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'''スクールカースト'''(または'''学校カースト'''<ref name="school">森口朗『[http://d.hatena.ne.jp/moriguchiakira/20070604 スクールカーストとは何か~その3~]』森口朗公式ブログ(2007年6月4日)</ref>)とは、現代の[[日本]]の[[学校]]空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、[[インド]]などの[[カースト制度]]になぞらえた表現。もともとアメリカで同種の現象<ref group="注">[[ジョック#階層構造の図象]]を参照。</ref>が発生しており、それが日本でも確認できるのではないかということからインターネット上で「スクールカースト」という名称が定着した<ref name="school" />。2007年に[[教育評論家]]の[[森口朗]]が著書『いじめの構造』で紹介し、その後[[教育]]や[[文芸批評]]の文脈で議論の対象とされるようになった。 |
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'''スクールカースト'''とは、学校での人気の[[ヒエラルキー]]を表す言葉である<ref>森口朗『いじめの構造』ISBN 978-4106102196</ref>。主に日本で使われる。[[インド]]で今でも根強く残っている[[身分制度]]の[[カースト制]]から生まれた言葉である。アメリカでは[[ジョック]]を頂点とするヒエラルキーという類似した問題がある。 |
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==スクールカーストの構造== |
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== 脚注 == |
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現代の学校空間では、クラス内にいくつかの友達同士のグループが形成され、それらの内部で活発に交流が行われるだけで人間関係が完結する現象がみられる。[[社会学者]]の[[宮台真司]]は(教室内に限らず若者のコミュニケーション空間全般で発生しているこの変容を)'''島宇宙化'''と呼び、分断された各グループ(島宇宙)は優劣のつけられない横並びの状態になっており(フラット化)、異なるグループ間でのつながりが失われたと論じた<ref>[[宮台真司]]『制服少女たちの選択』[[講談社]]、1994年。ISBN 978-4062053549。</ref>。これについて[[教育学者]]の[[本田由紀]]や[[評論家]]の[[荻上チキ]]は、分断化自体は認めながらも<ref group="注">ただし、[[本田由紀]]は、[[#統計調査|後述]]するアンケート調査で「いつも一緒の友だちグループ以外の人とは、特に仲良くしたいと思わない」という質問への否定的な回答が全体の3/4を超えたことを根拠として、自身の所属するグループの外へのコミュニケーション接続の志向も残ってはいることを指摘している。荻上チキは、([[インターネット]]環境の普及を背景として)全体としてある程度の棲み分けが進行する一方で、個人は単一の島宇宙にとどまるのではなく複数の島宇宙に帰属して常時接続することが求められるとして、これを'''コミュニケーションの網状化'''と呼んでいる。</ref>、教室内の各グループは等価な横並び状態にあるのではなく序列化(上下関係の付与)が働いていると述べている<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』41-45頁。</ref><ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 199-202頁。</ref>。この序列はスクールカーストと呼ばれ、[[精神科医]]の[[和田秀樹]]は、現代の若者は思春期頃に親から分離した人格を得て親友をつくっていくという発達プロセスを適切に踏むことができていないため、同じ価値観を持つ親友同士からなる教室内グループを形成することができず代わりにスクールカーストという階層が形成されたのだとしている<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』172-173頁。</ref>。スクールカーストでは、上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと表現する<ref name="ijime">『いじめの構造』43頁。</ref>。 |
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<references/> |
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一般的なイメージとしては、以下のようになる<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20頁。</ref>。 |
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== 関連項目 == |
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*[[恋愛]]・[[性愛]]経験 - 豊富なほど上位 |
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*[[いじめ]] |
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*[[容姿]] - 恵まれているほど上位 |
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*[[カースト制]] |
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*[[ファッション]]センス - 優れているほど上位 |
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*[[身分制度]] |
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*[[場の空気]] - 読めたり支配できるほど上位 |
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*[[クリーク (社会集団)]] |
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*[[部活]] - 運動系は上位、文科系は下位 |
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*[[ジョック]] |
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*[[趣味]]・文化圏 - [[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]]・[[ギャル]]系は上位<ref name="net-152">『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』152頁。</ref>、[[オタク]]系は下位 |
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*[[ナード]] |
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*自己像<ref group="注">精神科医の[[斎藤環]]は、若者の傾向をコミュニケーション能力は低いが自己像が安定的な「引きこもり系」とコミュニケーション能力は高いが自己像が不安定な「自分探し系」に大別した。</ref> - 自分探し系は上位、[[引きこもり]]系は下位<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』24頁。</ref> |
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[[森口朗]]によれば、スクールカースト上での位置決定に影響する最大の特性は[[コミュニケーション能力]]である<ref group="注">一般に社会で人間に対する評価指標がコミュニケーション能力・人間力といった抽象的なものにシフトしているということは、例えば[[ハイパー・メリトクラシー]]という用語でも論じられている。</ref>。クラス内でのステータスの上下関係自体は以前からあったものの、それは運動神経や学力が大きく関係したものであり、そうではなく判断基準がほとんどコミュニケーション能力に依存している点がスクールカーストの新しい点であるといえる<ref name="ijime" />。ここでいうコミュニケーション能力とは、具体的には「自己主張力([[リーダーシップ]]を得るために必要な能力)」「[[共感|共感力]](人望を得るために必要な能力)」そして「同調力([[場の空気]]に適応するために必要な能力)」の3つをさす<ref>『いじめの構造』44頁。</ref>。和田秀樹によれば、コミュニケーション能力の有無に偏重したスクールカーストという序列が発生した背景には、学業成績の相対評価を廃止するなど生徒に対する序列付け自体を否定するような過剰な平等主義があり、「学業成績」「運動能力」といった(努力で挽回可能な)特性によるアイデンティティを失った子供たちは「人気(コミュニケーション能力)」という(努力で挽回不可能な)特性に依存した序列付けを発生させてしまったのだという<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』65頁・86-87頁。</ref>。カーストの規定要因については、[[本田由紀]]が統計分析を用いて具体的に研究している([[#統計調査|後述]])。 |
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スクールカーストの格差は小学校ぐらいまでは目立たないが、[[思春期]](中学校ぐらい)から顕著にみられるようになる<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 19頁。</ref>。大学に入ると高校までのように常に同じ教室内で生徒同士で時間を過ごすのではなく自由に講義を履修するようになるためスクールカーストな人間関係は薄れていくと考えられるが、実際には([[#いじめとの関係|後述]]するようないじめに発展するような熾烈な事態にはならないにせよ)場の空気を読むことが強制され[[コミュニケーション能力]]が過大評価されるような高校までの環境の延長線上にあるような大学も多い<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』186-187頁。</ref>。 |
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[[和田秀樹]]によれば、スクールカーストによる階層化には地域差が存在するという<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』73-77頁。</ref>。スクールカースト化は人間関係の流動性が低く閉鎖的な場(いざというときに逃げられない状況)で起こりやすい現象であるため、具体的には以下のような地域ではカースト化が進みにくいと考えられる。 |
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*[[学習塾]]への通塾率が高い地域 - 塾という学校とは別の場が用意されているため |
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*[[中学受験]]への意識が高い地域 - 受験によって別々の学校に進学し友人関係がリセットされるため |
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*(公立中学校の)[[学校選択制]]がある地域 - 受験しなかったとしても、友人関係のリセットが行われるため |
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===いじめとの関係=== |
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場の空気を読んで摩擦・衝突を回避しながらポジションをさぐりあうという教室内における生徒たちの人間関係に対する緊張感は、しばしば[[戦場]]に喩えられる<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』348頁。</ref>。[[評論家]]の[[荻上チキ]]は([[#キャラ的コミュニケーション|後述]]するようなキャラをコントロールしながら行うコミュニケーションの闘争を)「(終わりなき)キャラ戦争」と呼び<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』206頁。</ref>、評論家の[[宇野常寛]]も「[[ケータイ小説]]好きの女子」と「[[美少女ゲーム]]好きの男子」というように文化的トライブを異にする者同士が(場合によっては互いに軽蔑しあいながら)共存する学校教室を、[[ポストモダン]]化の進行によって複数の異なる価値観が乱立する「バトルロワイヤル状況」のミクロな意味での象徴だとしている<ref>『ゼロ年代の想像力』97頁。</ref>(詳しくは[[#スクールカーストもの|後述]])。また、[[社会学者]]の[[土井隆義]]は中学生が創作した「教室はたとえて言えば[[地雷原]]」という[[川柳]]をスクールカースト的な一触即発の環境を端的に表現したものとして紹介している<ref>『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』9頁。</ref>。 |
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こうしたシビアなコミュニケーション環境{{#tag:ref|これらは「優しい関係」<ref>『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』8頁。</ref><ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』12頁。</ref>・「マサツ回避の世代」<ref>[[千石保]]『マサツ回避の世代―若者のホンネと主張』[[PHP研究所]]、1994年。ISBN 978-4569544892。</ref>と表現されたりするもので、[[哲学者]]の[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]の寓話である[[ヤマアラシ#哲学用語|ヤマアラシのジレンマ]]に相当するともいえる<ref>[[児美川孝一郎]]『若者とアイデンティティ』[[法政大学出版局]]、2006年、114頁。ISBN 978-4588680038。</ref>。|group="注"}}は、場合によっては[[いじめ]]を誘発して生徒を[[自殺]]に追い込むなどの深刻な事態を引き起こす背景にもなっており<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』320-321頁。</ref>、もともと森口朗が著書『いじめの構造』にてスクールカーストを紹介したのは、[[教育社会学]]者の[[藤田英典]]による理念的ないじめの分類<ref group="注">いじめを「モラルの低下・混乱によるもの」「社会的偏見・差別による排除的なもの」「閉鎖的な集団内で発生するもの」「特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの」の4つに分類した。詳細は[[いじめ#いじめの分類]]を参照。</ref>に当事者間で使用されている概念を組み合わせてリアリティを補強することが目的であった<ref>『いじめの構造』41頁。</ref>。 |
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いじめは基本的にはスクールカーストが下位のものを対象として行われるが、最上位のカーストの者が最下位のカーストの者をいじめるといった落差の大きいものはあまりなく、同一カースト内か隣接するカーストの者が対象となることが多い<ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』21頁。</ref>。生徒が形成している各グループ内部で行われるいじめについては、グループ間の移動の可能性はカースト上位ほど容易であることから<ref group="注">これは[[森口朗]]の著述による。[[#統計調査|後述]]する本田由紀の統計調査によれば、一緒に行動する友人の固定性が強いことはカースト上位を得ることにプラスの影響があるとされる。</ref>、カースト下位のグループほどいじめが発生しやすい(自分がいじめの対象となりそうな兆候があっても別グループへ離脱できないため)<ref>『いじめの構造』49頁。</ref>。 |
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いじめとカーストの関係は、いじめの加害者(被害者)になることによってカーストが上昇(下降)するという面もあり、両者は相互に干渉しあっている<ref>『いじめの構造』59頁。</ref>。いじめには示威行為としての側面があるため、特にもともと多くの生徒が内心では嫌っていた相手に対して先陣を切っていじめを始めた場合などは人気の獲得によってカーストが上昇する<ref>『いじめの構造』79頁。</ref>。他方、加害者側と同等以上にカーストの高い別の生徒あるいは教師などの介入によってクラスのモラルが回復した場合(いじめが恥ずべき行為であるとの意識が共有された場合)、いじめ加害者のカーストが下降することもある<ref>『いじめの構造』82頁。</ref>。中立者(いじめの直接的な加害者でも被害者でもない人)が被害者の救済を試みた場合、成功すればヒーローとしてカーストの上昇が期待できるが、失敗した場合はカーストの下降の危険性(さらにそれと付随して次は自分がいじめの新たな対象となる可能性)がある<ref name="ijime">『いじめの構造』53頁。</ref>。また、年少者の間ではいじめが発生していることを教員に密告する(チクる)ことは、不名誉なことであるとされているため、そのことが知られればカーストは下降することになる<ref name="ijime" />。 |
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[[和田秀樹]]は、スクールカーストに依拠したいじめの発生を精神分析家の[[ウィルフレッド・ビオン]]による[[集団心理]]の理論によって説明している。それによれば、集団における無意識(基底想定グループ)には、集団内に自己が位置づけられることによる不安を解消するための手段として「[[依存]]グループ(リーダーに全責任をゆだねて不安から逃れる)」「つがいグループ(幸福なカップルへの期待感によって不安から逃れる)」「闘争・逃避グループ(共通敵を想定して不安から逃れる)」という3つのパターンがあるが、スクールカーストの構造は「カースト下位者」という共通の敵を設定していじめの対象とするという意味で「闘争・逃避グループ」の反応であると考えられる。<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』80-85頁。</ref> |
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[[携帯電話]]や[[インターネット]]環境の普及によって、例えば[[学校裏サイト]]や[[プロフ (モバイルサイト)|プロフ]]などを舞台とした[[ネットいじめ]]が[[社会問題]]化しているが、ネット上で誹謗中傷などの対象となるのも(通常のいじめと同様に)概ねスクールカーストの下位者となる<ref name="net-152" />。 |
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===キャラ的コミュニケーション=== |
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現代の日本の若者は、各自の実際の性格だけではなく場合によっては[[場の空気]]による暗黙の圧力で配分される「[[キャラ (コミュニケーション)|キャラ]]」を演じてコミュニケーションをとるというスタイルが定着しており、教室内は例えば「[[不思議ちゃん]]キャラ」「[[毒舌]]キャラ」のような様々なキャラがひしめきあう状態となっている<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』18-20頁。</ref>。こうした環境はスクールカーストの形成やいじめの発生と密接に関係しており<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』28・31頁。</ref>、スクールカーストという序列は各々の「キャラ」に対して行われる格付けであるともいえる<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』152頁。</ref>。 |
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うまくキャラを確立できた者が勝利するという構造は日本の芸能界における[[お笑い芸人]]の生存競争にみられるものであり<ref>[[荻上チキ]]『社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム』[[講談社]]、2009年、122頁。ISBN 978-4062879989。</ref>、与えられたキャラを演じる若者の作法は日本の[[お笑い番組]]・[[バラエティ番組]]における彼らのやりとりの影響を強く受けている<ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』11頁。</ref><ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』18頁。</ref>。ほかにも、[[ゼロ年代]]末から急速に支持を集めた女性[[アイドルグループ]]である[[AKB48]]の運営戦略と受容の構造<ref group="注">「[[AKB48選抜総選挙|選抜総選挙]]」と呼ばれる人気投票(序列化)によって、「おっさんキャラの[[大島優子]]」「[[ギャル]]キャラの[[板野友美]]」といったキャラの分化が促進され、実質的には(個々のアイドルの身体性というより)それらキャラクター性がファンから消費の対象となっている。詳細は[[AKB48#キャラクター消費]]を参照。</ref>も、「コミュニケーション能力(≒人気獲得力)によって決定される序列」が「キャラの分化を促進する」という意味でスクールカーストの持つ構造と一致するものである<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』182-183頁。</ref>。 |
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[[荻上チキ]]は、スクールカーストによるキャラの序列化を「コミュニケーションの[[地形効果]]」として説明している。地形効果とは、[[ウォー・シミュレーションゲーム]]において戦闘キャラクター自身の属性とそれが位置している場所(地形)の属性の相性に良し悪しによって戦闘能力にプラスまたはマイナスの修正が与えられるということであるが、これと同じように現実世界のコミュニケーション空間でもどのような場にどのようなキャラの人が存在しているかによってその位置づけは変わるのであり、例えば「学校空間」という場では「根暗キャラ([[インキャラ]])な人はマイナスの修正を受ける」というような地形効果を影響を受けていると考えられる。<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』214-218頁。</ref> |
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キャラおよびスクールカーストの可変性について、[[森口朗]]は([[#いじめとの関係|前述]]したようにいじめの発生に付随した行動によってカーストの上昇/下降がみられることを指摘しながらも)新しい学年の始まる4月~5月頃のポジション取り(カーストの決定)が基本的には次のクラス替えまで1年間保存されるとしている<ref>『いじめの構造』44頁。</ref>。[[土井隆義]]や[[精神科医]]の[[斎藤環]]、[[荻上チキ]]らは学校空間でのカーストの固定性が強いことや固定化がいじめへつながる危険性を持つことを認めながらも<ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』24頁など。</ref><ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20-21頁。</ref><ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 205頁。</ref>、キャラ自体は周囲の状況に応じて切り替えられていく可変的なものであることを指摘しており<ref group="注">[[キャラ (コミュニケーション)#キャラとアイデンティティ]]を参照。</ref>、[[評論家]]の[[宇野常寛]]{{#tag:ref|[[宇野常寛]]によると、いわゆる[[場の空気|空気]]の読めない人は自己の[[アイデンティティ]]を「~である」という固定的な自己像に対する承認によって獲得しようとするが、現実には「~した」という具体的な行動によって他者からの人物像が形成されるのであり、現代社会の流動性の高いコミュニティにおいてキャラクターは自身のコミュニケーションによって書き換え可能であるという<ref>『ゼロ年代の想像力』310-315頁。</ref>。|group="注"}}や[[荻上チキ]]{{#tag:ref|荻上チキは、一般に個人が複数のキャラを持っており場面に応じてそのどれかひとつを決めてそれを演じる「キャラ分け」が行われているとしている<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 225頁など。</ref>。|group="注"}}はこのキャラの可変性に注目した論考を行っている。それらを踏まえた評論家の[[海老原豊]]の論<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』343-346頁。</ref>によれば、カースト/キャラが可変性と不変性を併有しているのは、その位置決定にかかわるコミュニケーション能力そのものが、具体的な対人関係の中で成長させることが可能ではあるが、家庭環境のような(当人にはコントロール不可能な)外的要因の影響も受けるという二面性を持っているからであるとしている。そして、そもそもカースト/キャラの可変性の前提となっているのは現代におけるメディア・テクノロジー環境の変化をもたらした個人の固定的な身体性(階級・生育環境など)の抑圧であり、その箍が外れたときに(あたかも本物のカースト制度のように)「本来あるべきカースト」への固定化が働くと考えられる<ref group="注">例えば、中学時代にいじめられていた子供が、中学卒業・高校入学を機会にキャラを変更して(いわゆる「高校デビュー」)カーストの上昇を試みて成功したかに見えても、ひとたび過去の自分の姿を暴露されれば(抑圧が解放されれば)再びカースト最下層への転落を余儀なくされる、ということ。</ref>。 |
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===統計調査=== |
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[[本田由紀]]は、2009年~2010年に[[神奈川県]]の[[公立中学校]]の生徒2874名に対して[[アンケート]]調査を行った。そのデータを元に分析すると、「高位・中位・低位・いじられ{{#tag:ref|「人気がある」「馬鹿にされている」という一見すると相反する評価を周囲が受けている「いじられキャラ」のことで、[[道化]]のように、からかわれる(=いじられる)ことによって人気を得ている<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』49-50頁。</ref>。「いじり」はコミュニケーション操作系いじめにつながりかねない否定的な側面も持っており、例えばスクールカーストものとして頻繁に引用される[[小説]]『りはめより100倍恐ろしい』のタイトルは、「いじ'''り'''」は「いじ'''め'''」よりも恐ろしいという意味である<ref name="net-165">『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』165頁。</ref>。森口朗は、スクールカーストを規定するコミュニケーション能力の3要素のうち、「同調力は高いが共感力と自己主張力が低い」ものがいじられキャラのポジションにおさまるとしている<ref>『いじめの構造』45頁。</ref>。|group="注"}}」の比率が「10:60:25:5」になったという<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』68頁。</ref>。 |
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さらに、[[性別]]・[[学力]]・[[生きる力]](自主性・主体性・論理性)・(家庭の)[[経済資本]]・(家庭の)[[文化資本]]・クラス内友人数・(普段一緒に行動する)友人の固定性・部活動(運動系か文化系か)といった要素がカーストの位置決定にどう影響しているかを[[ロジスティック回帰|ロジスティック]][[回帰分析]]によって調べている。それによれば、(「中位」を基準として)「高位」に位置する典型的な生徒像は「友人数が多くてかつ固定的で生きる力が高く学力も高め」、「低位」に位置する生徒像は「文化資本は豊富だが学力は低めで友人数は少なく文化部所属の男子」、「いじられ」に属する生徒像は「友人数が多くてかつ固定的で生きる力と文化資本が豊富かつ学力は低めの男子」となる。<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』50-53頁。</ref> |
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また、本田由紀はカーストが「(学校での)友人関係」「教師との関係」「将来像(進路希望)」と関係しているかどうかも調査している。友人関係について、学校生活で自分の本心に反して求められているキャラを演出したりするかという質問への肯定的な回答は、「上位」と「中位」が同程度で、それより「低下」が高く、さらにそれより「いじられ」が高くなっている<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』54-55頁。</ref>。教師との関係については、「上位」「いじられ」の生徒が他と比べて教師と積極的にコミュニケーションをとっている<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』79-80頁。</ref>。将来像については、「高位」「中位」「低位」の順に大学進学の希望率が下がる<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』100-101頁。</ref>。 |
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==スクールカーストもの== |
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教室内での人間関係をめぐる駆け引きを描いた物語(小説)は、'''スクールカーストもの'''('''スクールカースト小説''')といわれ、[[ゼロ年代]]頃から日本では若手作家による[[純文学]]や[[ライトノベル]]の分野で存在感を保っている<ref>『ゼロ年代の想像力』114頁。</ref>。中には著者自身が実際に学校空間で体験したことが反映されていると考えられるものもあり、[[ドキュメンタリー]]的な面もある<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 25頁。</ref>。 |
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[[宇野常寛]]は、[[21世紀]]に入った頃から[[アメリカ同時多発テロ事件]]や[[小泉内閣]]主導の[[新自由主義]]路線([[聖域なき構造改革]])といった社会状況の影響により、それまで([[1990年代]]後半頃)の日本のポップカルチャーで優勢だった[[引きこもり]]がちな自意識の葛藤を描く作風(いわゆる[[セカイ系]])から「価値相対的な過酷な状況を自分の力で生き延びる」という'''サヴァイヴ系'''/'''バトルロワイヤル系'''の作風に物語のパラダイムシフトが起こっていると論じており、一連のスクールカースト小説も後者の想像力のひとつに位置づけている<ref name="zero">『ゼロ年代の想像力』111-114頁。</ref>。宇野の議論によれば、大きな物語(社会全体に共有されるような特権的な価値観)が失墜し[[ポストモダン]]化の進行した現代社会では個人が自力で拠り所とする小さな物語を決断的に選び取らなければならない状況に陥っており、無数に散在する小さな物語(島宇宙)の内部において、自分がその共同体に帰属していることを確認するための自己目的化したコミュニケーション([[社会学者]]の[[北田暁大]]がいう[[つながりの社会性]])が繰り返されているという。そして、それを現実認知として描けばスクールカーストものも属するバトルロワイヤル系の想像力となり、逆に消費者の欲望に合わせて理想化させて描けば(スクールカーストものと同様にしばしば教室空間を舞台としてつながりの社会性が顕在化したコミュニケーションの連鎖が描かれる)[[空気系]]の想像力になると考えられる<ref>宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』 [[幻冬舎]]、2011年、297-298頁。ISBN 978-4344020245。</ref>。 |
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[[社会学者]]の[[中西新太郎]]は、(主に[[ライトノベル]]などを参照しながら)日常圏に侵食する社会圏の困難を描く想像力を'''シャカイ系'''と呼んでいるが、若者にとって日常の大半の時間をすごすことになる学校空間も、人間関係からの隔離という危険と隣り合わせの「社会」に変貌しつつあるとしている<ref>『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』38頁・131頁。</ref>。 |
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以下では、スクールカーストに言及した論考などで参照されたことのある[[小説]](ライトノベルを含む)を挙げる。 |
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*[[山田詠美]]『[[風葬の教室]]』(1988年)<ref name="kuki">「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』324-349頁。</ref> |
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*[[重松清]]「ナイフ」『[[ナイフ (小説)|ナイフ]]』(1997年)<ref name="kuki" /> |
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*重松清『[[エイジ (小説)|エイジ]]』(1999年)<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』52-53頁。</ref> |
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*[[佐藤友哉]]『[[エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室]]』(2001年)<ref>[[前島賢]] 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 [[ソフトバンククリエイティブ]]、2010年、189-190頁。ISBN 978-4797357165。</ref> |
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*[[綿矢りさ]]『[[蹴りたい背中]]』(2003年)<ref name="zero" /><ref name="kuki" /> |
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*[[桜庭一樹]]『[[推定少女 (小説)|推定少女]]』(2004年)<ref name="zero" /> |
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*[[白岩玄]]『[[野ブタ。をプロデュース]]』(2004年)<ref name="zero" /><ref name="chara">『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』25-27頁。</ref><ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』207頁。</ref> |
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*[[日日日]]『[[ちーちゃんは悠久の向こう]]』(2005年)<ref name="zero" /><ref name="kuki" /> |
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*[[三並夏]]『[[平成マシンガンズ]]』(2005年)<ref name="zero" /><ref name="chara" /> |
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*[[木堂椎]]『[[りはめより100倍恐ろしい]]』(2006年)<ref name="net-165" /><ref name="zero" /><ref name="kuki" /><ref name="chara" /> |
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*[[辻村深月]]『[[ぼくのメジャースプーン]]』(2006年)<ref name="kuki" /> |
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*[[田中ロミオ]]『[[AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜]]』(2008年)<ref name="kuki" /> |
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*木堂椎『[[12人の悩める中学生]]』(2008年)<ref name="kuki" /> |
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*[[大樹連司]]『[[ほうかごのロケッティア School escape velocit]]』(2009年)<ref>『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 38頁。</ref> |
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*[[朝井リョウ]]『[[桐島、部活やめるってよ]]』(2010年)<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』45頁。</ref> |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{reflist|group=注}} |
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=== 出典 === |
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{{reflist}} |
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==参考文献== |
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{{Socprb-stub}} |
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*[[海老原豊]] 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』 [[南雲堂]]、2010年。ISBN 978-4523264972。 |
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{{Education-stub}} |
|||
*[[土井隆義]] 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』 [[岩波書店]]、2009年。ISBN 978-4000094597。 |
|||
*[[斎藤環]] 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 [[筑摩書房]]、2011年。ISBN 978-4480842954。 |
|||
*[[森口朗]] 『いじめの構造』 [[新潮社]]、2007年。ISBN 978-4106102196。 |
|||
*[[宇野常寛]] 『ゼロ年代の想像力』 [[早川書房]]、2008年。ISBN 978-4152089410。 |
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*[[本田由紀]] 『学校の「空気」 (若者の気分) 』岩波書店、2011年。ISBN 978-4000284516。 |
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*[[荻上チキ]] 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 [[PHP研究所]]、2008年。ISBN 978-4569701141。 |
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*[[中西新太郎]] 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 岩波書店、2011年。ISBN 978-4000284530。 |
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*[[和田秀樹]] 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』 [[祥伝社]]、2010年。ISBN 978-4396613679。 |
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2011年12月3日 (土) 03:02時点における版
スクールカースト(または学校カースト[1])とは、現代の日本の学校空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、インドなどのカースト制度になぞらえた表現。もともとアメリカで同種の現象[注 1]が発生しており、それが日本でも確認できるのではないかということからインターネット上で「スクールカースト」という名称が定着した[1]。2007年に教育評論家の森口朗が著書『いじめの構造』で紹介し、その後教育や文芸批評の文脈で議論の対象とされるようになった。
スクールカーストの構造
現代の学校空間では、クラス内にいくつかの友達同士のグループが形成され、それらの内部で活発に交流が行われるだけで人間関係が完結する現象がみられる。社会学者の宮台真司は(教室内に限らず若者のコミュニケーション空間全般で発生しているこの変容を)島宇宙化と呼び、分断された各グループ(島宇宙)は優劣のつけられない横並びの状態になっており(フラット化)、異なるグループ間でのつながりが失われたと論じた[2]。これについて教育学者の本田由紀や評論家の荻上チキは、分断化自体は認めながらも[注 2]、教室内の各グループは等価な横並び状態にあるのではなく序列化(上下関係の付与)が働いていると述べている[3][4]。この序列はスクールカーストと呼ばれ、精神科医の和田秀樹は、現代の若者は思春期頃に親から分離した人格を得て親友をつくっていくという発達プロセスを適切に踏むことができていないため、同じ価値観を持つ親友同士からなる教室内グループを形成することができず代わりにスクールカーストという階層が形成されたのだとしている[5]。スクールカーストでは、上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと表現する[6]。
一般的なイメージとしては、以下のようになる[7]。
- 恋愛・性愛経験 - 豊富なほど上位
- 容姿 - 恵まれているほど上位
- ファッションセンス - 優れているほど上位
- 場の空気 - 読めたり支配できるほど上位
- 部活 - 運動系は上位、文科系は下位
- 趣味・文化圏 - ヤンキー・ギャル系は上位[8]、オタク系は下位
- 自己像[注 3] - 自分探し系は上位、引きこもり系は下位[9]
森口朗によれば、スクールカースト上での位置決定に影響する最大の特性はコミュニケーション能力である[注 4]。クラス内でのステータスの上下関係自体は以前からあったものの、それは運動神経や学力が大きく関係したものであり、そうではなく判断基準がほとんどコミュニケーション能力に依存している点がスクールカーストの新しい点であるといえる[6]。ここでいうコミュニケーション能力とは、具体的には「自己主張力(リーダーシップを得るために必要な能力)」「共感力(人望を得るために必要な能力)」そして「同調力(場の空気に適応するために必要な能力)」の3つをさす[10]。和田秀樹によれば、コミュニケーション能力の有無に偏重したスクールカーストという序列が発生した背景には、学業成績の相対評価を廃止するなど生徒に対する序列付け自体を否定するような過剰な平等主義があり、「学業成績」「運動能力」といった(努力で挽回可能な)特性によるアイデンティティを失った子供たちは「人気(コミュニケーション能力)」という(努力で挽回不可能な)特性に依存した序列付けを発生させてしまったのだという[11]。カーストの規定要因については、本田由紀が統計分析を用いて具体的に研究している(後述)。
スクールカーストの格差は小学校ぐらいまでは目立たないが、思春期(中学校ぐらい)から顕著にみられるようになる[12]。大学に入ると高校までのように常に同じ教室内で生徒同士で時間を過ごすのではなく自由に講義を履修するようになるためスクールカーストな人間関係は薄れていくと考えられるが、実際には(後述するようないじめに発展するような熾烈な事態にはならないにせよ)場の空気を読むことが強制されコミュニケーション能力が過大評価されるような高校までの環境の延長線上にあるような大学も多い[13]。
和田秀樹によれば、スクールカーストによる階層化には地域差が存在するという[14]。スクールカースト化は人間関係の流動性が低く閉鎖的な場(いざというときに逃げられない状況)で起こりやすい現象であるため、具体的には以下のような地域ではカースト化が進みにくいと考えられる。
- 学習塾への通塾率が高い地域 - 塾という学校とは別の場が用意されているため
- 中学受験への意識が高い地域 - 受験によって別々の学校に進学し友人関係がリセットされるため
- (公立中学校の)学校選択制がある地域 - 受験しなかったとしても、友人関係のリセットが行われるため
いじめとの関係
場の空気を読んで摩擦・衝突を回避しながらポジションをさぐりあうという教室内における生徒たちの人間関係に対する緊張感は、しばしば戦場に喩えられる[15]。評論家の荻上チキは(後述するようなキャラをコントロールしながら行うコミュニケーションの闘争を)「(終わりなき)キャラ戦争」と呼び[16]、評論家の宇野常寛も「ケータイ小説好きの女子」と「美少女ゲーム好きの男子」というように文化的トライブを異にする者同士が(場合によっては互いに軽蔑しあいながら)共存する学校教室を、ポストモダン化の進行によって複数の異なる価値観が乱立する「バトルロワイヤル状況」のミクロな意味での象徴だとしている[17](詳しくは後述)。また、社会学者の土井隆義は中学生が創作した「教室はたとえて言えば地雷原」という川柳をスクールカースト的な一触即発の環境を端的に表現したものとして紹介している[18]。
こうしたシビアなコミュニケーション環境[注 5]は、場合によってはいじめを誘発して生徒を自殺に追い込むなどの深刻な事態を引き起こす背景にもなっており[23]、もともと森口朗が著書『いじめの構造』にてスクールカーストを紹介したのは、教育社会学者の藤田英典による理念的ないじめの分類[注 6]に当事者間で使用されている概念を組み合わせてリアリティを補強することが目的であった[24]。
いじめは基本的にはスクールカーストが下位のものを対象として行われるが、最上位のカーストの者が最下位のカーストの者をいじめるといった落差の大きいものはあまりなく、同一カースト内か隣接するカーストの者が対象となることが多い[25]。生徒が形成している各グループ内部で行われるいじめについては、グループ間の移動の可能性はカースト上位ほど容易であることから[注 7]、カースト下位のグループほどいじめが発生しやすい(自分がいじめの対象となりそうな兆候があっても別グループへ離脱できないため)[26]。
いじめとカーストの関係は、いじめの加害者(被害者)になることによってカーストが上昇(下降)するという面もあり、両者は相互に干渉しあっている[27]。いじめには示威行為としての側面があるため、特にもともと多くの生徒が内心では嫌っていた相手に対して先陣を切っていじめを始めた場合などは人気の獲得によってカーストが上昇する[28]。他方、加害者側と同等以上にカーストの高い別の生徒あるいは教師などの介入によってクラスのモラルが回復した場合(いじめが恥ずべき行為であるとの意識が共有された場合)、いじめ加害者のカーストが下降することもある[29]。中立者(いじめの直接的な加害者でも被害者でもない人)が被害者の救済を試みた場合、成功すればヒーローとしてカーストの上昇が期待できるが、失敗した場合はカーストの下降の危険性(さらにそれと付随して次は自分がいじめの新たな対象となる可能性)がある[6]。また、年少者の間ではいじめが発生していることを教員に密告する(チクる)ことは、不名誉なことであるとされているため、そのことが知られればカーストは下降することになる[6]。
和田秀樹は、スクールカーストに依拠したいじめの発生を精神分析家のウィルフレッド・ビオンによる集団心理の理論によって説明している。それによれば、集団における無意識(基底想定グループ)には、集団内に自己が位置づけられることによる不安を解消するための手段として「依存グループ(リーダーに全責任をゆだねて不安から逃れる)」「つがいグループ(幸福なカップルへの期待感によって不安から逃れる)」「闘争・逃避グループ(共通敵を想定して不安から逃れる)」という3つのパターンがあるが、スクールカーストの構造は「カースト下位者」という共通の敵を設定していじめの対象とするという意味で「闘争・逃避グループ」の反応であると考えられる。[30]
携帯電話やインターネット環境の普及によって、例えば学校裏サイトやプロフなどを舞台としたネットいじめが社会問題化しているが、ネット上で誹謗中傷などの対象となるのも(通常のいじめと同様に)概ねスクールカーストの下位者となる[8]。
キャラ的コミュニケーション
現代の日本の若者は、各自の実際の性格だけではなく場合によっては場の空気による暗黙の圧力で配分される「キャラ」を演じてコミュニケーションをとるというスタイルが定着しており、教室内は例えば「不思議ちゃんキャラ」「毒舌キャラ」のような様々なキャラがひしめきあう状態となっている[31]。こうした環境はスクールカーストの形成やいじめの発生と密接に関係しており[32]、スクールカーストという序列は各々の「キャラ」に対して行われる格付けであるともいえる[33]。
うまくキャラを確立できた者が勝利するという構造は日本の芸能界におけるお笑い芸人の生存競争にみられるものであり[34]、与えられたキャラを演じる若者の作法は日本のお笑い番組・バラエティ番組における彼らのやりとりの影響を強く受けている[35][36]。ほかにも、ゼロ年代末から急速に支持を集めた女性アイドルグループであるAKB48の運営戦略と受容の構造[注 8]も、「コミュニケーション能力(≒人気獲得力)によって決定される序列」が「キャラの分化を促進する」という意味でスクールカーストの持つ構造と一致するものである[37]。
荻上チキは、スクールカーストによるキャラの序列化を「コミュニケーションの地形効果」として説明している。地形効果とは、ウォー・シミュレーションゲームにおいて戦闘キャラクター自身の属性とそれが位置している場所(地形)の属性の相性に良し悪しによって戦闘能力にプラスまたはマイナスの修正が与えられるということであるが、これと同じように現実世界のコミュニケーション空間でもどのような場にどのようなキャラの人が存在しているかによってその位置づけは変わるのであり、例えば「学校空間」という場では「根暗キャラ(インキャラ)な人はマイナスの修正を受ける」というような地形効果を影響を受けていると考えられる。[38]
キャラおよびスクールカーストの可変性について、森口朗は(前述したようにいじめの発生に付随した行動によってカーストの上昇/下降がみられることを指摘しながらも)新しい学年の始まる4月~5月頃のポジション取り(カーストの決定)が基本的には次のクラス替えまで1年間保存されるとしている[39]。土井隆義や精神科医の斎藤環、荻上チキらは学校空間でのカーストの固定性が強いことや固定化がいじめへつながる危険性を持つことを認めながらも[40][41][42]、キャラ自体は周囲の状況に応じて切り替えられていく可変的なものであることを指摘しており[注 9]、評論家の宇野常寛[注 10]や荻上チキ[注 11]はこのキャラの可変性に注目した論考を行っている。それらを踏まえた評論家の海老原豊の論[45]によれば、カースト/キャラが可変性と不変性を併有しているのは、その位置決定にかかわるコミュニケーション能力そのものが、具体的な対人関係の中で成長させることが可能ではあるが、家庭環境のような(当人にはコントロール不可能な)外的要因の影響も受けるという二面性を持っているからであるとしている。そして、そもそもカースト/キャラの可変性の前提となっているのは現代におけるメディア・テクノロジー環境の変化をもたらした個人の固定的な身体性(階級・生育環境など)の抑圧であり、その箍が外れたときに(あたかも本物のカースト制度のように)「本来あるべきカースト」への固定化が働くと考えられる[注 12]。
統計調査
本田由紀は、2009年~2010年に神奈川県の公立中学校の生徒2874名に対してアンケート調査を行った。そのデータを元に分析すると、「高位・中位・低位・いじられ[注 13]」の比率が「10:60:25:5」になったという[49]。
さらに、性別・学力・生きる力(自主性・主体性・論理性)・(家庭の)経済資本・(家庭の)文化資本・クラス内友人数・(普段一緒に行動する)友人の固定性・部活動(運動系か文化系か)といった要素がカーストの位置決定にどう影響しているかをロジスティック回帰分析によって調べている。それによれば、(「中位」を基準として)「高位」に位置する典型的な生徒像は「友人数が多くてかつ固定的で生きる力が高く学力も高め」、「低位」に位置する生徒像は「文化資本は豊富だが学力は低めで友人数は少なく文化部所属の男子」、「いじられ」に属する生徒像は「友人数が多くてかつ固定的で生きる力と文化資本が豊富かつ学力は低めの男子」となる。[50]
また、本田由紀はカーストが「(学校での)友人関係」「教師との関係」「将来像(進路希望)」と関係しているかどうかも調査している。友人関係について、学校生活で自分の本心に反して求められているキャラを演出したりするかという質問への肯定的な回答は、「上位」と「中位」が同程度で、それより「低下」が高く、さらにそれより「いじられ」が高くなっている[51]。教師との関係については、「上位」「いじられ」の生徒が他と比べて教師と積極的にコミュニケーションをとっている[52]。将来像については、「高位」「中位」「低位」の順に大学進学の希望率が下がる[53]。
スクールカーストもの
教室内での人間関係をめぐる駆け引きを描いた物語(小説)は、スクールカーストもの(スクールカースト小説)といわれ、ゼロ年代頃から日本では若手作家による純文学やライトノベルの分野で存在感を保っている[54]。中には著者自身が実際に学校空間で体験したことが反映されていると考えられるものもあり、ドキュメンタリー的な面もある[55]。
宇野常寛は、21世紀に入った頃からアメリカ同時多発テロ事件や小泉内閣主導の新自由主義路線(聖域なき構造改革)といった社会状況の影響により、それまで(1990年代後半頃)の日本のポップカルチャーで優勢だった引きこもりがちな自意識の葛藤を描く作風(いわゆるセカイ系)から「価値相対的な過酷な状況を自分の力で生き延びる」というサヴァイヴ系/バトルロワイヤル系の作風に物語のパラダイムシフトが起こっていると論じており、一連のスクールカースト小説も後者の想像力のひとつに位置づけている[56]。宇野の議論によれば、大きな物語(社会全体に共有されるような特権的な価値観)が失墜しポストモダン化の進行した現代社会では個人が自力で拠り所とする小さな物語を決断的に選び取らなければならない状況に陥っており、無数に散在する小さな物語(島宇宙)の内部において、自分がその共同体に帰属していることを確認するための自己目的化したコミュニケーション(社会学者の北田暁大がいうつながりの社会性)が繰り返されているという。そして、それを現実認知として描けばスクールカーストものも属するバトルロワイヤル系の想像力となり、逆に消費者の欲望に合わせて理想化させて描けば(スクールカーストものと同様にしばしば教室空間を舞台としてつながりの社会性が顕在化したコミュニケーションの連鎖が描かれる)空気系の想像力になると考えられる[57]。
社会学者の中西新太郎は、(主にライトノベルなどを参照しながら)日常圏に侵食する社会圏の困難を描く想像力をシャカイ系と呼んでいるが、若者にとって日常の大半の時間をすごすことになる学校空間も、人間関係からの隔離という危険と隣り合わせの「社会」に変貌しつつあるとしている[58]。
以下では、スクールカーストに言及した論考などで参照されたことのある小説(ライトノベルを含む)を挙げる。
- 山田詠美『風葬の教室』(1988年)[59]
- 重松清「ナイフ」『ナイフ』(1997年)[59]
- 重松清『エイジ』(1999年)[60]
- 佐藤友哉『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』(2001年)[61]
- 綿矢りさ『蹴りたい背中』(2003年)[56][59]
- 桜庭一樹『推定少女』(2004年)[56]
- 白岩玄『野ブタ。をプロデュース』(2004年)[56][62][63]
- 日日日『ちーちゃんは悠久の向こう』(2005年)[56][59]
- 三並夏『平成マシンガンズ』(2005年)[56][62]
- 木堂椎『りはめより100倍恐ろしい』(2006年)[47][56][59][62]
- 辻村深月『ぼくのメジャースプーン』(2006年)[59]
- 田中ロミオ『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜』(2008年)[59]
- 木堂椎『12人の悩める中学生』(2008年)[59]
- 大樹連司『ほうかごのロケッティア School escape velocit』(2009年)[64]
- 朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(2010年)[65]
脚注
注釈
- ^ ジョック#階層構造の図象を参照。
- ^ ただし、本田由紀は、後述するアンケート調査で「いつも一緒の友だちグループ以外の人とは、特に仲良くしたいと思わない」という質問への否定的な回答が全体の3/4を超えたことを根拠として、自身の所属するグループの外へのコミュニケーション接続の志向も残ってはいることを指摘している。荻上チキは、(インターネット環境の普及を背景として)全体としてある程度の棲み分けが進行する一方で、個人は単一の島宇宙にとどまるのではなく複数の島宇宙に帰属して常時接続することが求められるとして、これをコミュニケーションの網状化と呼んでいる。
- ^ 精神科医の斎藤環は、若者の傾向をコミュニケーション能力は低いが自己像が安定的な「引きこもり系」とコミュニケーション能力は高いが自己像が不安定な「自分探し系」に大別した。
- ^ 一般に社会で人間に対する評価指標がコミュニケーション能力・人間力といった抽象的なものにシフトしているということは、例えばハイパー・メリトクラシーという用語でも論じられている。
- ^ これらは「優しい関係」[19][20]・「マサツ回避の世代」[21]と表現されたりするもので、哲学者のアルトゥル・ショーペンハウアーの寓話であるヤマアラシのジレンマに相当するともいえる[22]。
- ^ いじめを「モラルの低下・混乱によるもの」「社会的偏見・差別による排除的なもの」「閉鎖的な集団内で発生するもの」「特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの」の4つに分類した。詳細はいじめ#いじめの分類を参照。
- ^ これは森口朗の著述による。後述する本田由紀の統計調査によれば、一緒に行動する友人の固定性が強いことはカースト上位を得ることにプラスの影響があるとされる。
- ^ 「選抜総選挙」と呼ばれる人気投票(序列化)によって、「おっさんキャラの大島優子」「ギャルキャラの板野友美」といったキャラの分化が促進され、実質的には(個々のアイドルの身体性というより)それらキャラクター性がファンから消費の対象となっている。詳細はAKB48#キャラクター消費を参照。
- ^ キャラ (コミュニケーション)#キャラとアイデンティティを参照。
- ^ 宇野常寛によると、いわゆる空気の読めない人は自己のアイデンティティを「~である」という固定的な自己像に対する承認によって獲得しようとするが、現実には「~した」という具体的な行動によって他者からの人物像が形成されるのであり、現代社会の流動性の高いコミュニティにおいてキャラクターは自身のコミュニケーションによって書き換え可能であるという[43]。
- ^ 荻上チキは、一般に個人が複数のキャラを持っており場面に応じてそのどれかひとつを決めてそれを演じる「キャラ分け」が行われているとしている[44]。
- ^ 例えば、中学時代にいじめられていた子供が、中学卒業・高校入学を機会にキャラを変更して(いわゆる「高校デビュー」)カーストの上昇を試みて成功したかに見えても、ひとたび過去の自分の姿を暴露されれば(抑圧が解放されれば)再びカースト最下層への転落を余儀なくされる、ということ。
- ^ 「人気がある」「馬鹿にされている」という一見すると相反する評価を周囲が受けている「いじられキャラ」のことで、道化のように、からかわれる(=いじられる)ことによって人気を得ている[46]。「いじり」はコミュニケーション操作系いじめにつながりかねない否定的な側面も持っており、例えばスクールカーストものとして頻繁に引用される小説『りはめより100倍恐ろしい』のタイトルは、「いじり」は「いじめ」よりも恐ろしいという意味である[47]。森口朗は、スクールカーストを規定するコミュニケーション能力の3要素のうち、「同調力は高いが共感力と自己主張力が低い」ものがいじられキャラのポジションにおさまるとしている[48]。
出典
- ^ a b 森口朗『スクールカーストとは何か~その3~』森口朗公式ブログ(2007年6月4日)
- ^ 宮台真司『制服少女たちの選択』講談社、1994年。ISBN 978-4062053549。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』41-45頁。
- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 199-202頁。
- ^ 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』172-173頁。
- ^ a b c d 『いじめの構造』43頁。 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "ijime"が異なる内容で複数回定義されています - ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20頁。
- ^ a b 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』152頁。
- ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』24頁。
- ^ 『いじめの構造』44頁。
- ^ 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』65頁・86-87頁。
- ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 19頁。
- ^ 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』186-187頁。
- ^ 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』73-77頁。
- ^ 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』348頁。
- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』206頁。
- ^ 『ゼロ年代の想像力』97頁。
- ^ 『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』9頁。
- ^ 『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』8頁。
- ^ 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』12頁。
- ^ 千石保『マサツ回避の世代―若者のホンネと主張』PHP研究所、1994年。ISBN 978-4569544892。
- ^ 児美川孝一郎『若者とアイデンティティ』法政大学出版局、2006年、114頁。ISBN 978-4588680038。
- ^ 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』320-321頁。
- ^ 『いじめの構造』41頁。
- ^ 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』21頁。
- ^ 『いじめの構造』49頁。
- ^ 『いじめの構造』59頁。
- ^ 『いじめの構造』79頁。
- ^ 『いじめの構造』82頁。
- ^ 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』80-85頁。
- ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』18-20頁。
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- ^ 荻上チキ『社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム』講談社、2009年、122頁。ISBN 978-4062879989。
- ^ 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』11頁。
- ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』18頁。
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- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』214-218頁。
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- ^ 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』24頁など。
- ^ 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20-21頁。
- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 205頁。
- ^ 『ゼロ年代の想像力』310-315頁。
- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 225頁など。
- ^ 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』343-346頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』49-50頁。
- ^ a b 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』165頁。
- ^ 『いじめの構造』45頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』68頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』50-53頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』54-55頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』79-80頁。
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- ^ 『ゼロ年代の想像力』114頁。
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- ^ a b c d e f g 『ゼロ年代の想像力』111-114頁。
- ^ 宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』 幻冬舎、2011年、297-298頁。ISBN 978-4344020245。
- ^ 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』38頁・131頁。
- ^ a b c d e f g h 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』324-349頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』52-53頁。
- ^ 前島賢 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 ソフトバンククリエイティブ、2010年、189-190頁。ISBN 978-4797357165。
- ^ a b c 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』25-27頁。
- ^ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』207頁。
- ^ 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 38頁。
- ^ 『学校の「空気」 (若者の気分) 』45頁。
参考文献
- 海老原豊 「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』 南雲堂、2010年。ISBN 978-4523264972。
- 土井隆義 『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』 岩波書店、2009年。ISBN 978-4000094597。
- 斎藤環 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 筑摩書房、2011年。ISBN 978-4480842954。
- 森口朗 『いじめの構造』 新潮社、2007年。ISBN 978-4106102196。
- 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』 早川書房、2008年。ISBN 978-4152089410。
- 本田由紀 『学校の「空気」 (若者の気分) 』岩波書店、2011年。ISBN 978-4000284516。
- 荻上チキ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 PHP研究所、2008年。ISBN 978-4569701141。
- 中西新太郎 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 岩波書店、2011年。ISBN 978-4000284530。
- 和田秀樹 『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』 祥伝社、2010年。ISBN 978-4396613679。