「シェトランド諸島」の版間の差分
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人口統計更新、スコットランド議会議員交代 |
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{{redirect|シェトランド|イギリスのテレビドラマ|シェトランド (テレビドラマ)}} |
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{| border=1 cellpadding="2" cellspacing="0" align="right" width=250 style=margin-left:10px |
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{{基礎情報 スコットランドのカウンシルエリア| |
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|council = シェトランド諸島<br />Shetland Sealtainn |
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!colspan=2 align=center bgcolor="#ff9999"|Shetland / Hjaltland |
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|common_name = Shetland |
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|Image = [[File:Shetland UK location map.svg|200px]] |
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|colspan=2 align=center|[[ファイル:ScotlandShetlandIslands.png|240px]] |
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|image_logo = Flag of Shetland.svg |
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|logo = シェトランド諸島の旗 |
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!colspan=2 bgcolor="#ff9999"|地理 |
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|logo_type = 旗 |
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|image_coat = blank.png |
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|width="50%"|状態||[[スコットランド]]の[[州]] |
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|SizeRank = 12 |
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|Size = {{convert|1468|km2|sqmi|abbr=on}} |
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|width="50%"|州都||[[ラーウィック]] |
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|政庁所在地 = [[ラーウィック]] |
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|ISO = GB-ZET |
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|width="50%"|設立||[[1975年]] |
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|ONS = 00RD |
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|PopulationRank= 31 |
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|地方||島嶼地帯 |
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|PopulationDate= 2022年 |
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|Population= 23,020人 |
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|[[:en:ONS coding system|ONS code]]||00RD |
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|PopulationDensity= 15人/km² |
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|CouncilDetails = シェトランド諸島議会<br>[http://www.shetland.gov.uk/ www.shetland.gov.uk] |
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|[[面積]]||1466 [[km²]]<br/>[[国後島]]と同程度 |
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|与党 = 無所属 |
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|MPs = アリステア・カーマイケル |
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!colspan=2 bgcolor="#ff9999"|人口統計 |
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|MSPs = ベアトリス・ウィシャート |
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}} |
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|[[人口]]<br/>[[人口密度]]||21,940人([[2004年|2004]])<br/>15人/km² |
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'''シェトランド諸島''' ('''Shetland''' {{IPA-en|ˈʃɛtlənd|}}、中世スコットランド語:{{lang|ang|Ȝetland}}、{{lang-gd|Sealtainn}} {{IPA-gd|ˈʃal̪ˠt̪ʰɪɲ|}})は、[[スコットランド]]の[[亜寒帯]]に属する群島。[[北部諸島 (イギリス)|北部諸島]]に含まれ、[[グレートブリテン島]]の北東部に位置する。 |
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|} |
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==概説== |
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[[ファイル:Flag of Shetland.svg|right|thumb|150px|[[シェトランド諸島の旗]]]] |
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[[オークニー諸島]]の約80km北、[[フェロー諸島]]の南東約280kmに位置し、シェトランドの西は[[大西洋]]、東は[[北海]]となる。総面積は1,468km{{sup|2}}で、人口は23,020人(2022年推計)である<ref name="2022estimate">{{Cite web|url=https://www.ons.gov.uk/file?uri=/peoplepopulationandcommunity/populationandmigration/populationestimates/datasets/populationestimatesforukenglandandwalesscotlandandnorthernireland/mid2022/mye22final.xlsx|title=Mid-Year Population Estimates, UK, June 2022|website=[[国家統計局 (イギリス)|イギリス国家統計局]]|accessdate=2024-08-28}}</ref>。[[スコットランド議会]]のシェトランド選挙区を構成しており、スコットランドの32ある[[スコットランドの地方行政区画|カウンシル・エリア]]の1つである。シェトランドの行政中心地で、唯一の自由都市は[[ラーウィック]]である。 |
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'''シェトランド諸島'''({{lang|en|Shetland Islands}})とは、[[イギリス]]の[[スコットランド]]に属している[[諸島]]。スコットランドの北東にあり、[[グレートブリテン島]]本土の間には、[[オークニー諸島]]が横たわっている。中心都市は[[ラーウィック]] (Lerwick) 。 |
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諸島のうち最大の島は単に[[メインランド島 (シェトランド諸島)|メインランド島]]といい、面積は967km{{sup|2}}、スコットランドの島のうち3番目、[[ブリテン諸島]]中5番目の面積を持つ<ref>Haswell-Smith (2004) p. 406</ref>。さらに15の有人島がある。シェトランド諸島は[[海洋性気候]]であり、複雑な地質、険しい海岸線と総じて低い丘陵がある。 |
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== 概要 == |
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冷涼な[[気候]]であり、[[ケッペンの気候区分]]では[[西岸海洋性気候]]の極地型'''Cfc'''(冬は緯度の割にはかなり温暖だが、一年中風が強い上に、夏が短く気温もあまり上がらない(平均気温10度以上の月が3ヶ月以下))である。その上、土地もやせているために農作物は栽培できず、古くから放牧が行われてきた。 |
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[[石器時代]]より人が定住し、島について最古に書かれた文献はローマ時代のものである。歴史上最古の時代は[[スカンジナビア]]、特に[[ノルウェー]]の影響を受け、島々は15世紀までスコットランドの一部ではなかった。シェトランドが[[グレートブリテン王国]]の一部となった1707年から、漁業は今日まで経済の重要な側面で有り続けているが、北ヨーロッパとの貿易は衰退していた。しかしいまや連合王国の一部となり、1970年代の[[北海油田]]発見が大幅にシェトランド諸島経済・雇用・公共部門の収益を押し上げた。 |
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シェトランドとオークニーは[[ケルト人|ケルト]]と[[ヴァイキング]]の両勢力に翻弄された良く似た歴史的背景を持ち、伝統的な[[放牧]]や[[漁業]]を生業にし、[[伝統音楽]]など[[文化]]も似ている。オークニー諸島と同様、[[1469年]]にデンマーク王[[クリスチャン1世 (デンマーク王)|クリスチャン1世]](ノルウェー・スウェーデンの王も兼ねる)の王女[[マーガレット・オブ・デンマーク]]がスコットランド王の[[ジェームズ3世 (スコットランド王)|ジェームズ3世]]に嫁ぐ際の持参金代りにスコットランド領となった。 |
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地元住民の生活は、[[ヴァイキング]]を称える[[火祭り]]の{{仮リンク|ウップ・ヘリーアー|en|Up Helly Aa}}<ref>{{Cite web|和書|date= 2019-01-30|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3208822?cx_recommend=cx_search#cxrecs_s |title=北欧バイキングたたえる火祭り、英シェトランド諸島 |publisher=フランス通信社 |accessdate=2019-02-01}}</ref>、伝統的な[[フィドル]]のスタイルに代表される音楽の伝統といった、[[ノース人]]文化とスコットランド文化の両方が反映されている。シェトランド諸島は様々な詩と散文の作家を輩出しており、彼らの多くは{{仮リンク|シェトランド語|en|Shetlandic}}を用いる。地元の動植物を保護するためもうけられた保護地域が多くあり、そこには海鳥の重要な営巣地が含まれている。 |
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イギリスなどでは、スコットランド沿海の島々をまとめてスコットランド島嶼部 (Scottish Islands) とすることが多いが、シェトランド諸島とオークニー諸島は、その下位グループにまとめられているに過ぎない。 |
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==語源== |
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似たような景観と文化に見られがちなスコットランド島嶼部だが、両諸島の共通点は、[[北ヨーロッパ|北欧]]的文化 (Nordic Culture) の残存であろう。シェトランド諸島では、北欧系の言語ノルン語(死語)が話されていたのが前世紀には途絶え、今日のように北欧なまりのシェトランド英語に変容してしまっているという事実から見ても、ケルト文化圏のスコットランドの中ではシェトランドの文化は甚だ異質である。また、オークニー諸島にも北欧系の文化がいまだ生き残っている。 |
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[[File:Heladia Carta Marina.JPG|left|thumb|200px|16世紀の地図カルタ・マリナに描かれたシェトランド]] |
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シェトランドの名前は古ノルド語のhjalt(柄)とland(土地)に由来する<ref>[http://fetlaraerial.com/2014/08/hjaltland-shetland-yet-land-1871/ Hjaltland – Shetland – ‘yet, land!” – 1871], Jakobsen, Jakob, fetlaraerial.com. Retrieved 14 May 2015.</ref>。 |
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紀元43年と77年、ローマの著述家{{仮リンク|ポンポニウス・メラ|en|Pomponius Mela}}と[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]は、それぞれHaemodaeとAcmodaeと呼ぶ7つの島々についてふれた。この名称はどちらもシェトランドのことであると推測されている。シェトランドについて書かれた古い記述は他にもある。紀元98年、[[タキトゥス]]はローマの[[オークニー諸島]]発見と征服について記した後、ローマ艦隊は[[トゥーレ]]を見たとした{{#tag:ref|ワトソン (1994) はタキトゥスがシェトランドについて言及していたと確信しているが、しかしブリーズ (2002) はこの見解に対してより懐疑的である。トゥーレは[[ピュテアス|マッシブのピュテアス]]が紀元前322年および285年にブリテン島に滞在した際に初めて言及されたが、彼はその島がブリテン島から北へ6日航海した凍りついた海から1日の所にあると考えていたため、ピュテアスがトゥーレと記した島がシェトランドを意味しているということは疑わしい<ref name=Breeze>Breeze, David J. "The ancient geography of Scotland" in Smith and Banks (2002) pp. 11-13.</ref><ref>Watson (1994) p. 7</ref>。|group="Note"}} 。古いアイルランド文学において、シェトランドは『ネコの島』(Inse Catt)としてふれられた。これは島にいた[[ノース人]]以前の住民の名であった可能性がある。Cat族はスコットランド本土北部の一部を占領し、彼らの名は[[ケイスネス]]や、[[サザランド]]の[[ゲール語]]名Cataibhに見つけることができる<ref>Watson (2005) p. 30</ref>{{#tag:ref|現代の[[スコットランド・ゲール語]]でシェトランドを意味する ''Sealtainn'' ({{IPA-gd|ʃalˠ̪t̪ɪɲ|}})はスコットランド語の"Shetland"のように古スカンジナビア語の[[与格]]である''Hjaltlandi''の頭文字が/hj/から/ʃ/に[[子音弱化|子音強化]]される推移を経た事に由来している<ref>Oftedal, M. (1956) "The Gaelic of Leurbost". ''Norsk Tidskrift for Sprogvidenskap''. (Norwegian Journal of Linguistics).</ref>。スコットランド語とは対照的にゲール語は最初のl音(''hjalt''のl)を保存したが、最後のl音 (''land''のl) は消失した。|group="Note"}}。 |
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北欧諸国の[[祭り]]やイベント、スポーツ試合にシェトランドが参加するとき、独自の旗を掲げてまるで北欧の一員であるかのようにふるまうが、今でもヴァイキングの末裔であるという意識は強い。そして、シェトランドの最大の祭り、ヴァイキングの祭典が、一月に行われるウップヘリーアー ([[:en:Up Helly-Aa|Up Helly-Aa]]) である。 |
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現在の名であるシェトランドの最古のかたちは、1190年に記されたHetlandensisである。様々な変遷のあとに1431年にはHetlandとなった。[[ピクト語]]のcatの発音が[[古ノルド語]]の名称を形成することが可能である。その後16世紀にはHjaltlandとなった<ref name=G21>Gammeltoft (2010) p. 21-22</ref><ref name=S9>Sandnes (2010) p. 9</ref>{{#tag:ref|全てのノルウェー西部方言がそうであるように、アクセントの'a'は'e'に移り変わり、そして古スカンジナビア語のhjalpaがhjelpaとなったように''ja''は''je''となった。その後、頭文字が/hj/から/ʃ/に[[子音弱化|子音強化]]される推移を経て発音は変化した。これはいくつかのノルウェー方言にもみられることであり、例えば英語のwithに相当するhjåという単語や地名であるHjerkinnおよびSjoa(''*Hjó''からの変化)にみられる。そして最後に''t''の手前の''l''が消滅する<ref>[http://www.språkrådet.no/nb-no/Sprakhjelp/Leik/Ord_4/Stadnamn_paa_-a,_hjalt,_Leirv/ "Placenames with -a, hjalt, Leirvik"]. Norwegian Language Council. (Norwegian). Retrieved 26 Mar 2011.</ref>。|group="Note"}}。 |
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[[シェットランド・シープドッグ]]はもともと放牧された羊の警護・誘導などの作業に従事していた犬である。 |
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[[ノルン語]]が徐々に[[スコットランド語]]に取って代わっていったように、Hjaltlandは{{lang|ang|Ȝetland}}となった。最初の文字は中世スコットランド語のものである。[[Ȝ]]の発音は元々のノルン語とほとんど同じである。ヨッホを文字として用いることが中断されたとき、それは多くの場合似たような文字であるZに置き換えられた。それゆえにZetlandという誤ったスペルが1975年以前にカウンティ議会において用いられていたのである<ref>Jones (1997) p. 210</ref><ref>[http://shetlopedia.com/Zetland_County_Council "Zetland County Council"] shetlopedia.com. Retrieved 16 July 2009.</ref>。 |
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== シェトランド諸島出身の著名人 == |
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* [[ダグラス・ブラック]] |
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一部の派生は不明瞭で古ノルド語以前(おそらくは[[ピクト語]]、[[ケルト語]]以前の名称)のものもあるだろうが、シェトランドの島々は個々に[[古ノルド語]]の名称を持っている<ref>Gammeltoft (2010) p. 19</ref>。 |
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==地理== |
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[[File:Broch of Mousa - geograph.org.uk - 2800.jpg|thumb|ブロッホ・オブ・ムサ]] |
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シェトランド諸島はスコットランド本土の北170kmにある。海岸線は2702kmある。諸島の中心地にして最大の町であるラーウィックは人口約7500人が暮らし、町の16km以内に諸島の人口の約半分が暮らしていることになる<ref>[http://visit.shetland.org/lerwick "Visit Shetland"]. Visit.Shetland.org Retrieved 25 December 2010.</ref> 。1708年まで諸島の中心であった西岸のスカロウェイは、人口が1000人以下である<ref>[http://www.undiscoveredscotland.co.uk/shetland/scalloway/index.html "Scalloway"] Undiscovered Scotland. Retrieved 19 March 2011.</ref><ref name="Shetland Islands Council 2010 p. 10">Shetland Islands Council (2010) p. 10</ref>。 |
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およそ100ある島のうち、有人島は16しかない。主要島は[[メインランド島 (シェトランド諸島)|メインランド島]]、次いで北の[[イエル島]]、[[アンスト島]]、[[フェトラー島]]、東の{{仮リンク|ブレセー島|en|Bressay}}と{{仮リンク|ホエルセー島|en|Whalsay}}である。{{仮リンク|イースト・バラ島|en|East Burra}}、{{仮リンク|ウエスト・バラ島|en|West Burra}}、{{仮リンク|マックル・ロー島|en|Muckle Roe}}、{{仮リンク|パパ・ストア島|en|Papa Stour}}、{{仮リンク|トロンドラ島|en|Trondra}}、{{仮リンク|ヴァイラ島|en|Vaila}}はメインランド島の西にあってより小さい。メインランド島から遠く離れている有人島には、[[フーラ島]]、[[フェア島]]、{{仮リンク|アウト・スカリーズ島|en|Out Skerries}}がある。 |
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無人島には、[[鉄器時代]]に建てられた塔・ブロッホ・オブ・ムサが最高の保存状態で残る{{仮リンク|ムサ島|en|Mousa}}、イギリス最大の[[陸繋島]]でメインランド島と陸続きとなっている[[聖ニニアンの島]]、ブリテン諸島最北の地である{{仮リンク|アウトスタック島|en|Out Stack}}がある<ref>Hansom, J.D. (2003) [http://www.jncc.gov.uk/pdf/gcrdb/gcrsiteaccount1930.pdf "St Ninian's Tombolo".] (pdf) Coastal Geomorphology of Great Britain. ''Geological Conservation Review''. Retrieved 13 March 2011.</ref><ref name=OS>[http://www.ordnancesurvey.co.uk/oswebsite/getamap/ "Get-a-map"]. Ordnance Survey. Retrieved 7 March 2011.</ref><ref>Fojut, Noel (1981) "Is Mousa a broch?" ''Proc. Soc. Antiq. Scot.'' '''111''' pp. 220-228</ref> 。シェトランド諸島の位置から、『国内で最も北』という形容詞がつく記録が多い。マネス城は国内最北にある城であるし、スコーは国内最北の集落である<ref>[http://www.undiscoveredscotland.co.uk/unst/munesscastle/index.html "Muness Castle"]. Undiscovered Scotland. Retrieved 13 March 2011.</ref><ref>[http://shetlopedia.com/Skaw_%28Unst%29 "Skaw (Unst)"] Shetlopedia. Retrieved 13 March 2011.</ref>。 |
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[[File:Fort Charlotte, Lerwick - geograph.org.uk - 17910.jpg|thumb|left|ラーウィックを見下ろすシャーロット砦]] |
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数多くの断層や褶曲の軸があるシェトランドの地質は複雑である。シェトランドの島々は[[カレドニア造山運動]]の北の前哨基地にあたり、[[先カンブリア時代]]の[[変成岩]]であるルイジアン、ダルリアダンの露頭、モイン累層群の[[変成岩]]があり、それらはスコットランド本土にあるものと似た歴史をたどっている。同様に、古い赤色砂岩の堆積物、[[花崗岩]]の侵入もある。最大の特徴は[[オフィオライト]]、アンスト島やフェトラー島における[[かんらん岩]]と[[斑れい岩]]で[[イアペトゥス海]]の底の遺物である<ref>Gillen (2003) pp. 90-91</ref>。シェトランド経済の多くは、周辺海域における原油を含む堆積物に依存している<ref>Keay & Keay (1994) p. 867</ref>。地質学的証拠は、紀元前6100年頃{{仮リンク|ノルウェー海の海底地すべり|en|Storegga Slide}}で起きた[[津波]]がシェトランド、そしてスコットランド東海岸を直撃したことを示している。そして現在の人口密集地であるスコットランドのファース(湾)において波の高さは25mとなっていたと推測される<ref>Smith, David [http://www.landforms.eu/shetland/Tsunami%20hazards.htm "Tsunami hazards"]. Fettes.com. Retrieved 7 March 2011.</ref>。 |
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シェトランド最高地点はロナスの丘で高さは450mでしかない。[[更新世]]期に[[氷河]]は島々全体を覆っていた。スタナス・オブ・ストファストという[[迷子石]]は重さが2000トンあり、この時代にラナスティングの丘に移動してきて鎮座するようになった<ref>Schei (2006) pp. 103-04</ref>。 |
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シェトランドは{{仮リンク|国立景観保護地域|en|National Scenic Area (Scotland)}}と[[ユネスコ世界ジオパーク]]である<ref>[http://www.snh.gov.uk/protecting-scotlands-nature/protected-areas/national-designations/nsa/ "National Scenic Areas"]. SNH. Retrieved 30 Mar 2011.</ref><ref>{{Cite web |title=SHETLAND UNESCO GLOBAL GEOPARK (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland) |url=https://en.unesco.org/global-geoparks/shetland |website=UNESCO |date=2021-07-28 |access-date=2022-10-20 |language=en}}</ref>。 |
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==気候== |
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シェトランド諸島は、寒い期間は長いが、あまり厳しくはならない冬、短くて冷涼な夏が特徴の[[海洋性気候|海洋性亜寒帯気候]]である。[[ケッペンの気候区分]]では[[西岸海洋性気候]]に属し、夏は涼しく冬も緯度の割に寒くない。 |
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周囲の海からの影響で、3月の最高気温は5℃、7月8月の最高気温は14℃と、気候は一年中穏やかである。気温が21℃を上回ることはまれである。過去に最も気温が高かったのは1991年7月の23.4℃で、反対に最も低かったのは1952年と1959年の1月に記録した-8.9℃である<ref name=SIC200505>Shetland Islands Council (2005) pp. 5-9</ref> 。[[霜]]のない期間は3ヶ月ほどと短い。 |
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気候の総合的な特徴は、曇りがちで風が強いことである。1年に250日間は少なくとも2mm以上の降雨がある。年間平均降雨量は、最も雨の多い11月から12月で1003mmである。降雪は通常11月から2月までの期間に限られており、地上に1日中雪が残っていることが少ない。降水量が50mm以下の月はないが、4月から8月は降水量が減少する。[[霧]]は、穏やかな南からの風で海上が冷やされるため、夏に発生するのが一般的である<ref name= climatetemp>{{Wayback|url=http://www.climatetemp.info/united-kingdom/shetland.html|title=Shetland, Scotland Climate|date=20101215095943}} climatetemp.info Retrieved 26 Nov 2010.</ref><ref name=SIC200505/>。 |
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高緯度にあるため、夏にはほぼ確定した日照がある一方、晴れた冬の夜には[[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]が時々見られる。年間平均日照時間は1090時間で、曇りの日が一般的である<ref name= climatetemp/>。{{Weather box|location=シェトランド諸島([[ラーウィック]]・標高82m) (1981-2010) 極値 (1930-現在)|collapsed=|metric first=y|single line=y|Jan record high C=12.8|Feb record high C=11.7|Mar record high C=13.3|Apr record high C=16.1|May record high C=20.7|Jun record high C=22.2|Jul record high C=23.4|Aug record high C=22.1|Sep record high C=19.4|Oct record high C=17.2|Nov record high C=13.9|Dec record high C=12.6|year record high C=23.4|Jan high C=5.9|Feb high C=5.5|Mar high C=6.4|Apr high C=8.1|May high C=10.4|Jun high C=12.4|Jul high C=14.3|Aug high C=14.5|Sep high C=12.8|Oct high C=10.2|Nov high C=7.8|Dec high C=6.3|year high C=9.6|Jan mean C=3.9|Feb mean C=3.5|Mar mean C=4.2|Apr mean C=5.8|May mean C=7.9|Jun mean C=10.1|Jul mean C=12.1|Aug mean C=12.4|Sep mean C=10.8|Oct mean C=8.3|Nov mean C=5.9|Dec mean C=4.3|year mean C=7.4|Jan low C=1.8|Feb low C=1.5|Mar low C=2.0|Apr low C=3.5|May low C=5.4|Jun low C=7.7|Jul low C=9.9|Aug low C=10.2|Sep low C=8.7|Oct low C=6.4|Nov low C=3.9|Dec low C=2.2|year low C=5.3|Jan record low C=-8.9|Feb record low C=-7.4|Mar record low C=-8.3|Apr record low C=-5.7|May record low C=-2.2|Jun record low C=-0.6|Jul record low C=3.5|Aug record low C=2.8|Aug record low F=37.0|Sep record low C=-0.6|Oct record low C=-3.3|Nov record low C=-5.7|Dec record low C=-8.2|year record low C=-8.9|Jan precipitation mm=142.6|Feb precipitation mm=120.8|Mar precipitation mm=124.6|Apr precipitation mm=70.4|May precipitation mm=53.4|Jun precipitation mm=58.2|Jul precipitation mm=66.8|Aug precipitation mm=83.7|Sep precipitation mm=106.3|Oct precipitation mm=141.5|Nov precipitation mm=146.0|Dec precipitation mm=142.6|year precipitation mm=1256.8|unit precipitation days=1.0 mm|Jan precipitation days=21.6|Feb precipitation days=18.5|Mar precipitation days=19.9|Apr precipitation days=14.1|May precipitation days=10.8|Jun precipitation days=11.0|Jul precipitation days=12.1|Aug precipitation days=12.9|Sep precipitation days=16.7|Oct precipitation days=20.8|Nov precipitation days=21.4|Dec precipitation days=21.8|year precipitation days=201.6|Jan snow days=10|Feb snow days=9|Mar snow days=9|Apr snow days=5|May snow days=1|Jun snow days=0|Jul snow days=0|Aug snow days=0|Sep snow days=0|Oct snow days=1|Nov snow days=5|Dec snow days=8|year snow days=48|Jan humidity=87|Feb humidity=86|Mar humidity=86|Apr humidity=87|May humidity=88|Jun humidity=89|Jul humidity=90|Aug humidity=91|Sep humidity=90|Oct humidity=89|Nov humidity=87|Dec humidity=87|year humidity=89|Jan sun=27.2|Feb sun=55.2|Mar sun=94.1|Apr sun=131.8|May sun=181.0|Jun sun=146.2|Jul sun=124.4|Aug sun=127.9|Sep sun=101.3|Oct sun=68.8|Nov sun=33.8|Dec sun=18.1|year sun=1109.9|source 1=Met Office<ref name ="Met Averages">{{cite web |
|||
| url = http://www.metoffice.gov.uk/public/weather/climate/gfxnj5fx4 |
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| title = Lerwick 1981-2010 Averages |
|||
| publisher = Met Office |
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| accessdate = 30 January 2016}}</ref> NOAA (relative humidity and snow days 1961-1990)<ref name="NOAA">{{cite web |
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| url = ftp://ftp.atdd.noaa.gov/pub/GCOS/WMO-Normals/RA-VI/UK/03005.TXT |
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| title = Lerwick 1961-1990 |
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| publisher = NOAA |
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| accessdate = 30 January 2016}}</ref>|source 2=KNMI<ref>{{cite web |
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| url =http://eca.knmi.nl/indicesextremes/customquerytimeseriesplots.php| title = Manchester ringway extreme values | accessdate =30 January 2016 | publisher = [[KNMI (institute)|KNMI]]}}</ref>}} |
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==野生の動植物== |
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[[File:Edmondston's Chickweed, Keen of Hamar CRW 2437.JPG|left|thumb|200px|岩の間で自生する''Cerastium nigrescens'']] |
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シェトランドには、ハーマナスとノスの海鳥コロニー、キーン・オブ・ヘイマーにある[[蛇紋岩]]土壌に育つ植物を保護する、3つの国立自然保護区がある。さらに81箇所の{{仮リンク|特別科学関心地区|en|Site of Special Scientific Interest}}がある。 |
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===植物相=== |
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シェトランドの風景は、放牧されたヒツジが草を食んでいるさまが特徴である。そして過酷な条件のため植物は約400種と総数が限られている。[[セイヨウナナカマド]]やヨーロッパ原産の{{仮リンク|ワイルドクラブアップル|en|Malus sylvestris}}といった土着の樹木は、崖や小島といった他から隔絶された数少ない場所に見られるのみである。植物はアルプス高山植物、野生種の花、[[コケ]]、[[地衣類]]で占められる。特に保護された場所では、{{仮リンク|春海葱|en|spring squill}}、{{仮リンク|セリバオオバコ|en|Plantago coronopus}}、マルバトウキ、[[イワベンケイ]]が豊富である。[[ミミナグサ属]]の[[:en:Cerastium nigrescens|''Cerastium nigrescens'']]はシェトランドにしかない[[固有種]]である。この花は1837年、植物学者トーマス・エドモンドストンによって最初に記録された。19世紀には他の2つの場所から植生の報告があったが、現在はアンスト島の蛇紋岩でできた2つの丘の上にしか見つけられていない。全国的に希少なエゾルリソウがいくつかの島で見つかっており、[[レッドリスト]]に[[コケ植物]]オオトラノオが絶滅危惧種として記載されている<ref>Scott, W. & Palmer, R. (1987) ''The Flowering Plants and Ferns of the Shetland Islands''. Shetland Times. Lerwick.</ref><ref>Scott, W. Harvey, P., Riddington, R. & Fisher, M. (2002) ''Rare Plants of Shetland.'' Shetland Amenity Trust. Lerwick.</ref><ref>[http://visit.shetland.org/flora "Flora"] visit.shetland.org. Retrieved 7 Apr 2011.</ref><ref>Steer, Patrick (1999) "Shetland Biodiversity Audit". Shetland Amenity Trust.</ref>。 |
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===動物相=== |
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シェトランドには多数の海鳥コロニーがある。[[ニシツノメドリ]]、[[ウミツバメ]]、[[アビ]]、[[シロカツオドリ]]、[[オオトウゾクカモメ]]が島々で見られる<ref name="SNH 2008 p. 16">SNH (2008) p. 16</ref>。希少種として[[マユグロアホウドリ]]、[[ハクガン]]がある。[[シロフクロウ]]のつがいが1967年から1975年までフェトラー島で繁殖していた<ref name="SNH 2008 p. 16"/><ref name=Guinn>{{cite book | editor = McFarlan, D. | year = 1991 | title = The Guinness Book of Records | location = Enfield | publisher = Guinness Publishing}} p. 35.</ref><ref>[http://www.nature-shetland.co.uk/index.htm "Home"]. Nature in Shetland. Retrieved 12 Mar 2011.</ref>。シェトランドミソサザイ、フェアアイルミソサザイはシェトランドの固有亜種である<ref>Williamson, Kenneth (1951) [http://www3.interscience.wiley.com/journal/119785912/abstract "The wrens of Fair Isle]". ''Ibis'' '''93'''(4): pp. 599-601. Retrieved 12 Mar 2011.</ref><ref name=Endemic>[http://www.nature-shetland.co.uk/nature/endemverts.htm "Endemic Vertebrates of Shetland"]. Nature in Shetland. Retrieved 12 Mar 2011.</ref>。[[ダイシャクシギ]]、コシャクシギ、[[ヨーロッパムナグロ]]といった様々な湿原の鳥類の個体群もある<ref>SNH (2008) p. 10</ref>。 |
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シェトランドの地理的孤立と、シェトランドがかつて氷河に覆われていた歴史により、哺乳動物相の枯渇をもたらした。[[ドブネズミ]]と[[ハツカネズミ]]は、シェトランド諸島に現在いるげっ歯類の3種のうち2種である。残りの1つであるシェトランドノネズミは、固有種でもあり、そのうち3つの種類がイエル島、フーラ島、フェア島に生息する<ref name=Endemic/>。彼らは[[アカネズミ]]の変種であり、考古学的証拠からこの種は鉄器時代中期から島に存在していたことを示唆している。アカネズミは、少なくとも[[青銅器時代]]から人がいたオークニー諸島から導入された可能性がある<ref>{{Cite journal | last1 = Nicholson | first1 = R.A. | last2 = Barber | first2 = P. | last3 = Bond | first3 = J.M. | year = 2005 | title = New Evidence for the Date of Introduction of the House Mouse, ''Mus musculus domesticus'' Schwartz & Schwartz, and the Field Mouse, ''Apodemus sylvaticus'' (L.) to Shetland | url = | journal = Environmental Archaeology | volume = 10 | issue = 2| pages = 143–151 }}</ref>。 |
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===家畜=== |
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[[File:Shetland Pony1.jpg|right|thumb|200px|シェトランド・ポニー]] |
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[[File:ShetlandShpdogBlue2_wb.jpg|thumb|right|150px|シェットランド・シープドッグ]] |
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島土着の様々な品種がある。そのうち、体格の小さな{{仮リンク|シェトランド・ポニー|en|Shetland pony}}は、おそらく最も有名であるだけでなく、シェトランド農業の歴史の重要な一部である。ポニーについて最初に書かれた記録は1603年のものである。その小柄な体格のため、すべてのウマの品種の中で最も強健である<ref name=spsbs>[http://www.shetlandponystudbooksociety.co.uk/about_breed/history.aspx "Breed History"] Shetland Pony Studbook Society. Retrieved 20 July 2009.</ref><ref>[http://www.equine-world.co.uk/about_horses/shetland_pony.htm "Shetland Pony"] Equine World. Retrieved 20 July 2009.</ref>。その他に[[シェットランド・シープドッグ]]、絶滅危惧種の{{仮リンク|シェトランドウシ|en|Shetland cattle}}<ref>[http://shetlandcattle.org.uk/ "Home"] Shetland Cattle Breeders Association. Retrieved 20 July 2009.</ref>、{{仮リンク|シェトランドガチョウ|en|Shetland Goose}}<ref>{{cite web| url=http://www.feathersite.com/Poultry/Geese/BRKShetland.html| title=Shetland Geese| publisher=feathersite.com| accessdate=22 October 2008}}</ref><ref>[http://www.albc-usa.org/cpl/waterfowl/shetland.html "Shetland Goose"] American Livestock Breeds Conservancy. Retrieved 20 July 2009.</ref>、そしてヒツジの[[シェトランド・シープ]]は西暦1000年前に起源があると考えられている<ref>[http://www.sheep101.info/breedsS.html#Shetland "Sheep Breeds - S-St"]. Sheep101.info. Retrieved 1 May 2009.</ref>。グライスは半家畜化されたブタであったが、1930年代に絶滅した。ヒツジを攻撃する習性のため、絶滅を防ぐことができなかった<ref>{{cite web | url = http://news.bbc.co.uk/1/hi/scotland/north_east/6155172.stm | title = Extinct Island Pig Spotted Again | publisher = [[BBC News]] | date = 17 November 2006 | accessdate = 1 January 2007}}</ref>。 |
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==歴史== |
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[[File:Stanydale Temple 20080820 01.jpg|right|thumb|200px|新石器時代の遺跡、スタニーデイル神殿跡]] |
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[[File:Jarlshof 20080821 - aisled roundhouse and broch.jpg|right|thumb|200px|ヤールショフで保存されている、ホイールハウスとブロッホ]] |
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[[File:Old scatness 2.jpg|right|thumb|200px|オールド・スキャットネス]] |
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===先史時代=== |
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実質的に樹木のないシェトランド諸島に石でできた建物ができたのは少なくとも[[新石器時代]]初頭である。シェトランドは有史以前の時代の建造物が非常に豊富で、5000箇所以上の遺跡が存在する<ref>Turner (1998) p. 18</ref>。メインランド島南岸のウェスト・ヴォーには紀元前4320年から紀元前4030年頃の[[貝塚]]があり、[[中石器時代]]に人間が活動していた証拠となっている<ref>Melton, Nigel D. "West Voe: A Mesolithic-Neolithic Transition Site in Shetland" in Noble ''et al'' (2008) pp. 23, 33</ref><ref>Melton, N. D. & Nicholson R. A. (March 2004) [http://antiquity.ac.uk/Projgall/nicholson/ "The Mesolithic in the Northern Isles: the preliminary evaluation of an oyster midden at West Voe, Sumburgh, Shetland, U.K."] ''Antiquity'' '''78''' No 299.</ref>。同じ場所では新石器時代の活動の存在を示しており、スコード・オブ・ブロースター内の壁は紀元前3400年代にさかのぼれる{{#tag:ref|スコード・オブ・ブロースターの場所は、一群の6もしくは7つの壁に囲まれた領域および、今までスコットランドで見つかっている最初期の[[鍬]]の刃が収容された円形の石の家を含んでいる<ref>Fleming (2005) p. 47 quoting Clarke, P.A. (1995) ''Observations of Social Change in Prehistoric Orkney and Shetland based on a Study of the Types and Context of Coarse Stone Artefacts''. M. Litt. thesis. University of Glasgow.</ref>。|group="Note"}} 。ノースメイヴィンで見つかったシェトランド・ナイフは石器で、[[珪長岩]]でこの時代に作られたものだった<ref name=Sch10>Schei (2006) p. 10</ref>。 |
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集落遺跡ヤールショフでは陶器の破片が見つかっている。主要な定住地は[[青銅器時代]]からのものだが、ここでは新石器時代から人が活動してきたことを示している<ref>Nicolson (1972) pp. 33–35</ref>。遺跡には鍛冶場、{{仮リンク|ホイールハウス|en|Wheelhouse (archaeology)}}の密集、そして後のブロッホ(円筒形の塔)が含まれていた。この場所は、[[ヴァイキング]]時代直前までの様々な時代の居住の証拠を示している<ref>[http://www.shetland-heritage.co.uk/jarlshof/ shetland-heritage.co.uk. Retrieved 2 August 2008]</ref><ref>Kirk, William "Prehistoric Scotland: The Regional Dimension" in Clapperton (1983) p. 106</ref>。かかとの形をした[[ケアン]]は、シェトランドでは珍しい室状のケアンで、特に大きなものがヴェメントリー島にある<ref name=Sch10/>。 |
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多数のブロッホが[[鉄器時代]]の間に建てられた。ブロッホの起源と目的は論争の的となっているが、ムサに加え、クリキミン、カルスウィック、オールド・スキャットネス、ウェスト・バラファースにあるブロッホが重要な遺跡である<ref>Armit (2003) pp. 24-26</ref>。過去の記録はまばらであるが、鉄器時代後期のノーザン・アイルズの住民は、おそらくピクト人であった。歴史家ジェームズ・ハンターは2000年に、6世紀のピクト王ブリデイ1世との関連を述べている。『シェトランド、オークニー、[[スカイ島]]と西部の島々にいた住民たちは、そのほとんどがこの時点において文化のうえでも言語のうえでもピクト人であったように思える。彼らはブリデイ1世をかなり遠い存在とみなしていた可能性が高い。』<ref>Hunter (2000) pp. 44, 49</ref> |
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2011年、ブロッホ・オブ・ムサ、オールド・スキャットネス、ヤールショフを含む「{{仮リンク|鉄器時代シェトランドのるつぼ|en|The Crucible of Iron Age Shetland}}」は、[[イギリスの世界遺産|世界遺産]]の暫定登録リストに加わった<ref>[http://www.culture.gov.uk/news/media_releases/7220.aspx "From Chatham to Chester and Lincoln to the Lake District - 38 UK places put themselves forward for World Heritage status"] (7 July 2010) Department for Culture, Media and Sport. Retrieved 7 Mar 2011</ref><ref name=BBC311>[http://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-12818008 "Sites make Unesco world heritage status bid shortlist"] (22 Mar 2011) BBC Scotland. Retrieved 22 Mar 2011.</ref>。 |
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===スカンジナビア人による植民地化=== |
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スカンジナビア人人口の拡大は、利用可能な資源と耕地の不足につながった。このことがヴァイキングの海外遠征時代を招き、[[ノース人]]は徐々に略奪から占領へ関心を移していった<ref>Graham-Campbell (1999) p. 38</ref>。シェトランドは8世紀終わりから9世紀にかけ征服された<ref>Schei (2006) pp. 11-12</ref>。既に島にいた先住民の運命については不明である。現在のシェトランド諸島人は、父方の先祖も母方の先祖もスカンジナビア人である割合が同一である。このことは島に男女とも均等に移住したことを示唆している<ref name=Goodacre>Goodacre, S. ''et al'' (2005) [http://www.nature.com/hdy/journal/v95/n2/full/6800661a.html#bib14 "Genetic evidence for a family-based Scandinavian settlement of Shetland and Orkney during the Viking periods"] ''Heredity'' '''95''', pp. 129–135. Nature.com. Retrieved 20 Mar 2011</ref>。 |
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当時のヴァイキングは、島をノルウェーおよびスコットランド本土の海岸に対する海賊遠征の本拠としていた。それに対してノルウェー王[[ハーラル1世 (ノルウェー王)|ハーラル美髪王]]は875年にノーザン・アイルズを併合した{{#tag:ref|Some scholars believe that this story, which appears in the ''Orkneyinga Saga'' is apocryphal and based on the later voyages of Magnus Barelegs.<ref>Thomson (2008) p. 24-27</ref>|group="Note"}} <ref name="#1">Thomson (2008) p. 24</ref>。[[ムーレ・オ・ロムスダール県|ムーレ]]伯爵[[:en:Rognvald Eysteinsson|Rognvald Eysteinsson]]はハーラル美髪王より、スコットランドでの戦いで息子を失った代償として、オークニーとシェトランドを伯領として授かり、オークニー伯爵(英語では[[:en:Earl|Earl]]であるがノース語では[[ヤール|Jarl]])となった。その後弟[[:en:Sigurd Eysteinsson|Sigurd Eysteinsson]]が伯領を継承した<ref name="#1"/>。 |
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シェトランド諸島がキリスト教化されたのは10世紀終わりである。[[オーラヴ1世 (ノルウェー王)|オーラヴ1世]]王はオークニー訪問中、オークニー伯シグルドを召還し、『伯と伯の臣民すべてが洗礼を受けることを命ずる。もし拒むならば、私はその場で伯を殺さねばならない。私は火と鋼を用いてすべての島々を破壊せんことを誓う』と言った。当然のごとく、シグルドと島民たちは同意しキリスト教徒となった<ref name=T69>Thomson (2008) p. 69 quoting the ''Orkneyinga Saga'' chapter 12.</ref>。異常なことに、1100年代以降、ノース人の伯爵たちはケイスネス伯爵の爵位を保有することからノルウェー王とスコットランド王の両者に忠誠を誓っていた<ref>Crawford, Barbara E. "Orkney in the Middle Ages" in Omand (2003) p. 64</ref>。 |
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1194年、[[:en:Harald Maddadsson|Harald Maddadsson]]がオークニーおよびシェトランド伯であったとき、[[スヴェレ・シグルツソン]]王に対する内乱が勃発した。Øyskjeggsたちはノルウェーに向け出航したが、[[ベルゲン]]近郊のFlorvågの戦いで敗退した。この勝利の後にスヴェレ・シグルツソン王はシェトランドをノルウェー王の直接支配下に置き、この後2世紀近くにわたってこの情勢が続いた<ref name=Sch13>Schei (2006) p. 13</ref><ref>Nicolson (1972) p. 43</ref>。 |
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===スコットランドの北進=== |
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13世紀半ば以降、スコットランドの王たちはますます本土周囲の島嶼部に対する管理を強めるようになった。政策が本格的に始められたのは[[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]]からで、彼の後継者[[アレグザンダー3世 (スコットランド王)|アレグザンダー3世]]によって政策は継承された。この戦略は、最終的には[[ホーコン4世 (ノルウェー王)|ホーコン4世]]の[[スコットランド・ノルウェー戦争|スコットランド遠征]]につながった。彼の艦隊はスコットランドへ出航する前にブレセー水道で組み立てられた。ラーグスの戦いでの行き詰まりの後、ホーコン4世はオークニーに退却し、1263年12月に急死した。サーガの暗唱によって彼は死の床で慰められた。彼の死のち、ノルウェー王位を継いだ[[マグヌス5世 (ノルウェー王)|マグヌス5世]]は遠征を行うほどの才覚はなく、スコットランドへのノルウェー軍のさらなる遠征は中止に追い込まれた。この不運な遠征にともない、マン島および{{仮リンク|島嶼王国|en|Kingdom of the Isles}}([[ヘブリディーズ諸島]]と[[マン島]]で構成)は1266年のパース条約の結果スコットランドに屈した。しかしスコットランド人は、オークニー諸島とシェトランド諸島へのノルウェーの主権を継続して認めていた<ref>Hunter (2000) pp. 106-111</ref><ref>Barrett (2008) p. 411</ref><ref>[http://www.isle-of-man.com/manxnotebook/manxsoc/msvol04/v3p210.htm "Agreement between Magnus IV and Alexander III, 1266"] ''Manx Society'' '''IV,VII & IX'''. isleofman.com. Retrieved 23 Mar 2011.</ref>。 |
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===スコットランドへの質入=== |
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[[File:James III and Margaret of Denmark.jpg|right|thumb|200px|ジェームズ3世に輿入れしたマーガレット・オブ・デンマークが、シェトランドをスコットランドへもたらした]] |
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14世紀のオークニー諸島とシェトランド諸島はノルウェー王国の県であった。しかしスコットランドの影響は増していた。オークニー伯Jon Haraldssonは1231年に[[サーソー]]で殺害され、彼の死は切れることなく続いてきたノース人のオークニー伯爵の断絶となった<ref>Crawford, Barbara E. "Orkney in the Middle Ages" in Omand (2003) pp. 72-73</ref>。その後のオークニー伯は、[[スコットランド貴族]]であるアンガス伯と、シンクレア家のヘンリーが務めた<ref>Nicolson (1972) p. 44</ref>。1380年、デンマークとの[[カルマル同盟]]で同君連合となったノルウェーは、島嶼部の高貴な家柄への関心が薄れていった<ref name=Sch13/> 。1468年、デンマーク・ノルウェー王[[クリスチャン1世 (デンマーク王)|クリスチャン1世]]は、スコットランド王[[ジェームズ3世 (スコットランド王)|ジェームズ3世]]と婚約していた娘[[マーガレット・オブ・デンマーク|マルグレーテ]]の持参金支払いに対する保証としてシェトランドを抵当に入れた。金が支払われることはなく、シェトランドとスコットランド王との関係は永久となった.{{#tag:ref|Apparently without the knowledge of the Norwegian Rigsraadet (Council of the Realm), Christian pawned Orkney for 50,000 Rhenish guilders. On 28 May the next year he also pawned Shetland for 8,000 Rhenish guilders.<ref>[http://www.ub.uib.no/avdeling/spes/diplom/1509.htm "Diplom fra Shetland datert 24.november 1509"]. Bergen University. (Norwegian). Retrieved 13 September 2009.</ref> He had secured a clause in the contract which gave future kings of Norway the right to redeem the islands for a fixed sum of 210 kg of gold or 2,310 kg of silver. Several attempts were made during the 17th and 18th centuries to redeem the islands, without success.<ref>[http://universitas.uio.no/Arkiv/1996/16okt96/norsk.htm "Norsken som døde"]. Universitas, Norsken som døde. (Norwegian.) Retrieved 13 September 2009.</ref>|group="Note"}} 。1470年、初代ケイスネス伯ウィリアム・シンクレアは、自らの称号をジェームズ3世へ譲り渡した<ref>Nicolson (1972) p. 45</ref> 。翌年から、北部島嶼部はスコットランド王権に直接属することとなった。それにもかかわらず、シェトランドとノルウェーの関係が絶えることがなかったことが証明されている{{#tag:ref|When Norway became independent again in 1906 the Shetland authorities sent a letter to King Haakon VII in which they stated: "Today no 'foreign' flag is more familiar or more welcome in our voes and havens than that of Norway, and Shetlanders continue to look upon Norway as their mother-land, and recall with pride and affection the time when their forefathers were under the rule of the Kings of Norway."<ref name=Sch13/>|group="Note"}}。 |
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15世紀初頭から、シェトランド諸島人はドイツ商人の[[ハンザ同盟]]を通じて島で生産されたものを売っていた。ハンザ商人は、塩漬けの魚、羊毛、バターといった船一隻分の積荷を買い、塩、布、ビールやその他商品を輸入していた。16世紀終わりから17世紀初めは、専制的なオークニー伯ロバート・スチュアートの影響が支配的だった。[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]の庶子であった彼は、異母妹であるスコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]によって島々を与えられていた。ロバートの跡を継いだパトリック・スチュアートはスカロウェイ城の建設を開始したが、1609年に処刑されたため、再びオークニーとシェトランドはスコットランド王のものとなった。1643年、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]はオークニーとシェトランドを第7代[[モートン伯]][[ウィリアム・ダグラス (第7代モートン伯爵)|ウィリアム・ダグラス]]へ与えた。1766年まで保持したモートン伯爵家は、第14代伯爵[[ジェイムズ・ダグラス (第14代モートン伯爵)|ジェイムズ・ダグラス]]の代にシェトランドをローレンス・ダンダスへ売却した<ref>Schei (2006) pp. 14-16</ref><ref>Nicolson (1972) pp. 56-57</ref>。 |
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===イギリス支配=== |
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[[File:Wind Bound Lerwick around 1880.jpg|left|thumb|200px|ラーウィック沖合いに碇を下ろす[[バーク]]、1880年頃]] |
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[[File:Shetland ponies ca 1900.jpg|left|thumb|200px|ポニーとシェトランドの女性、1900年頃のパパ・ストゥア島]] |
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[[合同法 (1707年)|1707年の合同法]]が施行されると、塩の取引に課された高額な税率によって、ドイツ北部の商人たちはそれまで続いていたシェトランドとの貿易を続けられなくなった。シェトランドの地元商人たちは北ドイツ商人ほど塩漬け魚の貿易に精通していなかったため、シェトランドは経済不況に陥った。しかしながら、一部の土地持ち商人がヨーロッパ大陸へ魚を輸出するための船を自前で用意し、撤退したドイツ商人の後を引き継いだ。ただ、これは土地を持たない漁夫たちにとって幸運なことではなかった。なぜなら、彼らは結局、地元の土地持ち商人たちのために漁をしなければならなくなったからである<ref name="Visit.Shetland.org history page">[http://visit.shetland.org/history "History"]. visit.shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。 |
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17世紀から18世紀、シェトランドを[[天然痘]]の流行が襲った。しかし1760年以降ワクチンが一般的となり、1861年の人口はこれまでの最高の31,670人に達した。イギリス支配は多くの一般人のみならず、貿易業者にとって高くついた。シェトランド諸島人の航海技術が、[[イギリス海軍]]に求められていた。約3000人が1810年から1815年の[[ナポレオン戦争]]に供出され、[[強制徴募]]が行われた。このときフェトラー島だけで120人もの男性が連れて行かれ、このうち故郷へ戻れたのはたった20人だった。19世紀後半、シェトランド全体の90%の土地を所有していたのは32人の地主だった。1861年から1881年にかけ8000人以上のシェトランド諸島人が移住していった<ref>[http://shetlopedia.com/Ursula_Smith Ursula Smith"] Shetlopedia. Retrieved 12 October 2008.</ref><ref name=Sch16>Schei (2006) pp. 16-17, 57</ref>。1886年、自由党の首相[[ウィリアム・グラッドストン]]が、地主から小作農を解放すべく、{{仮リンク|クロフターズ法|en|Crofters' Holdings (Scotland) Act 1886}}を可決させた。これは地主のために農奴となっていた小作農たちが、自分の所有する農園を持ち家とできるようになった効果的な法律だった<ref>[http://visit.shetland.org/history "A History of Shetland"] Visit.Shetland.org</ref>。 |
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===20世紀=== |
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[[第一次世界大戦]]中、多くのシェトランド諸島人たちは[[イギリス陸軍]]歩兵連隊{{仮リンク|ゴードン・ハイランダーズ (イギリス軍)|label=ゴードン・ハイランダーズ|en|Gordon Highlanders}}に配属された。さらに3000人が海軍船員となり、1500人以上が地元で海軍予備役となった。第10巡洋艦船隊がスウォーバックス・ミンに配置され、1917年3月からの1年間だけで4500隻以上の船が護送船団の一員としてラーウィックを出港していった。シェトランド諸島は、出身者から150人以上の戦死者を出した。これはイギリス国内のどの場所よりも高い割合であった。1920年代と1930年代にさらに島外への移住が行われた<ref name=Sch16/><ref name=N94>Nicolson (1972) pp. 91, 94-95</ref>。 |
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[[File:Leif Larsen ShetlandsLarsen.jpg|right|thumb|200px|シェトランド・バス作戦におけるノルウェー人リーダー、レイフ・ラーセン]] |
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[[第二次世界大戦]]中、[[ノルウェー海軍]]に所属し、のちに{{仮リンク|シェトランド・バス|en|Shetland bus}}のニックネームで呼ばれることになる部隊が、1940年秋に[[特殊作戦執行部]](Special Operations Executive, SOE)によってランナ基地に設置された。後にスカロウェイに基地が移され、ノルウェー沿岸周辺での作戦の指揮を執ることとなった。[[ナチス・ドイツ]]の{{仮リンク|ノルウェー占領|en|Occupation of Norway by Nazi Germany}}時に国を脱出した難民が使用したおよそ30隻の漁船を集め、シェトランド・バスは諜報員、難民、レジスタンスの指導員、軍事物資を運ぶ秘密工作など、200回を超える渡航を行った。そのうち52回の渡航に携わったレイフ・ラーセンは、第二次世界大戦の連合国側海軍将校で最も誉れ高い勲章を授与された<ref name=scotsatwar>[http://www.scotsatwar.org.uk/AZ/shetlandbus.htm "The Shetland Bus"] scotsatwar.org.uk. Retrieved 23 Mar 2011.</ref><ref>[http://www.kulturnett.no/hordaland/kulturminner/kulturminne.jsp?id=T8461534&lang=no_NO "Shetlands-Larsen - Statue/monument"]. Kulturnett Hordaland. (Norwegian.) Retrieved 26 Mar 2011.</ref>。[[イギリス空軍]]の基地も数箇所設置され、灯台の数箇所が敵機から爆撃され被害を受けた<ref name=N94/>。 |
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20世紀後半、シェトランド東西の海域で石油埋蔵地が発見され、シェトランドが大いに必要としていた代替収入源となった。{{仮リンク|東シェトランド海盆|en|East Shetland Basin}}はヨーロッパ最大の油田の1つであり、石油収入とノルウェーとの文化的つながりの結果として、オークニーおよびシェトランドの独立運動が発生した。独立運動は[[マン島]]だけでなく、シェトランドの最も近い隣人で[[デンマーク]]の自治領である[[フェロー諸島]]もモデルとしている<ref>Tallack, Malachy (2 April 2007) [http://www.newstatesman.com/200704020064 "Fair Isle: Independence thinking"] ''New Statesman''. Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。 |
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==政治== |
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[[Image:Shetland Flag.jpg|thumb|left|シェトランド諸島の旗]] |
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シェトランドは、オークニー・アンド・シェトランド選挙区の一部として、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]に[[国会議員]]を送っている。現職はアリステア・カーマイケルである。1950年以来、この議席は[[自由党 (イギリス)|自由党]]または[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]が維持しており、彼らがイギリス国内で維持するどの議席よりも期間が長い<ref>{{cite web|url=http://www.alistaircarmichael.org.uk/ |title=Alistair Carmichael: MP for Orkney and Shetland|website= alistaircarmichael.org.uk |accessdate= 8 September 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.alba.org.uk/scot99constit/h05.html |title=Candidates and Constituency Assessments|website= alba.org.uk - "The almanac of Scottish elections and politics"|accessdate= 9 February 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.snptacticalvoting.com/2009/10/untouchable-orkney-shetland-isles.html |title=The Untouchable Orkney & Shetland Isles |date=1 October 2009|website= www.snptacticalvoting.com |accessdate= 9 February 2010}}</ref>。 |
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[[スコットランド議会]]においては、シェトランド選挙区は[[小選挙区制]]によりスコットランド議会議員を選出している。現在のシェトランド選出スコットランド議会議員は、2019年に初当選したスコットランド自由民主党のベアトリス・ウィシャートである<ref>{{cite web|url=https://www.parliament.scot/msps/current-and-previous-msps/beatrice-wishart|title=Beatrice Wishart | Scottish Parliament Website|publisher= Scottish Parliament.|accessdate=2024年8月28日}}</ref>。現在のシェトランドは、スコットランド議会のハイランズ・アンド・アイランズ選挙地区内にある。 |
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シェトランド諸島議会の政治的構成は、無所属議員22人である。政党を代表しない議員が多数派を占める、スコットランド内のカウンシル・エリア3つのうち1つである{{#tag:ref|The other independent run Councils are Orkney and Comhairle nan Eilean Siar. Moray is run by a Conservative/Independent coalition.<ref>MacMahon, Peter and Walker, Helen (18 May 2007) "Winds of change sweep Scots town halls". Edinburgh. ''The Scotsman''.</ref><ref>{{cite web|url=http://www.shetland.gov.uk/coins/political.asp |title=Political Groups|publisher= Shetland Islands Council. |accessdate=23 April 2010}}</ref>|group="Note"}} 。 |
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1966年、Roy Grönnebergが[[スコットランド国民党]]の地方支部を設立した。彼はビル・アダムズと共同で、シェトランドのノルウェーからスコットランド移管500周年を記念してシェトランド諸島旗をデザインした。色の配置はスコットランドの旗と同じ青と白だが、[[スカンジナビア十字]]の形を採用している。1985年の[[住民投票]]を含む数度の失敗の後、2005年に[[ロード・ライアン・キング・オブ・アームズ]]はシェトランド諸島の旗を公式旗として認定した<ref name=flag>{{cite web|url=http://www.crwflags.com/fotw/flags/gb-shetl.html |title=Flag of Shetland|publisher= Flags of the World. |accessdate= 19 Mar 2011}}</ref>{{#tag:ref|The flag is the same design Icelandic republicans used in the early 20th century known in Iceland as ''Hvítbláinn'', the "white-blue".<ref name=flag/>|group="Note"}}。 |
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元は[[ノルウェー]]領だったことから独自の文化を持ち、少数ながら[[スコットランド]]や[[イギリス]]から独立するという運動を行ってる住民もいる<ref>{{cite news |title=スコットランドからの「独立」を―シェットランド諸島 |newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |date=2014-9-19 |url=http://jp.wsj.com/news/articles/SB10656493786288173419804580163491411568862 |accessdate=2014-9-21 |author=SARAH KENT }}</ref>。 |
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朝日新聞が、ロンドン発として伝えるところによると、2020年9月9日、シェトランド諸島議会は、スコットランド自治政府に対する島の「財政面と政治面での自決」をうたう決議を賛成18、反対2、棄権2で採択した。周辺に広がる石油とガスの資源や漁場の専有を狙う戦略とみられる。英タイムズ紙は「英国からも自治政府からも独立する動き」と報道。英仏海峡のチャネル諸島のように独自の政府を持つ英王室属領としての地位を求める可能性もあるという<ref>{{cite news |title=英国バラバラに? スコットランドから分離求める諸島 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2020-09-20|url=https://www.asahi.com/articles/ASN9K539SN9GUHBI002.html |accessdate=2020-09-24 |location=ロンドン|author=国末憲人 }}</ref>。独立に直ちに結びつくものではないが、少数の住民の運動にとどまらず、議会レベルでの行動である。 |
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==経済== |
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[[File:Beryl alpha from air.jpg|right|thumb|200px|[[エクソン・モービル]]のベリル・アルファ石油プラットフォーム、東シェトランド海盆]] |
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[[File:Sullom Voe.jpg|right|thumb|200px|サロム・ヴォーの石油ターミナル]] |
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現在、シェトランドの主な収入源は農業、[[養殖業]]、漁業、[[再生可能エネルギー]]、石油産業([[原油]]と[[天然ガス]]生産)、クリエイティブ産業と観光業である<ref>[http://move.shetland.org/economy "Economy"]. move.shetland.org Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。 |
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漁業は現在もシェトランド諸島経済の中心であり、2009年の漁獲総量は75,767トンで、評価額は7,320万ポンドであった。さらには、漁獲量においても収入においてもシェトランド諸島の漁獲高の半分以上を占めるのが[[サバ]]である。続いてコダラ、タラ、ニシン、[[タラ科]]の[[:en:Merlangius merlangus|''Merlangius merlangus'']]、[[アンコウ]]、貝類のかなりの水揚げがある<ref>Shetland Islands Council (2010) pp. 16-17 |
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</ref>。農業は主として、非常に細かい羊毛がとれることで知られるシェトランド種のヒツジの飼育にかかわっている<ref name="Shetland Islands Council 2010 p. 10"/><ref>[http://www.shetland-sheep.org.uk/ "Home"] Shetland Sheep Society. Retrieved 19 Mar 2011.</ref><ref>[http://www.sheep101.info/breedsS.html#Shetland "Shetland"] Sheep101.info. Retrieved 1 May 2009.</ref>。穀物はコムギとオオムギが生産されるが、シェトランドは寒さと吹きさらしの風が厳しく、ほとんどの植物にとって過酷な環境である。借地権が法的に限定されている小区画の農地で農業を行うクロフティング([[:en:Crofting|en]]、小規模農場による農業)はまだ実践されており、これはシェトランドの伝統というだけでなく重要な収入源とみなされている<ref>[http://www.crofting.org/index.php/faqs/67 " Crofting FAQS"] Scottish Crofting Federation. Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。 |
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石油と天然ガスは1978年サロム・ヴォー入り江にて初めて地上にもたらされた<ref>[http://www.bp.com/liveassets/bp_internet/globalbp/STAGING/global_assets/downloads/U/uk_asset_sullom_voe.pdf "Asset Portfolio: Sullom Voe Termonal"] (pdf) BP. Retrieved 19 Mar 2011.</ref> 。サロム・ヴォー石油ターミナルは、その後ヨーロッパ最大級のものとなった。石油の税収入は社会福祉や芸術、スポーツ、環境対策、経済開発など、公的部門の支出増加に貢献した。シェトランド諸島内の労働力は3/4がサービス業に従事している<ref>Shetland Islands Council (2010) p. 13</ref><ref>[http://visit.shetland.org/shetland-economy "Shetland's Economy"]. Visit.Shetland.org. Retrieved 19 Mar 2011.</ref> 。2003年にはシェトランド諸島議会単独で生産高の27.9%を生み出していた<ref>Shetland Islands Council (2005) p. 13</ref><ref>[http://move.shetland.org/public-sector "Public Sector"]. move.shetland.org. Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。石油収入はシェトランド公益トラストの資金源となり、トラストを介して地元の様々な事業に資金を提供できるようになった。2011年のトラスト残高は2億1700万ポンド、すなわち一人当たり9500ポンドであった<ref>[http://www.shetlandcharitabletrust.co.uk/documents "Financial Statements 31 March 2011."] Shetland Charitable Trust. Retrieved 8 Oct 2011.</ref>{{#tag:ref|No other part of the UK has any such oil-related fund. By comparison, as of 31 December 2010 the total value of the Government Pension Fund of Norway was NOK 3,077 billion ($525 bn),<ref name="nbim110318">{{Cite web| title = Fifth Best Year in the Fund’s History | url = http://www.nbim.no/en/press-and-publications/News-List/736/femte-beste-resultat-i-fondets-historie/ | publisher = Norges Bank Investment Management | date = 18 Mar 2011| accessdate = 5 April 2011 |
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}}</ref> i.e. circa £68,000 per head.|group="Note"}}。 |
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2007年1月、シェトランド諸島議会はエネルギー会社[[SSE (企業)|SSE]]と、[[風力発電所]]タービン20基と[[海底ケーブル]]を設置するパートナーシップ契約を結んだ。この再生可能エネルギー事業は約600[[メガワット]]を出力し、シェトランド経済に年間200万ポンド程度寄与するという<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/scotland/north_east/6277049.stm "Powering on with island wind plan"] (19 January 2007). BBC News. Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。計画は諸島内でかなりの数の反対を生んでいる。開発で予想される視覚的なインパクトが第一の理由である<ref>[http://www.guardian.co.uk/environment/2008/mar/09/windpower.renewableenergy "Shetlands storm over giant wind farm"] (9 Mar 2008). London. ''The Observer''. Retrieved 19 Mar 2011.</ref>。アンスト島でのPURE計画は、風力発電と風力ハイブリッド発電を生む[[燃料電池]]を組み合わせるための研究センターであった。この事業は地元コミュニティーの発展トラストである、アンスト島パートナーシップによって運営されている<ref>{{cite web|url=http://www.pure.shetland.co.uk/html/pure_project1.html|title=PURE project|publisher=Pure Energy Centre|accessdate=2 Feb 2007}}</ref>。 |
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ニットウェアはシェトランドの経済と文化の両面で重要である。フェア・アイルは非常によく知られている。しかしニット業界は、他のメーカーや商標認証によるシェトランドの名称の盗作問題に直面している。例えばシェトランド・レディ(The Shetland Lady)は商標登録されている<ref>Shetland Islands Council (2005) p. 25</ref>。シェトランドは毎週地元新聞社が発行するシェトランド・タイムズ、[[BBC]]ラジオ・シェトランド放送が提供するシェトランド・ニュース、商業ラジオ局SIBCが提供されている<ref>[http://www.shetland-news.co.uk ''Shetland News'']. shetland-news.co.uk. Retrieved 17 Mar 2011.</ref>。 |
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シェトランドはクルーズ船の人気の行き先である。2010年、[[ロンリープラネット]]はシェトランドを、『手付かずの行き先を求める観光客にとって世界で6番目の適地』と評した。シェトランド諸島は『美しく、実りある』、シェトランド諸島人は『激しく独立した個人、自立生活者の一団』と称された<ref>Hough, Andrew (2 Nov 2010) [http://www.telegraph.co.uk/travel/travelnews/8101703/Shetland-Islands-among-best-places-to-visit-says-Lonely-Planet-guide.html "Shetland Islands among best places to visit, says Lonely Planet guide"]. London. ''The Telegraph''. Retrieved 7 April 2011.</ref> 。 |
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2006年における訪問客全体の支出は1640万ポンドであった(その年ラーウィック港にクルーズ客船の乗客が26,000人到着した)。2009年に最も観光客が訪れた場所はシェトランド博物館、サンバラ・ヘッドの鳥類保護王立協会([[:en:Royal Society for the Protection of Birds|en]])保護区、ワイズデイル・ミルのボンホガ・ギャラリー、ヤールショフであった<ref>Shetland Islands Council (2010) p. 26</ref>。 |
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===交通=== |
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[[File:Yellferries.jpg|right|thumb|200px|イエル島に停泊するフェリー]] |
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諸島間の輸送は第一にフェリーである。シェトランド諸島カウンシルは様々な島間のサービスを運営している<ref>[http://www.shetland.gov.uk/ferries/ "Ferries"]. Shetland.gov.uk. Retrieved 23 May 2011.</ref>。シェトランドと本土のアバディーン間をノースリンクス・フェリーズ社のフェリーが片道12時間で運航している<ref>Shetland Islands Council (2010) pp. 32, 35</ref><ref>[http://www.northlinkferries.co.uk/timetables.html "2011 Timetables"] Northlink Ferries. Retrieved 7 Apr 2011.</ref>。 |
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シェトランド第一の空港であるサンバラ空港は、ラーウィックの南約40km、サンバラ・ヘッドに位置する。スコットランドの航空会社[[ローガンエアー]]は[[Flybe]]のための路線を持っており、1日に10度スコットランドの他地域へ便を運航する。目的地は[[カークウォール]]、アバディーン、[[インヴァーネス]]、[[グラスゴー]]、[[エディンバラ]]である<ref>[http://www.hial.co.uk/sumburgh-airport/ "Sumburgh Airport"] Highlands and Islands Airports. Retrieved 16 Mar 2011.</ref>。 |
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島と島の間を飛ぶ航空路線は、シェトランドのメインランド島からほとんどの有人島に向けて可能である。ラーウィック西11kmにあるティングウォール空港からの便は、シェトランド諸島カウンシルと提携したダイレクトフライト社が運営している<ref>Shetland Islands Council (2010) p. 32</ref><ref>[http://www.directflight.co.uk/shetland.html "Shetland Inter-Island Scheduled Service"] directflight.co.uk. Retrieved 16 Mar 2011.</ref>。アバディーン=スキャットスタ(サロム・ヴォー近郊)をしばしばチャーター便が飛ぶ。このチャーター便は油田で働く労働者を輸送するために用いられ、スキャットスタの小さなターミナルは、スコットランドで国際線乗客が5番目に多い場所となっている<ref>[http://www.caa.co.uk/default.aspx?categoryid=80&pagetype=88&sglid=3&fld=2005Annual "UK Airport Statistics: 2005 - Annual"] Table 10: EU and Other International Terminal Passenger Comparison with Previous Year. (pdf) CAA. Retrieved 16 Mar 2011.</ref>。公営のバスサービスは、メインランド島、ホエルセー島、バラ島、アンスト島、イエル島で運行されている<ref>Shetland Islands Council (2010) p. 34</ref>。 |
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シェトランドは風と潮にさらされ続けており、船が難破した場所が多い。灯台が様々な箇所で海上交通の補助として設置されている<ref>[http://www.nlb.org.uk/LighthouseLibrary/Main/ "Lighthouse Library"] Northern Lighthouse Board. Retrieved 8 July 2010.</ref>。 |
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===公共サービス=== |
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シェトランド諸島カウンシルは、シェトランドの全ての島々のための地方自治体当局で、ラーウィック・タウン・ホールにある。シェトランド諸島のモットーは、カウンシルの紋章に記されているように、Með lögum skal land byggjaである。ニャールのサガ([[:en:Njáls saga|en]])に書かれた一節からとられており、『法によって土地の上に築かれなければならない』を意味する<ref>[http://www.ngw.nl/int/gbr/scot/shetland.htm "Shetland Islands Council"]. Heraldry of the World. Retrieved 2 April 2011.</ref> 。シェトランドは12の[[スコットランドの地方行政区画|シビル・パリッシュ]]に分割されているが、もはやこれらは行政的に意味を持たない。しかしシビル・パリッシュは時に統計上の用途と、18ある地域協議会で使用される<ref>Shetland Islands Council (2010) pp. 51, 54, 56</ref>。 |
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シェトランドには高等学校2校、中学校7校、30以上の小学校がある<ref>Shetland Islands Council (2010) pp. 41-42</ref>。シェトランドはまた、北大西洋漁業専門学校、北欧研究センター、そしてシェトランド・カレッジがあり、これらは全てインヴァーネスに本部のあるハイランズ・アンド・アイランズ大学の関連である<ref>[http://www.nafc.ac.uk/Home.aspx "NAFC Marine Centre"] North Atlantic Fisheries College. Retrieved 17 Mar 2011.</ref><ref>[http://www.nordic.uhi.ac.uk/ "Welcome! "] Centre for Nordic Studies. Retrieved 17 Mar 2011.</ref>。 |
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==シェトランドの文化== |
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[[File:Shetland crofthouse museum.jpg|left|thumb|200px|シェトランド・クロフトハウス博物館]] |
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[[File:UpHellyAa3(AnneBurgess)30Jan1973.jpg|left|thumb|250px|1973年に撮影されたウップ・ヘリーアーの様子]] |
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[[File:Haroldswick Methodist Church.jpg|left|200px|thumb|ハロルズウィックのメソジスト教会。イギリス最北の教会建築<ref>[http://www.undiscoveredscotland.co.uk/unst/haroldswickchurch/index.html "Haroldswick Methodist Church"]. Undiscovered Scotland. Retrieved 19 March 2011.</ref>]] |
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[[File:Bressay Crosses St Mary's Church.jpg|left|thumb|200px|ブレセー島、セント・メアリーズ教会に残る十字架]] |
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シェトランドがスコットランドに移管された後、何千人ものスコットランド人世帯が16世紀から17世紀にシェトランドへ移住してきた。しかし島民の遺伝子構造の研究が示しているように、シェトランド諸島人の半数がスカンジナビアに起源を持つ<ref name=Goodacre/>。この組み合わせは地元の生活の多くの側面に反映されている。例えば、現在使われている地名のほとんどがヴァイキングの時代にさかのぼることができる<ref>Julian Richards, ''Vikingblod'', page 236, Hermon Forlag, ISBN 8230200165</ref>。[[ノルド語]]は古ノース語の形態で、18世紀まで話されていた。その後、シェトランド語として知られる[[スコットランド語]]の島方言に置き換えられた。また、現在は[[スコットランド英語]]に置き換えられつつある。何百年も話されてきたノルド語は現在絶えてしまっており、わずかに書き言葉が残っている<ref>[http://www.nornlanguage.110mb.com/ "Velkomen!"] nornlanguage.com. Retrieved 8 Mar 2011.</ref>。シェトランド語は地元ラジオ局と書き言葉の両方で使われており、シェトランド民俗協会によって生き続けている<ref>[http://visit.shetland.org/culture-and-music "Culture and Music"]. Visit.Shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.</ref><ref>[http://www.shetlanddialect.org.uk "Shetland ForWirds"] shetlanddialect.org. Retrieved 20 Mar 2011.</ref><ref>[http://shetlopedia.com/Shetland_Folk_Society "Shetland Folk Society"]. Shelopedia. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。 |
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冬のさなかにラーウィックで行われるウップ・ヘリーアーは、毎年シェトランドで開催される様々な火祭りの1つである。祭りは現在で100年以上の歴史があり、高度に組織化されている。原型は冬の長い夜を追い散らすための[[禁酒]]祭りで、今は島の伝承を祝うものとなった。男たちはヴァイキングの服装で行列し、[[ロングシップ]]のレプリカを燃やすのである<ref>[http://visit.shetland.org/up-helly-aa "Up Helly Aa"] Visit.Shetland.org. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。 |
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シェトランド料理は、ほとんどが有機食品である地元産[[ラム肉]]、牛肉とシーフードを基本とする。無濾過で[[パスチャライゼーション]]をしないリアル・エールを作っているヴァルハラ醸造所は、国内で最も北にある醸造所である<ref>[http://www.shetlandtourism.com/pages/shetland_produce.htm "Shetland Produce"] shetlandtourism.com. Retrieved 8 April 2011.</ref>。シェトランドは隔年開催される[[国際アイランドゲームズ協会]]の一員であり、2005年には開催地となった<ref>[http://www.islandgames.net/cms/member_profile_12400.html "Member Profile: Shetland Islands"]. International Island Games Association. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。 |
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===教会と信仰=== |
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[[宗教改革]]がシェトランドにもたらされたのは1560年であった。明らかに平和的な移行であり、記録されたシェトランドの歴史上において宗教的熱狂や不寛容の証拠はわずかである<ref>Schei (2006) p. 14</ref>。諸島内には様々な宗派がある。[[メソジスト教会]]は諸島内で比較的信者数が多く、メソジスト教会の教会地区となっている(スコットランド本土が構成する地区とは別である)<ref>[http://www.methodist.org.uk/index.cfm?fuseaction=churchlife.content&cmid=461 "Area 3 Districts"]. methodist.org.uk. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。[[スコットランド国教会]]はラーウィックのセント・コロンバ教会が含まれるシェトランドの長老会を持っている<ref>[http://www.shetland-communities.org.uk/Downloads/lbpc/Lerwick%2520and%2520Bressay%2520Parish%2520Profile.pdf "Lerwick and Bressay Parish Church Profile"]. (pdf) shetland-communities.org.uk. Retrieved 20 Mar 2011.</ref>。 |
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===音楽=== |
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シェトランドの文化と風景は、様々なミュージシャン、作家、映画製作者にインスピレーションを与えている。1950年代に結成されたザ・フォーティ・フィドラーズは、伝統的なフィドルの演奏スタイルを促進し、現在も地元文化の活気ある一部となっている<ref>[http://shetlopedia.com/The_Forty_Fiddlers "The Forty Fiddlers"] Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.</ref> 。シェトランド民俗音楽の注目すべき人物としてアリー・ベイン([[:en:Aly Bain]])、[[トム・アンダーソン (フィドラー)|トム・アンダーソン]]、ピーリー・ウィリー・ジョンソン([[:en:Peerie Willie Johnson]])がいる。トーマス・フレイザー([[:en:Thomas Fraser (singer)]])はカントリー音楽のミュージシャンであったが生涯を通じて商業ベースのレコーディングをしたことがなかったが、1978年の早すぎる死のあと20年以上人気を保っている<ref>Culshaw, Peter (18 June 2006) [http://www.guardian.co.uk/music/2006/jun/18/14 " The Tale of Thomas Fraser"] guardian.co.uk. Retrieved 8 Mar 2011.</ref>。 |
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===文学=== |
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[[ウォルター・スコット]]が書いた1822年のThe Pirateにおいて、舞台はシェトランドの遠く離れた場所となっている。これは1814年に彼がシェトランドを訪れた際にインスピレーションを得たためである。Jarlshofという名は『伯爵の邸宅』を意味する彼の造語である<ref name=Undies>[http://www.undiscoveredscotland.co.uk/shetland/jarlshof/index.html "Jarlshof"] Undiscovered Scotland. Retrieved 2 August 2008.</ref><ref name=Gaz>[http://www.scottish-places.info/features/featurefirst1402.html "Jarlshof"] Gazetteer for Scotland. Retrieved 2 August 2008.</ref>。 |
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スコットランド人詩人{{仮リンク|ヒュー・マクダーミッド|en|Hugh MacDiarmid}}は、1930年代半ばから1942年までホエルセー島で暮らした。彼はその間、直接的またはシェトランドの環境を反映させた詩を書き上げた。"On A Raised Beach"は無人のウェスト・リンガ島訪問に触発され書いたものである<ref>[http://shetlopedia.com/Hugh_MacDiarmid "Hugh MacDiarmid"] Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.</ref>。作家ハモンド・インズが1975年に発表した小説North Starは、主な舞台をシェトランドとしている。ラマン・マンデアの2007年の詩集A Choreographer's Cartographyは、シェトランドを背景にアジア系イギリス人の視点を表している<ref>Morgan, Gavin (19 Apr 2008) "Shetland author wins acclaim". ''Shetland News''. Retrieved 26 Mar 2011.</ref>。ウォルズ島生まれのヴァガランドは、おそらく20世紀シェトランド最高の詩人であろう<ref>[http://shetlopedia.com/Vagaland "Vagaland"] Shetlopedia. Retrieved 8 Mar 2011.</ref>。 |
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シェトランドでは月刊誌Shetland Lifeとi'i' Shetlandが発行されている<ref>[http://shetlopedia.com/Shetland_Life "Shetland Life"] Shetlopedia. Retrieved 17 Mar 2011.</ref><ref>[http://www.millgaet.com/shetland.html "Publications"] Millgaet Media. Retrieved 17 Mar 2011.</ref>。 |
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小説家[[アン・クリーヴス]]はシェトランド諸島を舞台とするミステリー小説を複数執筆しており、日本語版も出版されている<ref name=テレビドラマ>{{Cite web|和書|url=https://dramanavi.net/articles/134197 |title=『シェトランド』(全4話)、4月8(水)より日本初放送スタート |date=2015-03-29 |accessdate=2023-12-21 |publisher=海外ドラマNAVI}}</ref>。 |
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===映画・ドラマ=== |
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1937年に[[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]が製作した[[:en:The Edge of the World|The Edge of the World]]は、絶海の孤島[[セント・キルダ]]に暮らす最後の36人の島民が1930年8月29日に島外に避難する実話を基として脚色した作品である。セント・キルダは[[アウター・ヘブリディーズ]]西方64kmの[[大西洋]]上の群島だが、パウエルはそこでの撮影許可を得ることができなかった。ひるまなかったパウエルは、フーラ島で1936年の夏の四ヶ月間撮影を行った。映画ではセント・キルダでの出来事をシェトランドでの出来事に置き換えたのである。40年後の1978年、パウエルはフーラ島を再訪問し、ドキュメンタリー映画[[:en:Return to the Edge of the World|Return to the Edge of the World]]の中で当時のキャストやクルーと再会を果たした。 |
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シェトランドで撮影された、またはシェトランドにちなむ映画作品には、A Crofter's Life in Shetland(1932年)<ref>[http://www.screenonline.org.uk/film/id/711399/index.html "A Crofter's Life in Shetland"] screenonline.org.uk. Retrieved 12 October 2008.</ref>、A Shetland Lyric(1934年)<ref>[https://www.imdb.com/title/tt0419101/ "The Rugged Island: A Shetland Lyric"] IMDb. Retrieved 12 October 2008.</ref>、[[:en:Devil's Gate (film)|Devil's Gate]](2003年)、コメディ・ドキュメンタリーの[[:en:It's Nice Up North|It's Nice Up North]](2007年)がある。 |
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また、上記の[[アン・クリーヴス]]の小説が[[ITV (イギリス)|ITV]]によりドラマ化され、2013年から[[英国放送協会|BBC]]で放送されている。日本では『[[シェトランド (テレビドラマ)|シェトランド]]』という邦題で2015年から[[AXNミステリー]]で放送されている<ref name=テレビドラマ/>。 |
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== 参照 == |
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{{Reflist|30em|group="Note"}} |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 出典 == |
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{{Refbegin|30em}} |
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2024年8月28日 (水) 12:32時点における最新版
シェトランド諸島 Shetland Sealtainn | |||||
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| |||||
位置 | |||||
地理 | |||||
面積 | (国内第12位) | ||||
- 合計 | 1,468 km2 (567 sq mi) | ||||
政庁所在地 | ラーウィック | ||||
ISOコード | GB-ZET | ||||
ONSコード | 00RD | ||||
統計 | |||||
人口 (2022年) | (国内第31位) | ||||
- 合計 | 23,020人 | ||||
-人口密度 | 15人/km² | ||||
政治 | |||||
シェトランド諸島議会 www.shetland.gov.uk | |||||
与党 | 無所属 | ||||
イギリス下院議員 | アリステア・カーマイケル | ||||
スコットランド議会議員 | ベアトリス・ウィシャート |
シェトランド諸島 (Shetland [ˈʃɛtlənd]、中世スコットランド語:Ȝetland、スコットランド・ゲール語: Sealtainn [ˈʃal̪ˠt̪ʰɪɲ])は、スコットランドの亜寒帯に属する群島。北部諸島に含まれ、グレートブリテン島の北東部に位置する。
概説
[編集]オークニー諸島の約80km北、フェロー諸島の南東約280kmに位置し、シェトランドの西は大西洋、東は北海となる。総面積は1,468km2で、人口は23,020人(2022年推計)である[1]。スコットランド議会のシェトランド選挙区を構成しており、スコットランドの32あるカウンシル・エリアの1つである。シェトランドの行政中心地で、唯一の自由都市はラーウィックである。
諸島のうち最大の島は単にメインランド島といい、面積は967km2、スコットランドの島のうち3番目、ブリテン諸島中5番目の面積を持つ[2]。さらに15の有人島がある。シェトランド諸島は海洋性気候であり、複雑な地質、険しい海岸線と総じて低い丘陵がある。
石器時代より人が定住し、島について最古に書かれた文献はローマ時代のものである。歴史上最古の時代はスカンジナビア、特にノルウェーの影響を受け、島々は15世紀までスコットランドの一部ではなかった。シェトランドがグレートブリテン王国の一部となった1707年から、漁業は今日まで経済の重要な側面で有り続けているが、北ヨーロッパとの貿易は衰退していた。しかしいまや連合王国の一部となり、1970年代の北海油田発見が大幅にシェトランド諸島経済・雇用・公共部門の収益を押し上げた。
地元住民の生活は、ヴァイキングを称える火祭りのウップ・ヘリーアー[3]、伝統的なフィドルのスタイルに代表される音楽の伝統といった、ノース人文化とスコットランド文化の両方が反映されている。シェトランド諸島は様々な詩と散文の作家を輩出しており、彼らの多くはシェトランド語を用いる。地元の動植物を保護するためもうけられた保護地域が多くあり、そこには海鳥の重要な営巣地が含まれている。
語源
[編集]シェトランドの名前は古ノルド語のhjalt(柄)とland(土地)に由来する[4]。
紀元43年と77年、ローマの著述家ポンポニウス・メラと大プリニウスは、それぞれHaemodaeとAcmodaeと呼ぶ7つの島々についてふれた。この名称はどちらもシェトランドのことであると推測されている。シェトランドについて書かれた古い記述は他にもある。紀元98年、タキトゥスはローマのオークニー諸島発見と征服について記した後、ローマ艦隊はトゥーレを見たとした[Note 1] 。古いアイルランド文学において、シェトランドは『ネコの島』(Inse Catt)としてふれられた。これは島にいたノース人以前の住民の名であった可能性がある。Cat族はスコットランド本土北部の一部を占領し、彼らの名はケイスネスや、サザランドのゲール語名Cataibhに見つけることができる[7][Note 2]。
現在の名であるシェトランドの最古のかたちは、1190年に記されたHetlandensisである。様々な変遷のあとに1431年にはHetlandとなった。ピクト語のcatの発音が古ノルド語の名称を形成することが可能である。その後16世紀にはHjaltlandとなった[9][10][Note 3]。
ノルン語が徐々にスコットランド語に取って代わっていったように、HjaltlandはȜetlandとなった。最初の文字は中世スコットランド語のものである。Ȝの発音は元々のノルン語とほとんど同じである。ヨッホを文字として用いることが中断されたとき、それは多くの場合似たような文字であるZに置き換えられた。それゆえにZetlandという誤ったスペルが1975年以前にカウンティ議会において用いられていたのである[12][13]。
一部の派生は不明瞭で古ノルド語以前(おそらくはピクト語、ケルト語以前の名称)のものもあるだろうが、シェトランドの島々は個々に古ノルド語の名称を持っている[14]。
地理
[編集]シェトランド諸島はスコットランド本土の北170kmにある。海岸線は2702kmある。諸島の中心地にして最大の町であるラーウィックは人口約7500人が暮らし、町の16km以内に諸島の人口の約半分が暮らしていることになる[15] 。1708年まで諸島の中心であった西岸のスカロウェイは、人口が1000人以下である[16][17]。
およそ100ある島のうち、有人島は16しかない。主要島はメインランド島、次いで北のイエル島、アンスト島、フェトラー島、東のブレセー島とホエルセー島である。イースト・バラ島、ウエスト・バラ島、マックル・ロー島、パパ・ストア島、トロンドラ島、ヴァイラ島はメインランド島の西にあってより小さい。メインランド島から遠く離れている有人島には、フーラ島、フェア島、アウト・スカリーズ島がある。
無人島には、鉄器時代に建てられた塔・ブロッホ・オブ・ムサが最高の保存状態で残るムサ島、イギリス最大の陸繋島でメインランド島と陸続きとなっている聖ニニアンの島、ブリテン諸島最北の地であるアウトスタック島がある[18][19][20] 。シェトランド諸島の位置から、『国内で最も北』という形容詞がつく記録が多い。マネス城は国内最北にある城であるし、スコーは国内最北の集落である[21][22]。
数多くの断層や褶曲の軸があるシェトランドの地質は複雑である。シェトランドの島々はカレドニア造山運動の北の前哨基地にあたり、先カンブリア時代の変成岩であるルイジアン、ダルリアダンの露頭、モイン累層群の変成岩があり、それらはスコットランド本土にあるものと似た歴史をたどっている。同様に、古い赤色砂岩の堆積物、花崗岩の侵入もある。最大の特徴はオフィオライト、アンスト島やフェトラー島におけるかんらん岩と斑れい岩でイアペトゥス海の底の遺物である[23]。シェトランド経済の多くは、周辺海域における原油を含む堆積物に依存している[24]。地質学的証拠は、紀元前6100年頃ノルウェー海の海底地すべりで起きた津波がシェトランド、そしてスコットランド東海岸を直撃したことを示している。そして現在の人口密集地であるスコットランドのファース(湾)において波の高さは25mとなっていたと推測される[25]。
シェトランド最高地点はロナスの丘で高さは450mでしかない。更新世期に氷河は島々全体を覆っていた。スタナス・オブ・ストファストという迷子石は重さが2000トンあり、この時代にラナスティングの丘に移動してきて鎮座するようになった[26]。
シェトランドは国立景観保護地域とユネスコ世界ジオパークである[27][28]。
気候
[編集]シェトランド諸島は、寒い期間は長いが、あまり厳しくはならない冬、短くて冷涼な夏が特徴の海洋性亜寒帯気候である。ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属し、夏は涼しく冬も緯度の割に寒くない。 周囲の海からの影響で、3月の最高気温は5℃、7月8月の最高気温は14℃と、気候は一年中穏やかである。気温が21℃を上回ることはまれである。過去に最も気温が高かったのは1991年7月の23.4℃で、反対に最も低かったのは1952年と1959年の1月に記録した-8.9℃である[29] 。霜のない期間は3ヶ月ほどと短い。
気候の総合的な特徴は、曇りがちで風が強いことである。1年に250日間は少なくとも2mm以上の降雨がある。年間平均降雨量は、最も雨の多い11月から12月で1003mmである。降雪は通常11月から2月までの期間に限られており、地上に1日中雪が残っていることが少ない。降水量が50mm以下の月はないが、4月から8月は降水量が減少する。霧は、穏やかな南からの風で海上が冷やされるため、夏に発生するのが一般的である[30][29]。
高緯度にあるため、夏にはほぼ確定した日照がある一方、晴れた冬の夜にはオーロラが時々見られる。年間平均日照時間は1090時間で、曇りの日が一般的である[30]。
シェトランド諸島(ラーウィック・標高82m) (1981-2010) 極値 (1930-現在)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 12.8 (55) |
11.7 (53.1) |
13.3 (55.9) |
16.1 (61) |
20.7 (69.3) |
22.2 (72) |
23.4 (74.1) |
22.1 (71.8) |
19.4 (66.9) |
17.2 (63) |
13.9 (57) |
12.6 (54.7) |
23.4 (74.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 5.9 (42.6) |
5.5 (41.9) |
6.4 (43.5) |
8.1 (46.6) |
10.4 (50.7) |
12.4 (54.3) |
14.3 (57.7) |
14.5 (58.1) |
12.8 (55) |
10.2 (50.4) |
7.8 (46) |
6.3 (43.3) |
9.6 (49.3) |
日平均気温 °C (°F) | 3.9 (39) |
3.5 (38.3) |
4.2 (39.6) |
5.8 (42.4) |
7.9 (46.2) |
10.1 (50.2) |
12.1 (53.8) |
12.4 (54.3) |
10.8 (51.4) |
8.3 (46.9) |
5.9 (42.6) |
4.3 (39.7) |
7.4 (45.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.8 (35.2) |
1.5 (34.7) |
2.0 (35.6) |
3.5 (38.3) |
5.4 (41.7) |
7.7 (45.9) |
9.9 (49.8) |
10.2 (50.4) |
8.7 (47.7) |
6.4 (43.5) |
3.9 (39) |
2.2 (36) |
5.3 (41.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.9 (16) |
−7.4 (18.7) |
−8.3 (17.1) |
−5.7 (21.7) |
−2.2 (28) |
−0.6 (30.9) |
3.5 (38.3) |
2.8 (37.0) |
−0.6 (30.9) |
−3.3 (26.1) |
−5.7 (21.7) |
−8.2 (17.2) |
−8.9 (16) |
降水量 mm (inch) | 142.6 (5.614) |
120.8 (4.756) |
124.6 (4.906) |
70.4 (2.772) |
53.4 (2.102) |
58.2 (2.291) |
66.8 (2.63) |
83.7 (3.295) |
106.3 (4.185) |
141.5 (5.571) |
146.0 (5.748) |
142.6 (5.614) |
1,256.8 (49.48) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 21.6 | 18.5 | 19.9 | 14.1 | 10.8 | 11.0 | 12.1 | 12.9 | 16.7 | 20.8 | 21.4 | 21.8 | 201.6 |
平均降雪日数 | 10 | 9 | 9 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 8 | 48 |
% 湿度 | 87 | 86 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 90 | 89 | 87 | 87 | 89 |
平均月間日照時間 | 27.2 | 55.2 | 94.1 | 131.8 | 181.0 | 146.2 | 124.4 | 127.9 | 101.3 | 68.8 | 33.8 | 18.1 | 1,109.9 |
出典1:Met Office[31] NOAA (relative humidity and snow days 1961-1990)[32] | |||||||||||||
出典2:KNMI[33] |
野生の動植物
[編集]シェトランドには、ハーマナスとノスの海鳥コロニー、キーン・オブ・ヘイマーにある蛇紋岩土壌に育つ植物を保護する、3つの国立自然保護区がある。さらに81箇所の特別科学関心地区がある。
植物相
[編集]シェトランドの風景は、放牧されたヒツジが草を食んでいるさまが特徴である。そして過酷な条件のため植物は約400種と総数が限られている。セイヨウナナカマドやヨーロッパ原産のワイルドクラブアップルといった土着の樹木は、崖や小島といった他から隔絶された数少ない場所に見られるのみである。植物はアルプス高山植物、野生種の花、コケ、地衣類で占められる。特に保護された場所では、春海葱、セリバオオバコ、マルバトウキ、イワベンケイが豊富である。ミミナグサ属のCerastium nigrescensはシェトランドにしかない固有種である。この花は1837年、植物学者トーマス・エドモンドストンによって最初に記録された。19世紀には他の2つの場所から植生の報告があったが、現在はアンスト島の蛇紋岩でできた2つの丘の上にしか見つけられていない。全国的に希少なエゾルリソウがいくつかの島で見つかっており、レッドリストにコケ植物オオトラノオが絶滅危惧種として記載されている[34][35][36][37]。
動物相
[編集]シェトランドには多数の海鳥コロニーがある。ニシツノメドリ、ウミツバメ、アビ、シロカツオドリ、オオトウゾクカモメが島々で見られる[38]。希少種としてマユグロアホウドリ、ハクガンがある。シロフクロウのつがいが1967年から1975年までフェトラー島で繁殖していた[38][39][40]。シェトランドミソサザイ、フェアアイルミソサザイはシェトランドの固有亜種である[41][42]。ダイシャクシギ、コシャクシギ、ヨーロッパムナグロといった様々な湿原の鳥類の個体群もある[43]。
シェトランドの地理的孤立と、シェトランドがかつて氷河に覆われていた歴史により、哺乳動物相の枯渇をもたらした。ドブネズミとハツカネズミは、シェトランド諸島に現在いるげっ歯類の3種のうち2種である。残りの1つであるシェトランドノネズミは、固有種でもあり、そのうち3つの種類がイエル島、フーラ島、フェア島に生息する[42]。彼らはアカネズミの変種であり、考古学的証拠からこの種は鉄器時代中期から島に存在していたことを示唆している。アカネズミは、少なくとも青銅器時代から人がいたオークニー諸島から導入された可能性がある[44]。
家畜
[編集]島土着の様々な品種がある。そのうち、体格の小さなシェトランド・ポニーは、おそらく最も有名であるだけでなく、シェトランド農業の歴史の重要な一部である。ポニーについて最初に書かれた記録は1603年のものである。その小柄な体格のため、すべてのウマの品種の中で最も強健である[45][46]。その他にシェットランド・シープドッグ、絶滅危惧種のシェトランドウシ[47]、シェトランドガチョウ[48][49]、そしてヒツジのシェトランド・シープは西暦1000年前に起源があると考えられている[50]。グライスは半家畜化されたブタであったが、1930年代に絶滅した。ヒツジを攻撃する習性のため、絶滅を防ぐことができなかった[51]。
歴史
[編集]先史時代
[編集]実質的に樹木のないシェトランド諸島に石でできた建物ができたのは少なくとも新石器時代初頭である。シェトランドは有史以前の時代の建造物が非常に豊富で、5000箇所以上の遺跡が存在する[52]。メインランド島南岸のウェスト・ヴォーには紀元前4320年から紀元前4030年頃の貝塚があり、中石器時代に人間が活動していた証拠となっている[53][54]。同じ場所では新石器時代の活動の存在を示しており、スコード・オブ・ブロースター内の壁は紀元前3400年代にさかのぼれる[Note 4] 。ノースメイヴィンで見つかったシェトランド・ナイフは石器で、珪長岩でこの時代に作られたものだった[56]。
集落遺跡ヤールショフでは陶器の破片が見つかっている。主要な定住地は青銅器時代からのものだが、ここでは新石器時代から人が活動してきたことを示している[57]。遺跡には鍛冶場、ホイールハウスの密集、そして後のブロッホ(円筒形の塔)が含まれていた。この場所は、ヴァイキング時代直前までの様々な時代の居住の証拠を示している[58][59]。かかとの形をしたケアンは、シェトランドでは珍しい室状のケアンで、特に大きなものがヴェメントリー島にある[56]。
多数のブロッホが鉄器時代の間に建てられた。ブロッホの起源と目的は論争の的となっているが、ムサに加え、クリキミン、カルスウィック、オールド・スキャットネス、ウェスト・バラファースにあるブロッホが重要な遺跡である[60]。過去の記録はまばらであるが、鉄器時代後期のノーザン・アイルズの住民は、おそらくピクト人であった。歴史家ジェームズ・ハンターは2000年に、6世紀のピクト王ブリデイ1世との関連を述べている。『シェトランド、オークニー、スカイ島と西部の島々にいた住民たちは、そのほとんどがこの時点において文化のうえでも言語のうえでもピクト人であったように思える。彼らはブリデイ1世をかなり遠い存在とみなしていた可能性が高い。』[61]
2011年、ブロッホ・オブ・ムサ、オールド・スキャットネス、ヤールショフを含む「鉄器時代シェトランドのるつぼ」は、世界遺産の暫定登録リストに加わった[62][63]。
スカンジナビア人による植民地化
[編集]スカンジナビア人人口の拡大は、利用可能な資源と耕地の不足につながった。このことがヴァイキングの海外遠征時代を招き、ノース人は徐々に略奪から占領へ関心を移していった[64]。シェトランドは8世紀終わりから9世紀にかけ征服された[65]。既に島にいた先住民の運命については不明である。現在のシェトランド諸島人は、父方の先祖も母方の先祖もスカンジナビア人である割合が同一である。このことは島に男女とも均等に移住したことを示唆している[66]。
当時のヴァイキングは、島をノルウェーおよびスコットランド本土の海岸に対する海賊遠征の本拠としていた。それに対してノルウェー王ハーラル美髪王は875年にノーザン・アイルズを併合した[Note 5] [68]。ムーレ伯爵Rognvald Eysteinssonはハーラル美髪王より、スコットランドでの戦いで息子を失った代償として、オークニーとシェトランドを伯領として授かり、オークニー伯爵(英語ではEarlであるがノース語ではJarl)となった。その後弟Sigurd Eysteinssonが伯領を継承した[68]。
シェトランド諸島がキリスト教化されたのは10世紀終わりである。オーラヴ1世王はオークニー訪問中、オークニー伯シグルドを召還し、『伯と伯の臣民すべてが洗礼を受けることを命ずる。もし拒むならば、私はその場で伯を殺さねばならない。私は火と鋼を用いてすべての島々を破壊せんことを誓う』と言った。当然のごとく、シグルドと島民たちは同意しキリスト教徒となった[69]。異常なことに、1100年代以降、ノース人の伯爵たちはケイスネス伯爵の爵位を保有することからノルウェー王とスコットランド王の両者に忠誠を誓っていた[70]。
1194年、Harald Maddadssonがオークニーおよびシェトランド伯であったとき、スヴェレ・シグルツソン王に対する内乱が勃発した。Øyskjeggsたちはノルウェーに向け出航したが、ベルゲン近郊のFlorvågの戦いで敗退した。この勝利の後にスヴェレ・シグルツソン王はシェトランドをノルウェー王の直接支配下に置き、この後2世紀近くにわたってこの情勢が続いた[71][72]。
スコットランドの北進
[編集]13世紀半ば以降、スコットランドの王たちはますます本土周囲の島嶼部に対する管理を強めるようになった。政策が本格的に始められたのはアレグザンダー2世からで、彼の後継者アレグザンダー3世によって政策は継承された。この戦略は、最終的にはホーコン4世のスコットランド遠征につながった。彼の艦隊はスコットランドへ出航する前にブレセー水道で組み立てられた。ラーグスの戦いでの行き詰まりの後、ホーコン4世はオークニーに退却し、1263年12月に急死した。サーガの暗唱によって彼は死の床で慰められた。彼の死のち、ノルウェー王位を継いだマグヌス5世は遠征を行うほどの才覚はなく、スコットランドへのノルウェー軍のさらなる遠征は中止に追い込まれた。この不運な遠征にともない、マン島および島嶼王国(ヘブリディーズ諸島とマン島で構成)は1266年のパース条約の結果スコットランドに屈した。しかしスコットランド人は、オークニー諸島とシェトランド諸島へのノルウェーの主権を継続して認めていた[73][74][75]。
スコットランドへの質入
[編集]14世紀のオークニー諸島とシェトランド諸島はノルウェー王国の県であった。しかしスコットランドの影響は増していた。オークニー伯Jon Haraldssonは1231年にサーソーで殺害され、彼の死は切れることなく続いてきたノース人のオークニー伯爵の断絶となった[76]。その後のオークニー伯は、スコットランド貴族であるアンガス伯と、シンクレア家のヘンリーが務めた[77]。1380年、デンマークとのカルマル同盟で同君連合となったノルウェーは、島嶼部の高貴な家柄への関心が薄れていった[71] 。1468年、デンマーク・ノルウェー王クリスチャン1世は、スコットランド王ジェームズ3世と婚約していた娘マルグレーテの持参金支払いに対する保証としてシェトランドを抵当に入れた。金が支払われることはなく、シェトランドとスコットランド王との関係は永久となった.[Note 6] 。1470年、初代ケイスネス伯ウィリアム・シンクレアは、自らの称号をジェームズ3世へ譲り渡した[80] 。翌年から、北部島嶼部はスコットランド王権に直接属することとなった。それにもかかわらず、シェトランドとノルウェーの関係が絶えることがなかったことが証明されている[Note 7]。
15世紀初頭から、シェトランド諸島人はドイツ商人のハンザ同盟を通じて島で生産されたものを売っていた。ハンザ商人は、塩漬けの魚、羊毛、バターといった船一隻分の積荷を買い、塩、布、ビールやその他商品を輸入していた。16世紀終わりから17世紀初めは、専制的なオークニー伯ロバート・スチュアートの影響が支配的だった。ジェームズ5世の庶子であった彼は、異母妹であるスコットランド女王メアリーによって島々を与えられていた。ロバートの跡を継いだパトリック・スチュアートはスカロウェイ城の建設を開始したが、1609年に処刑されたため、再びオークニーとシェトランドはスコットランド王のものとなった。1643年、チャールズ1世はオークニーとシェトランドを第7代モートン伯ウィリアム・ダグラスへ与えた。1766年まで保持したモートン伯爵家は、第14代伯爵ジェイムズ・ダグラスの代にシェトランドをローレンス・ダンダスへ売却した[81][82]。
イギリス支配
[編集]1707年の合同法が施行されると、塩の取引に課された高額な税率によって、ドイツ北部の商人たちはそれまで続いていたシェトランドとの貿易を続けられなくなった。シェトランドの地元商人たちは北ドイツ商人ほど塩漬け魚の貿易に精通していなかったため、シェトランドは経済不況に陥った。しかしながら、一部の土地持ち商人がヨーロッパ大陸へ魚を輸出するための船を自前で用意し、撤退したドイツ商人の後を引き継いだ。ただ、これは土地を持たない漁夫たちにとって幸運なことではなかった。なぜなら、彼らは結局、地元の土地持ち商人たちのために漁をしなければならなくなったからである[83]。
17世紀から18世紀、シェトランドを天然痘の流行が襲った。しかし1760年以降ワクチンが一般的となり、1861年の人口はこれまでの最高の31,670人に達した。イギリス支配は多くの一般人のみならず、貿易業者にとって高くついた。シェトランド諸島人の航海技術が、イギリス海軍に求められていた。約3000人が1810年から1815年のナポレオン戦争に供出され、強制徴募が行われた。このときフェトラー島だけで120人もの男性が連れて行かれ、このうち故郷へ戻れたのはたった20人だった。19世紀後半、シェトランド全体の90%の土地を所有していたのは32人の地主だった。1861年から1881年にかけ8000人以上のシェトランド諸島人が移住していった[84][85]。1886年、自由党の首相ウィリアム・グラッドストンが、地主から小作農を解放すべく、クロフターズ法を可決させた。これは地主のために農奴となっていた小作農たちが、自分の所有する農園を持ち家とできるようになった効果的な法律だった[86]。
20世紀
[編集]第一次世界大戦中、多くのシェトランド諸島人たちはイギリス陸軍歩兵連隊ゴードン・ハイランダーズに配属された。さらに3000人が海軍船員となり、1500人以上が地元で海軍予備役となった。第10巡洋艦船隊がスウォーバックス・ミンに配置され、1917年3月からの1年間だけで4500隻以上の船が護送船団の一員としてラーウィックを出港していった。シェトランド諸島は、出身者から150人以上の戦死者を出した。これはイギリス国内のどの場所よりも高い割合であった。1920年代と1930年代にさらに島外への移住が行われた[85][87]。
第二次世界大戦中、ノルウェー海軍に所属し、のちにシェトランド・バスのニックネームで呼ばれることになる部隊が、1940年秋に特殊作戦執行部(Special Operations Executive, SOE)によってランナ基地に設置された。後にスカロウェイに基地が移され、ノルウェー沿岸周辺での作戦の指揮を執ることとなった。ナチス・ドイツのノルウェー占領時に国を脱出した難民が使用したおよそ30隻の漁船を集め、シェトランド・バスは諜報員、難民、レジスタンスの指導員、軍事物資を運ぶ秘密工作など、200回を超える渡航を行った。そのうち52回の渡航に携わったレイフ・ラーセンは、第二次世界大戦の連合国側海軍将校で最も誉れ高い勲章を授与された[88][89]。イギリス空軍の基地も数箇所設置され、灯台の数箇所が敵機から爆撃され被害を受けた[87]。
20世紀後半、シェトランド東西の海域で石油埋蔵地が発見され、シェトランドが大いに必要としていた代替収入源となった。東シェトランド海盆はヨーロッパ最大の油田の1つであり、石油収入とノルウェーとの文化的つながりの結果として、オークニーおよびシェトランドの独立運動が発生した。独立運動はマン島だけでなく、シェトランドの最も近い隣人でデンマークの自治領であるフェロー諸島もモデルとしている[90]。
政治
[編集]シェトランドは、オークニー・アンド・シェトランド選挙区の一部として、庶民院に国会議員を送っている。現職はアリステア・カーマイケルである。1950年以来、この議席は自由党または自由民主党が維持しており、彼らがイギリス国内で維持するどの議席よりも期間が長い[91][92][93]。
スコットランド議会においては、シェトランド選挙区は小選挙区制によりスコットランド議会議員を選出している。現在のシェトランド選出スコットランド議会議員は、2019年に初当選したスコットランド自由民主党のベアトリス・ウィシャートである[94]。現在のシェトランドは、スコットランド議会のハイランズ・アンド・アイランズ選挙地区内にある。
シェトランド諸島議会の政治的構成は、無所属議員22人である。政党を代表しない議員が多数派を占める、スコットランド内のカウンシル・エリア3つのうち1つである[Note 8] 。
1966年、Roy Grönnebergがスコットランド国民党の地方支部を設立した。彼はビル・アダムズと共同で、シェトランドのノルウェーからスコットランド移管500周年を記念してシェトランド諸島旗をデザインした。色の配置はスコットランドの旗と同じ青と白だが、スカンジナビア十字の形を採用している。1985年の住民投票を含む数度の失敗の後、2005年にロード・ライアン・キング・オブ・アームズはシェトランド諸島の旗を公式旗として認定した[97][Note 9]。
元はノルウェー領だったことから独自の文化を持ち、少数ながらスコットランドやイギリスから独立するという運動を行ってる住民もいる[98]。
朝日新聞が、ロンドン発として伝えるところによると、2020年9月9日、シェトランド諸島議会は、スコットランド自治政府に対する島の「財政面と政治面での自決」をうたう決議を賛成18、反対2、棄権2で採択した。周辺に広がる石油とガスの資源や漁場の専有を狙う戦略とみられる。英タイムズ紙は「英国からも自治政府からも独立する動き」と報道。英仏海峡のチャネル諸島のように独自の政府を持つ英王室属領としての地位を求める可能性もあるという[99]。独立に直ちに結びつくものではないが、少数の住民の運動にとどまらず、議会レベルでの行動である。
経済
[編集]現在、シェトランドの主な収入源は農業、養殖業、漁業、再生可能エネルギー、石油産業(原油と天然ガス生産)、クリエイティブ産業と観光業である[100]。
漁業は現在もシェトランド諸島経済の中心であり、2009年の漁獲総量は75,767トンで、評価額は7,320万ポンドであった。さらには、漁獲量においても収入においてもシェトランド諸島の漁獲高の半分以上を占めるのがサバである。続いてコダラ、タラ、ニシン、タラ科のMerlangius merlangus、アンコウ、貝類のかなりの水揚げがある[101]。農業は主として、非常に細かい羊毛がとれることで知られるシェトランド種のヒツジの飼育にかかわっている[17][102][103]。穀物はコムギとオオムギが生産されるが、シェトランドは寒さと吹きさらしの風が厳しく、ほとんどの植物にとって過酷な環境である。借地権が法的に限定されている小区画の農地で農業を行うクロフティング(en、小規模農場による農業)はまだ実践されており、これはシェトランドの伝統というだけでなく重要な収入源とみなされている[104]。
石油と天然ガスは1978年サロム・ヴォー入り江にて初めて地上にもたらされた[105] 。サロム・ヴォー石油ターミナルは、その後ヨーロッパ最大級のものとなった。石油の税収入は社会福祉や芸術、スポーツ、環境対策、経済開発など、公的部門の支出増加に貢献した。シェトランド諸島内の労働力は3/4がサービス業に従事している[106][107] 。2003年にはシェトランド諸島議会単独で生産高の27.9%を生み出していた[108][109]。石油収入はシェトランド公益トラストの資金源となり、トラストを介して地元の様々な事業に資金を提供できるようになった。2011年のトラスト残高は2億1700万ポンド、すなわち一人当たり9500ポンドであった[110][Note 10]。
2007年1月、シェトランド諸島議会はエネルギー会社SSEと、風力発電所タービン20基と海底ケーブルを設置するパートナーシップ契約を結んだ。この再生可能エネルギー事業は約600メガワットを出力し、シェトランド経済に年間200万ポンド程度寄与するという[112]。計画は諸島内でかなりの数の反対を生んでいる。開発で予想される視覚的なインパクトが第一の理由である[113]。アンスト島でのPURE計画は、風力発電と風力ハイブリッド発電を生む燃料電池を組み合わせるための研究センターであった。この事業は地元コミュニティーの発展トラストである、アンスト島パートナーシップによって運営されている[114]。
ニットウェアはシェトランドの経済と文化の両面で重要である。フェア・アイルは非常によく知られている。しかしニット業界は、他のメーカーや商標認証によるシェトランドの名称の盗作問題に直面している。例えばシェトランド・レディ(The Shetland Lady)は商標登録されている[115]。シェトランドは毎週地元新聞社が発行するシェトランド・タイムズ、BBCラジオ・シェトランド放送が提供するシェトランド・ニュース、商業ラジオ局SIBCが提供されている[116]。
シェトランドはクルーズ船の人気の行き先である。2010年、ロンリープラネットはシェトランドを、『手付かずの行き先を求める観光客にとって世界で6番目の適地』と評した。シェトランド諸島は『美しく、実りある』、シェトランド諸島人は『激しく独立した個人、自立生活者の一団』と称された[117] 。
2006年における訪問客全体の支出は1640万ポンドであった(その年ラーウィック港にクルーズ客船の乗客が26,000人到着した)。2009年に最も観光客が訪れた場所はシェトランド博物館、サンバラ・ヘッドの鳥類保護王立協会(en)保護区、ワイズデイル・ミルのボンホガ・ギャラリー、ヤールショフであった[118]。
交通
[編集]諸島間の輸送は第一にフェリーである。シェトランド諸島カウンシルは様々な島間のサービスを運営している[119]。シェトランドと本土のアバディーン間をノースリンクス・フェリーズ社のフェリーが片道12時間で運航している[120][121]。
シェトランド第一の空港であるサンバラ空港は、ラーウィックの南約40km、サンバラ・ヘッドに位置する。スコットランドの航空会社ローガンエアーはFlybeのための路線を持っており、1日に10度スコットランドの他地域へ便を運航する。目的地はカークウォール、アバディーン、インヴァーネス、グラスゴー、エディンバラである[122]。
島と島の間を飛ぶ航空路線は、シェトランドのメインランド島からほとんどの有人島に向けて可能である。ラーウィック西11kmにあるティングウォール空港からの便は、シェトランド諸島カウンシルと提携したダイレクトフライト社が運営している[123][124]。アバディーン=スキャットスタ(サロム・ヴォー近郊)をしばしばチャーター便が飛ぶ。このチャーター便は油田で働く労働者を輸送するために用いられ、スキャットスタの小さなターミナルは、スコットランドで国際線乗客が5番目に多い場所となっている[125]。公営のバスサービスは、メインランド島、ホエルセー島、バラ島、アンスト島、イエル島で運行されている[126]。
シェトランドは風と潮にさらされ続けており、船が難破した場所が多い。灯台が様々な箇所で海上交通の補助として設置されている[127]。
公共サービス
[編集]シェトランド諸島カウンシルは、シェトランドの全ての島々のための地方自治体当局で、ラーウィック・タウン・ホールにある。シェトランド諸島のモットーは、カウンシルの紋章に記されているように、Með lögum skal land byggjaである。ニャールのサガ(en)に書かれた一節からとられており、『法によって土地の上に築かれなければならない』を意味する[128] 。シェトランドは12のシビル・パリッシュに分割されているが、もはやこれらは行政的に意味を持たない。しかしシビル・パリッシュは時に統計上の用途と、18ある地域協議会で使用される[129]。
シェトランドには高等学校2校、中学校7校、30以上の小学校がある[130]。シェトランドはまた、北大西洋漁業専門学校、北欧研究センター、そしてシェトランド・カレッジがあり、これらは全てインヴァーネスに本部のあるハイランズ・アンド・アイランズ大学の関連である[131][132]。
シェトランドの文化
[編集]シェトランドがスコットランドに移管された後、何千人ものスコットランド人世帯が16世紀から17世紀にシェトランドへ移住してきた。しかし島民の遺伝子構造の研究が示しているように、シェトランド諸島人の半数がスカンジナビアに起源を持つ[66]。この組み合わせは地元の生活の多くの側面に反映されている。例えば、現在使われている地名のほとんどがヴァイキングの時代にさかのぼることができる[134]。ノルド語は古ノース語の形態で、18世紀まで話されていた。その後、シェトランド語として知られるスコットランド語の島方言に置き換えられた。また、現在はスコットランド英語に置き換えられつつある。何百年も話されてきたノルド語は現在絶えてしまっており、わずかに書き言葉が残っている[135]。シェトランド語は地元ラジオ局と書き言葉の両方で使われており、シェトランド民俗協会によって生き続けている[136][137][138]。
冬のさなかにラーウィックで行われるウップ・ヘリーアーは、毎年シェトランドで開催される様々な火祭りの1つである。祭りは現在で100年以上の歴史があり、高度に組織化されている。原型は冬の長い夜を追い散らすための禁酒祭りで、今は島の伝承を祝うものとなった。男たちはヴァイキングの服装で行列し、ロングシップのレプリカを燃やすのである[139]。
シェトランド料理は、ほとんどが有機食品である地元産ラム肉、牛肉とシーフードを基本とする。無濾過でパスチャライゼーションをしないリアル・エールを作っているヴァルハラ醸造所は、国内で最も北にある醸造所である[140]。シェトランドは隔年開催される国際アイランドゲームズ協会の一員であり、2005年には開催地となった[141]。
教会と信仰
[編集]宗教改革がシェトランドにもたらされたのは1560年であった。明らかに平和的な移行であり、記録されたシェトランドの歴史上において宗教的熱狂や不寛容の証拠はわずかである[142]。諸島内には様々な宗派がある。メソジスト教会は諸島内で比較的信者数が多く、メソジスト教会の教会地区となっている(スコットランド本土が構成する地区とは別である)[143]。スコットランド国教会はラーウィックのセント・コロンバ教会が含まれるシェトランドの長老会を持っている[144]。
音楽
[編集]シェトランドの文化と風景は、様々なミュージシャン、作家、映画製作者にインスピレーションを与えている。1950年代に結成されたザ・フォーティ・フィドラーズは、伝統的なフィドルの演奏スタイルを促進し、現在も地元文化の活気ある一部となっている[145] 。シェトランド民俗音楽の注目すべき人物としてアリー・ベイン(en:Aly Bain)、トム・アンダーソン、ピーリー・ウィリー・ジョンソン(en:Peerie Willie Johnson)がいる。トーマス・フレイザー(en:Thomas Fraser (singer))はカントリー音楽のミュージシャンであったが生涯を通じて商業ベースのレコーディングをしたことがなかったが、1978年の早すぎる死のあと20年以上人気を保っている[146]。
文学
[編集]ウォルター・スコットが書いた1822年のThe Pirateにおいて、舞台はシェトランドの遠く離れた場所となっている。これは1814年に彼がシェトランドを訪れた際にインスピレーションを得たためである。Jarlshofという名は『伯爵の邸宅』を意味する彼の造語である[147][148]。
スコットランド人詩人ヒュー・マクダーミッドは、1930年代半ばから1942年までホエルセー島で暮らした。彼はその間、直接的またはシェトランドの環境を反映させた詩を書き上げた。"On A Raised Beach"は無人のウェスト・リンガ島訪問に触発され書いたものである[149]。作家ハモンド・インズが1975年に発表した小説North Starは、主な舞台をシェトランドとしている。ラマン・マンデアの2007年の詩集A Choreographer's Cartographyは、シェトランドを背景にアジア系イギリス人の視点を表している[150]。ウォルズ島生まれのヴァガランドは、おそらく20世紀シェトランド最高の詩人であろう[151]。
シェトランドでは月刊誌Shetland Lifeとi'i' Shetlandが発行されている[152][153]。
小説家アン・クリーヴスはシェトランド諸島を舞台とするミステリー小説を複数執筆しており、日本語版も出版されている[154]。
映画・ドラマ
[編集]1937年にマイケル・パウエルが製作したThe Edge of the Worldは、絶海の孤島セント・キルダに暮らす最後の36人の島民が1930年8月29日に島外に避難する実話を基として脚色した作品である。セント・キルダはアウター・ヘブリディーズ西方64kmの大西洋上の群島だが、パウエルはそこでの撮影許可を得ることができなかった。ひるまなかったパウエルは、フーラ島で1936年の夏の四ヶ月間撮影を行った。映画ではセント・キルダでの出来事をシェトランドでの出来事に置き換えたのである。40年後の1978年、パウエルはフーラ島を再訪問し、ドキュメンタリー映画Return to the Edge of the Worldの中で当時のキャストやクルーと再会を果たした。
シェトランドで撮影された、またはシェトランドにちなむ映画作品には、A Crofter's Life in Shetland(1932年)[155]、A Shetland Lyric(1934年)[156]、Devil's Gate(2003年)、コメディ・ドキュメンタリーのIt's Nice Up North(2007年)がある。
また、上記のアン・クリーヴスの小説がITVによりドラマ化され、2013年からBBCで放送されている。日本では『シェトランド』という邦題で2015年からAXNミステリーで放送されている[154]。
参照
[編集]- ^ ワトソン (1994) はタキトゥスがシェトランドについて言及していたと確信しているが、しかしブリーズ (2002) はこの見解に対してより懐疑的である。トゥーレはマッシブのピュテアスが紀元前322年および285年にブリテン島に滞在した際に初めて言及されたが、彼はその島がブリテン島から北へ6日航海した凍りついた海から1日の所にあると考えていたため、ピュテアスがトゥーレと記した島がシェトランドを意味しているということは疑わしい[5][6]。
- ^ 現代のスコットランド・ゲール語でシェトランドを意味する Sealtainn ([ʃalˠ̪t̪ɪɲ])はスコットランド語の"Shetland"のように古スカンジナビア語の与格であるHjaltlandiの頭文字が/hj/から/ʃ/に子音強化される推移を経た事に由来している[8]。スコットランド語とは対照的にゲール語は最初のl音(hjaltのl)を保存したが、最後のl音 (landのl) は消失した。
- ^ 全てのノルウェー西部方言がそうであるように、アクセントの'a'は'e'に移り変わり、そして古スカンジナビア語のhjalpaがhjelpaとなったようにjaはjeとなった。その後、頭文字が/hj/から/ʃ/に子音強化される推移を経て発音は変化した。これはいくつかのノルウェー方言にもみられることであり、例えば英語のwithに相当するhjåという単語や地名であるHjerkinnおよびSjoa(*Hjóからの変化)にみられる。そして最後にtの手前のlが消滅する[11]。
- ^ スコード・オブ・ブロースターの場所は、一群の6もしくは7つの壁に囲まれた領域および、今までスコットランドで見つかっている最初期の鍬の刃が収容された円形の石の家を含んでいる[55]。
- ^ Some scholars believe that this story, which appears in the Orkneyinga Saga is apocryphal and based on the later voyages of Magnus Barelegs.[67]
- ^ Apparently without the knowledge of the Norwegian Rigsraadet (Council of the Realm), Christian pawned Orkney for 50,000 Rhenish guilders. On 28 May the next year he also pawned Shetland for 8,000 Rhenish guilders.[78] He had secured a clause in the contract which gave future kings of Norway the right to redeem the islands for a fixed sum of 210 kg of gold or 2,310 kg of silver. Several attempts were made during the 17th and 18th centuries to redeem the islands, without success.[79]
- ^ When Norway became independent again in 1906 the Shetland authorities sent a letter to King Haakon VII in which they stated: "Today no 'foreign' flag is more familiar or more welcome in our voes and havens than that of Norway, and Shetlanders continue to look upon Norway as their mother-land, and recall with pride and affection the time when their forefathers were under the rule of the Kings of Norway."[71]
- ^ The other independent run Councils are Orkney and Comhairle nan Eilean Siar. Moray is run by a Conservative/Independent coalition.[95][96]
- ^ The flag is the same design Icelandic republicans used in the early 20th century known in Iceland as Hvítbláinn, the "white-blue".[97]
- ^ No other part of the UK has any such oil-related fund. By comparison, as of 31 December 2010 the total value of the Government Pension Fund of Norway was NOK 3,077 billion ($525 bn),[111] i.e. circa £68,000 per head.
脚注
[編集]- ^ “Mid-Year Population Estimates, UK, June 2022”. イギリス国家統計局. 2024年8月28日閲覧。
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