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「交響曲第8番 (マーラー)」の版間の差分

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2010年8月20日 (金) 05:13時点における版

交響曲第8番(こうきょうきょくだい-ばん、ドイツ語名:Symphonie Nr. 8)変ホ長調グスタフ・マーラーが作曲した8番目の交響曲

概要

マーラーの「ウィーン時代」の最後の作品であり、同時にマーラー自身が初演し耳にすることのできた最後の作品となった。 第8番の編成は、交響曲第7番までつづいた純器楽から転換し、大規模な管弦楽に加えて8人の独唱者および複数の合唱団を要する、巨大なオラトリオあるいはカンタータのような作品となっている。構成的には従来の楽章制を廃した2部構成をとり、第1部では中世マインツ大司教ラバヌス・マウルス(776?~856)作といわれるラテン語賛歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」、第2部では、ゲーテ戯曲ファウスト 第二部』の終末部分に基づいた歌詞が採られている。音楽的には、音階組織としての調性音楽からは逸脱していないが、大がかりな編成、極端な音域・音量、テキストの扱いなどに表現主義の特質が指摘されている。

演奏規模の膨大さから『千人の交響曲』(Symphonie der Tausend )の名で広く知られているが、これはマーラー自身の命名ではなく、初演時の興行主であるエミール・グートマンが初演の宣伝用ポスターにこの題名を使ったものである。マーラーはこのキャッチフレーズを嫌っていたとされる。この初演については後述するが、マーラーの自作演奏会として生涯最大の成功を収めたと同時に、近代ヨーロッパにおいて音楽創造が文化的事件となった例のひとつとなった。

この曲についてマーラーは、ウィレム・メンゲルベルクに宛てた手紙で「私はちょうど、第8番を完成させたところです。これはこれまでの私の作品の中で最大のものであり、内容も形式も独特なので、言葉で表現することができません。大宇宙が響き始める様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、運行する惑星であり、太陽です」と述べている。また、「これまでの私の交響曲は、すべてこの曲の序曲に過ぎなかった。これまでの作品には、いずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は、偉大な歓喜と栄光を讃えているものです」とも書いている。

このように、第8番はマーラーの作品中最大規模であるだけでなく、音楽的にも集大成的位置づけを持つ作品として、自他ともに認める存在であった。にもかかわらず、現代において、マーラーの交響曲中でも演奏機会に恵まれず、評価・解釈としても言及されることが少ない。これには、巨大な編成のために演奏者や会場の確保など演奏会の興行自体が難しいこと、一般的な「交響曲」の枠組みから見て変則的な構成をとっていること、さらには、曲の性格がきわめて肯定的で信仰や生に対する壮大な賛歌であり、つづく『大地の歌』や交響曲第9番などに象徴される、厭世観との関連あるいは分裂症的などと評されるマーラー作品への一般的な印象や理解とかけ離れていること、が挙げられる。

作曲の経過

マーラーの奮闘と周囲との軋轢

ウィーン宮廷歌劇場におけるマーラーの妥協を許さない「完全主義者」ぶりは、歌劇場内外で波紋を呼んでいたが、マーラーが1903年ごろからしばしばウィーンを離れて自作交響曲を指揮して回るようになったことが、反ユダヤ主義の影響のもと、いっそうウィーンの聴衆・批評家たちの反感を買うようになっていた。一方で、マーラー自身も自作の演奏機会の拡大とともに、より作曲に専念できる環境を求めるようになっており、歌劇場での活動との両立が困難になり始めていた。

1905年秋、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』をウィーン宮廷歌劇場で上演しようと尽力するが、検閲のために果たせなかった。このことは、後にマーラーが歌劇場を辞任する遠因となった。同年11月から始まったアルフレート・ロラーの舞台装置と新演出によるモーツァルトのオペラ・チクルスは、11月24日の『コジ・ファン・トゥッテ』を皮切りに、12月21日『ドン・ジョヴァンニ』、翌1906年1月29日『後宮からの逃走』、3月30日『フィガロの結婚』、6月1日『魔笛』とつづいた。

1906年5月27日、エッセンで自作の交響曲第6番を初演。このときロシアのピアニスト、オーシップ・ガブリロヴィチと知り合う。ガブリロヴィチは、後にアメリカでマーラーの音楽の普及に努めた。この年の夏のオフ・シーズンにはザルツブルク音楽祭への出演等があり、これまでのように夏の休暇中を作曲時間の確保に当てることも難しくなってきた。

第8交響曲の作曲

1906年の夏、ヴェルター湖畔マイヤーニッヒの作曲小屋で交響曲第8番を作曲。第1部はわずか3週間でスケッチ、8月18日には全曲を完成した。翌1907年の夏にオーケストレーションされ、妻アルマに献呈されている。

マーラーの初期構想では、4楽章構成であった。パウル・ベッカーによれば、当初のスケッチは以下のとおりである。

  • 第1楽章 讃歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」
  • 第2楽章 スケルツォ
  • 第3楽章 アダージョ・カリタス(愛)
  • 第4楽章 讃歌「エロスの誕生」

このうち第2楽章と第3楽章は、交響曲第4番の初期構想であった「フモレスケ交響曲」のスケッチから、他の曲に採用されなかった断片を使うつもりだったが、ゲーテの『ファウスト』を歌詞に採用するに当たって、これらは削除、あるいは第2部へ統合されることになったものと見られる。

アルマの回想によると、マーラーは最初の2週間はスランプがつづいたが、ある朝、作曲小屋に足を踏み入れた瞬間に「来たれ、創造主たる聖霊よ」の一句がひらめき、うろ覚えのラテン語歌詞をもとに第1部を一気に書きおろした。しかし音楽が歌詞より長くなってしまい、マーラーはウィーンから賛歌の全文を電報で入手したところ、送られてきた歌詞はマーラーの音楽にぴったり収まっていたという。

実際には、マーラーは6月21日付けの手紙で友人のレールに、ラテン語賛歌の翻訳を手伝ってくれるように頼んでいる。また、マーラーは音楽に合わせて原詩を削除・入れ替えしたり、一部にはマーラー自身が加筆創作してもともと7節だった原詩を8節に拡大しており、アルマのいうような詩と音楽の「神がかり的」な合致があったわけではない。これについて柴田南雄は、「来たれ、創造主」の賛歌はカトリック教会では聖霊降臨節の晩課をはじめ、種々の儀式にグレゴリオ聖歌として歌われるものであり、マーラーがドイツ語ミサ典書か祈祷書を持っていれば容易に訳文を目にすることができたはずだと指摘している。このことは、マーラーのユダヤ教からカトリックへの改宗自体が宗教的理由からではなく便宜的なものであったことをも示唆するものである。なおドイツでは「復活交響曲」は復活祭に、本曲は「聖霊降臨節」に良く演奏されることもある。

宮廷歌劇場辞任へ

1906年10月、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーがウィーン宮廷歌劇場と指揮者の契約を結ぶ。翌1907年1月、自作の交響曲第6番をウィーンで、交響曲第3番ベルリンで、交響曲第4番フランクフルトで、交響曲第1番リンツでそれぞれ上演したが、シーズン中に休暇をとって自作の演奏旅行をしたことで、ウィーンでのマーラー批判が一気に吹き出し、音楽界ほぼ全体が敵となった。このころには、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とマーラーの仲介役だった宮廷大元帥モンテヌーヴォ公爵との関係も冷えてしまっていた。

同年2月、アルノルト・シェーンベルク弦楽四重奏曲第1番室内交響曲第1番の初演を聴き、シェーンベルクの音楽を熱烈に支持する。3月18日、ロラーの舞台装置でグルックの『アウリスのイフィゲニア』の新演出を上演。これがマーラー最後の新演出となる。5月にウィーンで『サロメ』のオペラの初演を果たすが、6月5日、ベルリンニューヨークメトロポリタン歌劇場の支配人ハインリヒ・コンリートと会い、翌シーズンから同歌劇場の指揮者として就任することを承諾、21日に正式に契約を取り交わした。マーラーはこの時点で渡米の決意を固めたことになる。7月12日、夏の休暇先マイヤーニッヒで長女マリア・アンナ死。その直後にマーラー自身も心臓病の診断を受ける。

初演と出版

初演

1910年9月12日及び13日、ミュンヘンにて、マーラーの指揮による。マーラーは、この年4月にアメリカで交響曲第9番を完成した後、3度目のヨーロッパ帰還を果たしてこの初演に臨んだ。夏にはトプラッハで交響曲第10番に着手している。

初演は「ミュンヘン博覧会1910」(Ausstellung München 1910)と題された音楽祭の一環として行われた。エミール・グートマンの企画によるこの音楽祭は、ほぼ4ヶ月にわたる大規模なもので、フランツ・シャルク指揮ウィーン楽友協会合唱団によるベートーヴェンミサ・ソレムニスやゲオルク・ゲーラー指揮ライプツィヒ・リーデル協会合唱団によるヘンデルオラトリオ『デボラ』の上演も行われている。マーラーの第8交響曲は、この音楽祭のメインイベントとして位置づけられていた。初演は鳴り物入りで予告・宣伝され、12日、13日ともに3000枚の切符が初演2週間前には売り切れた。演奏会には各国から文化人ら(後述)が集まり、演奏後は喝采が30分間続いたという。

曲は850人程度で演奏可能であるが、初演時には出演者1030人を数え、文字どおり「千人の」交響曲となった。内訳は、指揮者マーラー、管弦楽171名、独唱者8名、合唱団850名。管弦楽はカイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)。合唱団には音楽祭に参加していたウィーン楽友協会合唱団250名、リーデル協会合唱団250名に、ミュンヘン中央歌唱学校の児童350名が加わった。

マーラーは少なくとも初演の1年前から準備に取りかかっている。練習は、編成が巨大で一堂に会することが困難なために、各地で分散して行われた。9月5日からの1週間を総練習に当て、様々な組み合わせで1日2回実施したという。マーラーはこの総練習の過程で、アルマに宛てた手紙で合唱団や合唱の練習を担当したシャルクの無能ぶりを厳しく批判したり、演奏会直前になって、興行主のグートマンにコンサートマスターの交代を要求したり、相変わらずの完全主義者ぶりを見せている。

会場は、博覧会会場である新祝祭音楽堂で、コンクリートとガラスを主に使用した、当時としては先進的な建造物であった。音楽ホールとして設計されたものではなかったため、マーラーは興行主のグートマンに対して音響的な配慮や照明効果まで、細かく配慮を求めた。また、ウィーン宮廷歌劇場時代の同志であったアルフレッド・ロラーを呼び寄せ、会場の補修工事を行わせている。

初演から8ヶ月後の1911年5月18日、ウィーンでマーラーは没した。マーラーの死後、1911年の秋から翌春にかけて、第8交響曲はウィーンだけで13回上演されている。

初演参加者

この初演への参加者は次のとおり。

音楽家
アルノルト・シェーンベルクブルーノ・ワルターウィレム・メンゲルベルククラウス・プリングスハイムオットー・クレンペラーアントン・ウェーベルンリヒャルト・シュトラウスマックス・レーガーフランツ・シュミットジークフリート・ヴァーグナーレイフ・ヴォーン・ウィリアムズセルゲイ・ラフマニノフレオポルド・ストコフスキー
文学者
アルトゥル・シュニッツラーフーゴ・フォン・ホーフマンスタールシュテファン・ツヴァイクトーマス・マンジョルジュ・クレマンソー
その他
アルベール1世ベルギー国王)、バイエルン王国皇太子ヘンリー・フォード
1916年3月2日、レオポルド・ストコフスキー指揮によるアメリカ初演(演奏者1068人)

以上のうち、ストコフスキーはこの曲のアメリカ初演者(1916年)であり、ニューヨーク・フィルハーモニックと同曲最古(1950年)の録音を残している。また、マンは、初演後に讃辞とともに自著をマーラーに贈っている。

出版

1911年、ウィーンウニフェルザール出版社より出版。このとき、マーラーは同社に口添えし、アルマが結婚前に作曲していた歌曲を集めた楽譜を同じ装丁にして同時出版している。

1977年、エルヴィン・ラッツ監修、国際マーラー協会による「全集版」が同社から出版。

楽器編成

管弦楽

編成表
木管 金管
Fl. 4、ピッコロ 複数 Hr. 8 Timp. 3台×2人が望ましい Vn.1 25
Ob. 4、コーラングレ 1 Trp. 4 バスドラム 1、シンバル 3人、タムタムトライアングル(低音) 2、グロッケンシュピール 1 Vn.2 25
Cl. 3(B♭管)、ソプラニーノクラリネット(E♭管)複数、バスクラリネット 1 Trb. 4 Va. 20
Fg. 4、コントラファゴット 1 Tub. 1 Vc. 20
Cb.18(C弦付きのもの)
その他チェレスタ 1、ピアノ 1、オルガン 1、ハルモニウム 1、ハープ 2パート(いずれも複数)、マンドリン 複数

バンダ:トランペット 4 (第1は複数)、トロンボーン 3

なおマーラーは、編成が大きい場合木管楽器は倍加されることが望ましいとしている。

声楽

楽曲構成

2部構成による。第1部は教会音楽的かつ多声的であり、第2部は幻想的かつホモフォニー的であるが、両部は主題的に緊密に構成され、統一された印象を与える。演奏時間は約80分。

第1部

賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」(歌詞はラテン語) アレグロ・インペトゥオーソ 変ホ長調 4/4拍子 ソナタ形式

オルガンの重厚な和音につづいて合唱が「来たれ、創造主たる聖霊よ」と歌う。これが第1主題で、主音から4度下降し、7度跳躍上昇する音型は、全曲の統一的な動機となっている。交響曲第7番の第1楽章第1主題(主音から4度下降し、6度跳躍上昇)との関連も指摘されている。男声合唱によって推進的な経過句が現れる。第2主題は落ち着いた旋律をソプラノ独唱が「高き恵みをもって満たしたまえ」と歌い、各独唱者による重唱となる。小結尾では、やや懐疑的な旋律や高みを目指すような動機も現れる。

展開部は懐疑的な旋律で静かに始まるが、やがて合唱が第1主題の動機に基づく新しい旋律を勢いよく歌い始める。二重フーガなど対位法的な展開を駆使してきびきびとかつ壮麗に進み、圧倒的な頂点を築いたところで第1主題が再現する。コーダは管弦楽のみで第1主題の動機を扱うが、児童合唱が入ってきて第1主題の動機に基づいて「主なる父に栄光あれ」と歌い、Gloriaの歓呼で高まっていく。第1主題の動機を繰り返して白熱し、華々しい金管の響き、高揚をつづける合唱で結ばれる。

第2部

ゲーテの『ファウスト 第二部』から最後の場(歌詞はドイツ語

長大な第2部は、旧来の交響曲の構成に則り、アダージョ、スケルツォ、終曲+コーダとという部分に分けて考えることができる。

第1の部分は変ホ短調のポコ・アダージョで、管弦楽と合唱による自然描写の部分とそれにつづく「法悦の教父」(バリトン独唱)、「瞑想する教父」(バス独唱)までである。

第2の部分ではアレグロとなり、天使たち(児童合唱)が登場し、「マリア崇敬の博士」(テノール独唱)を加えて歌われる。

第3の部分では、テンポをアダージッシモに落とし、管弦楽のみでハルモニウムの持続音とハープの分散和音を伴い静かに歌われる旋律に合唱が入ってくる。その後、「罪深き女」(ソプラノ独唱)、サマリアの女(アルト独唱)、エジプトのマリア(アルト独唱)が順次登場し、グレートヒェン(ソプラノ独唱)の短い歌唱を挟んで、先の3人による重唱となる。次いでグレートヒェンが「懺悔する女」として第1部の第2主題、ついで第1主題を回想し、ここでひとつの頂点を築く。

以下はコーダと見られ、「栄光の聖母」(ソプラノ独唱)、「マリア崇敬の博士」(テノール独唱)と高揚したところで、4度下降、7度上昇の動機(第1楽章第1主題)が金管によって現れる。管の高域や鍵盤楽器の分散和音で静まっていくと、「神秘の合唱」がきわめて静かに歌い始められ、次第に高みに登りつめてゆく。頂点に達したところで、第1部の第1主題が金管の別働隊によって完全に姿を現し、オルガン、全管弦楽の壮大な響きに支えられて金管が高らかに第1部第1主題の動機を吹奏して全曲を結ぶ。

『ファウスト』の音楽化

第2部でマーラーはゲーテ戯曲ファウスト 第二部』第5幕から最終場面210行あまり(約50行は省略)を歌詞として作曲しているが、この『ファウスト』に題材をとった音楽作品として、ほかにベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』(1846年)、シューマンの『ゲーテのファウストからの情景』(1853年)、リストの『ファウスト交響曲』(1857年)、グノーオペラファウスト』(1859年)、ブゾーニの『ファウスト博士』(1924年、未完)などがある。

このうち、ゲーテの脚本をドイツ語のままで用いたのはシューマンとリストである。シューマンの作品は、『ファウスト』全体からテキストを抜粋したオラトリオ形式によっており、マーラーの第8交響曲の先駆的作品ということができる。リストの『ファウスト交響曲』では最終楽章で「神秘の合唱」の8行を男声合唱に歌わせており、この部分だけなら、シューマンおよびマーラーと共通する。このゲーテの「神秘の合唱」で、「永遠に女性的なるものがわれらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく」という詩は、女性の愛を、天上世界へ導く「浄化」作用として象徴的に歌い上げているという解釈が一般的になされる。

しかし、前述したとおり、マーラーは最終楽章を「エロスの誕生」として構想していた。そこにゲーテの『ファウスト』を採用したことについて、マーラーは1910年6月にアルマに宛てた手紙で「すべての愛は生産であり創造であって、肉体的な生産も精神的な創造も、その源にはエロスの存在がある」と書き、『ファウスト』の最終場面でこのことが象徴的に歌われているとしている。

歌詞

第1部

( )内は歌詞として使われていない。

Hymnus: “Veni, creator spiritus”

Veni, creator spiritus,
Mentes tuorum visita;
Imple superna gratia,
Quae tu creasti pectora.

Qui Paraclitus diceris,
Donum Dei altissimi,
Fons vivus, ignis, caritas,
Et spiritalis unctio.

(Veni, creator)

Infirma nostri corporis
Virtute firmans perpeti;
Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus.

(Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus.)

Hostem repellas longius,
Pacemque dones protinus;
Ductore sic te praevio
Vitemus omne pessimum.

Tu septiformis munere,
Dexterae paternae digitus.

(Tu rite promissuum Patris,
Sermone ditans guttura.)

Per te sciamus da Patrem,
Noscamus (atque) Filium,
(Te utriusque) spiritum
Credamus omni tempore.

(Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus.
Veni, creator spiritus.
Qui Paraclitus diceris,
Donum Dei altissimi.)

Da gaudiorum praemia,
Da gratiarum munera;
Dissolve litis vincula,
Adstringe pacis foedera.

(Pacemque dones protinus,
Ductore sic te praevio
Vitermus omne pessimum.)

Gloria Patri Domino,
Deo sit gloria et Filio
Natoque, qui a mortuis
Surrexit, ac Paraclito
In saeculorum saecula.

賛歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」

来たれ、創造主たる聖霊よ
人間たちの心に訪れ
なんじのつくられし魂を
高き恵みをもってみたしたまえ

慈悲深き主と呼ばれし御身
至高なる神の賜物
それは生の泉・火・愛
そして霊的な聖なる油

(来たれ、創造主よ)

われらが肉体の弱さを
絶えざる勇気を持ち力づけ、
光をもって五官を高め
愛を心の中に注ぎたまえ

(光をもって五官を高め
愛を心の中に注ぎたまえ)

敵を遠ざけて
ただちに安らぎを与えたまえ
先導主なるあなたにならって
われらをすべての邪悪から逃れさせよ。

御身は7つの贈り物により
御尊父の右手の指にいらっしゃる

(御尊父より約束された尊い者なる御身
人の喉に御言葉を豊かに与え給う)

御身によってわれら尊父を知り、
御子をも知らせ給え。
(両位より出現した)聖霊なる
御身をいつの時にも信ぜさせ給え。

(光をもって五官を高め
愛を心の中に注ぎたまえ。
来たれ!創造主なる聖霊よ
慈悲深き主と呼ばれた御身
至高なる神の賜物)

天の喜びを贈り給え
大きな報いを与え給え
争いの結び目を解き、
平和の誓いを堅くし給え。

(ただちにやすらぎを与えたまえ
先導主である御身にならって
われらをすべての悪より逃れさせよ。)

主なる父に栄光あれ

死よりよみがえった
聖なる子、そして聖霊に
千代に渡って栄光あれ。

第2部

Schlußszene aus „Faust“Letzte Szene aus dem zweiten Teil von Goethes Faust

ゲーテ『ファウスト』第2部「山峡」から終幕の場

Bergschluchten, Wald, Fels, Einöde.

Heilige Anachoreten (gebirgauf verteilt, gelagert zwischen Klüften).

CHOR UND ECHO

Waldung, sie schwankt heran,
Felsen, sie lasten dran,
Wurzeln, sie klammern an,
Stamm dicht an Stamm hinan.
Woge nach Woge spritzt,
Höhle, die tiefste, schützt.
Löwen, sie schleichen stumm,
Freundlich um uns herum,
Ehren geweihten Ort,
Heiligen Liebeshort.

PATER ECSTATICUS (auf- und abschwebend):

Ewiger Wonnebrand
Glühendes Liebeband,
Siedender Schmerz der Brust,
Schäumende Gotteslust!
Pfeile, durchdringet mich,
Lanzen, bezwinget mich,
Keulen, zerschmettert mich,
Blitze, durchwettert mich!
Daß ja das Nichtige
Alles verflüchtige,
Glänze der Dauerstern,
Ewiger Liebe Kern!

PATER PROFUNDUS (tiefe Region):

Wie Felsenabgrund mir zu Füßen
Auf tiefem Abgrund lastend ruht,
Wie tausend Bäche strahlend fließen
Zum grausen Sturz des Schaums der Flut
Wie strack, mit eig'nem kräft'gen Triebe,
Der Stamm sich in die Lüfte trägt;
So ist es die allmächt'ge Liebe,
Die alies bildet, alles hegt.
Ist um mich her ein wildes Brausen,
Als wogte Wald und Felsengrund,
Und doch stürzt, liebevoll im Sausen,
Die Wasserfülle sich zum Schlund,
Berufen gleich das Tal zu wässern:
Der Blitz, der flammend niederschlug,
Die Atmosphäre zu verbessern,
Die Gift und Dunst im Busen trug,
Sind Liebesboten, sie verkünden,
Was ewig schaffend uns umwallt.
Mein Inn'res mög' es auch entzünden,
Wo sich der Geist, verworren, kalt,
Verquält in stumpfer Sinne Schranken,
Scharf angeschloss'nem Kettenschmerz.
O Gott! beschwichtige die Gedanken,
Erleuchte mein bedürftig Herz!

Chor der ENGEL (Schwebend in der höheren Atmosphäre, Faustens Unsterbliches tragend):

Gerettet ist das edle Glied
Der Geisterwelt vom Bösen:
Wer immer strebend sich bemüht,
Den können wir erlösen;
Und hat an ihm die Liebe gar
Von oben teilgenommen,
Begegnet ihm die sel'ge Schar
Mit herzlichem Willkommen.

CHOR SELIGER KNABEN (um die höchsten Gipfel kreisend):

Hände verschlinget euch
Freudig zum Ringverein,
Regt euch und singe
Heil'ge Gefühle drein!
Göttlich belehret,
Dürft ihr vertrauen;
Den ihr verehret,
Werdet ihr schauen.

DIE JÜNGEREN ENGEL:

Jene Rosen, aus den Händen
Liebend-heiliger Büßerinnen,
Halten uns den Sieg gewinnen
Und das hohe Werk vollenden,
Diesen Seelenschatz erbeuten.
Böse wichen, als wir streuten,
Teutel flohen, als wir trafen.
Statt gewohnter Höllenstrafen
Fühlten Liebesqual die Geister,
Selbst der alte Satans-Meister
War von spitzer Pein durchdrungen.
Jauchzet auf! es ist gelungen.

DIE VOLLENDETEREN ENGEL (Chor mit Altsolo):

Uns bieibt ein Erdenrest
Zu tragen peinlich,
Und wär' er von Asbest
Er ist nicht reinlich.
Wenn starke Geisteskraft
Die Elemente
An sich herangerafft,
Kein Engel trennte
Geeinte Zwienatur
Der innigen beiden;
Die ewige Liebe nur
Vermag's zu scheiden.

DIE JÜNGEREN ENGEL:

Ich spür' soeben,
Nebelnd um Felsenhöh',
Ein Geisterleben.
Regend sich in der Näh'.
(Die Wölkchen werden klar.)
Seliger Knaben,
Seh' ich bewegte Schar
Los von der Erde Druck,
Im Kreis gesellt,
Die sich erlaben
Am neuen Lenz und Schmuck
Der obern Welt.
Sei er zum Anbeginn,
Steigendem Vollgewinn
Diesen gesellt!

DIE SELIGEN KNABEN:

Freudig empfangen wir
Diesen im Puppenstand;
Also erlangen wir
Englisches Unterpfand.
Löset die Flocken los,
Die ihn umgeben!
Schon ist er schön und groß
Von heiligem Leben.

DOCTOR MARIANUS (in der höchsten, reinlichsten Zelle):

Hier ist die Aussicht frei,
Der Geist erhoben.
Dort ziehen Frauen vorbei,
Schwebend nach oben.
Die Herrliche mitteninn
Im Sternenkranze
Die Himmelskönigin,
Ich seh's am Glanze.
(entzückt)
Höchste Herrscherin der Welt,
Lasse mich im blauen,
Ausgespannten Himmelszelt
Dein Geheimnis schauen!
Bill'ge, was des Mannes Brust
Ernst und zart beweget
Und mit heil'ger Liebeslust
Dir entgegen träget!
Unbezwinglich unser Mut,
Wenn du hehr gebietest;
Plötzlich mildert sich die Glut,
Wenn du uns befriedest.

DOCTOR MARIANUS und CHOR:

Mutter, Ehren würdig,
Jungfrau, rein im schönsten Sinn,
Uns erwählte Königin,
Göttern ebenbürtig.
(Mate Gloriosa schwebt einher)

CHOR:

Dir, der Unberührbaren,
ist es nicht benommen,
Daß die leicht Verführbaren
Traulich zu dir kommen.
In die Schwachheit hingerafft,
Sind sie schwer zu retten;
Wer zerreißt aus eig'ner Kraft
Der Gelüste Ketten?
Wie entgleitet schnell der Fuß
Schiefem, glattem Boden!
(Wen betört nicht Blick und Gruß,
Schmerichenlhafter Odem?)
(MATER GLORIOSA schwebt einher)

CHOR DER BÜSSERINNEN (und UNA POENITENTIUM):

Du schwebst zu Höhen
Der ewigen Reiche,
Vernimmt das Flehen,
Du Gnadenreiche!
Du Ohnegleiche!

MAGNA PECCATRIX (St. Lucae Vll, 36):

Bei der Liebe, die den Füßen
Deines gottverklärten Sohnes
Tränen ließ zum Balsam fließen,
Trotz des Pharisäer-Hohnes:
Beim Gefäße, das so reichlich
Tropfte Wohlgeruch hernieder,
Bei den Locken, die so weichlich
Trockneten die heil'gen Glieder.

MULIER SAMARITANA (St. Joh. IV):

Bei dem Bronn, zu dem schon weiland
Abram ließ die Herde führen:
Bei dem Eimer, der dem Heiland
Kühl die Lippe durft' berühren,
Bei der reinen, reichen Quelle,
Die nun dorther sich ergießet,
Überflüssig, ewig helle,
Rings, durch alle Welten fließet -

MARIA AEGYPTIACA (Acta Sanctorum):

Bei dem hochgeweihten Orte,
Wo den Herrn man niederließ,
Bei dem Arm, der von der Pforte,
Warnend mich zurücke stieß,
Bei der vierzigjähr'gen Buße,
Der ich treu in Wüsten blieb,
Bei dem sel'gen Scheidegruße,
Den im Sand ich niederschrieb -

ZU DREI:

Die du großen Sünderinnen
Deine Nähe nicht verweigerst,
Und ein büßendes Gewinnen
In die Ewigkeiten steigerst,
Gönn' auch dieser guten Seele,
Die sich einmal nur vergessen,
Die nicht ahnte, daß sie fehle
Dein Verzeihen angemessen!

UNA POENITENTIUM (sich anschmiegend) (Gretchen):

Neige, neige,
Du Ohnegleiche,
Du Strahlenreiche,
Dein Antlitz gnadig meinem Glück!
Der früh Geliebte,
Nicht mehr Getrübte,
Er kommt zurück.

SELIGER KNABEN (in Kreisbewegung sich nähernd):

Er überwächst uns schon
An mächt'gen Gliedern,
Wird treuer Pflege Lohn
Reichlich erwidern.
Wir wurden früh entfernt
Von Lebechören;
Doch dieser hat gelernt,
Er wird uns lehren.

UNA POENITENTIUM (Gretchen):

Vom edlen Geisterchor umgeben,
Wird sich der Neue kaum gewahr,
Er ahnet kaum das frische Leben,
So gleicht er schon der heil'gen Schar
Sieh, wie er jedem Erdenbande
Der alten Hülle sich entrafft.
Und aus ätherischem Gewande
Hervortritt erste Jugendkraft!
Vergönne mir, ihn zu belehren,
Noch blendet ihn der neue Tag!

MATER GLORIOSA (und Chor):

Komm! Hebe dich zu höhern Sphären!
Wenn er dich ahnet, folgt er nach.

DOCTOR MARIANUS (auf dem Angesicht anbetend) (und CHOR):

Blicket auf zum Retterblick,
Alle reuig Zarten,
Euch zu sel'gem Glück
Dankend umzuarten!
Werde jeder bess're Sinn
Dir zum Dienst erbötig;
Jungfrau, Mutter, Königin,
Göttin, bleibe gnädig!

CHORUS MYSTICUS:

Alles Vergängliche
Ist nur ein Gleichnis;
Das Unzulängliche,
Hier wird's Ereignis;
Das Unbeschreibliche,
Hier ist's getan;
Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan.

峡谷、森、岩、荒野

神聖な隠者たち(峡谷の間に横たわり、野営する)

森は風に揺らぎなびき寄せられ
岩は峙ち、それを支えている
木の根はそれに匍い巡り絡まって
幹は互いに寄りそって天に聳え立つ
谷の激流しぶきをあげてほとばしり、
奥深い岩窟われらを守る宿となる
獅子は親しみ
黙りながら這い回り
聖なる愛に漂う
清浄なこの境地を敬い守る。

法悦の教父(上下に漂いながら)

永遠の歓喜の炎、
灼熱なる愛のきずな、
沸きたぎる胸の痛み
泡立つ神への陶酔。
矢よ、わたしを貫け
槍よ、わたしを突き刺せ、
刺のある棒杖よ、わたしを砕け、
雷光の火よ、わたしを焼け
むなしいすべてのものよ
飛び散り失せて、
久遠なる愛の精髄、その星よ
輝き光れ!

瞑想する教父(低い地所で)

わたしの足元で、岸壁の断崖が
深淵のどっしりした重みに沈み込み
百や千もの小川が輝きながら流れ、
凄まじい滝となり、轟き飛沫上げ落ちる。
樹々の幹が止みがたい自らの衝動によって
まっしぐらに木の幹すくすく伸びるもの
万物を創り、万物を育むのは
全て全知全能の愛のなせる業。
わたしをめぐり凄まじい水音轟かせるが、
森も岩根も波のようにうねるがごとく
豊かな水は優しく親しげにせせらぎ
満々とたたえた水流が互いに渓谷へと
速やかに谷をうるわせて下る。
稲妻は炎をあげて下界に落ち
それは毒と靄を孕む大気を
浄め、それを清らかにする。
これはみな愛の使者、わたしたちのまわりを漂い、
永遠に創造する力を告げ知らしめるのだ。
わたしの胸を燃え立たせる恵みの火を受けたい。
わたしの精神は混濁し、
悩ましい官能の獄舎のなかに
きびしく鎖に繋がれて、苦しんでいる。
おお、神よ。わたしの妄想を静め、
貧しい心に光を与えたまえ。

天使(ファウストの永遠の魂を運びながら、高い空中を漂う)

霊界の高貴なひとりが
悪から救われた。
どんな人間にせよ、絶えず努力し励むものを
わたしたちは救うことができます。
そのうえにこの人には天上からの
愛が加わったのですから。
至高の幸に祝福された天上の群れが
心から歓んでこの人を迎えるのです。

祝福された少年たちの合唱(山頂を経めぐりながら)

手と手を組んで
たのしく環をつくりましょう。
聖なる思いを
讃え歌いましょう。
神の御教えをこの身に受けて、
安らぎの中に身をゆだね
お前たちが歌う
神の姿を仰ぎ拝むことができましょう。

若い天使たち

愛の豊かな聖なる贖罪の女たちの
手から授けられたあのバラの花が
私たちを助け、勝利を勝ち取らせてくれました。
貴くも気高い仕事は完成されて
この貴重な霊を手に入れることができ、
わたしたち花を撒くと、悪魔は退き、
わたしたちが花で打つと、悪魔は逃げ去りました。
日常の地獄の刑罰を受けるかわりに
悪霊たちは愛の苦悩を感じました。
あの年をとった悪魔の殿様サタンでさえも
鋭い痛みに身を貫かれました。
さあ、歓呼しましょう。成功しました。

若く成熟した天使たち(アルトソロと合唱)

大地の残した屑を運ぶことは、
わたしたちにもつらいことです。
たとえ、それが石綿でできていようとも、
それは決して清浄なものではありません。
強い精神力が
もろもろの地上の元素を
わが身に引き寄せ集めれば
しっかりと結びついた
霊と肉との複合体は、
どんな天使にも二つに分かつことはできません。
ただ永遠の愛だけが、
精神を地上の束縛から引き放つことができるのです。

若く未熟な天使たち

〔岩の頂に霧のようにかかって
その動きも近々と
霊たちのうごめきを
わたしはいま感じ取れます。
(雲がはっきりとしてきて)
天に招かれた少年たちのにぎやかな群れが、
いきいきと動くのが見えます。〕
地上の重荷から解き放たれて、
寄り集まり、輪をつくって、
天界の
新しく美しい春の装いに
元気づけられ、生気を養っているのです。
この人もまず手始めに、
この子供たちに加わって
次第に増えて完成へと高まってゆくのがよいでしょう。

祝福された少年たちの合唱

よろこんで、わたしたちは、
蛹の段階にあるこの方をお迎えします。
そうすれば、わたしたちも一緒に育ち、
きっといつの日か天使になれましょう。
この方にまつわりついている。
繭だまを早く取って差し上げましょう。
彼はもう神聖な命を得て、
美しく大きく育ちました。

マリア崇敬の博士(最も高く、最も清らかな岩窟で)

ここは見晴らしがよく、何にも遮られず
精神はもっとも高められる。
あそこを女たちが通り過ぎてゆく。
上に向かって漂いながら、昇ってゆくのだ。
その真ん中に、星の冠をおつけになった
崇高で美しいお姿、
あれが天の女王だ。
光輝くのでそれがわかる。
(恍惚として)
世界を支配したまう最高の女王よ
青々と張り広げられた
天空の天幕の中に
あなたの神秘をお示しください。
男の胸を真摯に、やさしく動かすもの、
神聖な愛の歓喜をもって
あなたに向かわせるものを
それをどうか受け取り、ご賞味ください。
あなたが気高いお胸からご命令なさいますと
わたしたちの勇気は無敵となり、
わたしたちの乾きを癒してくだされば、
情熱に熱せられた火もすぐに和らぎます。

マリア崇敬の博士と合唱

この上なく美しい意味をもった聖処女
栄光に輝き崇め奉る御母
わたしたちのために選ばれた女王
神々に等しい御方。
(栄光の聖母 宙に漂い近づく)

合唱

手を触れることのできないあなた様ですが、
誘惑に陥りやすい者たちが、
あなたにお慕い申し上げ、おすがりしますのは
禁じられてはなりませぬ。
弱さに引き込まれたこの女たちは
容易に救うことはできません。
けれど、たれが一人の力で情欲の鎖を
断ち切ることができましょう。
滑らかな斜面の床の上では
たれが足を滑らさないことができましょうか。
(意味ありげな眼差しや会釈、柔らかい愛撫するような
息づかいに、誰が惑わされずにいられようか。)
(栄光の聖母 宙に漂い近づく)

贖罪の女たちと一人の告白する女の合唱(グレートヒェン)

御身は永遠の御国の高みを
天翔け漂い、行きたまう。
わたしたちの願いをお聞きくださいませ。
たぐいなき御身、
豊かな恵みのあなた様。

罪深き女(「ルカによる福音書」第7章37節)

パリサイ人との嘲りを受けながら
浄められて神として光放ちたまう御子の御足に、
香油に代えて涙を注ぎ参らせた
大いなる愛にお願い申し上げまする
豊かに香気をふりまき、
滴らしたあの器に
柔らかに尊い御手足を
巻き髪にかけてお拭い申した。

サマリアの女(「ヨハネによる福音書」第4章)

その昔にアブラハムが家畜を
連れて行かせた泉。
救世主の御唇に
涼しく触れ得る水瓶。
その泉から今絶え間なく流れ出て
永遠に澄み、豊かにあふれて、
世界の隅々までも潤し、豊かな清泉。
これらすべてにかけてお願い申し上げます。

エジプトのマリア(『聖徒行状記』)

主の憩い安らいたもうた、
畏くも聖なる場所に。
わたしを寺院の門外へと
突き戻された戒めの御手。
ただひたすらに砂漠で祈り上げ、
忠実に勤めました40年間の懺悔。
わたくしが砂に書き残した至福なる辞世の言葉。
これらすべてにかけてお願い申し上げまする。

3人いっしょに

大きな罪を犯した女たちにも
お側近くに寄ることをお咎めもなく、
懺悔がもたらす功徳をも
永遠のよすがに高めたもうあなた様。
なにとぞこの善良な魂にも
それにふさわしいお赦しの慈悲をお与えくださいまし。
ただ一度自分を忘れただけで、
わが身の過ちすら気づかなかったこの身でございます。

懺悔する女(かつてグレートヒェンと呼ばれたもの。聖母マリアにすがって)

類いなきあなた様
限りない光に包まれていらっしゃるあなた様
どうぞわたくしの幸福をご覧くださいませ。
どうぞ慈悲深いお顔をお向けくださいませ。
むかしお慕い申した方で
今はもう濁りなき方が
あの人が帰っておいでになりました。

祝福された少年たち(輪を描いて近づいて来る)

その方はわたしたちよりも大きくなって
手足も逞しくなりました。
わたしたちの心づくしに、
忠実に報いてくださるでしょう。
わたしたちは人の世の集まりから
早く離れてしまいましたが、
このお方はそこで多くのことを学んで来られたのです。
わたしたちにもきっと教えてくださるでしょう。

懺悔する女(グレートヒェン)

気高い聖霊の群れに囲まれて、
新参のあの方はご自分がどうなったかわからない様子。
新しい生命にまだお気づきではありません。
それでももう神聖な方々に似てまいりました。
ご覧くださいまし、あらゆる地上の絆を
断ち切って、古い衣を脱ぎ捨てました。
そして、あらたに纏った霊気の衣の中から
真新しい青春の力が現れております。
あの方に教え導くことをお許しください。
あの方はまだ新しい光を眩しがっておられます。

栄光の聖母(そして、合唱)

さあいらっしゃい。お前はもっと天空へ昇ってお行き。
お前がいると、その人もついて行くでしょうから。

マリア崇敬の博士(深くうつむき伏して、礼拝しながら)(そして、合唱)

すべての悔いを知る心優しき者よ。
祝福されたその至福の運命に
感謝しながら従う身になるためには、
救いの手の眼差しを仰ぎ奉れ。
すべてのよき心映えの者は
御身に仕え奉らせたまえ。
処女よ、御母よ、女王よ!
女神よ、とわに恵みを与えたまえ。

神秘の合唱

すべて移ろい過ぎゆく無常のものは
ただ仮の幻影に過ぎない。
足りず、及び得ないことも
ここに高貴な現実となって
名状しがたきものが
ここに成し遂げられた。
永遠の女性、母性的なものが
われらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく。

参考文献

外部リンク

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