「島田魁」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
25行目: 25行目:
== 人物 ==
== 人物 ==
島田は箱館戦争後、近藤勇をはじめ散っていった新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、箱館で戦死した[[土方歳三]]の戒名を常に懐に携えていたという。また、後世に自分たちを伝えるため「島田魁日記」をはじめ様々な記録や品々を保管している。それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしている。
島田は箱館戦争後、近藤勇をはじめ散っていった新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、箱館で戦死した[[土方歳三]]の戒名を常に懐に携えていたという。また、後世に自分たちを伝えるため「島田魁日記」をはじめ様々な記録や品々を保管している。それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしている。

新選組の主催した相撲興行でも活躍し「力さん」の異名をとった。また、その巨漢に似合わぬ大の甘党で、自分で大鍋一杯の汁粉を作り、それを1人でぺろりとたいらげた。それも砂糖を大量に入れ糸を引くほどの甘さであったため、周りの隊士は誰も、この「島田汁粉」を食べられなかったという。新政府から釈放された後は京都に戻り、レモネード屋や雑貨屋、「島田魁撃剣道場」などを開いたがどれも流行らず困窮したという。


島田は文芸も好んだと思われ、土方歳三への追悼歌も残している。
島田は文芸も好んだと思われ、土方歳三への追悼歌も残している。

2005年12月25日 (日) 10:41時点における版

島田 魁しまだ かい文政11年1月15日1828年2月29日) - 明治33年(1900年3月20日)は、新選組二番隊伍長 諸士調役兼監察。守衛新選組隊長。嶋田ともいう。後に魁の訓を「さきがけ」と改めた。美濃国方県郡雄総村出身。諱は義明。

美濃

文政11年 美濃国雄総村(現在の岐阜県岐阜市)庄屋近藤伊右衛門の次男として生まれる。幼いころ、羽栗郡石田村(現在の岐阜県各務原市)永縄半左衛門の養子となり、半左衛門死後は母方の川島家に預けられる。そのころか、剣術修行に目覚め、名古屋城内の御前試合で優勝し、大垣藩の嶋田才に見初められ養子となり嶋田家を継ぐ。江戸に出て心形刀流・坪内主馬の門を叩く。この坪内道場で永倉新八と出会い共に稽古に励んでいる。

新選組

永倉と島田が京都でいつ再会したかは不明だが、文久3年(1863年)5月には新選組に入隊していたと思われる。そして、諸士調役兼監察の任に就く。巨漢で怪力の持ち主であったという。

元治元年(1864年)6月には諸士調役兼監察の能力を存分に発揮し池田屋事件の発端となる古高俊太郎捕縛に貢献している。その後の組織再編で伍長も兼任する。

慶応3年(1867年)11月の油小路事件では、服部武雄と戦っている。同年12月18日御陵衛士(高台寺党)残党による近藤勇襲撃では近藤の護衛として同行していた。馬上で狙撃された近藤の馬を走らせ命を救ったのは島田である。

慶応4年(1868年)1月3日 鳥羽・伏見の戦いでは、永倉新八らと決死隊を組織し敵陣に斬り込んだ。しかし、敵の銃撃が激しく撤退。その際に、重装備の永倉が土塀を乗り越えられないのを見ると島田は持ち前の怪力で永倉を土塀の上へ軽々と引き上げた逸話がある。その後、箱館まで戊辰戦争を戦い抜いた。

明治以降

西本願寺太鼓楼

明治2年(1869年)5月に降伏。11月まで謹慎生活を送る。その後、名古屋藩に預けられ、謹慎が解かれると京都で剣術道場を開く。この間、新政府への出仕や榎本武揚が面会を求めたりしたが、新選組や箱館戦争で散った同志を思い拒否し続けた。

明治19年(1886年) 西本願寺の夜間警備員となる。

明治33年3月20日 勤務先の西本願寺で倒れ73歳で死去した。葬儀には永倉も参列した。

墓は東大谷墓地にあったが現在は無くなり、遺骨は東大谷祖廟に納骨してある。

人物

島田は箱館戦争後、近藤勇をはじめ散っていった新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、箱館で戦死した土方歳三の戒名を常に懐に携えていたという。また、後世に自分たちを伝えるため「島田魁日記」をはじめ様々な記録や品々を保管している。それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしている。

新選組の主催した相撲興行でも活躍し「力さん」の異名をとった。また、その巨漢に似合わぬ大の甘党で、自分で大鍋一杯の汁粉を作り、それを1人でぺろりとたいらげた。それも砂糖を大量に入れ糸を引くほどの甘さであったため、周りの隊士は誰も、この「島田汁粉」を食べられなかったという。新政府から釈放された後は京都に戻り、レモネード屋や雑貨屋、「島田魁撃剣道場」などを開いたがどれも流行らず困窮したという。

島田は文芸も好んだと思われ、土方歳三への追悼歌も残している。

  • 鉾とりて月みるごとにおもふかな あすはかばね(屍)の上に照かと