖北岸の約1万平方メートルを新たに自主禁漁区域に設定する方針を固めた[17]。また、クニマス再発見の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画している[18]

2010年12月15日のクニマス再発見のニュースから2日後の2010年12月17日、秋田県は仙北市と共同で「クニマス里帰りプロジェクト」を発足させることを決定、12月21日から正式に活動を開始した。しかし、田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、クニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況であるため、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針という[19]

2011年3月5日には「クニマス里帰りプロジェクト」の一貫として、さかなクンの講演会が開かれた[20]。この講演のなかで、さかなクンはクニマスは従来ベニザケの亜種と考えられてきたが、一年を通じて産卵期があるなど、独立した種である可能性が高いことを説明した。

名前の由来

クニマス(国鱒)の語源について、江戸時代秋田藩主・佐竹義和が田沢湖を訪れた際にクニマスを食べ、お国産の鱒ということから国鱒と名付けられたといわれていたが、佐竹北家日記に義和生誕前から国鱒との表記が見つかっている。原記載には" Kunimasu = Local Salmon "と記されている。

『佐竹北家日記』(秋田県公文書館所蔵)においてはクニマスに関する記事は正徳5年(1715年)を初出とし、18世紀代には記述が少ないが19世紀になると頻出し、献上品・贈答品としての利用や干物・粕漬けなどの加工が開始されていたと考えられている。

キノシリマス(木の尻鱒)の語源は、辰子伝説の一つで、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところ魚の姿になったという伝承から名付けられた。

ウキキノウオ(槎魚)は田沢湖の別名である槎湖(うききのみずうみ、さこ)、漢槎湖(かんさこ)から名付けられた。田沢湖に生息するすべての魚についてウキキノウオと呼ぶこともある。

人間との関係

資源のある高級魚であったため、専業の漁師が居た。クニマス漁は一年中行われ、刳り舟(丸木舟)を使用した。漁法刺し網漁法で、は深部に、は浅くを下ろす。ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月-3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色したという。

深所に生息するためか皮が硬いのが特徴であるが、白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や正月などのときにしか食べることのできない高級魚で、昭和天皇に献上された事もあり、大正時代には1匹が米1と交換するほどの魚であったという。豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったといい、大半は雑魚箱に入れて角館町に売りに出るが、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。このため売り子は「軒打ち」と称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口にするのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の羽川は「子供のころよく獲れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。それでも風邪をひいたりすると、『早く治れ』と母が出してくれた」と当時について語っている。料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。現在のヒメマスも美味な高級魚であるが、これと比較してもなお高品位であったとされている。

標本の文化財登録

ホルマリン固定された標本は17個体が存在し、そのうち14個体が日本にあった。秋田県立博物館および仙北市田沢湖郷土史料館所蔵の液浸標本3体が、2008年7月28日、人為的に絶滅させられた淡水魚の標本であり、また、その生物学的特徴を知るうえで貴重であるものとして「田沢湖のクニマス(標本)」として国の登録記念物に登録されている[21]。動物関係および標本関係の登録記念物では第1号。

原記載とタイプ標本

原記載は下記の米国のカーネギー博物館紀要第10巻2号(1925年6月27日付発行)にジョーダンとハッブスの共著論文として載せられているが、サケ科の部分のみはジョーダンとマクレガーの共著となっているため、記載者もこの2人となる。種小名kawamurae は、新種記載に用いられた標本をジョーダンに提供した淡水生物学者の川村多実二・京都帝国大学教授(当時)への献名である。

  • David Starr Jordan and Ernest Alexander McGregor in D. S. Jordan and Carl Leavitt Hubbs, 1925(27 June). " Record of Fishes Obtained by David Starr Jordan in Japan, 1922".(The Salmonidae by D. S. Jordan and E. A. McGregor). Memoirs of the Carnegie Museum vol. 10, no. 2: 93-346, Pls. 5-12.

このうちクニマスの原記載はp.128-129(原記載文)、p.332/Pls. 5、fig. 3(全形図(下段)と図版説明)、p.338/Pl.8、fig. 5(鱗の図と図版説明)にあり、これらはウェブ上でPDFファイルやテキスト化したものが閲覧できる[3]

原記載に用いられたのは成熟したオス3個体で、そのうちホロタイプ(正基準標本)はフィールド自然史博物館(登録番号:FMNH 58681 - 元はカーネギー博物館:CM 7785)に、2個体のパラタイプ(従基準標本)はカリフォルニア科学アカデミー(元はスタンフォード大学自然史博物館:SU 24107(2))に所蔵されている[22]

その他

  • クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚にクチグロマス(口黒鱒、学名なし)がある。こちらは非常に資料が乏しく詳しい事は不明だが、体長は25-35cm程度で水深50-100m付近に生息していたと思われる。また、クチグロマスはヒメマスとクニマスの雑種だとの説もある。
  • 漫画『平成版・釣りキチ三平』(『週刊少年マガジン特別編集2001年9月18日増刊号』掲載[23])には、「三平の祖父・一平が、クニマスを密かに地図に載っていない山中の湖に移殖し、そこで繁殖していたものが再発見される」というストーリーがある。あくまでフィクションであったが、2010年に再発見された個体は実際に漫画と同じような経緯で移殖され繁殖していた。作者の矢口高雄は発見の一報を大変喜び、関係者やファンから多くの祝福を受け「必ず生きていると信じていた」「漫画にしたけれど、うそじゃなかったでしょ?思い通りです」と語った。ちなみに矢口は田沢湖のある秋田県の出身で、将来的にはクニマスを田沢湖に里帰りさせることを強く望んでいるという[24]

脚注

  1. ^ a b Nakabo. T., Nakayama. K., Muto. N., and Miyazawa. M. 2011. Oncorphynchus kawamurae "Kunimasu", a deepwater trout, discovered in lake Saiko. 70 years after extinction in original habitant, Lake Tazawa, Japan. Ichithyyological Research,58 (in press)(Online First).http://dx.doi.org/10.1007/s10228-011-0204-8
    中坊徹次 2011,クニマスについて-秋田県田沢湖での絶滅から70年-,タクサ 日本動物分類学会誌, 30: 31-54.
  2. ^ 杉山(2000)、34-58頁。
  3. ^ a b 【【原記載】Memoirs of the Carnegie Museum vol. 10(原書のPDFフィアルやテキスト化したものが閲覧できる)
  4. ^ 硬骨魚類に特有な消化器官
  5. ^ えらにある、吸い込んだ水の中からプランクトンを濾しとる器官
  6. ^ 杉山(2000)、40・59-65・85-89頁。
  7. ^ 杉山(2000)、66-74・122-127頁。
  8. ^ a b 実はよく釣れマス?さかなクン“大発見”の「クニマス」 ZAKZAK、2010年12月16日
  9. ^ 杉山(2000)、215-223頁。
  10. ^ サケ科魚類の発眼卵と稚魚の耐酸性評価 (PDF) 養殖研究所研究報告、1992年
  11. ^ 杉山(2000)、224頁。
  12. ^ 絶滅種クニマス、70年ぶり確認=秋田・田沢湖の固有種、山梨・西湖で-京大教授ら 時事ドットコム、2010年12月15日
  13. ^ 京大チーム、絶滅した魚のクニマス発見 TBS、2010年12月14日
  14. ^ クニマス絶滅してなかった! 生息確認、さかなクン一役 asahi.com、2010年12月15日
  15. ^ 絶滅・クニマス、西湖にいた…さかなクン大発見 読売新聞、2010年12月15日
  16. ^ 「クニマス守る責任とうれしさ半々」 西湖漁協組合長 asahi.com、2010年12月17日
  17. ^ クニマス保護で西湖に禁漁区設定へ 読売新聞、2010年12月17日
  18. ^ クニマス 「帰郷」期待 読売新聞、2010年12月17日[リンク切れ]
  19. ^ 西湖のクニマス里帰りを…秋田でプロジェクト 読売新聞、2010年12月18日
  20. ^ さかなクン 仙北市で講演 「クニマス故郷に感動」AABニュース、2011年3月5日
  21. ^ 田沢湖のクニマス(標本)、文化遺産オンライン
  22. ^ Catalogue of fishes (California Academy of Sciences)
  23. ^ KCDX『釣りキチ三平 平成版』「1 地底湖のキノシリマス」 ISBN 978-4063345339
  24. ^ 西湖「幻の魚」クニマス 三平も釣った 日刊スポーツ、2010年12月16日

参考文献

関連資料

  • 大島正満「鮭鱒族の稀種田沢湖の国鱒に就いて」、『日本学術協会報告』第16巻第2号、1941年、102-107頁。
  • 杉山秀樹『クニマス百科 田沢湖まぼろしの魚』、秋田魁新報社、2000年。ISBN 4870202050
  • 矢口高雄『釣りキチ三平 平成版』「1 地底湖のキノシリマス」、講談社漫画文庫、2009年。ISBN 9784063706208

関連項目

外部リンク